スレイブズ

まさまさ

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第6章

第2話 俺が居なくなっても

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 老婆はその町をかれこれ五十年見守り続けてきた。

 親子で幸せそうに歩く姿。出店同士が客を取る為に激しく競争する様。昼間っから酒を浴びるように飲みそこらで寝る浮浪者。傭兵やならず者達の喧嘩。そして町が主催する数々の催し。それらを老婆は何時も楽しみに眺めていた。この町に息づいた人々の生きる力が老婆は何よりも好きだった。

 大陸中を巻き込んだレギンドの大戦が終わり帝国の締め付けが強くなってからはこの町も随分と上品になってしまっており、老いも相まってか元気を失っていた彼女だったのだが、最近また新たな楽しみを見つけることが出来た。

「……お、来たね」

 ただでさえ賑やかな大通りから、より大きなざわめきが波となって老婆の店にまで届いてくる。彼女が最近新たに見つけた『楽しみ』の訪れを告げる報せであった。

「やぁ、婆さん。景気はどうだい?」

 店の前に現れ親し気に話しかけてきたのは、肩に巨大な皮袋を引っ提げた巨大な鎧の男だった。

「ま、ぼちぼちだね。そういうアンタは随分景気が良さそうだね」

 ぼちぼちね。と答える鎧男の背後からメイド服姿のエルフと獣人がひょっこりと姿を現した。

「おば様!こんにちは!」「こんにちは」

「あら!セラちゃん、カリナちゃん、こんにちは。今日も元気そうね」

「元気です!」「です……!」

 孫の来訪を喜ぶ祖母のように、老婆は皺だらけの顔を更にくしゃくしゃにして微笑んだ。

 しかし、彼女達の来訪以上に今日は興味を惹かれた存在があった。老婆の視線はセラとカリナの影に隠れている『一匹』に向けられている。

「今日は随分と珍しいのを連れてるわね。ドラゴンの子供かい?」

「そうなんですよ!新しい家族です!ベムドラゴンの子供でナナちゃんって言います!ホラ、ナナちゃん、御挨拶は?」

『ガウッ!』

 ベムドラゴン。セラのその言葉に周囲で聞き耳を立てていた人々に動揺と衝撃が走る。

 やっぱりそうなのか!と思う者も居れば、アレがベムドラゴンの子供なのか!と珍しがる者。そしていらぬ欲望に駆られた目つきに変わる者も居たが、目の前で本物のベムドラゴンを目の当たりにした老婆は特に驚いた様子も無く優しい笑顔を浮かべ頷いた。

「ナナちゃんっていうのかい?可愛いねぇ。昔はアンタみたいに人間と一緒に行動するドラゴンをよく見たもんだけど、最近じゃあとんと見なくなったねぇ」

「本当は留守番させるつもりだったんだけど、どうしても着いてくるって聞かないから連れてきちゃったよ。多分結構注目集めちゃってると思うけど、迷惑かけて悪いね」

「ホッホッホ、構やしないよ。これでまたうちの店の名が知れ渡るってもんさね」

「そりゃ良かった。で、俺が来るようになってから客は増えたのかい?」

 いつもと変わらない、そこだけ切り取ったように落ち着いていて静かな雰囲気の店を眺めながらジルは尋ねる。

「おかげさんでね。まぁ客というよりはアンタの事を詮索してくる輩が増えたかね。あたしゃアンタの事、レッドデビルだって事以外何にも知らないっていうのにさ。全く笑っちゃうねぇ」

「言われてみればそうだな。俺の名はジル。ジル=リカルドだ。今更だがよろしく」

「ミーナ=バルカだ。今更だがよろしく。で、今日は大所帯でどうしたんだい?買い物ってわけじゃなさそうだね」

「あぁ、実は今日は頼みごとがあって来たんだ」

 お互いの自己紹介が終わったところでジルは抱えていた皮袋を降ろし、袋を広げる。その中からジルは多種多様な野菜を取り出し老婆の前に並べ、そしてこう言った。

「店の一部を貸してほしいんだ」

 と……。

 話は前日の夜に遡る。


 ―――――


「私が作った野菜を売る……ですか!?」

 ジルが思いついた妙案。それは、セラが屋敷の庭で作っている野菜の販売であった。

「セラの作る野菜は素人の俺から見ても一級品だ。尚且つエルフの作る野菜には魔力が籠ると言われていて昔から高級食材として取り扱われているからな。セラが作った野菜をレムメルの市場に出荷してお金を稼ぐ、ってのはどうだい?」

「そ、そんなこと可能なんですか?」

「多分。実際セラの作る野菜は質が良いから検閲は楽にパスできると思うよ。あ、何なら調合した薬とかも出してみる?『エルフの秘薬』って感じで売り出せば飛ぶように売れると思うんだよね。ナナソ草も少し余ってるし、試しに売ってみる?」

「お、お薬まで!?わ、私の作ったもので本当に大丈夫なんでしょうか?あまり自信無いです……」

 とは言いながらもセラの口元は緩み、頬に赤みが差している。蒼い瞳は星を湛えたように輝き好奇心を隠しきれていない。

 自分が作った物がお金を出される程の価値が有り、また、人に買ってもらえるかもしれないという期待で胸がいっぱいになっているようだ。

「そうだなぁ……。そうなると、カリナに珍しい果物を採って来てもらってそれを売るのも面白いかもな。ベムドラゴンであるナナに客寄せをしてもらって……。それで儲かったら更に大きな店を構えてだな……」

「じ、ジル様、飛躍し過ぎですよ」

「そうだなぁ……。先ずは野菜と薬で様子見かなぁ……」

 とは言いながらも二人の顔にはしっかりとした野心が浮かんでおり、お互いがお互いに不気味な笑みを浮かべていた。

「取り敢えずは、店舗の確保からですね」

「だな。先ずはそこからだな」

「ウフフフ……」

「ふっふっふ……」

 といった二人のやり取りを、カリナとナナが扉の外から聞き耳を立てていた。

「う~む。何か良からぬことを考えているようですね……。大人は怖いです……」

『ガウ……』

 カリナはナナの背に飛び乗り颯爽とその場を後にする。そんな二人が先ほどの話を説明されたのは、翌日の朝食後の事であった。


 ―――――


「と、いうわけなんだ。いきなり店舗を構えるわけにもいかないから、取り敢えず間借りしてみようって事になってね。勿論場所代は払うよ。売り上げの八割でどうかな?」

「じ、ジル様、それは流石に高すぎます。儲けが出ません……」

「そうか?じゃあ一割でどうだ!」

「安すぎます!ミーナさんに失礼ですよ!」

 数字に疎い主人を諫める従者。ここまで心の距離が近い奴隷と主人も珍しいと感心しながらミーナは目尻を垂らし茶を啜る。

「場所代は要らないよ。いつも世話になってるし、前にもらったリアナ金貨の借りもあるしねぇ。空いてる所は好きに使いな。ただし、御覧のとおり狭い店だ。そんなにたくさんは置けないよ」

「ホントですか!?ありがとうございます!」

 セラが滑らかな金の長髪を靡かせカウンターから身を乗り出し、老婆の両手を優しく包む。皺だらけの薄汚れた手に躊躇無く触れられ屈託の無い笑みを向けられた老婆は一瞬目を丸くして驚いたが、直ぐに柔らかい表情を浮かべた。

「このおいぼれで良ければ店番もしてあげるからね。ただし売り込みは自分達でやっておくれよ。あたしゃそういうの柄じゃないんでねぇ」

「充分です!本当にありがとうございます!」

「ミーナおばあちゃん、ありがとうです」

『がうっ!』

 お礼を言う従者二人と一匹。そのやり取りをそっちのけで、ジルは元々並べてあった手作りのアクセサリーの邪魔にならない程度に野菜と薬を店頭に並べ始めていた。昨日の夜遅くまで作っていた『エルフの作った野菜・秘薬』と書かれた小さな立て看板と各商品の値札もしっかり添えて。何だかんだ一番楽しんでいるのはこの男かもしれない。

 袋に入っていた野菜や薬の入った小瓶を全て並び終える頃には、ミーナの店は大通りに構えてある店に負けないぐらいすっかり賑やかな品揃えになっていた。

「いやはや、いつ以来かねぇ。アタシの店にこんな物が並ぶのは……」

「たくさん置かせてもらっちゃいました。あの、ミーナさん、良かったらこれ受け取ってください」

 そう言いながらセラは懐から小瓶を取り出しミーナに手渡した。小瓶の中には粘性のある半透明の液体が入っており、その封には可愛らしい赤いリボンが添えられている。

「こりゃなんだい?」

「私が調合した軟膏です。あらゆる痛みに効果があります。もし体で痛むところがあれば塗ってみてください。あ、口に入っても安全な物ですので御安心を」

「リボンは私が作りました……!」

 カウンターの下からひょっこりと顔を出したカリナの頭を老婆は優しく撫でた。

「おぉ……そうかい、そうかい。わざわざありがとうねぇ。あたしゃとっても嬉しいよ……。ジルさんや、アンタ、良い従者を、いや、良い家族を持ったねぇ」

「フフン。だろ?」

 鎧で隠れて見えなかったが、ジルが誇らしい笑みを浮かべている事は老婆からも容易に理解出来た。


 ――そして翌日。


 ジル家御一行が再びミーナの出店に向かうと、昨日置いて帰った野菜と薬はものの見事に売り切れていた。ミーナ曰く、ジル達がその場から姿を消した瞬間に客が殺到してあっという間に売り切れたとの事。

 今朝も早くから客が訊ねてきて、次の入荷は何時になるかと聞いて帰っていったらしく、それを聞いた三人は大いに喜んだ。

「嬉しいです!頑張って作った甲斐があります!」

「わ、私も、私も何か売ってみたいですっ!」

『ガウッ!』

 大成功を収め浮足立つ従者達。その傍らでミーナはジルに売上金を渡しながらポツリと呟いた。

「何か考えでもあるのかい?」

 他の者に聞こえないよう意識されたその問いに、腕を組んだジルもまた静かに答えた。

「何の事だい?」

「とぼけなさんな。あのベムドラゴンの食費がこの程度で賄えるわけないじゃないか。それに、そこまで金に困っているようにも見えないがね」

「……」

 ジルは答えようとせず、老婆から受け取った袋の中から銀貨を三枚摘まみ、老婆に渡した。

「何さこれ」

「場所代。と、口止め料」

「……そういうことなら、もらっとくよ」

 老婆が銀貨をポケットに仕舞うのを確認すると、ジルは店前で小鳥のように小躍りしているセラを呼び、袋を手渡す。

「セラ、これはキミが稼いだお金だ。キミの自由にするといい」

「えっ!?そ、そんな……。これは屋敷の為に使うお金では!?」

「給金だと思ってくれれば良いよ。なぁに、半分はもらってあるからそれを食費の足しにするさ。これで好きな物を買うと良い。服も、本も、食べ物も」

「あ、ありがとうございます……っ!」

 セラは泣きそうな顔で両手に収まり切らない袋を受け取ると、それを直ぐにカリナに手渡し半分こにしようと提案していた。カリナは大喜びしセラの周りをぴょんぴょんと跳ね、ナナも二人を祝福するように小さな羽を忙しなく羽ばたかせていた。

「アンタも酔狂な事をするね」

「……これで良いんだ。彼女達には、こうやって自分の力でお金を稼いで、そして生きていく術を身に着けてもらいたい。俺に何かあっても、俺が居なくても生きて行けるようにね」

 それは決してキザに決めているわけでも無ければ、冗談で言っているわけでも無かった。鎧の下にある彼のどこか儚い部分がその声に見え隠れしているのを老婆は悟った。

「心当たりでもあるのかい」

「あり過ぎてね。俺はご存じの通りの男だ。いつどんな危険な目に遭うか分からない。報復を受けるようなこともたくさんしてきたし、帝国の支配でわりかし平和な世の中になったとはいえまだまだ物騒な事件も多いしな」

 ジルは傭兵時代、数多くの人間や魔族を殺してきた。買った恨みの数なんてもう覚えていない。何時その怨恨が刃となって自分に襲い掛かって来ても何もおかしくないと彼は考えていた。

「アンタの武功や伝説が真実だとしたら、アンタが誰かにやられるなんて想像もつかないけどねぇ」

「俺より強い奴なんか世の中にごまんと居るさ。俺は運良くそいつらと出くわさなかっただけだよ。俺以上の悪魔に出会い、俺がこの世から消えた時の為に、彼女達が路頭に迷ったりまた奴隷に身を落としたりしないように色々としておいてやりたいのさ」

「そうかい。まぁ、アタシで良ければ何時でも手は貸すよ。また売りたいものがあれば何時でも持っといで」

「あぁ……。助かるよ」

 少し離れた所で、セラが、カリナが手を振って呼んでいる。どうやら早速買い物に行きたいらしい。ジルは冷たく分厚い鎧の下で静かに微笑むと、ミーナに礼を告げ従者の下へ歩き出す。

「アタシは、アンタが悪魔だとは思わないよ」

 人が割れるように自分を避ける中、背に受けたその言葉に、ジルは片手を挙げて答えた。
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