《瞑想小説 狩人》

瞑想

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剣闘士の壺

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『もっと恥ずかしい思いをさせてやる』

 此れ以上何を…娘は思う。聴衆に晒され。自慢の2枚羽根は無惨にも焼かれ…最早(もはや)自分が自分である事を規定するものは無くなってしまったといふのに。

『ほれ/此れを飲め』

 毒蜘蛛は見事に返り咲いた法治国家の主のようであった。自信に満ちた尊大な数本の手は娘を緊縛するベッドの下方に伸びる。

『此れだ/貴重なものだぞ』

 其処には壺があった。黄土色の壺だった。其の中には8割8分8厘が液体に満たされている。色は解らない。血の匂いと汗の匂いが混じっている。娘は緊縛された下半身を悶え振りつつホールの天井を朧気な眼で見ている。

『嗚呼…嫌…嫌…』

 羞恥の心。彼女の心は見事に其れに染まっていた。絶頂を繰り返し…其れを聴衆に見分され、笑われ、餌にされた子羊の様な気分が恥辱灯籠(ちじょくとうろう)に明かりを点ける。

 其の色は橙色であり。恐怖が全身の細胞に運ばれゆくに従い赤銅色(しゃくどういろ)と鉄色が混じる瞑色(めいしょく)に変化する。

『もう…これ以上…は……』

『あ…あ……う……………』

 奴隷剣闘士の王が纏(まと)う隷服から滴(したたる)る液体を集めた壺。血と汗と覚悟が其処に在る。惨めな身分と呼ばれ生から生まれ死に向かう筈の人生を逆転させた剣闘士の生きた証が其処に封入されていた。

 壺は所謂(いわゆる)壺らしい形をしており/其の楕円のうち『右顎』に該当する部分だけが欠損していることに納得を覚える。『史実を識るんだな。過去の死因統計をはっきりと確認するがよからうぞ。人外の姫よ』『人の死のうち仲間同士の殺しあいがどれ程の割合が占めておったかお前は識るまい。今宵の宴の主賓である姫よ』幾つかの言葉を発した同楕円形の物体は「封呪(ふうじゅ)」と記されたシールを大胆に剥がされ…其の内容物が外界の酸素と結合する。

 其の壺には特殊な仕掛けが施されており内部は完全な真空の状態になっていた。時を越えて空間を越えて彼等の意思が顕現する。彼等の無念は畏敬の念をもって開放されるべきである。蜘蛛は彼等の戦闘欲求を開放する。此の大きな奴隷市場の小さな最下層のホールに。

『嫌…お願い…変な…』

『変な…匂いが…しま…す』

 娘は緊縛ベッドの上で芳香剤と全く逆向きのベクトルを持つ液体の存在を識る。其れは壺からビーカーの様な味気ないプラスティックを経由したのち、毒蜘蛛の口腔内に集約されて唾液と混ざる。

『口を開けな…お嬢さん』

 毒蜘蛛はそう言うが娘は応じない。此れでは宴の進行の妨げになると判断した3種類のピエロを模した人間が其の口を大きく開かせた。

『嗚呼…嗚呼…嗚呼…』

 唇の侵犯(しんぱん)。随分とサイズの違う接吻行事は夕焼けに未来を誓う夫婦のそれではない。

 唇の侵犯(しんぱん)。14歳と14歳の無垢で可憐なファースト/キッスの思ひ出とはほど遠い。随分と距離のある一級河川の右岸と左岸のやうに。

『飲め』

『………!』

 こく/こく/こく
 
 口いっぱいに血の匂いがする
 
 口いっぱいに男性の覚悟が広がる
 
 口いっぱいに見事な散り際が見える
 
 口いっぱいに毒蜘蛛様の唾液が交じっている

『…葉…葉…葉』

『さて/もう一度だ』

 流暢な公用語で彼は再度、同液体を口に頬張り2度目の接吻を強要する。娘は3度、其の細い首を横に振る仕草を見せたが無駄だった。剣闘士の壺は僅かな明かりを喜んでいる。此の場所も同じ…奴隷を飼い慣らす悪夢の市場である事を知らずに。

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