親愛なる記者の備忘録

駄犬

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親愛なる記者の備忘録

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「あっ、すみません」

 アパートの居住者が背後に現れ、私は散らばった可燃物をゴミ袋の中に拙速に押し込む。間もなく道を開けたが、舌打ちのようなものが通りすがりに聞こえ、身体の中に澱が降ったような淀みを感じた。虐げられる事を殊更に嫌悪し、青臭い主張を掲げるような年嵩ではない。諦観は面の厚さを育み、自責による鬱屈から少しでも解放された、と思っていた。現実は違ったようだ。

 ゴミ捨て場に向かおうと歩き出した矢先、再び足を止められる。携帯電話が鳴ったのだ。液晶の画面に映し出された名前を見て、私はその呼び出し音に応えるかどうかを悩んだ。何故なら、あの同業者の明らかに貴賎を含んだ声色には飽き飽きしていたからだ。しかし、仲違いをした訳ではない。不在を決め込み、次に掛かってくる電話の応答に苦心する姿を思えば、苦虫を潰してでも「はい、高谷です」と言ってしまった方が建設的なのではないか。

 私は、来し方の懸念をかなぐり捨てて、朗らかな声の調子を喉で調整する。

「はい、高谷です」

「高谷、どうしてお前はあの陥没事故に興味を持ったんだ」

 それは本当に突飛な質問であった。しかし少しして、この同業者は私から何らかの情報を得たいと思い、このような不躾で払うべき敬意に欠いた粗忽な聞き方をしているのだと理解する。ならば此方も、相応の態度で挑ませてもらう。

「どうして? 皆、興味はあっただろう。私だけが特別に注視していた訳ではない」

「だが、お前がそんな風になる事はほとんどなかったはずだ」

 これは私に対する求愛行動か?

「…….それは私を見ていないからそう思うだけ」

「これまで扱ってきたニュースの記事からすると、確かにお前は手広く記事に起こしてきたさ。でも、わざわざ俺を頼ってまであの事故を調べようとするのは、やっぱり普通じゃない」

 その異様な関心を示す引き金になったのは私にあるようだ。ただ、それをつぶさに発露してこの同業者へ理解を求めようとするつもりはない。あくまでも他人でしかなく、私と同じような経験をした小林一葉などの被害者ならば、腹を割って話すのも吝かではないが。

「私は陥没事故として片付ける気はなかった。それだけ」

「どういう意味だ?」

「そこらの言葉で簡単に説明できる現象ではなかったという事」

「意味がわからない」

「意味? 被害者が六人全員、死んだ時にもそんな素っ頓狂な事を言っていられるかな?」

 私は八重歯を覗かせ、挑発めいた弁舌で同業者を嘲った。

「六人?」

「あぁ、全員だ」

「事故の被害者は五人だ。一人多い」
 
 腸がうねるように頭の中の脳が蠕動する。視界は霧がかり、認識が歪められていくような、直立しているのもままならない吐き気を催す。

「蓮井蓮、牧田紀夫、春日部涼太、柳香織、田所順平」

 そこから瞬きを繰り返すたびにトイレや風呂、あらゆる場所に移動していて、私は知らぬ間にテレビの前にいた。

「本日の十六時ごろ〇〇市の路上で身体の一部が発見されました。付近にはゴミ捨て場があり、そこには激しい損壊が見られる遺体も確認されていて、同日に受理された捜査願と合わせて、男子大学生の春日部涼太さん(二十歳)とみられています」

 ニュースキャスターの「小林一葉」が流麗に語り、私はそぞろに腰を上げ、パソコンに向かう。頭は妙に冴えており、雑念から派生する様々な枝葉は見事に剪定され、十本の指先に全ての意思や思考が反映される。それはまるで、他人が動かしているかのような錯覚にも陥るほどの滑らかさで、浮つく臓物に僅かに開いた口の隙間は、この没我に見合った正規の反応である。

「〇〇県〇〇市で起きた、歩道橋崩落事故を覚えているだろうか」

 私はそう書き出して、つらつらと事故の様子を綴り、趣旨となる問題の提起に移った。

「あの事故は老朽化などによる、人的要因が引き起こしたものとして、責任者を槍玉に上げて悪罵を集めるような単純明快さとは一線を画す事実がある。それは、のちの同市にて発生した道路の陥没事故に紐付き、被害者の一人である蓮井廉が無残な状態で発見された事へ連綿と続く」

 私は空目遣いし、一抹思考する。そして、こう打ち込んだ。

「これは、一介の記者が独白する一種の自慰行為である。それを踏まえてご覧あれ」
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