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ハージェス外伝
炎の騎士と追憶の魔女【勘違い妻文庫版発売記念SS】
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「―――これでも、元騎士なんでね」
噴き上げる炎の如き赤い髪が空に舞う。
煌めく白刃は、剣筋の残像だけを虚空に残し、並み居る敵を次々に斬り伏せていく。
剣同士のかち合う音が響く度、一人、また一人と立ち塞がる敵が減っていく。
構えの動作すら、目で追うのは難しく、かろうじて斬った後の余韻を見せるだけ。
元、という割にはあまりにも鋭く、流麗な剣さばきは、まるで舞を舞っているかのようだった。
―――そして。
やがて辺りは、静けさを取り戻し。
「あんた……」
真っ青な青空に、一点だけの赤が映える。
剣を鞘に収める音が聞こえたのと同時に、あたしは男に声をかけた。
地面に座り込み、見上げるあたしに赤い髪をした男が振り返る。
そして、妙に人懐こい笑顔でにっと笑った。
「俺の名はハージェス。ハージェス=トレントだ。よろしくな、白い髪のお嬢さん」
出会ったばかり。
ほぼ初対面。
他人以外の何者でもない。
なのにあたしを追っ手から守った赤髪の剣士は、まるで王に仕える騎士のように、颯爽とあたしに手を差し伸べた。
恐る恐る、その手に自分の手を重ねる。
するとぐっと引っ張られて、あたしはたたらを踏みながら地面に立ち上がった。
「……どうして、助けてくれたの」
「ん?」
問えば、赤髪の男は人差し指で頬をかりかり掻いて、それから「さあな」と言ってまた笑った。
明るい、というよりどこか軽薄そうな印象の男の返事に、あたしの目が点になる。
……何、コイツ。
浮かんだ感想はそれだった。
なぜ、この男が助けてくれたのか、理由が全く分からない。
どうして『あたし』なんかを、助けたりしたのか。
だって、あたしは―――
◆◇◆
―――深夜に一人、真っ暗闇の中ごそごそと身支度をしていた。
と言っても、ボロボロな布の服を着て、肩掛けのこれまたボロ雑巾みたいな鞄を一つ、提げただけで準備は済む。
そろりそろりと、足音を殺しながら部屋の中を移動する。
時折ぎしっぎしっと足音が響いた。
そんなに体重の無いあたしですら、この家の床は悲鳴を上げるのだ。
くっそうボロ屋はこれだから。
頼むから、気づかないで。
今まで自分の部屋とされていた物置部屋を抜け出て、廊下へと歩みを進める。
『アイツら』の部屋の前を通った時はさすがに冷や汗モノだったけれど、どうやら二人はぐっすり眠っているようだった。
……まあ、眠り薬を入れたのはあたしだけど。
用心に越した事は無かった。
まさか、「自分達が仕込んだ眠り薬」を己が口にしているとは思いもよらなかっただろう。
今夜もいつもと同じ、芋のスープを与えられたあたしは、それをこっそり、二人の食事の中へ混ぜ込んだ。
もちろん、ばれる事無く。
匂いを嗅いだ時点で分かっていた。食事に、何かが混入されていることは。
二人は知らないが、あたしは少々草木に詳しい。簡単な薬程度なら、自分で調合する事だって出来る。
他には何もないけれど、これだけは自信を持って言える。
今まで生きてこられたのも、このお蔭だ。
掃除や洗濯、料理はもちろんのこと、水運びや畑、道売りまで全てやらされていた。
その日の売り上げは全て取り上げられ、食事は一日一回芋のスープのみ。
仕事が遅ければ殴る蹴るの暴行を受けた。
道売りの売り上げが悪いと背中を鞭で何度も叩かれた。
あたしの性格自体も、アイツらに媚びを売るような可愛げのあるものではなかったから、余計かもしれない。
肌に滲む血を止めるため、道売りの時に聞いた「血止め草」を探し、傷に擦り付けた。
そこから、畑や道売りの合間をぬっては薬草やその効能を調べるのに夢中になった。不思議なことに、まるで前から知っていた事のように、思い出すように頭はどんどん知識を拾っていった。
一度見たもの、知ったものは忘れる事もなく、効能から副作用まで、近場で手に入るものは今や全て把握できている。
あたしが始めて学びたいと思った事は、自分の身を守るための術だった。
それが、自分に向いていたことだったのは、神に感謝すべきなのだろう。
もちろん、その事はアイツらには教えていない。
薬が作れることを知れば、今度は薬売りもやらされるだろう。これ以上、アイツらの為に稼ぐのは真っ平ごめんだった。
ドアの閂を抜いて、外に出る。
寒々しい風が肌に吹き付け、ぶるりと震え上がった。
けれど、寒かろうが何だろうが進むしか道は無い。
心を決めて、足を踏み出す。
何より扉を早く閉めなければ、アイツらに気付かれてしまう。
夜の村はしんと静まり返っていた。
そりゃそうか。これだけ遅ければ、起きている人なんてほとんど居ないだろう。
ドアを閉めて、荒れ果てた道を歩いていく。
焦らずに歩く。
走ると村人に気づかれるかもしれない。自分が育った場所からそこそこ離れたところで、この辺でいいかと判断する。
あたりに人がいないか見渡す。
慎重に慎重に。よし。誰も居ない。
そしてあたしは思い切り、走り出した。
走って、走って、ただ道を駆けていく。
ずっと先に、大きな森があるのが目に入った。
目的地はとりあえずここだ。
この森は大きく、深い。案内が無ければ迷う人間が多いことから、「惑いの森」と呼ばれている。
でも今はそんなことは関係ない。とにかく、あの村から遠ざかることしか、頭に無かった。
地面は氷のように冷たい。霜が降りているのだろう。足の裏が痛い。たぶん裂けている。
けれど進む。
それしか道は無いからだ。
森の入り口に差し掛かり、暗くて深い闇に恐れを感じたけれど、それと同時に、心に喜びが生まれてくる。
嬉しい、なんて思うのはいつぶりだろうか。
喜怒哀楽、というものが抜け落ちていたと思う。
アイツらに捕まって、ずっとこき使われてからは。
ぎゅっと自分の手首を握った。
鎖ですり切れた部分は、ぐるりと腕輪のように瘡蓋で覆われている。
あの重かった物も、今は無い。
売られる前日には外されるのだと知っていた。
「人として、死んじゃってたよね……」
ぽつりと本音が零れた。
嬉しいとか、悲しいとか、感じることさえ出来なくなっては、それは死んでいるのと同じことの様に思えた。
くるりと、後ろを振り返る。
村はもう小さく、ずっと遠くに見える。
あたしはほっと胸をなでおろした。
松明の明かりなんかが見えないあたり、気づかれて追いかけられてはいないようだ。
「……さよなら」
一言呟いて、あたしは森へと入っていった。
◆◇◆
四年前。
どこかの洞窟にいたあたしを、アイツらが無理矢理連れ出したらしい。
らしいというのは、その洞窟に来るまでの記憶を、あたしは持っていないからだ。
ただぼうっと、深く暗い洞窟の中、大きな岩盤の上で座っていたそうだった。
何をするでも無くずっとそこに居るあたしの所に、鉱石拾いの奴隷を引き連れたアイツらがやってきて、あの村へ連れて行ったのだと。
身に着けていたのは黒く長い外套と、異国の服。そして小指に付けた、灰色の指輪。
それだけだったそうだ。
しかもその外套と異国の服はすぐ様アイツらに取られ、唯一外れなかった小指の指輪だけが、あたしに残されたのだと。
指輪は灰色に濁った木製ビーズで作られており、大した値打ちも無さそうだったため、放っておかれただけらしい。
ほとんど何も持たされず、あたしはその時から、アイツらにこき使われる奴隷として扱われるようになったのだ。
北王国ホルベルクと呼ばれる国の、最果てにある寂れた村。
貧しく、畑をしても取れるものは少なく、特産といえるものも無い。
通称「人買い村」と呼ばれるほど、人身売買でもするしか、もう後はないような。
不幸にもこの村に連れてこられたあたしは、はっきりと年齢はわからないものの、アイツら曰く成人した女の歳になるそうだった。
親でもないアイツらの元で、身売りせずにいられた理由が『金持ちに生娘として高く売りつける為』だと知ってからは、こうして逃走する事をずっと考えていた。
村によく生娘を買いに来る黒装束の男達が現れた事で、この計画を実行するに至ったのだが。
眠り薬と言っても、何日も眠っているような強力なモノでは無い。だから今のうちに、離れるだけ離れなければならない。
森の中、結構な距離を歩いた。
足の感覚は既に無く、日頃の疲れもあってか身体が重い。木々の間から見える空が白み始めている事から、たぶん夜明けが近いのだろう。
早く。
早く、少しでも遠くへいかなければ。
焦る心を奮い立たせ、重い身体を引きずりながら歩く。
元々一日の重労働を終えてからこの行動に至ったのだ。疲労は凄まじく、頭痛もしている。
だけど、足を止めるわけには行かなかった。
かなりな時間歩いただろうか。
森が徐々に開けていく。
どうやら無事抜けられたようだった。
まだ村から十分離れたとはいえないが、体力も限界だったため出て直ぐに広がっている草原に腰を下ろした。
ほんの少し休憩したら、また歩こうと決めて。
空は段々青さを取り戻していて、白い朝日が、扇状に天空に広がっていた。
「つ、疲れた……!」
どさり、と背高く伸びる草葉の間に寝っ転がる。
これなら、身体全体が隠れるし、一見して見つかることもないだろう。
そう安心しつつ、呼吸を整えながら高い空を眺めた。
澄み渡り、朝の気配を存分に見せる光景に解放感が広がる。
あと少し、か。
そう思いながら、なんとなく顔を横に向けた。
すると、鬱蒼と生える雑草の中、やけに目立つ色が目に入った。
一瞬、果実か何かと思ったが、それにしてはやけに大きい。そう、大きさからすると、ちょうど、人間の頭くらいの……。
そう思ったところで、ばっと顔を上げた。
「人……っ!?」
なるべく頭を低くしながら、前方にいるその色を見つめた。
色は赤。
とても鮮やかな、鮮明な赤色だ。
どうやら、あれは赤い髪をした人間の頭らしい。
あたしは警戒しつつ、そろりそろりとその赤色の方に近づいた。
死んでる……?
それとも、倒れてる……?
わからないが、村では見た事の無い初めて見る髪色だった。
ぴくりとも動かない様子から、恐らく死体か行き倒れだと判断して、あたしは草の中を分け入り、その場所まで歩いた。
一面の緑の中にある、鮮やかな赤。
それが葉を付けた薔薇の花のように見えて、あたしは知らず、その髪の持ち主の顔を覗き込んでしまっていた。
「……綺麗」
赤い髪の持ち主は、男性だった。
しかも、とても綺麗な顔立ちをした精悍な青年だ。
睫は長く、鼻筋は通っていて、唇は薄くて形が良い。緩く癖のある赤い髪が、少し目元に掛かっていて、薄い影を瞼に落としている。
どうしてこんな所にいるんだろう……?
疑問を感じながら、まじまじと男を見る。
服は軽装で、だけど貧乏くささは無く、身なりは清潔できちんとしている。
金持ちには見えないが、ある程度のお金は持っていそうだ。腰元には剣が挿してあり、よく見ると繊細な装飾が施されていた。
なんだか高そうな剣。
あれ……鍔の所に、小さく紋章か何か、掘られてる……?
細長い鍔の部分に、何か鳥らしい形が彫り込まれている。だけどよく見えなくて、身を乗り出そうとして、はっと気がつく。
こいつ、死んでも無ければ、気を失ってるわけでもない……っ!
寝てるだけだ……!
規則正しい呼吸音を聞いて、慌てて静かに、ゆっくりと距離を取る。
だけど赤髪の男に気付いた様子は無く、熟睡しているのか穏やかな寝息を立てているだけだった。
何でこんな所で寝てるんだろう。
物盗りに襲われかねないのに。
考えたところで、そうだ、と妙案が浮かんだ。自分でも褒められた事では無いのはわかっている。
だけど、生きるためだと自分を納得させた。
見るに、この男は金に困っているようには見えない。
なら、少しくらい荷物を失敬したところで、路頭に迷うようなことは無いだろう。
あたしは勿論お金なんて持っていない。
逃げてきたのはいいものの、暫くは地べたを這いずるしか生きる術は無い。
だけど、ほんの少しでも資金があれば。
今着ているこのぼろ切れの布をせめて、麻の服に変えるだけで、住み込みの仕事が手に入る確率は格段に上がるだろう。
金も無い、みすぼらしい女が生きていけるほど、この北の国は甘くない。
生きるためだ。
盗みがどうのと言っている場合では無かった。
赤い髪のお兄さん。
アンタが悪いんだよ。
こんなところで寝こけてなんているから。
だから物盗りになんて狙われるんだ。
あたしみたいな、ね。
内心で男に言い訳をして、そうっと腰元の剣に手を伸ばす。
男の荷物は紐がついていて、身体に繋いであるみたいだし、盗れそうな物といったらこれくらいしか思いつかなかった。
剣なら、鞘から引き抜けばそのまま持って行ける。
裏の物品売買屋にしか持ち込めないだろうし、恐らく買い叩かれるだろうが、それでもそこそこの金額にはなるだろう。
物売りをしていたのもあって鞘無しの剣でも十分な値段になると踏んだ。
音を立てず、気配を殺し、柄を握ってゆっくりゆっくり剣を引き抜く。
もう朝になった空の光が、白刃を淡く輝かせた。
寝息の深さから、男はぐっすりのようだ。
これならいける。
そう、思った時だった。
「おーっと、何をするつもりかな。ねずみくん?……って、子ねずみか?」
柄を握っていた手を、上から大きな手で掴まれた。抜けかけていた剣が止まる。
あたしの背が、どっと汗を吹き出し始めた。
慌てて手を引っこ抜こうとじたばたする。
が、掴まれた腕は一向に外れてくれない。
「っ離せ……っ!」
「駄目だよー、俺、これでも騎士なんだから」
赤髪の男は少し起き上がりながら、あたしを見上げて言った。
緩く癖のある長い前髪の奥から、焦げ茶色の瞳が覗く。
「騎士……っ!?」
男はどこか楽しげな光を含みながら、じっとあたしを見据えている。
年齢は二十後半、七か八かそのくらいだろうか。
一見すると、鍛冶屋とかで働いていそうな青年なのに、あたしの手を掴む腕は筋肉質で、鍛えているのがすぐにわかった。
盗みを働こうとしたのがばれた上に、相手が騎士だなんて。
あたしはどうして、こう運が悪いんだろう。
「あ、違った。俺そういや『元』騎士だったわ」
「え?」
内心絶望しているあたしを余所に、赤髪の男は突然ぱっと手を離し、ぽんっと思い出したみたいに言った。
それを見て、またもやあたしの目が点になる。
「元……?」
しかも、つい男の言葉を復唱してしまった。
すると男はにっと人懐こい笑みを浮かべながら、そうそう、と首を縦に振って頷く。
「そ。『元』ね。元騎士だから。まーでも、俺もこの剣持ってかれるのは困るんだよね」
「……っ」
「何か困ってるのかな。年頃のお嬢さんが、こんなところで。……どうした?」
長い草葉が茂る中、起き上がった男があたしに向き直る。
それに咄嗟に距離を取り、男を警戒しながら観察した。
そんなあたしを見て、男が今度はふわりと微笑む。吹き抜けた風が、男の赤い髪を揺らしていた。
焦げ茶色の瞳は澄んでいて、薄汚れた服で身構えているあたしの姿が映っている。
「そんな警戒しなくていいって。君、俺のこと殺すつもりじゃなかったみたいだし。何か困ってるんだろう?」
「……」
「うーん。だんまりかぁ。あ、もしかしてお腹空いてるとか?俺、軽食なら持ってるからあげようか?」
あたしが無言なのをどう捉えたのか、男が紐付けした荷物からごそごそと何かを取り出す仕草をする。
だけど乾パンみたいな物を少し出したところで、ぴたりと動きを止めた。
それから、突然瞳を鋭く眇め、周囲にぱっと視線を流す。
……何?
怪訝に思っていると、赤髪の男は荷物を元に戻し、それから柄にそっと手を添えた。
ぐっと、あたしの全身に力がこもる。
「できれば、食べながらゆっくり事情を聞きたいところだけど……そうもいかないみたいだ」
言って、赤い髪をした男は腰元に下げている剣をすらりと抜き放ち、次の瞬間、草葉の緑から突如現れた者と対峙した。
「……っ!?」
急に現れた人影に、あたしの目が見開く。
赤髪の男が剣を一閃し、あたしを背に庇うように瞬時に目の前に移動する。
「こんな可愛い子一人に、男が六人か。本当に、どこに行っても屑はいるよな……人間は普通汚れるもんだ。しゃーないか」
赤髪の男はどこか余裕ありげにそう言って、チャキ、と音を立てながら、美しい装飾の施された剣を構え直していた。
正面に見据えているのは、男が六人。
だというのに、全く怯んだ様子はない。
なん、で。
何でこの男……あたしを背にしてるの?
自分のおかれている状況がわからなくて、戸惑う。
目の前にいる六人の男達は、確実にあたしを追ってきた村の者だった。
だって中に『アイツら』もいるのだから。
四年間、あたしを奴隷としてこき使い、果てに売り飛ばそうとした、奴隷商人の姿が。
混乱するあたしを余所に、草葉生い茂る中での戦いが―――始まっていた。
◆◇◆
「……何で、助けてくれたの」
「だって困ってるみたいだったから」
「意味わかんない」
あたしを追ってきた男達六人を、瞬く間に打ち倒した男は、剣をぱちんと鞘に収めながら、こちらの質問にさらりと答えた。
それがまるで、さも当たり前であるように。
「あたしはアンタのその剣を盗もうとしたの!なのに何で助けるのよっ!」
「んー……騎士だからかな?」
「さっき元って言ったじゃ無いっ!」
「まあ、そうなんだけど」
赤髪の男ハージェスは、なんでも無いみたいにきょとんとした顔をして、うーんと全然悩んでいなさそうな唸り声を上げていた。
唸る、というより単に「うーん」と呟いているだけみたいだが。
それから自分の赤い前髪を片手で掻き上げ唇の端だけをくっと引き上げる。
「まー……元って言っても、騎士道精神てのはそう直ぐに抜けるもんでもないからな……。一度道を踏み外した分、より強く守らねばと思うのさ」
「踏み……?」
ハージャスの言葉の意味を、聞き返そうとしたところでぶわりと大きな風が巻き上がった。
おかげで、縛っていた髪が横に流される。
強い風のせいか、あたしの髪を縛っていた蔓紐がぷちりと切れた音がした。
さああっと。
あたしの『白い髪』が風に流れて行くのが横目に見えた。
「……綺麗だな」
「へ?」
流れる髪を手で押さえていたら、ハージェスがじっとこちらを見ながら何かを口にした。
何やら「綺麗」とか何とか聞こえた気がしたが。
空耳だろうか。と、そう思ったけれど。
「君の髪だよ。綺麗だなって。あ、勿論君自身も綺麗だけど」
まるで念を押すみたいに、再び言われる。
口調は軽いが、本当に綺麗だと言っていたみたいだった。
それを聞いて、あたしの眉間に皺が寄るのを感じた。
なんていうか、こいつには言われたくない、そんな気がしたからだ。
「こんな、薄汚れた……白なのに?アンタの髪の方が綺麗じゃない。宝石みたいで」
色は無いよりあった方が良い。
四年前にあの村に連れてこられてから、他の人間を見てそう思っていたあたしは、そのままハージェスに言った。
貧乏な生活を強いられていた自分としては、白は直ぐに汚れるし、洗えないと汚く見えるだけだ。
だったらまだ、汚れも誤魔化せる色のある方が、ずっとずっと良いと思った。
「……宝石?これが?」
あたしが言った言葉を復唱しながら、ハージェスが掻き上げていた自分の髪を引っ張るみたいな仕草をした。
ちょっと持ち上げているせいか、朝の太陽が彼の髪を照らし、赤く輝いてとても美しい。
まるで、光を通した鉱石のようだった。
「何驚いているのよ。赤い宝石で……えーっと、何て言ったっけ。確かこう……ぎょく?」
「紅玉(ルビー)の事か?」
「そうそれ。見た事ないけど、アンタの髪みたいな色なんでしょ。鮮やかな赤って。それにアンタ強いし。宝石ってすごく固いんだってね。固いのも強いのも一緒でしょ。だからその宝石みたいだって言ったの」
「……」
かつて人から伝え聞いた事を思い出しながらハージェスに話した。
見た事も触れたことも無い筈なのに、あたしの記憶にはおぼろげに、深く赤く、そして強さを持った至高の鉱石の名が刻まれている。
もしかすると、記憶を無くす前のあたしが好きだったのかも知れない。
なんとなくふっと思い浮かんで、口にしただけだった。
……のだけど。
なぜかハージェスは突然硬直したように動きを止めて、無言で大きな焦げ茶色の瞳を開いていた。
驚いているというか、呆気にとられているというか、とにかくそんな表情で。
なぜそんな顔をされるのかわからなくて、あたしは首を傾げた。
「……なあ」
「何よ」
「俺さ、君の為の騎士になるよ」
「は……?」
しかもまた急に口を開いたと思ったら、よくわからない事を言ってくる。
思わず素っ頓狂な声が出て、怪訝な顔をしてしまった。
そんなあたしに、ハージェスがぐっと近づいて、赤い髪をふわりと揺らしながら、覗き込む。
「決めた。俺は君の騎士になる。君を主とし、君を守る。この身も剣も、君にあげる」
「ちょっと何言って……」
「あー、拒否は不可です。認めません。ってわけで、君の名前を聞かせてくれないか?」
何だそれは。どういう理屈だ。
そう反論する前に、がしりと両肩を大きな掌に掴まれた。
逃げられない。
だけど、不思議と嫌だとは思わなかった。
目の前にある焦げ茶色の瞳が、なぜか本当に嬉しそうに、楽しそうに輝いていたからだ。
そんな男を見て、子供みたいだな、とふと感想を抱く。
思わず、くすりと笑みが零れた。
「笑ったな……いい顔だ。な、教えてくれよ、君の名前を」
まるで、大切なおもちゃを見つけたみたいな顔をして、赤髪の男が満面の笑みで問うてくる。
あたしはそれに、笑いと呆れの溜息を吐いた。
「あたしの名は―――」
洞窟で、それまでの記憶の一切が無いあたしが唯一、覚えていたもの。
自分の名前。
呼んで貰ったのは……たぶん遙か昔。
「あたしの名は、ユタ。……ユタ=エストフォリアよ」
―――この日。
白い髪を持ち、四年前までの記憶を無くしているあたしと。
赤い髪を持ち、少し前まで騎士をしていたという男が。
主と騎士として、繋がったのだった。
「出会い編・完」
噴き上げる炎の如き赤い髪が空に舞う。
煌めく白刃は、剣筋の残像だけを虚空に残し、並み居る敵を次々に斬り伏せていく。
剣同士のかち合う音が響く度、一人、また一人と立ち塞がる敵が減っていく。
構えの動作すら、目で追うのは難しく、かろうじて斬った後の余韻を見せるだけ。
元、という割にはあまりにも鋭く、流麗な剣さばきは、まるで舞を舞っているかのようだった。
―――そして。
やがて辺りは、静けさを取り戻し。
「あんた……」
真っ青な青空に、一点だけの赤が映える。
剣を鞘に収める音が聞こえたのと同時に、あたしは男に声をかけた。
地面に座り込み、見上げるあたしに赤い髪をした男が振り返る。
そして、妙に人懐こい笑顔でにっと笑った。
「俺の名はハージェス。ハージェス=トレントだ。よろしくな、白い髪のお嬢さん」
出会ったばかり。
ほぼ初対面。
他人以外の何者でもない。
なのにあたしを追っ手から守った赤髪の剣士は、まるで王に仕える騎士のように、颯爽とあたしに手を差し伸べた。
恐る恐る、その手に自分の手を重ねる。
するとぐっと引っ張られて、あたしはたたらを踏みながら地面に立ち上がった。
「……どうして、助けてくれたの」
「ん?」
問えば、赤髪の男は人差し指で頬をかりかり掻いて、それから「さあな」と言ってまた笑った。
明るい、というよりどこか軽薄そうな印象の男の返事に、あたしの目が点になる。
……何、コイツ。
浮かんだ感想はそれだった。
なぜ、この男が助けてくれたのか、理由が全く分からない。
どうして『あたし』なんかを、助けたりしたのか。
だって、あたしは―――
◆◇◆
―――深夜に一人、真っ暗闇の中ごそごそと身支度をしていた。
と言っても、ボロボロな布の服を着て、肩掛けのこれまたボロ雑巾みたいな鞄を一つ、提げただけで準備は済む。
そろりそろりと、足音を殺しながら部屋の中を移動する。
時折ぎしっぎしっと足音が響いた。
そんなに体重の無いあたしですら、この家の床は悲鳴を上げるのだ。
くっそうボロ屋はこれだから。
頼むから、気づかないで。
今まで自分の部屋とされていた物置部屋を抜け出て、廊下へと歩みを進める。
『アイツら』の部屋の前を通った時はさすがに冷や汗モノだったけれど、どうやら二人はぐっすり眠っているようだった。
……まあ、眠り薬を入れたのはあたしだけど。
用心に越した事は無かった。
まさか、「自分達が仕込んだ眠り薬」を己が口にしているとは思いもよらなかっただろう。
今夜もいつもと同じ、芋のスープを与えられたあたしは、それをこっそり、二人の食事の中へ混ぜ込んだ。
もちろん、ばれる事無く。
匂いを嗅いだ時点で分かっていた。食事に、何かが混入されていることは。
二人は知らないが、あたしは少々草木に詳しい。簡単な薬程度なら、自分で調合する事だって出来る。
他には何もないけれど、これだけは自信を持って言える。
今まで生きてこられたのも、このお蔭だ。
掃除や洗濯、料理はもちろんのこと、水運びや畑、道売りまで全てやらされていた。
その日の売り上げは全て取り上げられ、食事は一日一回芋のスープのみ。
仕事が遅ければ殴る蹴るの暴行を受けた。
道売りの売り上げが悪いと背中を鞭で何度も叩かれた。
あたしの性格自体も、アイツらに媚びを売るような可愛げのあるものではなかったから、余計かもしれない。
肌に滲む血を止めるため、道売りの時に聞いた「血止め草」を探し、傷に擦り付けた。
そこから、畑や道売りの合間をぬっては薬草やその効能を調べるのに夢中になった。不思議なことに、まるで前から知っていた事のように、思い出すように頭はどんどん知識を拾っていった。
一度見たもの、知ったものは忘れる事もなく、効能から副作用まで、近場で手に入るものは今や全て把握できている。
あたしが始めて学びたいと思った事は、自分の身を守るための術だった。
それが、自分に向いていたことだったのは、神に感謝すべきなのだろう。
もちろん、その事はアイツらには教えていない。
薬が作れることを知れば、今度は薬売りもやらされるだろう。これ以上、アイツらの為に稼ぐのは真っ平ごめんだった。
ドアの閂を抜いて、外に出る。
寒々しい風が肌に吹き付け、ぶるりと震え上がった。
けれど、寒かろうが何だろうが進むしか道は無い。
心を決めて、足を踏み出す。
何より扉を早く閉めなければ、アイツらに気付かれてしまう。
夜の村はしんと静まり返っていた。
そりゃそうか。これだけ遅ければ、起きている人なんてほとんど居ないだろう。
ドアを閉めて、荒れ果てた道を歩いていく。
焦らずに歩く。
走ると村人に気づかれるかもしれない。自分が育った場所からそこそこ離れたところで、この辺でいいかと判断する。
あたりに人がいないか見渡す。
慎重に慎重に。よし。誰も居ない。
そしてあたしは思い切り、走り出した。
走って、走って、ただ道を駆けていく。
ずっと先に、大きな森があるのが目に入った。
目的地はとりあえずここだ。
この森は大きく、深い。案内が無ければ迷う人間が多いことから、「惑いの森」と呼ばれている。
でも今はそんなことは関係ない。とにかく、あの村から遠ざかることしか、頭に無かった。
地面は氷のように冷たい。霜が降りているのだろう。足の裏が痛い。たぶん裂けている。
けれど進む。
それしか道は無いからだ。
森の入り口に差し掛かり、暗くて深い闇に恐れを感じたけれど、それと同時に、心に喜びが生まれてくる。
嬉しい、なんて思うのはいつぶりだろうか。
喜怒哀楽、というものが抜け落ちていたと思う。
アイツらに捕まって、ずっとこき使われてからは。
ぎゅっと自分の手首を握った。
鎖ですり切れた部分は、ぐるりと腕輪のように瘡蓋で覆われている。
あの重かった物も、今は無い。
売られる前日には外されるのだと知っていた。
「人として、死んじゃってたよね……」
ぽつりと本音が零れた。
嬉しいとか、悲しいとか、感じることさえ出来なくなっては、それは死んでいるのと同じことの様に思えた。
くるりと、後ろを振り返る。
村はもう小さく、ずっと遠くに見える。
あたしはほっと胸をなでおろした。
松明の明かりなんかが見えないあたり、気づかれて追いかけられてはいないようだ。
「……さよなら」
一言呟いて、あたしは森へと入っていった。
◆◇◆
四年前。
どこかの洞窟にいたあたしを、アイツらが無理矢理連れ出したらしい。
らしいというのは、その洞窟に来るまでの記憶を、あたしは持っていないからだ。
ただぼうっと、深く暗い洞窟の中、大きな岩盤の上で座っていたそうだった。
何をするでも無くずっとそこに居るあたしの所に、鉱石拾いの奴隷を引き連れたアイツらがやってきて、あの村へ連れて行ったのだと。
身に着けていたのは黒く長い外套と、異国の服。そして小指に付けた、灰色の指輪。
それだけだったそうだ。
しかもその外套と異国の服はすぐ様アイツらに取られ、唯一外れなかった小指の指輪だけが、あたしに残されたのだと。
指輪は灰色に濁った木製ビーズで作られており、大した値打ちも無さそうだったため、放っておかれただけらしい。
ほとんど何も持たされず、あたしはその時から、アイツらにこき使われる奴隷として扱われるようになったのだ。
北王国ホルベルクと呼ばれる国の、最果てにある寂れた村。
貧しく、畑をしても取れるものは少なく、特産といえるものも無い。
通称「人買い村」と呼ばれるほど、人身売買でもするしか、もう後はないような。
不幸にもこの村に連れてこられたあたしは、はっきりと年齢はわからないものの、アイツら曰く成人した女の歳になるそうだった。
親でもないアイツらの元で、身売りせずにいられた理由が『金持ちに生娘として高く売りつける為』だと知ってからは、こうして逃走する事をずっと考えていた。
村によく生娘を買いに来る黒装束の男達が現れた事で、この計画を実行するに至ったのだが。
眠り薬と言っても、何日も眠っているような強力なモノでは無い。だから今のうちに、離れるだけ離れなければならない。
森の中、結構な距離を歩いた。
足の感覚は既に無く、日頃の疲れもあってか身体が重い。木々の間から見える空が白み始めている事から、たぶん夜明けが近いのだろう。
早く。
早く、少しでも遠くへいかなければ。
焦る心を奮い立たせ、重い身体を引きずりながら歩く。
元々一日の重労働を終えてからこの行動に至ったのだ。疲労は凄まじく、頭痛もしている。
だけど、足を止めるわけには行かなかった。
かなりな時間歩いただろうか。
森が徐々に開けていく。
どうやら無事抜けられたようだった。
まだ村から十分離れたとはいえないが、体力も限界だったため出て直ぐに広がっている草原に腰を下ろした。
ほんの少し休憩したら、また歩こうと決めて。
空は段々青さを取り戻していて、白い朝日が、扇状に天空に広がっていた。
「つ、疲れた……!」
どさり、と背高く伸びる草葉の間に寝っ転がる。
これなら、身体全体が隠れるし、一見して見つかることもないだろう。
そう安心しつつ、呼吸を整えながら高い空を眺めた。
澄み渡り、朝の気配を存分に見せる光景に解放感が広がる。
あと少し、か。
そう思いながら、なんとなく顔を横に向けた。
すると、鬱蒼と生える雑草の中、やけに目立つ色が目に入った。
一瞬、果実か何かと思ったが、それにしてはやけに大きい。そう、大きさからすると、ちょうど、人間の頭くらいの……。
そう思ったところで、ばっと顔を上げた。
「人……っ!?」
なるべく頭を低くしながら、前方にいるその色を見つめた。
色は赤。
とても鮮やかな、鮮明な赤色だ。
どうやら、あれは赤い髪をした人間の頭らしい。
あたしは警戒しつつ、そろりそろりとその赤色の方に近づいた。
死んでる……?
それとも、倒れてる……?
わからないが、村では見た事の無い初めて見る髪色だった。
ぴくりとも動かない様子から、恐らく死体か行き倒れだと判断して、あたしは草の中を分け入り、その場所まで歩いた。
一面の緑の中にある、鮮やかな赤。
それが葉を付けた薔薇の花のように見えて、あたしは知らず、その髪の持ち主の顔を覗き込んでしまっていた。
「……綺麗」
赤い髪の持ち主は、男性だった。
しかも、とても綺麗な顔立ちをした精悍な青年だ。
睫は長く、鼻筋は通っていて、唇は薄くて形が良い。緩く癖のある赤い髪が、少し目元に掛かっていて、薄い影を瞼に落としている。
どうしてこんな所にいるんだろう……?
疑問を感じながら、まじまじと男を見る。
服は軽装で、だけど貧乏くささは無く、身なりは清潔できちんとしている。
金持ちには見えないが、ある程度のお金は持っていそうだ。腰元には剣が挿してあり、よく見ると繊細な装飾が施されていた。
なんだか高そうな剣。
あれ……鍔の所に、小さく紋章か何か、掘られてる……?
細長い鍔の部分に、何か鳥らしい形が彫り込まれている。だけどよく見えなくて、身を乗り出そうとして、はっと気がつく。
こいつ、死んでも無ければ、気を失ってるわけでもない……っ!
寝てるだけだ……!
規則正しい呼吸音を聞いて、慌てて静かに、ゆっくりと距離を取る。
だけど赤髪の男に気付いた様子は無く、熟睡しているのか穏やかな寝息を立てているだけだった。
何でこんな所で寝てるんだろう。
物盗りに襲われかねないのに。
考えたところで、そうだ、と妙案が浮かんだ。自分でも褒められた事では無いのはわかっている。
だけど、生きるためだと自分を納得させた。
見るに、この男は金に困っているようには見えない。
なら、少しくらい荷物を失敬したところで、路頭に迷うようなことは無いだろう。
あたしは勿論お金なんて持っていない。
逃げてきたのはいいものの、暫くは地べたを這いずるしか生きる術は無い。
だけど、ほんの少しでも資金があれば。
今着ているこのぼろ切れの布をせめて、麻の服に変えるだけで、住み込みの仕事が手に入る確率は格段に上がるだろう。
金も無い、みすぼらしい女が生きていけるほど、この北の国は甘くない。
生きるためだ。
盗みがどうのと言っている場合では無かった。
赤い髪のお兄さん。
アンタが悪いんだよ。
こんなところで寝こけてなんているから。
だから物盗りになんて狙われるんだ。
あたしみたいな、ね。
内心で男に言い訳をして、そうっと腰元の剣に手を伸ばす。
男の荷物は紐がついていて、身体に繋いであるみたいだし、盗れそうな物といったらこれくらいしか思いつかなかった。
剣なら、鞘から引き抜けばそのまま持って行ける。
裏の物品売買屋にしか持ち込めないだろうし、恐らく買い叩かれるだろうが、それでもそこそこの金額にはなるだろう。
物売りをしていたのもあって鞘無しの剣でも十分な値段になると踏んだ。
音を立てず、気配を殺し、柄を握ってゆっくりゆっくり剣を引き抜く。
もう朝になった空の光が、白刃を淡く輝かせた。
寝息の深さから、男はぐっすりのようだ。
これならいける。
そう、思った時だった。
「おーっと、何をするつもりかな。ねずみくん?……って、子ねずみか?」
柄を握っていた手を、上から大きな手で掴まれた。抜けかけていた剣が止まる。
あたしの背が、どっと汗を吹き出し始めた。
慌てて手を引っこ抜こうとじたばたする。
が、掴まれた腕は一向に外れてくれない。
「っ離せ……っ!」
「駄目だよー、俺、これでも騎士なんだから」
赤髪の男は少し起き上がりながら、あたしを見上げて言った。
緩く癖のある長い前髪の奥から、焦げ茶色の瞳が覗く。
「騎士……っ!?」
男はどこか楽しげな光を含みながら、じっとあたしを見据えている。
年齢は二十後半、七か八かそのくらいだろうか。
一見すると、鍛冶屋とかで働いていそうな青年なのに、あたしの手を掴む腕は筋肉質で、鍛えているのがすぐにわかった。
盗みを働こうとしたのがばれた上に、相手が騎士だなんて。
あたしはどうして、こう運が悪いんだろう。
「あ、違った。俺そういや『元』騎士だったわ」
「え?」
内心絶望しているあたしを余所に、赤髪の男は突然ぱっと手を離し、ぽんっと思い出したみたいに言った。
それを見て、またもやあたしの目が点になる。
「元……?」
しかも、つい男の言葉を復唱してしまった。
すると男はにっと人懐こい笑みを浮かべながら、そうそう、と首を縦に振って頷く。
「そ。『元』ね。元騎士だから。まーでも、俺もこの剣持ってかれるのは困るんだよね」
「……っ」
「何か困ってるのかな。年頃のお嬢さんが、こんなところで。……どうした?」
長い草葉が茂る中、起き上がった男があたしに向き直る。
それに咄嗟に距離を取り、男を警戒しながら観察した。
そんなあたしを見て、男が今度はふわりと微笑む。吹き抜けた風が、男の赤い髪を揺らしていた。
焦げ茶色の瞳は澄んでいて、薄汚れた服で身構えているあたしの姿が映っている。
「そんな警戒しなくていいって。君、俺のこと殺すつもりじゃなかったみたいだし。何か困ってるんだろう?」
「……」
「うーん。だんまりかぁ。あ、もしかしてお腹空いてるとか?俺、軽食なら持ってるからあげようか?」
あたしが無言なのをどう捉えたのか、男が紐付けした荷物からごそごそと何かを取り出す仕草をする。
だけど乾パンみたいな物を少し出したところで、ぴたりと動きを止めた。
それから、突然瞳を鋭く眇め、周囲にぱっと視線を流す。
……何?
怪訝に思っていると、赤髪の男は荷物を元に戻し、それから柄にそっと手を添えた。
ぐっと、あたしの全身に力がこもる。
「できれば、食べながらゆっくり事情を聞きたいところだけど……そうもいかないみたいだ」
言って、赤い髪をした男は腰元に下げている剣をすらりと抜き放ち、次の瞬間、草葉の緑から突如現れた者と対峙した。
「……っ!?」
急に現れた人影に、あたしの目が見開く。
赤髪の男が剣を一閃し、あたしを背に庇うように瞬時に目の前に移動する。
「こんな可愛い子一人に、男が六人か。本当に、どこに行っても屑はいるよな……人間は普通汚れるもんだ。しゃーないか」
赤髪の男はどこか余裕ありげにそう言って、チャキ、と音を立てながら、美しい装飾の施された剣を構え直していた。
正面に見据えているのは、男が六人。
だというのに、全く怯んだ様子はない。
なん、で。
何でこの男……あたしを背にしてるの?
自分のおかれている状況がわからなくて、戸惑う。
目の前にいる六人の男達は、確実にあたしを追ってきた村の者だった。
だって中に『アイツら』もいるのだから。
四年間、あたしを奴隷としてこき使い、果てに売り飛ばそうとした、奴隷商人の姿が。
混乱するあたしを余所に、草葉生い茂る中での戦いが―――始まっていた。
◆◇◆
「……何で、助けてくれたの」
「だって困ってるみたいだったから」
「意味わかんない」
あたしを追ってきた男達六人を、瞬く間に打ち倒した男は、剣をぱちんと鞘に収めながら、こちらの質問にさらりと答えた。
それがまるで、さも当たり前であるように。
「あたしはアンタのその剣を盗もうとしたの!なのに何で助けるのよっ!」
「んー……騎士だからかな?」
「さっき元って言ったじゃ無いっ!」
「まあ、そうなんだけど」
赤髪の男ハージェスは、なんでも無いみたいにきょとんとした顔をして、うーんと全然悩んでいなさそうな唸り声を上げていた。
唸る、というより単に「うーん」と呟いているだけみたいだが。
それから自分の赤い前髪を片手で掻き上げ唇の端だけをくっと引き上げる。
「まー……元って言っても、騎士道精神てのはそう直ぐに抜けるもんでもないからな……。一度道を踏み外した分、より強く守らねばと思うのさ」
「踏み……?」
ハージャスの言葉の意味を、聞き返そうとしたところでぶわりと大きな風が巻き上がった。
おかげで、縛っていた髪が横に流される。
強い風のせいか、あたしの髪を縛っていた蔓紐がぷちりと切れた音がした。
さああっと。
あたしの『白い髪』が風に流れて行くのが横目に見えた。
「……綺麗だな」
「へ?」
流れる髪を手で押さえていたら、ハージェスがじっとこちらを見ながら何かを口にした。
何やら「綺麗」とか何とか聞こえた気がしたが。
空耳だろうか。と、そう思ったけれど。
「君の髪だよ。綺麗だなって。あ、勿論君自身も綺麗だけど」
まるで念を押すみたいに、再び言われる。
口調は軽いが、本当に綺麗だと言っていたみたいだった。
それを聞いて、あたしの眉間に皺が寄るのを感じた。
なんていうか、こいつには言われたくない、そんな気がしたからだ。
「こんな、薄汚れた……白なのに?アンタの髪の方が綺麗じゃない。宝石みたいで」
色は無いよりあった方が良い。
四年前にあの村に連れてこられてから、他の人間を見てそう思っていたあたしは、そのままハージェスに言った。
貧乏な生活を強いられていた自分としては、白は直ぐに汚れるし、洗えないと汚く見えるだけだ。
だったらまだ、汚れも誤魔化せる色のある方が、ずっとずっと良いと思った。
「……宝石?これが?」
あたしが言った言葉を復唱しながら、ハージェスが掻き上げていた自分の髪を引っ張るみたいな仕草をした。
ちょっと持ち上げているせいか、朝の太陽が彼の髪を照らし、赤く輝いてとても美しい。
まるで、光を通した鉱石のようだった。
「何驚いているのよ。赤い宝石で……えーっと、何て言ったっけ。確かこう……ぎょく?」
「紅玉(ルビー)の事か?」
「そうそれ。見た事ないけど、アンタの髪みたいな色なんでしょ。鮮やかな赤って。それにアンタ強いし。宝石ってすごく固いんだってね。固いのも強いのも一緒でしょ。だからその宝石みたいだって言ったの」
「……」
かつて人から伝え聞いた事を思い出しながらハージェスに話した。
見た事も触れたことも無い筈なのに、あたしの記憶にはおぼろげに、深く赤く、そして強さを持った至高の鉱石の名が刻まれている。
もしかすると、記憶を無くす前のあたしが好きだったのかも知れない。
なんとなくふっと思い浮かんで、口にしただけだった。
……のだけど。
なぜかハージェスは突然硬直したように動きを止めて、無言で大きな焦げ茶色の瞳を開いていた。
驚いているというか、呆気にとられているというか、とにかくそんな表情で。
なぜそんな顔をされるのかわからなくて、あたしは首を傾げた。
「……なあ」
「何よ」
「俺さ、君の為の騎士になるよ」
「は……?」
しかもまた急に口を開いたと思ったら、よくわからない事を言ってくる。
思わず素っ頓狂な声が出て、怪訝な顔をしてしまった。
そんなあたしに、ハージェスがぐっと近づいて、赤い髪をふわりと揺らしながら、覗き込む。
「決めた。俺は君の騎士になる。君を主とし、君を守る。この身も剣も、君にあげる」
「ちょっと何言って……」
「あー、拒否は不可です。認めません。ってわけで、君の名前を聞かせてくれないか?」
何だそれは。どういう理屈だ。
そう反論する前に、がしりと両肩を大きな掌に掴まれた。
逃げられない。
だけど、不思議と嫌だとは思わなかった。
目の前にある焦げ茶色の瞳が、なぜか本当に嬉しそうに、楽しそうに輝いていたからだ。
そんな男を見て、子供みたいだな、とふと感想を抱く。
思わず、くすりと笑みが零れた。
「笑ったな……いい顔だ。な、教えてくれよ、君の名前を」
まるで、大切なおもちゃを見つけたみたいな顔をして、赤髪の男が満面の笑みで問うてくる。
あたしはそれに、笑いと呆れの溜息を吐いた。
「あたしの名は―――」
洞窟で、それまでの記憶の一切が無いあたしが唯一、覚えていたもの。
自分の名前。
呼んで貰ったのは……たぶん遙か昔。
「あたしの名は、ユタ。……ユタ=エストフォリアよ」
―――この日。
白い髪を持ち、四年前までの記憶を無くしているあたしと。
赤い髪を持ち、少し前まで騎士をしていたという男が。
主と騎士として、繋がったのだった。
「出会い編・完」
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