勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗

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エリシエル×ユリウス外伝

幕間~ユリウスside~白金の少年は、光の少女に恋をする。始幕

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――――遠くで、エリィの声が聞こえた。

焦りと驚きと、そして心配げな……いや、そんなわけがない。
彼女が僕を心配してくれるなんて、そんな事ある筈がないのに。自分は一体、何を期待しているんだろうか。

だって僕はアイツじゃない。
あの忌々しい銀色の髪をした―――騎士ではないのだから。

◆◆◆

エリィと出会う少し前。

僕は、彼女が目にしたことも無い廃れた村にいた。
およそ家とはいえぬ隙間風吹きすさぶ質素な小屋に、祖母だという老女と二人で暮らしていた。
そこは北の王国ホルベルクの最果てにあり、草木も生えぬ痩せた土地に囲まれた貧しい場所で。

僕がもし少女であったなら、日々の糧の為に人買いへ売られたとしても不思議ではないような所だった。

満足な食事になどありつけるはずもなく、僕も祖母も、命を繋ぐのがやっとという毎日。
けれど祖母は僕を売り払う事も無く、互いに助け合いながら細々と生活を送っていた。
赤子の拳ほどもない芋を入れた薄いスープですら、二日に一度食べられれば良い方で。手のマメを潰しながら、血を滲ませながら乾いた土地を耕していた。
他の国へ渡る為の資金など、貯まるはずも無く、きっと自分はここで祖母亡き後も暮らしていくのだろうと、そう思っていた。

けれど、そんなある日、村へ黒装束に身を包んだ数人の男達がやってきた。
さほど珍しい事でも無い光景だった。この村にとっては。また人買いが数少ない少女らの品定めにやってきたのだろうと、僕も含め皆思っていたからだ。だから村では特に反応する者もなく、男達は我が物顔で村の中を探り回っていた。
しかし彼らは、少女の住む家では無く、なぜか僕と祖母の住む家へとやってきた。
 
突然押し入るように雪崩れ込み、怒鳴る祖母を払いのけ、僕の腕を掴み家から引き摺り出した。幼かった僕は非力で、栄養状態も悪かった事から、抵抗する術もなく奴らの思うがままだった。
黒装束の男達は、追いすがる祖母に金貨を一枚放り投げると、そのまま僕を馬車に乗せて村を後にした。

僕も、老いた祖母も、男達の力には抗えなかった。

無力だった。
村人達も、厄介事に巻き込まれたくなかったのか誰一人として助けてくれるものはいなかった。
ただ、祖母は僕を売り飛ばしたわけではないことだけはわかった。ガタガタと乱暴に揺れる馬車の中で、彼女の悲痛な叫び声が聞こえたからだ。祖母は、僕の名を何度も何度も、呼び続けていた。

無理矢理押し込まれた馬車の中で、僕はなんとか逃げだそうと扉に体当たりしたり暴れたりしたけれど、それも男達の一人に殴られ意識を失いできなくなった。
気が付いた時には、元の村からは遠く離れたこのレンティエル家の屋敷へと連れて来られていた。

それから数か月、僕には貴族の子に与えられるのと同じ教育が施された。無論始めは無理やり連れて来られた事に抵抗した。屋敷から逃亡しようと何度も試みた。

けれどその度に容赦なく折檻され、屋敷の地下牢へと放り込まれた。何度目かの抵抗の後、痛めつけられ冷たい石床で倒れていた僕に『アイツ』からの言葉が届けられた。
従わねば、祖母を殺す―――と。

その言葉を最後に、僕は与えられる知識を身に着けることに集中した。
幼かった僕の心を、憎悪の闇が占めていた。

従順になった僕の前に、連れ去れと命じた張本人であるレンティエル伯が初めてその顔を見せた。
白に近い金の髪、薄い氷色の瞳は、言われずとも僕のそれと同じなのだと理解した。

「お前はこのレンティエル家の次期当主だ」

疲れた素振りでそう言った後、レンティエル伯は僕の祖母であった人が死んだ事を告げた。
僕が連れ去られた際に置いて行かれた金貨は、使われずに家にしまってあったそうだった。

それを聞いた時僕は、不思議な事に何の感情も浮かんでこなかった。
悲しいとも、辛いとも、思えなかった。

沸き上がってきたのはただ―――僕はこの男に、この男の一族に復讐しなければいけない。

ただその思いだけだった。

けれどそれから一年の時が過ぎ……僕は出会ってしまった。
光を纏った、眩しいまでの彼女に。

◆◆◆

「え、エリシエル、プロシュベールと申します……っ」

貴族の男子としての基礎教育を終えた頃、僕はレンティエル伯に連れられてプロシュベール家を訪問していた。
僕が十四歳、エリィが九歳の時だった。

レンティエル邸とは比べものにならない巨大な規模と豪華さを誇る貴族の邸宅には、僕やレンティエル伯の持つ薄い偽物みたいな金色では無く、本物の黄金をその身に授かった人々がいた。その中でも格別輝く金の髪を持った少女が、エリシエル=プロシュベール。彼女だった。

公爵家の一人娘であるエリィは、僕に向かって恥ずかしそうに淑女の礼を取り、たどたどしい挨拶をしてくれた。そして僕を見て、「天使が来た!」と愛らしい顔をキラキラさせながら叫んで見せた。

彼女の言った言葉の意味は理解し難かったけれど、自分がこの可愛らしい少女に気に入られたのだろう事を僕は理解した。

それからというもの、レンティエル伯は頻繁にプロシュベール邸を訪問した。そしてその度に、僕を伴った。
あの男がわざと僕とエリィを引き合わせているのには気付いていたが、毎度自分を笑顔で出迎えてくれる少女に、復讐の日々を過ごす殺伐とした心が癒される気がして、僕は躊躇いながらもそれを享受していた。

そんな矢先、エリィへの僕の気持ちがいつしか変化しているのに気が付いた。

レンティエル伯とプロシュベール公が会談している間、エリィと僕はいつも二人で遊んでいた。くるくるとよく動きよく笑う彼女の相手をするのは、歳の差があってもとても楽しい事だった。
それにこの時だけは、僕も本来の子供である自分に戻った様な、そんな優しい気持ちになれた気がした。

けれど、エリィが僕に笑いかけてくる度、白い手で僕の腕を掴む度に、息苦しくなるほど胸の鼓動が早くなっていることに気が付いた。

知識としては知っていた。
これが、恋と呼ばれるものである事を。

僕は狼狽えた。予想だにしていなかった。
自分にそんな感情が芽生える事など。

身体はまだ子供だと言うのに、彼女が近づく度、肌が触れる度に僕の奥底で何かか燻った。

けれど、僕は誰かに焦がれていられるほど、平穏な世界で生きているわけではなかった。エリィの相手をしているのさえ、憎い男をいつか蹴落とせるようになるまでの、その道への通過点でしか無かった筈だった。

レンティエル家に復讐する。
そう心に定めていた筈だった。

けれど、強固だと思っていた自分の意思が、恐ろしく脆いものだったのだと、彼女に出会って知ってしまった。

◇◆◇

その頃の僕は、幼いながらも貴族として『人間』の使い方を心得ていた。

美丈夫と名高いレンティエル伯の容姿を受け継いでいた僕は、いつしかそれを利用する術を身に着けた。屋敷に仕える女に金を握らせ、強請るように微笑むと、彼女等は至極簡単に僕に使われてくれた。……時折、それ以上の対価を求められる事もあったが。

そうして、僕はレンティエル伯の情報を掴んでいった。

そもそも伯爵家の血に連なるものがなぜ辺境の村にいたのか、その理由は実にくだらないものだった。

僕の母は、レンティエル家の使用人メイドだったのだ。気まぐれに主に手をつけられ、孕んだと同時に屋敷から追い出されたというよくある話だ。母はその際紹介状も無く、屋敷の主を誑かした忌むべき女として名もなき村に打ち捨てられたらしい。
そして僕を産んだ後、心を病んで自害したそうだった。

僕はその事実を知った時、久方ぶりの涙を流した。
レンティエル家へ連れて来られて以来の、母親への弔いの涙だった。

望まぬ男に弄ばれ、望まぬ子を産んだ一人の女へ。そして、僕という忌むべき存在を、殺めることなく売り払う事無く育ててくれた亡き祖母へ。
別に、産みの親が可愛そうに思っただとか、肉親の死が悲しかったからという理由では無い。
この世に生を受けると同時に、既に住むべき世界が決まっていた空しさに、僕は涙したのだ。

僕には何も無かった。
あるのは、欲しくも無かった貴族の称号と、殺したい程憎い男から受けついだ血の事実だけ。
それだけだった。

エリシエルへの想いに気づいてからというもの、僕は彼女と過ごすのを避けるようになった。
恐ろしかったからだ。彼女への感情が。

復讐を果たす為だけに命を繋いでいる僕が、他に心奪われる事などあってはならなかった。
だから避けた。これ以上近づき過ぎてはしまわないように。これ以上好きにならない様に。
目的を、自分を見失わないように。

けれど、プロシュベール邸への訪問は途切れる事無く続けられた。

僕の突然の態度に戸惑い、憤るエリシエルを、僕は冷たく突き放した。
徹底的に避け、寄せ付けまいと行動した。

プロシュベール公やあの男に悟られない様に、挨拶だけは欠かさず行い、彼らが会談を始めると同時に客間へと引き籠った。そんな僕の態度に、エリシエルはいつしか諦めの表情を見せ、哀しげに大きな瞳を伏せた。

けれど、彼女の方も僕を避け始めた頃、僕は再び自分の気持ちを思い知ることとなった。

プロシュベール家には、公爵という地位もあってか多くの来訪者がいた。
薄まってはいるものの、王家の血すら含む彼らは成り上がりを望む者たちにとっては最上の獲物なのだろう。

彼女の屋敷を訪れるようになった人間の中に、アイツもいた。
ヴォルク=レグナガルド。

爵位は男爵でありながら、騎士の血筋であるヤツは、当時既にイゼルマール王国士隊である蒼の士隊に所属していた。僕とは正反対の銀色の髪をした、精悍な青年騎士。

エリシエルより八つ上、僕より三つ上のその男に、彼女は瞳を輝かせながら笑っていた。
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