トロマの禍

駄犬

文字の大きさ
上 下
5 / 18

軽蔑と共に

しおりを挟む
「なんですか……それ」

 目上の人間をあけすけに誹るような礼節を著しく欠いたことはしない。それでも、眼前で取られた態度や言動を訝しむ程度の不満は立ち振る舞いに現れ、殊更に眉が持ち上がった。怒気や軽蔑が込められた左手の握り拳と、とっさに閉じた口は舌鋒をどうにか押さえつけようと苦闘している。

「お前にもいつか分かるさ。いや、分かるとも限らないな」

 隙を与えない短い間に自問自答を完結させて、上司は奇妙な独り言を呟く。

「だが確かなのは、どれもこれも、経験でしか補えないことなんだよ」

 年嵩に準じて語りがちな物事に対する身構え方は、一回りも年齢が下回る相手からすれば、やけに陳腐な口吻となって映り、まともに耳を傾ければ、億劫になって当然の講釈が長々と垂れ流されるかもしれない。そんな機運が漂い、彼は早々に上司へ「ノー」を突きつける。

「嗚呼、そうですか」

 吸殻とするにはまだ早い煙草を灰皿に落とす。辛気臭い口から吐き出される白煙を吸い込むことに辟易とし、痰の絡まった咳払いを合間に聞いたのも相まって、喫煙所から離れる決意をする。逃げるように勝手知ったる出入り口の押戸に手を掛けた直後、敬うべき年上の上司に対して背中を向けたまま立ち止まった。後ろ髪を引かれたかのような名残惜しさを感じさせ、のちになって悔恨に姿を変える蟠りを吐き出す前の、初期微動らしきものとして伝わってきた。そしてそれは、老齢の悲哀を体現する上司への反抗心であると看取できる。しかし、喫煙所を脱する手前で立ち尽くす彼の情景に、上司は全く興味を示さず、煙草の煙と戯れるだけであった。

 前述した“諦め”とは、無関心を身につけ、誰からも影響を受け付けない所謂、朴念仁を演じる姿勢にあるのだと知る。上司の正体について彼は肌で理解しており、やおら開いた口はある種の啓蒙を連想させる力強さが満ちていて、もし仮に振り向こうものなら、意図しない軋轢を生みかねない。そんな恐れから、背中越しに注進する他なかった。

「でも、世間は無視しませんよ。真相の一端に触れようと誰かの声に耳をそばだてるはずです。それがどれだけ胡散臭く、陰謀論めいたものであったとしても、縋るだけの価値を見出しますよ」

 痩せこけた老木のような超然とした上司の看過が、如何に警察の掲げる大義名分を蔑ろにしているかを糾弾した。それでも、退屈だと言わんばかりに生あくびを吐き、そこらじゅうに転がる有象無象の主張とさして変わらないと首を掻く。経験に裏打ちされた最もらしい弁舌すら授かれないとなれば、上司との会話は空々しい問答に終わって当然のものになり、軋轢を不安視して礼節を弁える優等生じみた振る舞いは不要であった。いくら尻を向けたところで疾しく感じることはない。

「お疲れ様です」

 何の後腐れもなく手足をあやなして喫煙所を出ると、上司はぽつねんと静寂と戯れ始めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

怖い話ショートショート詰め合わせ

夜摘
ホラー
他サイトで書いた話の再掲や、新作ショートショートを載せて行きます。 全て一話完結です。怪談・オカルト有り、人怖有りです。 短い時間でお手軽に読めるシンプルな怖い話を目指しています。 少しでもヒヤッとして貰えたら嬉しいです。 ※ものによっては胸糞注意です。 ※同じ作品をノベルアップ+さんでも短編として掲載しています。 ※作品情報の画像は夜摘が撮った写真を写真加工ドットコム様で加工したものです。

【ショートショート】雨のおはなし

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
◆こちらは声劇、朗読用台本になりますが普通に読んで頂ける作品になっています。 声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

【一話完結】3分で読める背筋の凍る怖い話

冬一こもる
ホラー
本当に怖いのはありそうな恐怖。日常に潜むあり得る恐怖。 読者の日常に不安の種を植え付けます。 きっといつか不安の花は開く。

呪われたN管理局

紫苑
ホラー
本当にあった怖い話です…

意味がわかるとえろい話

山本みんみ
ホラー
意味が分かれば下ネタに感じるかもしれない話です(意味深)

処理中です...