5 / 23
庭師の仕事
ゆうじん
しおりを挟む
依頼主が感じ取った悪い予感とは、疾しい思いからくる自意識の発露である。そんな人間が持つ猜疑心をだまくらかすのは骨が折れた。ただ、見目なき存在を畏怖するという意味では、普段の依頼主とそう大差はない。
私は今一度、深く息を吸い込む。膨らんだ胸に背筋が反れて、顔が上向く。月明かりに形作られる黒々とした雲間に夜空としての慈しむべき光景があった。
「綺麗だなぁー」
「それは良かった」
口から吹きこぼれた独り言を、会話として成立させる背後の声に、襟首を掴まれたかのように身体が固まった。そして振り向きざま、まるで飼い犬が足元に擦り寄ってきたかのように、私の脇腹へピタリと収まる影が一人。扇動的な頭によって支配された身体の窮屈さは、見慣れぬ脳天ばかり私の目に映す。肩を押して離れさせると、脇腹から飛び出す包丁の柄が急転直下に血の気を奪った。痛みは分からない。自分の身体とは思えないほど瞬く間に冷えていき、枝が折れるかのように膝が地面に落ちた。
「ハナっから可笑しいとおもってたんだ」
人と接する際に振る舞う自己流の礼節が、怪しさとして映ったのならば、私の失策だ。
「ほかの奴らがお前を有難がっていると思うと寒気がする」
私は身体を抱いて地面に転がった。先程まで冷たいと感じていた脇腹が、煮えたぎるような熱さを伴い始めた。産気づく浅い呼吸によって充分な空気が頭に行き渡らず、目玉は反転寸前だ。
「ビッチ野郎」
ビッチなのか、野郎なのか。はっきりしてほしいところだったが、そこで悪罵は終わり、私は路上に置き去りにされた。
刺入経路に臓器がなかったことや夜遊びに興じる少女たちの迅速な救護の甲斐あって、医師の元へ運ばれると感染症の疑いもなく切創の縫合手術を施された。私はたしかに運がいい。
「バチが当たったな」
私には一人だけ、友人と思しき人物がいる。当院内で数少ない、通り魔の被害者として病床を埋める私を見舞いに来ているとはいえ、半ば見下したような態度を取る人間を友人と呼ぶには憚るが、便宜上、友人としておこう。
「貴方達が到底救えない人間を救ってるんだ。もし、私に罰をくださったんなら、それは神さまじゃなくて、悪魔に違いない」
「馬鹿いうなよ。あぶく銭を稼ぐお前と対等なわけないだろ」
「そっちだって只の箱に金を投げ込んでもらってるだろうが」
胸ぐらを掴み合いながら啖呵を切るかのような熱量で私たちはいがみ合った。
「お前と言い争うのは馬鹿馬鹿しくなるな」
どちらが先にこの罵りを始めたのかは、読者諸君にはお分かりだろう。
「で、どれくらいで退院できるんだ」
けろりと態度を翻す友人には難儀する。此方はまだ、口汚く蔑称などを交えてやり合うつもりでいたものの、手のひらを返されてしまったならば仕方ない。
「三週間後ぐらいには」
「そうか。じゃあそのときになったら連絡する」
水面下で話が勝手に進んでいる。上着の裾を掴み、私は訊く。
「どういうこと?」
「やってもらいたいことがあるんだよ。罰を濯ぐには丁度いいかなってさ」
悪態はどうでもいい。私に何をさせようとしているのか、明白にさせなければ、気持ちよく退院することもできない。
「一体何をさせたいの」
「世間でいうところの、心霊スポットに行って慈善活動をしてもらう」
「はぁ?!」
私は彼の部下でもないし、ひいては活動の決定権を託すような深い関係でもない。一体どういう道理で私に話しているのだ。
「人が集まることで起こる事故やいさかいに近隣住民は頭を悩ましていてね」
「私が直接頼まれたわけでもないのに、どうして関わる必要がある」
「なんつーか。俺よりお前の方がその、なんだろうな」
自分にとって体のいい言葉を選んでいる様子がありありと伝わってくる。私なら彼が遠回しにしていることを一言で表せられる。
「優秀だから、でしよ?」
私は今一度、深く息を吸い込む。膨らんだ胸に背筋が反れて、顔が上向く。月明かりに形作られる黒々とした雲間に夜空としての慈しむべき光景があった。
「綺麗だなぁー」
「それは良かった」
口から吹きこぼれた独り言を、会話として成立させる背後の声に、襟首を掴まれたかのように身体が固まった。そして振り向きざま、まるで飼い犬が足元に擦り寄ってきたかのように、私の脇腹へピタリと収まる影が一人。扇動的な頭によって支配された身体の窮屈さは、見慣れぬ脳天ばかり私の目に映す。肩を押して離れさせると、脇腹から飛び出す包丁の柄が急転直下に血の気を奪った。痛みは分からない。自分の身体とは思えないほど瞬く間に冷えていき、枝が折れるかのように膝が地面に落ちた。
「ハナっから可笑しいとおもってたんだ」
人と接する際に振る舞う自己流の礼節が、怪しさとして映ったのならば、私の失策だ。
「ほかの奴らがお前を有難がっていると思うと寒気がする」
私は身体を抱いて地面に転がった。先程まで冷たいと感じていた脇腹が、煮えたぎるような熱さを伴い始めた。産気づく浅い呼吸によって充分な空気が頭に行き渡らず、目玉は反転寸前だ。
「ビッチ野郎」
ビッチなのか、野郎なのか。はっきりしてほしいところだったが、そこで悪罵は終わり、私は路上に置き去りにされた。
刺入経路に臓器がなかったことや夜遊びに興じる少女たちの迅速な救護の甲斐あって、医師の元へ運ばれると感染症の疑いもなく切創の縫合手術を施された。私はたしかに運がいい。
「バチが当たったな」
私には一人だけ、友人と思しき人物がいる。当院内で数少ない、通り魔の被害者として病床を埋める私を見舞いに来ているとはいえ、半ば見下したような態度を取る人間を友人と呼ぶには憚るが、便宜上、友人としておこう。
「貴方達が到底救えない人間を救ってるんだ。もし、私に罰をくださったんなら、それは神さまじゃなくて、悪魔に違いない」
「馬鹿いうなよ。あぶく銭を稼ぐお前と対等なわけないだろ」
「そっちだって只の箱に金を投げ込んでもらってるだろうが」
胸ぐらを掴み合いながら啖呵を切るかのような熱量で私たちはいがみ合った。
「お前と言い争うのは馬鹿馬鹿しくなるな」
どちらが先にこの罵りを始めたのかは、読者諸君にはお分かりだろう。
「で、どれくらいで退院できるんだ」
けろりと態度を翻す友人には難儀する。此方はまだ、口汚く蔑称などを交えてやり合うつもりでいたものの、手のひらを返されてしまったならば仕方ない。
「三週間後ぐらいには」
「そうか。じゃあそのときになったら連絡する」
水面下で話が勝手に進んでいる。上着の裾を掴み、私は訊く。
「どういうこと?」
「やってもらいたいことがあるんだよ。罰を濯ぐには丁度いいかなってさ」
悪態はどうでもいい。私に何をさせようとしているのか、明白にさせなければ、気持ちよく退院することもできない。
「一体何をさせたいの」
「世間でいうところの、心霊スポットに行って慈善活動をしてもらう」
「はぁ?!」
私は彼の部下でもないし、ひいては活動の決定権を託すような深い関係でもない。一体どういう道理で私に話しているのだ。
「人が集まることで起こる事故やいさかいに近隣住民は頭を悩ましていてね」
「私が直接頼まれたわけでもないのに、どうして関わる必要がある」
「なんつーか。俺よりお前の方がその、なんだろうな」
自分にとって体のいい言葉を選んでいる様子がありありと伝わってくる。私なら彼が遠回しにしていることを一言で表せられる。
「優秀だから、でしよ?」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
教師(今日、死)
ワカメガメ
ホラー
中学2年生の時、6月6日にクラスの担任が死んだ。
そしてしばらくして不思議な「ユメ」の体験をした。
その「ユメ」はある工場みたいなところ。そしてクラス全員がそこにいた。その「ユメ」に招待した人物は...
密かに隠れたその恨みが自分に死を植え付けられるなんてこの時は夢にも思わなかった。
彼ノ女人禁制地ニテ
フルーツパフェ
ホラー
古より日本に点在する女人禁制の地――
その理由は語られぬまま、時代は令和を迎える。
柏原鈴奈は本業のOLの片手間、動画配信者として活動していた。
今なお日本に根強く残る女性差別を忌み嫌う彼女は、動画配信の一環としてとある地方都市に存在する女人禁制地潜入の動画配信を企てる。
地元住民の監視を警告を無視し、勧誘した協力者達と共に神聖な土地で破廉恥な演出を続けた彼女達は視聴者たちから一定の反応を得た後、帰途に就こうとするが――
結末のない怖い話
雲井咲穂(くもいさほ)
ホラー
実体験や身近な人から聞いたお話を読める怪談にしてまとめています。
短い文章でさらっと読めるものが多いです。
結末がカチっとしていない「なんだったんだろう?」というお話が多めです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる