《瞑想小説 狩人》

瞑想

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美姫の場合

美姫の場合⑥

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 タイプミスがない事を確認した男。電気的な煙草を咥え/タイピングの為だけに作られた起立椅子から着座椅子に腰を下ろす。『…SEND。』極低音な語句が唇から発されるのを聞く。

 彼は何でも知っていた。同タワーマンションの所有権についての詳細と特に大切な契約書の一文についても。現在工事中の屋上に付された「R」文字が見えぬのは航空法にも建築基準法にも抵触しない事を。家賃が伸びやかに段階的である事とその徴収法にはちょっとした工夫が必要である事を。最上階の乗客であり上顧客の年収と課税率と非課税部分の割合を。

 幾つかの不動産経営権を譲渡された彼。椅子は常套記載文句のとおり上等であり一部の隙もなくペイルブルーに塗色されている。1回の呼気分だけ電子煙草の煙を吐き出すと『不無…こんなものかね。想像と幾分も違わない。』と一瞥。理解りやすいトラッシュトークとともにトラッシュボックスに捨ててしまう。変幻自在の周波数を発する木製の箱から/有意義なもう一箱の煙草を取り出し火をつける。

 燃え上がる炎は黄燐の低い発火点に由来する煙を発生させる。そして刹那逡巡の時間割を守り消える。美。美。美とはこういうものだ。彼は頷いてマイナス6号室の従者に一冊の書籍を持ってくるように指示をした。隣の部屋は寒く。寒く。そして寒く。震える女性が一名,残置されているのを知りながら。

 『嗚呼』美姫は溜息をつく。
 孤独な運命に対しての吐息は紫色。

 彼は書籍を好んでいた。狂気(きょうき)と共氣(きょうき)と驚喜(きょうき)を含む文字の羅列。象形の時代から変容した時系列を辿るのは喜び。只の図形の羅列と断ずるには強力過ぎる力を持つ文字達。その知識の結晶たる形態が書籍であると彼は知っていた。携帯性に優れ脳内物質の中でも一際,有用なものを即時刺激(そくじしげき)し,史劇(しげき)と詩劇(しげき)と悲劇(ひげき)を綴る情報媒体。万から億の単位まである書物を篩にかけよう。時間というのはこのように使うのだ。無駄な文字を追う暇など必要ない。

 『嗚呼』美姫は溜息をつく。
 愛する夫への思いは濃紺。

 彼は名著を集合させ篩にかけ,古いものを新しく羅列させ昇華させる最高位儀式(メタアナリシス)と危機管理能力(クライシスマネージメント)を確立させていた。量子力学の完成形の記載も。肉体とは何かという永遠のテーマでありテーゼの答えも。視力と毛様体筋の関係も。宇宙の生成由来と同前段の形貌(なりかたち)も。重力と時間を融合した一般相対性理論の隙間を埋める接着剤も。333号室に拵えた豪華な書斎に一冊の本として纏め上げられている。別冊として『薬草学』その別冊として『肉体学』が派生して脈動しながら賢明な読者のノックを待っている。

 『嗚呼』美姫は溜息をつく。
 そういえば幼稚園に行きたくなかったな。
 迎えを待つ思いは無地の帆布。

 隣室の緊縛姫に別情を抱いた事はない。数年前に手に入れた被虐猫に対しての感情のことだ。『抱きたい』だとか『挿入したい』だとか『触れたい』だとか『背中にCUMをSHOTしたい』だとかは一切思わない。最初からそうだった。それよりも要(かなめ)の習慣のほうが概念的に上位。その程度しか美姫を意識していない。緊縛姫は戯れの玩具程度。茄子と同程度の価値であり/那須には折角の景色を揺るがせる雨風が降っている。それも激しく。そして激しく。
 
 『嗚呼』美姫は溜息をつく。
 身体の芯を温める浴場が欲しい。
 侵犯する指達への審判が欲しい。
 神判の代行者を此処へ招きたい。
 救いを待つ緊縛手指は禁色。

 彼の愛読書に記載のとおり。美姫は現在/彼の観察対象になっていないというところ。観察対象になっていないものは不確定状態。同室の猫は生の状態であるのか。同室の猫は死の状態であるのか。(※そもそも『死』とは何なのか。豪華客船のお迎えなのか。俺が確認した女死神の接吻儀式なのか。では何故。今も生かされているのか。)猫は静止状態であるのか。猫は精子まみれなのか/そうではないのか。猫は制止させられているのか/放免されているのか。監視画面と手術で使用する鉗子の鋭さのみがそれを規定し運命を確定し存在意義を既定する。

『砂を噛み給え。巣穴で噛まれ賜え。姿を見せ霊(たま)へ。縋(すが)ったものを疑い給へ。』彼は要(かなめ)の習慣として三つのものを堅持していた。優先順位はひっくり返る事はない。行動/瞑想/読書。それ以外のものは付属品であり派生品であり戯れであり回復の為の儀式の一部に過ぎない。残念だったな。

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