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エリシエル×ユリウス外伝
当て馬令嬢は幼馴染に愛される。19
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「え、ええっと……?」
私は、混乱していた。
紛れもなく、大絶賛、現在進行形で混乱中である。
顔にもそれが大いに現れていると思う。だって何かやたら熱いし。むしろ爆発しそうだし。
あらおかしいわ。顔が爆発だなんて。白粉の代わりに火薬を塗ったわけでもないでしょうに。
だけど本当にそんな感じなんだから仕方ないわよね。
って、この状況って本当に仕方ないのかしら。もの凄く疑問だわ。
ええ本当に。不可思議極まりないわ。
確かに、背中にはふかふかで柔らかい寝具の感触がある。
今日も我が家のメイドは良い仕事しているなぁ、なんてティーカップ片手に優雅に褒め称えたいところだ。
天蓋付きの豪奢な寝台には花の香り付けもされており、何とも癒やされる。
まさに絶好のおやすみ時間を満喫できる事だろう。
が、しかし。
仰向けに寝そべっている私の目には、天蓋では無く美しい冬を閉じ込めた氷色の瞳が映っていた。
「あの、ユリウス……?」
「何かな?エリィ」
いや、何かなエリィ、じゃなくって。
聞いてるのは私なんだけど。なぜ疑問符に疑問符で返すの。
というか。
どうしてそんな、笑顔なの……。
「何か、はこっちの台詞だと思うんだけど……。一体全体、何がどうして、こんな事になってるの?」
「んー?」
いやいやいやいや。だから返事になってないんだってば。おかしいわ。会話が成り立っていないわ。
私ちゃんと言葉話してるわよね?
一瞬不安になるが、頭にはきちんと自分の声が響いているし、彼も反応は返してくれているのでたぶん大丈夫なのだろう。まあ、その割に返答らしい返答がもらえていないが。
ってそんなことよりも―――っ。
「ち、近っ!ユリウス!顔、顔が近いっ!!」
「え?だって口付けようと思ってるのに、遠いとできないでしょ」
突然前触れなく落ちてきた秀麗な顔と白金の髪に、慌てて待ったをかければなぜか思い切り首を傾げられてしまった。
まるで私が止めるのが不自然みたいな態度に「あれ、待って私は正常な筈よね?」と自分で自分を疑ってしまう。
何というか混乱している。もう何度でも言うけれど大混乱である。
「いやそういう意味で無く!って、口付けって何で!?」
「え、むしろ何でエリィは拒否しようとしてるの?僕が君に告白したの聞いたよね?それで、君は受け入れてくれた……だったら、まあいいかなって」
「いやいやいやいや意味わかんない理屈わかんないわよ!だからって何で自分の部屋に入った途端押し倒されないといけないのってこれ二度目だしっ!」
「あ、なるほど。僕の部屋が良かった?でもレンティエル家はここからちょっと距離があるからなぁ……次回って事で許して貰えないかな」
喧嘩しているつもりは無いのに、焦りやら羞恥やらでどうしても口調が荒くなってしまう。
確かに受け入れはした、したが何か自分が思ってたのと違う、と考えつつ、私はユリウスに必死に反論していた。
だから、なぜ会話が通じてないのよ、ユリウスなら私が何で文句言ってるかくらい察せられるでしょうよ!
本当は私より賢くて強かな癖に!
氷色の瞳に喜色を浮かべ、私を見下ろしている男を睨む。
青年天使然とした顔はやはり変わらず美しく、気を抜けば見とれてしまいそうだ。
が……、なぜか、ユリウスは嬉しいを全面に押し出した極上笑顔のまま、私を押し倒しその上口付けまでしようとしている。
いや、していた、の過去形だろうか。今は一応、人の上に覆い被さっている状態ではあるけれど停止してくれているし。
って、ん?してくれてるっておかしくないかしらね私。
とにかく、それはそれとしてっ。
別に、口付けするのが嫌なわけじゃないんだけど!
でもなんで今こうなってるのかくらいの説明は聞きたいのよ……!
あとは心の準備とか!?そういうのあるでしょ!
私だって一応女なんだからっ!
「とととりあえず落ち着いて……っ!まず普通に話をしましょうっ。この状態じゃ何だか話した気にならなさそうだから、せめて座って!」
「えー……」
「文句言わないっ!」
ひしひしと身の危険を感じながら、なんとかユリウスを宥めまともに話ができるよう促す。
同じ言葉を繰り返すのも何だとは思うけど、やっぱりおかしいわよ。
だってユリウスって普段はもっと冷静で、人当たりは良くても、どちらかというと物静かな性質なのに。
何というか今は……浮き足立ってるというか……舞い上がってるというか……?
これまでや、普段の彼からは考えつかなかった異常なテンションの上がり具合に、戸惑いながら彼の様子を見る。
一応納得してくれたのか、ユリウスは渋々私の上から横に移動した。私も同じように寝台の端に腰掛ける。が、ユリウスのやっぱり近い。ユリウスの身体が。もの凄く近い。
やめてーっ。その顔近いと何だか心臓がおかしくなるのよっ。
「はい。座ったよ。これでいい?」
「だ、大丈夫……えーっと。それで、どうして部屋に入って直ぐ押し倒したりしたの」
「エリィが可愛いから」
「……」
うん。
やっぱりユリウスおかしいわ。
あまりの会話の通じなさに、好きとかすっ飛ばしてつい怪訝な顔をしてしまった。
むしろ思い切り眉をぎゅうと顰めている。自分が残念な顔になっている自覚はあるが、ユリウスのせいなので仕方が無い。
けれど流石に彼もまずいと思ったのか、私の顔を見て一瞬うっとなった後、小さな溜息を一つついて静かに口を開いた。
「……ごめん。吃驚してるよね。でも僕自身驚いてるんだ。何て言うか……枷……が外れたというか。今まで、自分の柵越しにしか見たり触れたり出来なかった君に、これからは何のしがらみも無く手を伸ばせるんだと思ったら……その、居ても立ってもいられないというか、舞い上がったというか」
「舞い上がってる自覚はあったのね」
「そりゃあね。だけど、エリィだって悪いんだよ?」
一応本人にも自覚はあったんだな、と頷いていると、ユリウスはちょっとだけ恨めしそうに私を流し見る。
それが何だかふて腐れているようで、あれ、と私の思考が束の間止まった。
悪いって、どういう意味かしら。
「私が?何で」
「僕がこれまでの事情を説明した後に、あんな事を言うから……」
言って、ユリウスは思い出したように視線を彷徨わせた後、なぜか目元を赤く染めていた。そして、一度斜め下に視線を逸らし、再び私にじっと恨めしげな目を向けてくる。
それは明らかに、照れている表情で。
そう、照れている。あの、ユリウスが。
目元から頬を染め、きゅっと唇を引き結んで。
……。
……。
な……っ!
何なのっ!この可愛い生き物はっ!?
「ああああんな事って……っ!だってっ!」
ぐあああっと、自分の顔に熱が駆け上がっていくのを感じた。お湯が沸騰していくみたいに、下から上に熱くなる。
ユリウスの態度にもだが、自分が少し前に彼に告げた言葉を思い出して、羞恥で内心悶絶していた。
だって。
だってあれは、ユリウスが―――
私は、屋敷に戻る前の事を思い浮かべた。
◆◇◆
プロシュベール邸へ戻る少し前。
ユリウスに助け出された後、私達は騎士達への事情説明やレオノーラ達との再会を果たした。
彼女の無事は聞いてはいたものの、実際に目にした時は心底ほっとしたものだ。
レオノーラは私達(ユリウスに姫抱っこ状態)を見るなりそれはそれは喜んでくれた。
そして森の女神を思わせる微笑みを浮かべながら「私が言った通りだったでしょう?」と嬉しそうに私の耳元で囁いた。
濡れ羽色の髪に碧の瞳を持った優しく勇敢な彼女が、友の妻になってくれて良かったと、彼らの出会いに心の底から感謝した。
レオノーラとヴォルクにも騎士達にしたのと同じ説明をし(ちなみに、ユリウスがデミカスに小剣を放ったことは本人の希望で内緒にすることになった。ユリウス曰く、ヴォルクに知られたくないらしい。ので、私が身に着けていた魔女の遺物を使用した事にした)互いにあの後どうなっていたのかを報告し合ったりした。
家格の事もあり、あまり親しい友人もいない私にとって、共に喜びあえるレオノーラという存在が出来たことは、とても嬉しく、心が温かくなる心地がした。
デミカスに連れて行かれそうになった私を果敢にも助けようとしてくれ、勇気づけてくれた彼女へ、いつか必ず報いようと誓い、私達は二人と別れた。
そして、ひとまずプロシュベール邸へと向かう馬車の中、ユリウスは私にこれまで自分が見てきたものの説明をしてくれた。
あの頃私を避けた理由も含めて自分がずっと考えてきた事や、何をしていたのか、本当はどう思っていたのか、私が彼の過去を見た時、彼は何を見ていたのか、その全てを。
少し、恥ずかしそうにしながら。
「償いを……させてくれないか。エリィ、きっと君を幸せにする。……大切にするから、だから僕を……許して欲しい」
騎士達の喧噪から離れていく馬車の中で、ユリウスが私を抱き締めながら言った。
ぎゅうと強く抱かれている腕の中、ユリウスの身体の震えが伝わる。
そんな彼に、離してくれなんて、言えるわけが無かった。
ユリウスの態度に傷つき、悲しんでいたあの頃。
避けているのに、何かと現れる彼に、まだ気にしてくれているのかと心のどこかで嬉しさを感じていた。
嫌いになれなかった理由に、本当は気付いていたのに、拒絶されるのが怖くて知らない振りをしていた。
好きだったから、嫌いになれなかった。
あの社交界デビューの日。
ずっと俯きながらユリウスとダンスを踊って。
なぜかとても優しく身体を包んでくる彼と、普段の口調や視線との差異に、胸が激しく高鳴ったものだった。
もしかして、と思ったりもした。だけどやはり違うと何度も思い直して。
だけど、今。
説明を終えた後で、懇願を含めた謝罪までされてしまった。
これに、どう抗えというのだろう。
これだから自分をわかっていない男というのは始末が悪い。
それを嬉しいと思ってしまう私も、やっぱり始末が悪いのだろう。
―――ずっとずっと好きだったことを。
あの日、私の目の前に彼が現れた瞬間に、既に恋に落ちていたのだと。
今、打ち明けてもいいだろうか。
嫌われてなんていなかった。
むしろ深く想われていた。
彼の過去を知らず、想いを知らず、葛藤を知らず、勘違いをし続けて、自分の本当の心から逃げ続けて。
時折見える彼の陰から目を逸らした。
薄氷色の瞳をした白金の幼馴染(てんし)はずっと、愛してくれていたのに――――
「私も、貴方を大切にしたいわ、ユリウス。私もこれまで貴方にしたかったことを全部したい。きっと幸せにするわ。だから……気付いてあげられなかったこと、許して」
「っ……!」
馬車の中、私を抱き締めるユリウスの顔を見上げて言えば、彼は始めて見る泣き笑いの笑顔で返してくれた。彼の氷色の瞳が、溶け出したように潤んでいるのが見えた。
まるで、待ちわびた春が訪れ冬氷が清水へと還るように。
「全く……っ敵わないな、君には」
そう言って、ユリウスは満開の笑顔で、私にそっと口付けを落としたのだ。
◇◆◇
「思い出した?」
「……っ」
屋敷に戻る前にあったことを反芻して、同時にぼんっと頭から湯気が吹き出た気がした。
よくよく考えれば、いや考えなくとも、互いに互いの幸せを願った私達のあのやりとりは、どう見ても、双方からなる「求婚」だったのではなかろうか。
いや、でも、元々婚約者だし……!
婚約者ではあれど、それは家同士が決めたもの。自ら進んで気持ちを告げ合い決めるのとでは訳が違う。
それは分かっているのだけど、自分が言った事を思い出すと、我ながらなんて大それたことを言ったのだと、羞恥で顔が溶けそうだった。
「あんな風に言われたら、ただでさえ今まで我慢だらけだったのに、僕が抑えられるわけがない」
「ええええそれどういう理屈……っ!」
「大丈夫。式を挙げるまでは、最後まではしないから。愛しい君を、大切にしたいんだ。だけど、今まで触れられなかった分、今だけは……許して」
ユリウスがぐっと身体を寄せてくる。ただでさえ近かった距離が、唇が触れそうになるほど縮められ、わっと焦りが浮かんだ。
お願いだから、と念を押すように言われ、自分の心が瓦解していくのがありありと分かる。
実を言うと、帰宅すると同時に使用人達には下がって貰っていた。私自身大した怪我も無く、もう少しユリウスと二人で過ごしたかった為だ。お父様についてはデミカスの処遇を決めるため、貴族位審判会の審議に出ているし、実質今はユリウスと二人だけという状況である。
私だって……本音ではもっとユリウスとくっついていたい。
だけど今まで数えるほどしか彼と触れあった事の無い私には、勝手がわからないし、何より恥ずかしい。
「ゆ、ユリウス……っ!」
「怖い思いをした君に、無理はさせないよ。ただ、これは消毒の意味もこめて、だから」
「消毒……?」
「花嫁に触れて良いのは、夫だけだ」
ユリウスの瞳に、いつかも見た陰が浮かぶ。
今なら分かる執着めいた色味は、恐らく彼の心にずっと燻っていたものだったのだろう。
その色と、熱に、心と意識の全てが引っ張られていく。恥ずかしいという気持ちが、だんだんと薄れていった。
独占欲めいた言葉に嬉しさを感じて、私はそっと手を伸ばしてくるユリウスの手に、自分の頬を重ねた。
「ええ、そうね……ユリウスだけ、だわ」
私の了承の言葉を最後に、視界が再びくるりと反転する。
とさりと落ちた柔らかい感触と、真上にある青年天使の微笑みに、私の身体はゆるゆると……溶け落ちていった。
……―――で。
まず、結論から言えば、ユリウスは確かに「最後まで」はしなかった。
が、本当にそれは一部分に対しての意味だけしか含まれていなかったのだと、私が気付いた頃にはもう遅かったのである。
これ、ほぼ全部に近いと思うのは、私だけなのかしら。
まあ経験なんて無いから、わかんないんだけど。
メイドに聞くわけにもいかないし……っ。
「ユリウス……も、無理……」
息も絶え絶えに言えば、私の身体を這っていた感触がふっと止まる。そして、くすくすと楽しそうな笑い声が響いた。
「そっか。なら、今日はここまでだね。大丈夫だよエリィ。このまま眠って。後は僕が全部やっておくから。それと……なるべく早く、式を挙げよう。僕の理性が……持っている内に」
薄れゆく意識の中、何やら不穏な台詞が聞こえた気がしたけれど、私は温かく優しい腕の中に包まれて、静かな眠りへと落ちていった。
「今日は」と言った白金の幼馴染みの、ほんの少し陰を持った天使の如き笑顔に、気付かないまま―――
完
私は、混乱していた。
紛れもなく、大絶賛、現在進行形で混乱中である。
顔にもそれが大いに現れていると思う。だって何かやたら熱いし。むしろ爆発しそうだし。
あらおかしいわ。顔が爆発だなんて。白粉の代わりに火薬を塗ったわけでもないでしょうに。
だけど本当にそんな感じなんだから仕方ないわよね。
って、この状況って本当に仕方ないのかしら。もの凄く疑問だわ。
ええ本当に。不可思議極まりないわ。
確かに、背中にはふかふかで柔らかい寝具の感触がある。
今日も我が家のメイドは良い仕事しているなぁ、なんてティーカップ片手に優雅に褒め称えたいところだ。
天蓋付きの豪奢な寝台には花の香り付けもされており、何とも癒やされる。
まさに絶好のおやすみ時間を満喫できる事だろう。
が、しかし。
仰向けに寝そべっている私の目には、天蓋では無く美しい冬を閉じ込めた氷色の瞳が映っていた。
「あの、ユリウス……?」
「何かな?エリィ」
いや、何かなエリィ、じゃなくって。
聞いてるのは私なんだけど。なぜ疑問符に疑問符で返すの。
というか。
どうしてそんな、笑顔なの……。
「何か、はこっちの台詞だと思うんだけど……。一体全体、何がどうして、こんな事になってるの?」
「んー?」
いやいやいやいや。だから返事になってないんだってば。おかしいわ。会話が成り立っていないわ。
私ちゃんと言葉話してるわよね?
一瞬不安になるが、頭にはきちんと自分の声が響いているし、彼も反応は返してくれているのでたぶん大丈夫なのだろう。まあ、その割に返答らしい返答がもらえていないが。
ってそんなことよりも―――っ。
「ち、近っ!ユリウス!顔、顔が近いっ!!」
「え?だって口付けようと思ってるのに、遠いとできないでしょ」
突然前触れなく落ちてきた秀麗な顔と白金の髪に、慌てて待ったをかければなぜか思い切り首を傾げられてしまった。
まるで私が止めるのが不自然みたいな態度に「あれ、待って私は正常な筈よね?」と自分で自分を疑ってしまう。
何というか混乱している。もう何度でも言うけれど大混乱である。
「いやそういう意味で無く!って、口付けって何で!?」
「え、むしろ何でエリィは拒否しようとしてるの?僕が君に告白したの聞いたよね?それで、君は受け入れてくれた……だったら、まあいいかなって」
「いやいやいやいや意味わかんない理屈わかんないわよ!だからって何で自分の部屋に入った途端押し倒されないといけないのってこれ二度目だしっ!」
「あ、なるほど。僕の部屋が良かった?でもレンティエル家はここからちょっと距離があるからなぁ……次回って事で許して貰えないかな」
喧嘩しているつもりは無いのに、焦りやら羞恥やらでどうしても口調が荒くなってしまう。
確かに受け入れはした、したが何か自分が思ってたのと違う、と考えつつ、私はユリウスに必死に反論していた。
だから、なぜ会話が通じてないのよ、ユリウスなら私が何で文句言ってるかくらい察せられるでしょうよ!
本当は私より賢くて強かな癖に!
氷色の瞳に喜色を浮かべ、私を見下ろしている男を睨む。
青年天使然とした顔はやはり変わらず美しく、気を抜けば見とれてしまいそうだ。
が……、なぜか、ユリウスは嬉しいを全面に押し出した極上笑顔のまま、私を押し倒しその上口付けまでしようとしている。
いや、していた、の過去形だろうか。今は一応、人の上に覆い被さっている状態ではあるけれど停止してくれているし。
って、ん?してくれてるっておかしくないかしらね私。
とにかく、それはそれとしてっ。
別に、口付けするのが嫌なわけじゃないんだけど!
でもなんで今こうなってるのかくらいの説明は聞きたいのよ……!
あとは心の準備とか!?そういうのあるでしょ!
私だって一応女なんだからっ!
「とととりあえず落ち着いて……っ!まず普通に話をしましょうっ。この状態じゃ何だか話した気にならなさそうだから、せめて座って!」
「えー……」
「文句言わないっ!」
ひしひしと身の危険を感じながら、なんとかユリウスを宥めまともに話ができるよう促す。
同じ言葉を繰り返すのも何だとは思うけど、やっぱりおかしいわよ。
だってユリウスって普段はもっと冷静で、人当たりは良くても、どちらかというと物静かな性質なのに。
何というか今は……浮き足立ってるというか……舞い上がってるというか……?
これまでや、普段の彼からは考えつかなかった異常なテンションの上がり具合に、戸惑いながら彼の様子を見る。
一応納得してくれたのか、ユリウスは渋々私の上から横に移動した。私も同じように寝台の端に腰掛ける。が、ユリウスのやっぱり近い。ユリウスの身体が。もの凄く近い。
やめてーっ。その顔近いと何だか心臓がおかしくなるのよっ。
「はい。座ったよ。これでいい?」
「だ、大丈夫……えーっと。それで、どうして部屋に入って直ぐ押し倒したりしたの」
「エリィが可愛いから」
「……」
うん。
やっぱりユリウスおかしいわ。
あまりの会話の通じなさに、好きとかすっ飛ばしてつい怪訝な顔をしてしまった。
むしろ思い切り眉をぎゅうと顰めている。自分が残念な顔になっている自覚はあるが、ユリウスのせいなので仕方が無い。
けれど流石に彼もまずいと思ったのか、私の顔を見て一瞬うっとなった後、小さな溜息を一つついて静かに口を開いた。
「……ごめん。吃驚してるよね。でも僕自身驚いてるんだ。何て言うか……枷……が外れたというか。今まで、自分の柵越しにしか見たり触れたり出来なかった君に、これからは何のしがらみも無く手を伸ばせるんだと思ったら……その、居ても立ってもいられないというか、舞い上がったというか」
「舞い上がってる自覚はあったのね」
「そりゃあね。だけど、エリィだって悪いんだよ?」
一応本人にも自覚はあったんだな、と頷いていると、ユリウスはちょっとだけ恨めしそうに私を流し見る。
それが何だかふて腐れているようで、あれ、と私の思考が束の間止まった。
悪いって、どういう意味かしら。
「私が?何で」
「僕がこれまでの事情を説明した後に、あんな事を言うから……」
言って、ユリウスは思い出したように視線を彷徨わせた後、なぜか目元を赤く染めていた。そして、一度斜め下に視線を逸らし、再び私にじっと恨めしげな目を向けてくる。
それは明らかに、照れている表情で。
そう、照れている。あの、ユリウスが。
目元から頬を染め、きゅっと唇を引き結んで。
……。
……。
な……っ!
何なのっ!この可愛い生き物はっ!?
「ああああんな事って……っ!だってっ!」
ぐあああっと、自分の顔に熱が駆け上がっていくのを感じた。お湯が沸騰していくみたいに、下から上に熱くなる。
ユリウスの態度にもだが、自分が少し前に彼に告げた言葉を思い出して、羞恥で内心悶絶していた。
だって。
だってあれは、ユリウスが―――
私は、屋敷に戻る前の事を思い浮かべた。
◆◇◆
プロシュベール邸へ戻る少し前。
ユリウスに助け出された後、私達は騎士達への事情説明やレオノーラ達との再会を果たした。
彼女の無事は聞いてはいたものの、実際に目にした時は心底ほっとしたものだ。
レオノーラは私達(ユリウスに姫抱っこ状態)を見るなりそれはそれは喜んでくれた。
そして森の女神を思わせる微笑みを浮かべながら「私が言った通りだったでしょう?」と嬉しそうに私の耳元で囁いた。
濡れ羽色の髪に碧の瞳を持った優しく勇敢な彼女が、友の妻になってくれて良かったと、彼らの出会いに心の底から感謝した。
レオノーラとヴォルクにも騎士達にしたのと同じ説明をし(ちなみに、ユリウスがデミカスに小剣を放ったことは本人の希望で内緒にすることになった。ユリウス曰く、ヴォルクに知られたくないらしい。ので、私が身に着けていた魔女の遺物を使用した事にした)互いにあの後どうなっていたのかを報告し合ったりした。
家格の事もあり、あまり親しい友人もいない私にとって、共に喜びあえるレオノーラという存在が出来たことは、とても嬉しく、心が温かくなる心地がした。
デミカスに連れて行かれそうになった私を果敢にも助けようとしてくれ、勇気づけてくれた彼女へ、いつか必ず報いようと誓い、私達は二人と別れた。
そして、ひとまずプロシュベール邸へと向かう馬車の中、ユリウスは私にこれまで自分が見てきたものの説明をしてくれた。
あの頃私を避けた理由も含めて自分がずっと考えてきた事や、何をしていたのか、本当はどう思っていたのか、私が彼の過去を見た時、彼は何を見ていたのか、その全てを。
少し、恥ずかしそうにしながら。
「償いを……させてくれないか。エリィ、きっと君を幸せにする。……大切にするから、だから僕を……許して欲しい」
騎士達の喧噪から離れていく馬車の中で、ユリウスが私を抱き締めながら言った。
ぎゅうと強く抱かれている腕の中、ユリウスの身体の震えが伝わる。
そんな彼に、離してくれなんて、言えるわけが無かった。
ユリウスの態度に傷つき、悲しんでいたあの頃。
避けているのに、何かと現れる彼に、まだ気にしてくれているのかと心のどこかで嬉しさを感じていた。
嫌いになれなかった理由に、本当は気付いていたのに、拒絶されるのが怖くて知らない振りをしていた。
好きだったから、嫌いになれなかった。
あの社交界デビューの日。
ずっと俯きながらユリウスとダンスを踊って。
なぜかとても優しく身体を包んでくる彼と、普段の口調や視線との差異に、胸が激しく高鳴ったものだった。
もしかして、と思ったりもした。だけどやはり違うと何度も思い直して。
だけど、今。
説明を終えた後で、懇願を含めた謝罪までされてしまった。
これに、どう抗えというのだろう。
これだから自分をわかっていない男というのは始末が悪い。
それを嬉しいと思ってしまう私も、やっぱり始末が悪いのだろう。
―――ずっとずっと好きだったことを。
あの日、私の目の前に彼が現れた瞬間に、既に恋に落ちていたのだと。
今、打ち明けてもいいだろうか。
嫌われてなんていなかった。
むしろ深く想われていた。
彼の過去を知らず、想いを知らず、葛藤を知らず、勘違いをし続けて、自分の本当の心から逃げ続けて。
時折見える彼の陰から目を逸らした。
薄氷色の瞳をした白金の幼馴染(てんし)はずっと、愛してくれていたのに――――
「私も、貴方を大切にしたいわ、ユリウス。私もこれまで貴方にしたかったことを全部したい。きっと幸せにするわ。だから……気付いてあげられなかったこと、許して」
「っ……!」
馬車の中、私を抱き締めるユリウスの顔を見上げて言えば、彼は始めて見る泣き笑いの笑顔で返してくれた。彼の氷色の瞳が、溶け出したように潤んでいるのが見えた。
まるで、待ちわびた春が訪れ冬氷が清水へと還るように。
「全く……っ敵わないな、君には」
そう言って、ユリウスは満開の笑顔で、私にそっと口付けを落としたのだ。
◇◆◇
「思い出した?」
「……っ」
屋敷に戻る前にあったことを反芻して、同時にぼんっと頭から湯気が吹き出た気がした。
よくよく考えれば、いや考えなくとも、互いに互いの幸せを願った私達のあのやりとりは、どう見ても、双方からなる「求婚」だったのではなかろうか。
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それは分かっているのだけど、自分が言った事を思い出すと、我ながらなんて大それたことを言ったのだと、羞恥で顔が溶けそうだった。
「あんな風に言われたら、ただでさえ今まで我慢だらけだったのに、僕が抑えられるわけがない」
「ええええそれどういう理屈……っ!」
「大丈夫。式を挙げるまでは、最後まではしないから。愛しい君を、大切にしたいんだ。だけど、今まで触れられなかった分、今だけは……許して」
ユリウスがぐっと身体を寄せてくる。ただでさえ近かった距離が、唇が触れそうになるほど縮められ、わっと焦りが浮かんだ。
お願いだから、と念を押すように言われ、自分の心が瓦解していくのがありありと分かる。
実を言うと、帰宅すると同時に使用人達には下がって貰っていた。私自身大した怪我も無く、もう少しユリウスと二人で過ごしたかった為だ。お父様についてはデミカスの処遇を決めるため、貴族位審判会の審議に出ているし、実質今はユリウスと二人だけという状況である。
私だって……本音ではもっとユリウスとくっついていたい。
だけど今まで数えるほどしか彼と触れあった事の無い私には、勝手がわからないし、何より恥ずかしい。
「ゆ、ユリウス……っ!」
「怖い思いをした君に、無理はさせないよ。ただ、これは消毒の意味もこめて、だから」
「消毒……?」
「花嫁に触れて良いのは、夫だけだ」
ユリウスの瞳に、いつかも見た陰が浮かぶ。
今なら分かる執着めいた色味は、恐らく彼の心にずっと燻っていたものだったのだろう。
その色と、熱に、心と意識の全てが引っ張られていく。恥ずかしいという気持ちが、だんだんと薄れていった。
独占欲めいた言葉に嬉しさを感じて、私はそっと手を伸ばしてくるユリウスの手に、自分の頬を重ねた。
「ええ、そうね……ユリウスだけ、だわ」
私の了承の言葉を最後に、視界が再びくるりと反転する。
とさりと落ちた柔らかい感触と、真上にある青年天使の微笑みに、私の身体はゆるゆると……溶け落ちていった。
……―――で。
まず、結論から言えば、ユリウスは確かに「最後まで」はしなかった。
が、本当にそれは一部分に対しての意味だけしか含まれていなかったのだと、私が気付いた頃にはもう遅かったのである。
これ、ほぼ全部に近いと思うのは、私だけなのかしら。
まあ経験なんて無いから、わかんないんだけど。
メイドに聞くわけにもいかないし……っ。
「ユリウス……も、無理……」
息も絶え絶えに言えば、私の身体を這っていた感触がふっと止まる。そして、くすくすと楽しそうな笑い声が響いた。
「そっか。なら、今日はここまでだね。大丈夫だよエリィ。このまま眠って。後は僕が全部やっておくから。それと……なるべく早く、式を挙げよう。僕の理性が……持っている内に」
薄れゆく意識の中、何やら不穏な台詞が聞こえた気がしたけれど、私は温かく優しい腕の中に包まれて、静かな眠りへと落ちていった。
「今日は」と言った白金の幼馴染みの、ほんの少し陰を持った天使の如き笑顔に、気付かないまま―――
完
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他掌編七作品収録。
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「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
断る――――前にもそう言ったはずだ
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