《瞑想小説 狩人》

瞑想

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美姫の場合

美姫の場合61⃝

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 唐突に美姫は右手を掴まれた。宗教的儀礼服を着た男性が浴室の外壁にもたれかかっている。『…行くぞ。』彼はそう言うと切れ長の目を光らせる。黒いローブ。漆黒の作務衣に近い出立ちの男性。彼女は浴室と拷問室の境目に無造作に置かれている浴衣的衣装にそそくさと。『…どこへ?』彼女は聞いてみる。

 彼は答えない。部屋には誰も居ないようだ。何かが変化した匂いがする。何かが不自然であると感じる。私を責めていた四人の男性は居なくなっていた。グレート・ギャツビーの頁(ページ)を捲(めく)る御主人様も居なくなっていた。泡宇宙論。原理原則を無効化する夢幻回廊の続編。

 燭台には変わらずに蝋燭が灯っている。東西南北に配された象徴的な色合い。東の守護灯台は赤よりももっと深い赫。西の道路面には青よりももっと深い碧。南は閾値が最も高い繋がりの紫。北向きの燭台には包括的な要素を含む緑。

 『友人が風邪を拗らせてしまったので』という連絡にウィンクする可能性の女神。拷問室からの脱出を可能にするのは白馬王子ではないのかも。短髪黒髪で時系列も交渉術も持たぬ『力』を支配するアポロンを模した絵画なのかも。彼は自動火災放置設備の発信機を押下する。マンション全体に偽りの火災を知らせる為のボタンを。

「じりじりじり」
「じりじりじり」

 『…行くぞ。』誰なのです。貴方は。『…はい。』誰なの。一体。貴方は。一体。右手を差し出すと彼は左手で呼応する。中指と薬指の密着する先に感じるごつごつとした皮膚の感触。一筋縄ではいかない状況を幾多,潜(くぐ)ってきたのだろうか。そう感じる逞しい腕と手。覚悟の声は黄金色の光。

「じりじりじり」
「じりじりじり」

 『…☓を…☓で……こい』耳をつんざく警報音。けたたましい音で声が掠れて聞こえない。耳を近づけてみる。よく聞こえない。彼は二度は口を開かなかった。どうすればいいのです。貴方に従(つ)いていけばよいのですか。千載一遇の機会として捉えてよいのですか。

「じりじりじり」
「じりじりじり」

 館内放送が流れる。地下のポンプ室が起動する。自動火災報知設備の受信盤は犯人探しの百目を開放する。久々の出番に喜んでもいる。幾つかの防火扉が自動閉鎖する。偽りの火災室に火煙は皆無。扉は外界から遮断されている特殊な構造。同扉には三つの鍵が掛けられている。①黄金色のシリンダーを持つもの。②銀色に鈍く光るチェーン・ロック。③最後に複雑な文様が描かれた赤銅色(しゃくどういろ)の鍵。

 全ての鍵は解答を求めていた。一つ。『時間の概念を圧縮するもの。空間の概念を縮小に導くもの。何ぞ。』『意識。』正答也。幽鬼(ゆうき)を凌駕する勇気に拍手を。黄金色の衣を開放しやう。汝等行く先に幸多くあれ。

「じりじりじり」
「じりじりじり」

 全ての鍵は解答を求めていた。二つ。『氷は温度変化とともに水と成る。水は水蒸気へと。常世は無常な変化の連続。神はこのやうな世界を形成した。ゆへに。ゆへに。永久(とこしえ)に変わることのないものはないと感じるのは人の常。彼もそう言っていたな。彼女もそういっていたな。』『常世にて。変わらぬものを一つ挙げるとするなら?』『…○○○○。』正答也。汝(なんじ)の理解/偉大也。難事(なんじ)を統治する頭脳は明晰にして正確。炎の力を存分に用い高く舞い上がれ。

「じりじりじり」
「じりじりじり」

 最後の鍵も解答を求めていた。三つ。『受理できぬ契約内容を御覧になったかな。君の右に居る女姓と或る男の間で交わされたもの。書面にならぬ弱みを握られた女性性(じょせいせい)。契約書の内容に満足し支配する男性性(だんせいせい)。女性の躰は総じて彼のものとなった。細く括(くび)れた腰のラインも。決して豊満とは云えぬが上品な両突起も。舌根沈下させ呼吸を制限する権利も。心拍数と脳波に制限をかける為,右鎖骨下と左側胸部に決して剥がれぬパッドを貼ることも思いのままだ。電圧はお好みでダイヤルを時計回りに。其程(それほど)に契約内容は酷いものだ。もう一度。両乃目で御覧になるがいい。さて。』

 『さて。魔性契約から彼女を開放する為に必要なもの。更に高次の視座とは?どう思うね。』『三つある。重力。次元。死。その三つだ。』

 扉が開く。『ぎい』。鈍い音だった。

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