見逃してください、邪神様 落ちこぼれ聖女は推しの最凶邪神に溺愛される

イシクロ

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1巻

1-3

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   * * *


 月明かりが照らすベッドに、白い髪の愛らしい少女が眠っているのを確認してリベリオは部屋のドアを閉じた。

「……鍵もかけずに」

 苦笑して、シャツにズボンだけを身につけた彼はベッドに手をつき、彼女が抱いているダンゴムシを苦々しい顔で取り上げる。それを丸めて無造作に床に投げて、ペコラのふわふわの髪を掻き上げた。
 長い睫毛まつげを伏せている彼女の体温と無防備なやわらかい肌に触れる。

「はぁ……」

 シーツの上についた手。その爪が鋭く伸び、根元から黒く染まっていく。変化とともに浅黒い肌の色がじわりとにじむように全身に広がった。
 白い刺青いれずみが浮き出て、濃紅の髪があざやかな朱になり長く伸びる。瞳孔は蛇のような縦長。背中から、蝙蝠こうもりのような翼が生えた。

「……――――」

 異形のヒトの影を映すはずの壁には、巨大な竜のシルエットが現れていた。舌舐めずりをして、邪神は寝ているペコラの頬を手の甲でそっと撫でた。

「……ん」

 気配に気づいたのかぼんやりと彼女は目を開けた。

「っ」

 そこで上におおいかぶさる邪神の姿を見て息を呑む。混乱したようすで周りを見る彼女に魔力を込めた声でささやく。

「いつもの夢だ」
「……ゆ、め……?」

 途端にとろりと瞼を下げるペコラの身体を抱き、腕の中に閉じ込めた。その白い首筋に顔を埋めた彼は口の端を上げた。

「ああ。けれど今日は少しお仕置きをしよう」
「おしおき……」
「そう」

 酒場の主人が触れた愛らしい手を取って舐めた。

「ん、……っ」
「俺から黙って離れた上に、他の男に触らせたからな」

 ゆっくりと指先を口に含んで舌でねぶる。ペコラが顔を真っ赤にするのを見ながら、指の側面を長い舌で愛撫して幾度も指の股を舐めた。
 ――指の一本だけ。それくらいなら構わないか。
 しつけるには痛みが一番だ。いつもの夢では効果が薄い。薬指に狙いを定めて口づけると、不穏さに気づいたのかカタカタ震えてペコラが首を振った。

「なに、を」
「お前の指を、食べてしまおうと思って」

 ぶわっと、面白いほど彼女の毛が逆立った。

「お、美味しくないです……っ」
「そうか? やってみないとわからんぞ」

 もったいぶるように左手の薬指を口に入れて歯を立てる。造作なくそのまま食いちぎれる細さと、肉と血の味を想像してため息が出た。
 ――骨ごとか、肉だけぐか、どうしようか。

「や、や……」

 後ずさろうとするが、リベリオの腕の中にすっぽり収まる状況で逃げられるわけがない。その間に、肉に犬歯を少しずつ食い込ませる。

「……っやめてくださ……な、なんでも、するので……!」

 その言葉に美味しい指から口を離す。それでも手首を掴む力はそのままに、顔を近づけてささやいた。

「なんでも?」

 ペコラがこくこくとうなずく。

「そうか。なら……」

 邪神は口の端をゆがめ、ペコラに微笑んだ。


   * * *


 翌朝、ベッドの上でペコラは落ち込んでいた。

(……邪神バージョンリベリオさんとのえっちな夢を見てしまった……)

 色気たっぷりの邪神からあんなことやそんなことを……そのせいかやけに身体がだるい。そして抱いて寝たはずのダンゴムシがいないことに気づく。
 寝ぼけて転がったのだろうか、床で丸まってすやすや寝ている姿を見つけて、抱き上げようと手を伸ばした。

「あれ?」

 視線を下げたところで、左の胸元、心臓の位置に精霊の印が刻まれているのに気づく。なんとなくぱたぱたと手ではたいた。消えない。

「……え、なに、なんで」

 手の甲には見慣れた印があるままだ。どこかで見たような新しい印を眺めて、思い出した。

(じゃ、邪神の……っ!?)

 設定集で見た、邪神の愛し子の印だった。まだ寝ているダンゴムシをベッドに戻し、ペコラは慌ててリベリオが泊まる隣室の前に立った。
 印のことを問いただそうとドアに向かって手を振り上げ――叩く寸前で止める。
 待て。それを直接聞いたら、ペコラが彼の正体を知っていることがバレるのでは……

(危なぁああああああ!)
「あ、おはようございます!」
「ひっ」

 そこに、ニナがマグカップの載ったお盆を持って階段をのぼってきた。小さく悲鳴がこぼれたが、廊下の窓から入る朝の光を浴びる美少女に、ペコラは状況も忘れて見惚みとれてしまった。

「おや、おはようございますペコラ様、よく眠れましたか?」

 その後ろにはリベリオがついていた。こちらもキラキラした笑顔である。

(うぅううう尊い……!)

 推しカップリングが画角に収まっている。状況を忘れてペコラは胸を押さえた。

「ペコラ様、これどうぞ」
「あ、ありがとう、……いただきます」

 温かな湯気の立つ紅茶を有り難く受け取った。初夏とはいえ朝は冷えるので、砂糖がたっぷり入っているそれは寝起きの脳に染みた。

「甘くて美味しい」
「よかった。リベリオ様はそれ一口飲んで、甘すぎって文句を言うんだもの」
「ごほっ! の、飲んだ……? これを?」
「毒味です、念のため」
「べべべ別にそんなのいいのに……」
(どこ!? どこから飲んだの!?)

 せながらリベリオの唇がついた箇所を震えつつ探す。いつもなら声がするタイミングなので完全に油断していた。

「いえ! それでこそペコラ様の専属騎士ですから!」
「その通り」

 いつの間に意気投合したのか、毒を疑われて不愉快に思っても当たり前なのにニナは嬉しそうに拳を握る。リベリオはしたり顔で同意した。

「だから専属では……っもうなんでもいいです!」

 やけくそで紅茶を飲み干す。その、からになったカップをリベリオが受け取った。

「それでいつ出発しますか? 認定試験も近いですし、早めに神殿に戻らないと」
「そうですね……」
「――ペコラ様」

 ニナがお盆を胸に抱いて真剣な顔で手を組んだ。

「お願いがあります。私を、神殿に連れていってくださいませんか!?」

 思わぬ申し出に目をパチクリする。それはまさに、どう彼女に伝えようか迷っていたことだ。

「下働きでもなんでもいいんです、ペコラ様とリベリオ様のお役に立てるならなんでも!」
「こらニナ、変なことを言って困らせるんじゃない!」

 騒ぎを聞きつけた父親も階段を上がってきた。朝の仕込み途中だったのか、エプロンで拭いた手をニナの頭に置く。

「すみません、すっかりお二人のファンになったようで……朝からこう言って聞かないんですよ」
「だって……」

 ニナが頬を膨らませる。そこでカタカタカタカタ、と建物が揺れ出した。突然のことに父親がいぶかしげに壁を見て、リベリオがそっとペコラを庇うように立つ。

「私……、……が」

 ニナの声に呼応しているのか揺れが大きくなり、暴風が窓を揺らす。

(大地の精霊……と風の精霊の力……?)

 彼女の感情に呼応して精霊が建物を揺さぶっているようだ。ちなみに大地の精霊はイケメンガテン系、風の精霊は可愛いショタ姿である。

「ニナちゃん!」

 もう主人公であることを疑う余地はないだろう。ペコラは彼女の前にしゃがんだ。

「……本当に、神殿に来る?」
「うん」

 真剣な、まっすぐな青い目が見上げてきてそこで震動がやんだ。それを確認して、ペコラはゆっくり立ち上がり父親に向き直った。

「ニナちゃんには六つの精霊がついています。その時がくれば、私なんかよりよほど能力のある巫子に――大聖女になるでしょう」
「えっ」

 父親がペコラとニナを交互に見た。

「ね、お父さん、だから神殿に」
「でもね、今はお母さんについていてあげて?」

 ペコラはそう言葉を続けた。じっとこちらを見る瞳を見つめ返す。

「神殿に入ったらそう帰省することは出来なくなるの。神官長様に報告はさせてもらうから、三ヶ月……早ければ一ヶ月で通達があると思う。それでは駄目?」

 心を込めてそうさとすと、しばらくしてニナはうなずいた。


 ニナの母をて、再会を約束して村を出たのは昼もとっくに過ぎた時間だった。

「またいつでもお立ち寄りください」
「すぐ行くから! 待っててくださいね! 無茶しないで!」

 見送る二人は姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。最寄りの神殿まで送ると言われたが丁重に断って、リベリオと二人で森の中の道を行く。

(神殿に戻ったら報告書を書いて、確認して……)

 これからのことで頭がいっぱいで、朝の一大事をすっかり忘れていた。

「あれは本当の話ですか?」
「なにがですか?」

 リベリオの問いにいつも通り返す。

「六精霊と大聖女」
「……ええ」

 五年か六年後にきっとそうなる。ふわりと風が森の中を通って、心地よいそれに白い髪を揺らし、ペコラは目を閉じた。

「きっとリベリオさんはそんなニナちゃんを好きになりますね」
「……」
「リベリオさん?」

 彼が足を止めたので、数歩進んだペコラは振り返った。

「なりませんよ」
「?」
「俺が好きなのはペコラ様だけですから」
「っそういう、冗談は……」
「――気づいてますよね? 俺の正体」

 風が唐突にやんで、思わず口をつぐんだ……その一瞬が致命的だった。リベリオが一歩近づく。

「……な、何がですか」

 彼がいつも通りだからすっかり油断して、いや考えないようにしていたのが裏目に出た。じりじりと距離を詰められて大きな手が胸元に添えられる。
 邪神の、印があるところに。

「愛しています」

 どうして、いつものように心の声が聞こえてこないのだろう。ペコラは青ざめて口をぱくぱく開けたり閉じたりした。

「そ、それは食材的な意味で……?」
「……」
「何か言ってください!」

 無言でにっこり笑ったリベリオに悲鳴を上げる。こらえられなくて、胸元をぐっと開いて印を露出させた。

「わかりました! 百歩譲って知ってるのは認めますけど、これ、外してください。どどどどどうせ信者の方と、しがない見習いをいたぶるつもりで……っひ」

 音もなく木のツルが伸びてきて、ペコラの手首に絡んだ。振り解く間もなくそれに腕を引かれて後ろにあった木に背中がぶつかる。木を巻き込むようにツルで後ろ手に拘束こうそくされた。

「え、ええと?」
「そう、可愛く怯えないでくださいよ」

 声はとても嬉しそうだ。逆光でリベリオの表情がわからない。ペコラの顔の横に彼は手をついた。

(ダンゴムシくん助けてぇえええええ!)

 呼びかけるが反応はない。

「俺、以外の精霊に……」

 ミシ、と嫌な音がして振り仰ぐと、黒く長く爪が伸びた手が木の幹に食い込んでいた。

(ひいいいぃぃぃいっ)

 顔が近づく。真っ黒な顔の中で、瞳孔が縦に伸びた目だけが爛々らんらんと光っていた。荒い息を吐き、鋭く伸びた歯を覗かせて彼がわらった。

「そんな顔を見たら、今すぐ食べたくなるでしょう?」
「た、食べても美味しくないかと……っ!」
「……はぁ」

 半泣きになりながらプルプルしていると、目の前でリベリオの肌の色が変化した。身体もひとまわり大きくなり黒い羽が生える。まばたきの間に邪神に変化したリベリオがペコラのおとがいを掴み、口を開いた。

「ペコラ」
「っ」

 腰に響くような低い声――それを聞いた瞬間、身体に異変が起きた。

「……え」

 ずくんと身体の奥がうずく。

「ペコラ」
「っと、あの、待って、くださ」

 自分の感覚が信じられずに目を見開く。制止の声も構わず耳元で名前を何度もささやかれるうちに足がガクガク震えて呼吸が荒くなり……最後に、耳を舐められながら吐息とともに呼ばれると。

「――……や、あっ……」

 拘束こうそくされたままの身体がびくんと跳ねた。

(……うそ、なんで……)

 性の知識はほとんどないが自分の身に起こったことがわかって、顔を赤くしたまま呆然とする。
 ただ名前を呼ばれただけで達した、荒い息を吐くペコラにリベリオはくすりと笑った。その顔を見ていると夢で見た、ある光景が目の前に浮かんだ。


『あっ、ぁ』

 暗い部屋の中であえぐ自分の声が聞こえる
 しゃ天蓋てんがいがついたベッドで、邪神とまぐわいながら震えるペコラの耳に彼が唇を近づけた。

『いい子だ。まだ我慢出来るな』
『……あ、あ……っん』

 ペコラの胸に刻まれた愛し子の印を撫でてリベリオがわらっていた。小柄な身体には大きすぎる邪神の熱杭は、しかし淫夢いんむの中では痛みなど感じない。ただ過ぎた快楽のまま揺さぶられてペコラは泣き出した。

『や、っ……イきた……っおねが』
『……は……おねだりは教えたろう?』
『っ、……』

 吐息をこぼす邪神の言葉に、ペコラは奥まで突かれつつ手を彼の肩に置いた。
 この夢から逃げられないのを知っている。扉を開けても出口はなくて、彼が満足するまでめない甘い悪夢だ。ペコラは、自ら口づけて舌を差し入れた。

『っ、ん、っ』

 すぐに応じるように相手の長い舌が絡んで、喉の奥まで侵入する。あり得ない感覚にせそうになり背中を反らすペコラの手首をシーツに押さえつけて、リベリオが突き上げる。
 口の端から二人分の唾液がしたたった。硬直してなにも出来ないペコラを彼は存分に犯した。

『ッ……ひ、ぁ、っ』

 ようやく舌が抜けたところで腰を掴んで揺さぶられた。
 弱いところはすでに知り尽くされていて、入口から子宮口までを容赦なく雄茎がえぐる。隘路あいろを行き来する、目を塞ぎたくなるほど大きくグロテスクなそれに屈していく。
 抽挿のたびに肉がぶつかる音と、隠靡いんびな水音が響いた。自分が自分でなくなるような獣の交わりにペコラは喉を震わせた。

『……っひ、……んぅ、ん……っ』
『あぁ、もったいない』

 こころよさに泣きながらあえぐ身体をベッドに押し潰して、リベリオが涙を舐めつつ腰を動かした。

『お願、もう……いっちゃう……』

 素直に身体をよじるペコラを撫でて、リベリオは腕の中に閉じ込めた彼女へ何度も何度も名をささやく。愛し子の印が熱を帯びて汗が噴き出した。

『ふ、ぅう……っう』

 魂を縛るいにしえの呪法と知らないまま、限界というところで呼ばれる己の名に、ぴくんぴくんとペコラの身体が跳ねる。ありえないほど深部まで繋がったまま邪神の熱杭を締め上げた。

『……あ、っん、ん――ぅ――――……っは……、あ……、待っ……いやぁ』

 背をのけぞらせて、なかなか波が引かないまま腰をガクガク震わせるペコラに構わず、再び動き出した邪神の腕から逃れようともがいた。

『まだ、イッて……』

 そこで腕を引かれて体勢が変わった。
 ベッドにうつ伏せにされて、腕でがっちりと抱きしめられながら突かれる。背中に彼の厚い胸板を感じつつ、身をよじって這い出そうとするが叶わない。

『いって、る……っから、……止まっ……て、くださ――あ、あ』

 人間の身で堪えられるはずがなく、快楽のうずに震えながら許しを乞うた。
 彼の指が胸元に触れた。腰を動かしたまま愛しげに印をなぞり、膨らみかけの乳房がその手のひらの中で形を変える。押し潰しては先端を引っ張り、そのたびにびくびくと己の下でもだえる身体に邪神が満足げに吐息をらした。

『あ……っ、あぅ……っ』

 胸をいじられながら長い舌が耳に入った。性感帯を同時に刺激されて脳が焼き切れそうだ。ぐちゅぐちゅと接合部の水音が大きくなる。そのうち這い出そうとする力もなくなったペコラは、ただ道具のように犯された。その間も、印は熱を持ったまま。

『あぅ……あ、あ……っん、ぐ』

 何の感情によるものか涙が止まらない。リベリオが腕の力を強めて、ささやいた。

『――――ペコラ』

 その瞬間、彼女はビクッと身体を跳ねさせた。

『っ、や……なんで、――――』

 名前を呼ばれるだけで再び快楽が込み上げてくる。目を見開いたペコラは浅い呼吸であえいだ。

『あ、っあぁ……っあ』

 ペコラの頭など一掴みで握り潰してしまいそうな手が顔をおおう。
 そしてリベリオがもう一度、名を口にすると。

『―――――っ……』

 声にならない声を上げて、ペコラは絶頂した。


 白昼夢のようなそれを見て、ペコラはまばたきをした。

(あ、……あ)

 思い出した。もう数え切れないくらい夢の中で、目の前の男と交わったことを。

「な、なんであんなこと……」

 問うと、目の前の邪神が眉をひそめ縦長の瞳孔をさらに細めた。

「したかったから以外に理由が?」
「――私の、意志が」
「ああ、ペコラもたのしんでいただろう。いつも初めは抵抗するのに最後にはとろけて腰を振る姿は愛らしくて興が乗る」
「……ひど、い」

 うつむくおとがいを持ち上げられた。今にも目から涙がこぼれそうなのが自分でもわかる。それをこらえて浅黒い肌のリベリオを睨むと、彼は唇を舐めた。

「やはりペコラは泣き顔が一番そそる」
「離してください!」

 手首を締める植物を外そうともがくが、その間にもさらにツルが増えていった。もったいぶるように、足にもゆっくり絡みつく。

「もうママゴトは十分だろう? 神殿は見限ってそろそろこちらへ来い。どうせ試験には受からん」
「……や、やってみないとわからないじゃないですか!」
「やらずともわかる」
「そんな言い方……っ」

 今までずっと試験に落ちるたびなぐさめてくれていたのに、そんなふうに思っていたなんて。邪神とはいえひどすぎる。

「リ、……」
「ん?」
「……リベリオさんなんて……き」

 まばたきで涙が頬にこぼれる。後ろ手に縛られたまま、叫んだ。

「――嫌いです!」
(言ってしまった!)

 モブが何を生意気なことを言っているのだろう。だがそれがいつわりのない気持ちだった。
 意地悪だ。食材としか思ってないくせに……愛している、とかも。

(こ、これで……凌辱りょうじょくエンド行き確定……!)

 ガタガタ震えて目をつむったまま沙汰さたを待つ。ここでバラされるか、魔物を呼んで喰わせるか。やがてくる痛みを待っていたが……いつまで経っても何も起きない。

「……?」

 恐ろしさをこらえてペコラは片目だけちらりと開けて状況を確認した。


 邪神が、目を見開いて固まっていた。


   * * *


 初めて邪神――リベリオがペコラを見たのは、巫子見習いの任命式だった。

(微小な虫の精霊か)

 ひと目見て、彼女を愛する精霊の気配を察する。すべての疫病えきびょうを請け負う彼にとっては眷族けんぞくのひとつでもあったが、いつも通り特段リベリオの興味を引くことはない。
 絹の服に戸惑っているようすは純朴な村娘そのものだ。とある辺境の村で見出された、力も未熟な彼女を神殿は早々に巫子の下位ランクと判断した。
『神殿』は昔、愛し子たちが力を人の役に立てようと集結し、正神の名の下に組織を作ったことで始まった。
 やがて大聖女と呼ばれたリーダーが力の使いすぎで死に、崇高すうこうな理念をかかげた初期メンバーが少なくなるにつれ、その有用性に目をつけた権力者が各地から同じような愛し子を集め始めた。
 巫子は名誉という報酬で死ぬまで奉仕させられる。そこに集まる寄付金はすべて神殿に取り込まれ、一部の上層部が甘い汁をすすっていた。そうとも知らずこき使われる『巫子』とやらも、ニコニコと無害そうな顔をして搾取さくしゅする上級神官の滑稽こっけいさも、彼の退屈をそれなりに満たした。
 リベリオが神殿に入り込んでいるのはひとえに暇つぶしのため。腐敗と汚職が進んだ場所だ。彼にとっては居心地がいい。
 一回り数十年。神官や、騎士に身を変え、時に人間の記憶を改ざんしつつの生活は、ひざまずかれかしずかれあがめられるだけの邪神にとってはある意味新鮮だった。そのうち、巫子の選民意識が高まり、神殿は貴族や金持ちからの依頼を優先し始める。その過程で国の富める者はますます富み、もたないものはさらに貧しくなった。そうなれば当然、辛い現実を忘れようと神ではなく邪神にすがる者は多くなる。
 彼の教義はひとつ。『好きなことを好きなだけ』。酒に溺れるのも、快楽にふけるのもいい、短すぎる人生をたのしむのに何の遠慮があるだろうか。
 そんな数百年の日々に変化があったのは、ある巫子を筆頭にした退屈極まりない魔物の討伐隊に任命された時のことだ。その一団には新米見習いのペコラもいた。適当にリベリオも働いて、魔物を全滅させた後に開かれた祝宴の最中に、彼女はそっと席をはずした。

(ん?)

 ご馳走もそのままに、彼女は討伐を終えた暗い森に入る。後を追ったリベリオがたどり着いたのは先ほど殺した魔物が累々るいるいと横たわり、すでに異臭が放たれているところ。

「……、……」

 彼女はその前にひざまずいて祈りを捧げる。わずかな月明かりのみの森の中で、その横顔はどこまでも静謐せいひつで、美しく見えた。
 ゆっくりと時間をかけて、魔物の身体はすべて土に還っていった。

「……何をしているのですか?」
「っ!」

 声をかけると、完全に油断していたのか面白いぐらいにペコラが飛び上がった。そのようすがおかしく、彼は笑いを口の端に残しながら言った。

「魔物の遺骸なんて放っておけばいいでしよう」

 もともと、人を間引くために彼がつくったオモチャだ。彼女は困ったように眉を下げて笑った。

「せめて、彼らの魂が家族の元へ帰れたらいいなって思って……」

 魔物すらも気遣うその無垢むくの魂は――邪神の食指を動かした。神殿の矛盾に気づかないまま真面目に日々を過ごす彼女は、今では形骸化けいがいかしている『貧しい者に向けた』奉仕におもむく。特異な少女。気になって何かと話しかけた。


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