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18,うぬぼれ

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 僕の手を掴む壱夏の手は強い。
 学校前で待たせっぱなしにしていたのもバツが悪く、僕は黙って彼の後についていった。それでも、度々振り返ってしまう。
「まなさん……大丈夫かな」
 戦闘不能とはいえ、不良たちと残して。いつも大変なところをお願いしてしまっている。
 言うと、壱夏は鼻で笑った。
「淳平より余程強いから大丈夫だろ」
「そう、なんだ」
 確かに喧嘩に割り込んで怪我する僕なんかよりよほど頼りになるけど。

 季節は急激に夏に傾いていて、気の早い蜃気楼が地面から立ち上っている。
 最近、移動は全部車だったから、公園に行くのも歩くのも久しぶりの気がした。

 じいちゃんが死んで、まだ2週間ほどしか経ってないのに。

「……スクールバス、この時間にあったかな」
「いい。タクシー呼んでる」
 中学校から壱夏の家まで、12kmある。公園の入り口のベンチに彼が腰掛けたので、僕も隣に座った。
 木陰は涼しくて、汗を掻いた体を緩やかに冷やしていった。
 殴られた肩の痛みは、今更ながら増している。散らそうと軽く擦ると、めざとく壱夏が気づいて片眉を上げた。
「勝手に出歩いた罰だばぁか」
「馬鹿とは何だ馬鹿とは」
 言い返すが、前半部分は否定できない。
 特に、先程の宣言を思い出して僕は顔を顰めた。
「ごめん、無関係の壱夏まで巻き込んで」
「何が?」
「さっきの喧嘩の。弁護士とか慰謝料とか」
「その原因は、俺に無関係のこと?」
「うん」

 頷くと、これ見よがしに壱夏がため息をつく。

「……平凡平均目立たない淳平が、素行の悪い連中に絡まれる理由なんて想像がついてんだよ」
「言い方って知ってるかな!?」
「いくら持って来いって言われたの。一杭うちから」
 切れ長の目に睨まれた。

 そこでようやく、壱夏の真意に気づく。
 僕がたかられた理由が、有力者の一杭に引き取られたからだと言っているのだ。要求は確かに僕ではなく、一杭の家のお金。
 だとするなら、こうなった原因は僕を家に招き入れた彼にある…………わけ、ない。

「……」
 僕は立ち上がって、壱夏の前に立った。
 何の表情も浮かべていない彼になんだか無性に腹が立って、深く息を吸って口を開いた。
「あのさ。こうなった原因は脅してお金をもらおうとする先輩たちの考え方であって、壱夏の家にはなんら悪いところはないだろ!」
 勢いよく最後まで言うと、壱夏の目が見開かれた。
「しかも、なんでお前はそれを認めてるんだ」
「……それは」
「あとまぁ僕が喧嘩が弱いのも悪いけど。 とにかく、壱夏には何の関係もない。わかったか」
 タツは格好良かった。
 僕もあれくらい強ければ、また結果も変わっていたかもしれないのに。
 指を突きつければ、ぽかんと口を開けた壱夏に満足し、隣に座り直す。どうだ、いつも言われっぱなしだからな。たまには言ってやらないと。

「っく」
 しばらくして、壱夏から、くぐもった声が聞こえた。
 隣を見ると、彼は堪え切れなくなったように笑い出した。腹を抱える様子に驚くよりも恐怖する。彼が口だけで笑うのはよくやってるけれど、ここまで感情を露わにするのは初めて見た。
 涙の浮かぶ目を拭って、彼は言った。
「淳平は、どのみち本気で喧嘩はできねーよ!」
「わ、笑うな! そんな言うなら今やってもいいんだからな!」
「俺が勝つからいい」
 ひとしきり笑って、壱夏はなんでもないことのように付け足した。
「別に、使い切れないくらいの金額を渡して慌てさせても面白かったのに」

 ―――――利用しろ。
 僕では思いもつかないことを言い放つ壱夏に、先輩の言葉が頭を過ぎる。
 まだ笑っている少年の顔は、初めて年相応に見えた。
 それでも、誰もが見惚れる美貌の持ち主なのは変わらない。頭も良い。運動も出来る。度胸もある。親が居なくても気にしない。彼が持ってないものなんてない。

 ―――――でもさ、淳平もそろそろ認めてもいいんじゃない? 特別扱いされてること。

「……壱夏は」
「ん?」
「なんで僕に、こんなによくしてくれるの?」

 僕だけとは思わない。壱夏は、本当はとても優しい子だ。

 けれど確かに、そう考えたことは、あった。
 でもその度にそんなはずはないと打ち消していた。だって、違っていたら――――特別をほんの少しだけ、嬉しいと思ってしまった自分が、自惚れてしまったことが、醜いと思ったから。

 聞けば彼は一瞬だけ、間を開けた。

「なんで人を殺しちゃいけないと思う?」
「へ!?」
 次いでいつもと同じ、思いも寄らない問いが来る。質問に質問で返されて、知らず素っ頓狂な声が出た。
「何で、って」
 いくつも理由は頭の中を廻った。けれど何故か、そのどれも……壱夏の欲しい答えじゃない気がした。
「淳平に優しくしたら、天国にいけるかもしれないだろ」
 小さく呟かれた言葉は、耳に入ってから脳で処理するのに時間がかかった。
「そ、う」
(……なんだ)
 徳を積むために、買った魚や鳥を放す人がいるとテレビで見たことがある。その光景が壱夏と自分に重なった。

 やっぱり壱夏にとって僕は、捨てられた犬猫と同じ。
 欲しかった言葉ではなかったからって、勝手に傷つくなんて馬鹿だ。顔に出そうな自分を叱咤して、そう言い聞かせる。
 初めに僕はそう言ったし、そうだとしても壱夏は十分にしてくれてる。

 目の前にタクシーが止まる。顔見知りらしく、壱夏を見て運転手が後部座席のドアを開けた。





 怖い夢を見たのは、その日の夜だった。
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