《瞑想小説 狩人》

瞑想

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美姫の場合

美姫の場合59⃝

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 『シャワーを浴びてこい。』

 『…は…い。』

 両足を地面に着ける。頼りない設置点。脚部(きゃくぶ)には酷く生めかしい縛痕(ばっこん)が残っている。左右感覚も前後感覚も不確かな感覚。足が地に着いていない。

 ふら。ふら。ふら。耳鳴りがする。男性の笑い声が聞こえる。外耳から内耳を貫通する声が聞こえる。蝸牛が揺れ動く。鼓膜が振動する。平衡感覚は奪われている。白灰質へ直接,届くような声。意味不明な言葉の羅列。可聴域の下限界を揺蕩う声。

 :

『べた。べた。べた。君の中の猛獣と乾杯しよう。この一夜を記念日にしよう。美姫。君の中に凶暴で凶悪な猛獣が潜んでいるのに気づいただろう。我々は獣を大人しくさせる為に麻酔銃を使う。射程距離は3メートル程度だ。かなりの至近距離まで近接せねばならん。万が一の事態を想定しておかねばな。』

『アッパーカットの練習もしておこう。強烈なストレートをお見舞いしてやろう。猫科動物ならば猫缶を。犬に近しいものならばドッグ・フードを。魚類に近似値をもつならば共喰ひの肉を。両生類に分類されるものならば狼の目玉を。それらに気をとられている間に何とか眉間へのフックを。』

『君の中の猛獣に乾杯を。ファンファーレを鳴らしてくれ。』
 
 :

『べた。べた。べた。綺麗なシャワールームを堪能するといい。三ツ星料理店の社長専用のものと相違ない。五ツ星ホテルのスウィートと相違ない。専門店の品揃えは完璧だったのさ。只一部を除いてな。』

『教えてやる。店主のメンタル体のみが問題だったのだよ。輝きがない。綺麗とは程遠い。丁寧な小説とは程遠い。まあ。彼の身体を見れば一目瞭然だったのだが。』

 :

『べた。べた。べた。美姫ちゃん。こんばんは。元気してる?今度遊びに行くね。素敵な旦那様と一緒に貴女を苛めに行くわね。楽しみにしてて。』

『蝋燭をたっぷりとかけてあげる。貴女のその綺麗な身体の隅々に。胸を真赤(まっか)に染めてあげる。秘部を真赤(まっか)に染めてあげる。赤ミイラになるまでに何度,貴女が首を振るのか数えてあげる。』

『貴女はきっとこう云うわ。やめて。私が何したの。やめて。何でもしますからって。』

『私はミイラの衣を剥がしてもう一度最初から。何度も繰り返すの。何度も。何度も。何度もよ。』

『嗚呼。心配はしないで。水は飲ませてあげるから。口うつしでね。猫みたいに可愛がってあげるわ。美姫(みき)ちゃん。今度遊びに行くね。』

 :

『べた。べた。べた。美姫。調子は如何。母は貴女を心配しています。だって,ここ何年も会っていないのだもの。身体に不調はありませんか。家族全員、元気にしていますか。仲良くしていますか。』

『12月にまとまった休みをとれそうだと言っていましたが帰省するつもりはないのですか。本当はこんなこと書くべきじゃないんでしょうね。子離れできない母を許してください。久しぶりに会いたいと思っています。近況報告を聞きたいと思っています。美姫の旦那様にも日頃の感謝を伝えたいと思っています。』

『そうそう。そういえばね。この間。佐藤さん家(ち)の奥さんが亡くなったの。脳梗塞ですって。とても残念です。とても。お葬式に行ってきました。貴女の分も御祈りしてきましたよ。元気でいてね。御願い。よ。御願い。よ。』

 :

『べた。べた。べた。酷いじゃあないか。酷いじゃあないか。貞淑な女性だと思っていたのに。俺との初夜とは随分違う。』

『何って。君の乱れっぷりのことさ。君の逝きっぷりのことさ。あんなに初初(ういうい)しかった君は何処に行ってしまったというんだ。』

『君は…。君は…。緊縛縄に酔う変態女だったんだな。君は…。君は…。剃毛されて喜ぶような変態女だったんだな。君は…。君は…。排泄穴(アナル)で感じる変態痴女だったんだな。幻滅したよ。俺の初めての女の信用失墜行為にさ。』

 :

『べた。べた。べた。何が可笑しいの。何が可笑しいのよ。そうよ。そう。私は感じていたわ。涎を飲まされて。麻縄で縛られて。腸内を責められて。』

『それが私なの。それが私だったの。退(ど)いて頂戴。シャワーを浴びにいくの。退(ど)いて頂戴。貴方の常識縄(じょうしきなわ)なんてつまらない。公務員的な生活の表側だけでは総てを包含できないの。新しい御主人様のものになるの。』

『べた。べた。べた。…此れは私ではありません。…きっと私ではありません。…影だと思うのです。…秋の夕暮れに延びた長い影。』

大理石に口吻をし,彼女は大きな浴室で
複層硝子が何故,曇らないのかを考える。

浴場には誰も居らず,対流せぬ空気層のみが在る。
シャワーの雫が床面を濡らし,排水溝へと流れゆく。

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