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外伝 大和撫子は泥中の蓮に抱かれる。【コミカライズ版発売記念】

既視感、空腹。

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 なぜに。
 なぜに私は今。

 この人に、抱き締められているのだろうかっ?

「あ、あ、あのっ……」

 密着した体勢に心臓が爆発しそうで、どうにか身を捩ってみるけれどびくともしない。それもこれも背中に綺麗に彼の腕が回されているせいだ。どうしてそうされているのかはわからないけど。
 私は数回逃れようと試したものの、優しい拘束は一向に外れる気配が無かったので最終的に諦めた。

 もう、なんなのよ。一体。

 どんなに混乱する状況にあったとしても、人間は慣れるものだ。確かに心臓は五月蠅いままだけど、ちょっとだけ気分が落ち着いてきた私は、諦め混じりに軽い溜め息をついた。

 瞬間、ふわっと良い香りが鼻を掠める。

 ―――濡れた花の臭いだ。

 と、なぜか瞬間的に思った。しかも、感じたのはそれだけではない。その香りに、私は既視感を感じたのである。
 遙か遠い昔、忘れようとした懐かしい記憶。心の奥底に閉じ込めた懐かしい記憶。
 思考の中にセピア色の景色がゆっくり、浮かび上がろうとしていた。

「……突然、すまなかった」

「っえ?」

 記憶の底から何かか込み上げてくる前に香りが離れた。胸の中に寒い風が吹く。
 私は目を瞬かせながら離れていく彼の後を視線で追った。

「悪かった……暫く共に過ごすことになる。怖がらないでくれると、嬉しい」

「へ? あ、はい。それは、だい、じょうぶ、です……」

 人間一人分の隙間を空けて、私をじっと見下ろしながら静かに言うロータスに、私はただ頷くしか無かった。別に怖くは無かったし。
 混乱はしたけど。そう伝えたいと思うのに、なぜか喉に突っかかって言葉が出ない。一体私は、どうしたんだろう。頭が混乱している気がする。
 いや、突然異世界で男の人と同居することになったんだから、混乱しない方が変なんだけど。
 でも……不思議と、嫌じゃ無かったのよね。彼に抱き締められたこと。

 無表情で「怖がらないでくれると、嬉しい」なんて言った男は既に態度を切り替えて、私を部屋に案内してくれた。平民騎士だという彼の住まいは童話に出てきそうなこじんまりした洋館だったが、部屋数はキッチンと浴室などの他に書斎、応接間、客室、彼自身の部屋に他もう一つと合計五部屋があった。
 日本の家屋に比べれば十分な広さだ。
 ちなみに、私にあてがわれたのは二階の南側客室である。真ん中の小部屋を挟んで北に彼の部屋があった。

「真ん中のこの部屋は……悪いが入らないでくれ」

「わかりました」

 部屋に案内されている途中、小さな部屋を指差した彼にそう言われた。別に無断であっちこっち散策するつもりは無かったので別に良いけれど、わざわざ言付けると言うことは絶対入って欲しく無いんだなと理解した。

 説明が終わる頃には窓の外は深い紺色に染まっていた。彼の家は西王国イゼルマールの首都ゼーリナという場所にある。中心地なためか外を見ても街頭が幾つも煌めいていて、思ったより明るく賑やかだった。これなら、寂しいと感じなくて良いかもしれない。人の灯す明かりというのは、温かく心地よいものだから。

「人の営みって、世界が違っても変わらないんだわ……」

 廊下を歩いている途中、足を止めて窓から外を眺めた。
 夜の町を彩る光は優しくて、自分が違う世界に来たなんて嘘じゃないかと思ってしまう。
 だけど、石造りの建物や長く続くタイル状の街路や曲線が美しい街灯など、ここには初めて目にする物しかなかった。

「……大丈夫だ」

 もう、また―――
 はあ。ま、いっか。

 ふっと背後から近付いてくる気配に、また彼が私のプライベートゾーンに入ってきていると気付いていたけれど、私は避けようとは思わなかった。
 彼はまるでそうすべきとでも言うように、自然と歩みを進め、さっきみたいに抱き締めるまではいかないものの、背にぴったり寄り添って今度は頭をよしよし、と子供にするみたいに撫でてきた。

 私は内心呆れ笑いを浮かべながら、まあ嫌じゃ無いから別にいいか、と受け入れる。
 さっき彼の香りを嗅いだ時に、私がこの世界に来た時、裸だった私に上着をかけてくれたのは彼だったと思い出していた。
 ある意味窮地を救って貰ったから、こんな風に思うのかも知れない。
 それになんだか、彼からは懐かしい空気を感じるし―――
 何て、そんな風に思っていたその時、

 きゅぅう

「あ」

 撫でられていた最中、突然忘れていたはずの私のお腹の虫が騒いだ。
 静かな廊下に、甲高い音が虚しく響く。

「……食事にしよう」

 羞恥で固まって動けない私の背後少し上から、なんだか嬉しそうな、楽しそうな静かな声が下りてきた。
 私はぱっと振り向いて、彼、ロータスの顔を見上げてこくりと頷いた。
 顔が真っ赤なのは自分でもわかっていた。

 そんなわけで私達は、夕食を取ることになった。(大分恥ずかしい)
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