《瞑想小説 狩人》

瞑想

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美姫の場合

非常点滅灯…終話

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 煙が周囲に漂っている。事故車両①は大型の牽引車。事故車両②は普通常用自動車。事故の形態は①の荷台下方。つまり腹の下に突っ込んだ②が脱出不能になっており運転者が挟まれている状況だった。

 左路側帯で大破した普通常用自動車が悲鳴を上げている。高速道路上の事故は悲惨で凄惨なものが多い。霊魂となった優待券を持たぬ魂が闊歩する場所。非常点滅灯を点灯する車列の後方から視認する。同点滅灯は「美」の顕現帯として煌々と。「火」の象徴体として創造を司る。

 『Dさんに電話しなくても良いのですか?』左後方からもう一度。女性が彼に聞く。ホテルでの待ち合わせの時間。約束の時間はとうに過ぎている。

 携帯電話が震えている。携帯電話が鳴いている。きっと彼からの電話だと思いつつも無視を決め込む運転席の男性。きっと彼の中での重大事はこの事故の成り行きなのだろう。『いいんだ。放っておこう。ところで。寒くはないかい。』想像内の質問と想像内の答弁で成立する彼(か)の地への興味はすっかり失せてしまったらしい。

 それよりも…。それよりも…。彼を惹きつけやまぬのは…。不意に肉体と霊魂を分かつ事象。クンダリニー・ヨーガに似た事象。

 煙と炎を吐き出す事故車両。その中に未だ人が居るようだ。懸命かつ賢明な救助作業が続いている。消防司令長は防水仕様のトランジスタ・メガホンを使用し部下にはっきりとした口調で指示を伝えている。

 戦略を立てるのが上司の役割であることを理解し、戦術の裁量権は部下に持たせている。訓練された部隊だ。二次災害への備えも怠っていない。

 何よりも全隊員の「眼」だな。「眼」がいい。真剣な男達の眼差しにうっとりとする。そして全隊員の「身体」だな。橙色の救助服。アラミド繊維の救助服越し。極限まで鍛え上げられた肉体の美を見る。


『なかなかだ。見ておきなさい。』

 と彼が言う。

『は…い。』

 彼女は答える。


 煙は白から灰に変わる。一瞬だけ黄色い閃光が走る。灰色はみるみるうちに黒煙へと。不完全燃焼というやつだ。火になりたくてもなれず冷媒にその生命を奪われた成れの果て。火とは物体ではなく現象である。そんなことを思い出す彼。非常点滅灯の明かりが美しい。

 生と死の分岐点は何時も傍らに在る。ワンボックスの運転者は何時もそれに触れている。故に。故に。生きているだけで丸儲けという何処かで誰かが語る格言に100パーセントの賛成旗(さんせいき)を掲げる。

 牽引車の下部に突っ込んだ乗用車。同車両の乗員はもはや生きてはいまい。誰の目から見てもそれは明らかだ。渋滞車列には事故から目を離せない者。目を背ける者。何を急いでいるのか知らんがクラクションを鳴らし続ける者。携帯電話でゲームに興じている者など様々だった。

 笑みを浮かべつつSNSに事故動画を/救助動画を投稿しているリアルタイマーも居た。日本人の腐敗の度合いが見てとれるワンシーンを目撃し彼は舌打ちを二度。『美と醜悪の対比。此れも常世也と云っておこうか。』

 黒煙が濃くなりファイヤーポケットが数箇所で発生する。石油製品独特の匂いと煙色(けむりいろ)。ともあれ。事故車両の運転者は此処で死するのが運命だったのだろう。此処で死するのが運命だったのだろう。そう思う。翌日のニューズで事故の放送がおどろおどろしい音楽とともに放映されるだろう。綺麗なキャスターさんが不出来なフリップを低速回転の頭で読むのだろう。非常点滅灯の明かりが美しい。


『…死…』

 ワンボックスの運転席で彼は口にした。

『…死…?』

後部座席で彼女が追従する。


『よく見ておきなさい。運命の導水路は時に残酷なのだな。救助作業は間もなく終わるだろう。黒から灰色へ。灰色から白へ。あの白煙は断末魔の水蒸気。彼の魂の一部もそこに在る。嫌。混在していると云ってもいいだろう。死の学問に触れるよりも。メメント・モリを何度復唱するよりも、こういった瞬間を網膜に焼き付けておくことの方が重要だ。』

 道路公団の所管車両が部署位置を変えたらしい。最右翼の車線が開放されたようだ。のろのろと車列が動き出す。渋滞は少しだけ解消されるだろう。

 隣の車のスピーカーから『保土ケ谷バイパスの事故で大きな渋滞が発生しています。』との情報が流れてくる。彼と彼女は何を感じたのだろう。

 目的地を変えよう。今夜はもういい。今夜はもういいよ。非常点滅灯の明かりが美しい。それだけで満ち足りるものがある。そうだろ。非常点滅灯の明かりが美しい。

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