祓い屋トミノの奇譚録

駄犬

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祓い屋トミノの記憶巡り

祓い屋トミノの記憶巡り

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 男は今までになく慎重にライターを構える。そして紙の端を持ち、寸暇に立ちのぼる火柱から身を守るかのような警戒心を露呈する。妙な緊張が空気から伝わってきて、此方も息を呑んでしっかりと身構える必要があった。

 たった一回のまばたきだ。その刹那の間に、男が紙に弾き飛ばされるようにして吹っ飛ぶ姿を目の当たりにする。グラウンドの砂に巻かれた背広は白く染まり、クリーニング屋から出直さなければ目も当てられない。

「間違いない。悪さをしているのはこれだ」

 土煙を背負った男は、ライターを手放したことも忘れて威勢よく背広を脱ぎ捨てた。俺は再び、紙へ視線を移す。地面にぽつねんと落ちている紙が、もぞもぞと蠢き、やおら持ち上がり始める。源泉を掘り当てたかのように黒い液体が隆起し、飛沫が周囲へ迸る。

「……」

 ポツポツと頬に冷たい感覚を覚え、俺は思わず顔を覆い隠した。触れてはならないと直感したのだ。

「そこに落ちているライターを拾ってくれ!」

 頭上を遥かに超えた間欠線さながらの黒い液体は、男の白いワイシャツを黒く染め上げている。尋常ならざる事態が繰り広げている最中に、指示を冷静に受け取って行動に移すことはなかなか困難だった。ただ、男が指差す方向を見ることは煩雑な思考を介さず行え、眼下に落ちているライターの所在には直ぐに気付けた。

「渡せ!」

 やるべきことは分かっている。しかし何故だろう。ライターを手に取った瞬間、男へ渡そうとは思えず、先程まで忌避していた黒い液体に対して、俺は迷いなく踏み込んで行けた。全身に浴びるその黒い液体の正体が、彼女の苦悩だとしたら、恐れをなして逃げ出す気分にはなれなかったのだ。

「楽になればいい。俺が、弔ってやる」

 目前まで迫った、跳梁跋扈する黒い液体の源泉に手を突っ込み、俺はライターの火を付けた。その瞬間、ガソリンに引火したかのように火柱が上がり、熱気に怯んで思わずライターから手を離しそうになった。だが、戦慄く身体をどうにか操って、燃やし尽くすことに傾注する。

 幸か不幸か、ものの一分も経たずに火柱は萎んでいき、燻る火の種になった。赤らむ腕と顔に作った出来合いの水ぶくれが物語る、愛の溺れように自分自身、驚いた。

「無茶苦茶だよ、まったく」

 男の嘆息を聞いた側から、足に力が入らず地面に尻もちを着いた。

「病院、いくぞ」

 夏休みを跨いでなお、顔に特大のガーゼと腕に巻かれた包帯は、教室に入ると衆目を集めるのに事欠かない。次から次へと投げかけられる疑問を右から左へ受け流していると、俺は教室に入ってくる影を見逃さなかった。

「三咲!」

 クラスメイトの全員が、俺の声と視線の方向に操られ、苦笑する彼女の姿に感嘆した。

「お久しぶり」

 俺は端役へと様変わりし、彼女を中心に教室は華やいだ。日常が戻ってきたのだ。

「それで? 三咲ちゃんに何か言われなかったかい?」

 昼下がりの日曜日。昼食を理由に男から呼び出されると、物見高い下賤な笑みの餌食になった。

「別に、特には」

「またまたー。嘘付いてさー」

 この男の根回しにかかるのは釈然とせず、受け流すのが妥当だ。

「でもさー、体調が戻って良かったよ。タイムカプセルを掘り返した甲斐があったというもの」

「そうですね」

 男はお冷で口を濡らすと、ゆくりなく前傾姿勢になって、俺と大層な目の合わせ方をする。

「実はね、」

「ちょっと待って下さい!」

 これ以上なにか喋られると、男の口車に乗せられると思った。

「なんだよー。えらい警戒するねぇ」

「初めから言っときます。俺は貴方の期待に応えるつもりはありません」

 男の手練手管から身を守る為には、宣誓から入ってしまうのが最も効果的であると考えた。しかし、

「じゃあこうしよう。この前の仕事の話だ」

 道化る男に真剣みを与えてしまった。

「君が彼女の念を完全に蒸発させてしまったから、燃料を回収できなかったんだよね。私の助手として仕事を手伝ってくれないかな」

 嗚呼、そうか。これが記憶に残る一つの決断という奴か。

「お断りします」
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