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第三部
憂さ晴らし
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額からいくつもの光る筋が、顎まで伸びて首筋を辿る。忙しなく胸を打つ動悸の激しさに伴い、身体は著しく熱を帯び始めた。あまりの居心地の悪さから、脱兎の如くこの場から離れてしまおうとしたが、深いお辞儀で象る感謝の念を前にしてイシュは目を回したように立ち止まった。ひいては、手まで握られてしまい、筋肉は瞬く間に強張ると肩は縮んで迫り上がる。歪んだ口は図らずも、喜びを噛み締める魔術師の矜持と見間違われ、民衆の一人から背中を叩かれる。
「何をそんなに我慢してるんですか! もっと素直になって」
親類の口喧しさを想起させる差し出がましさは、イシュの顔から瞬く間に表情を奪った。
「どうも」
いつもの調子を取り戻し、颯爽と雑踏に道を開けさせる。以前ならば、訝しげに睥睨されるばかりだったイシュの歩行は、羨望にも似た力強い支持が込められた視線を集め、魔術師たる由縁が顕現する。だが、そんなことなど目もくれないイシュには、その違いに気付くことはなく、ひたすら前進に傾倒する。
限られた資源の中でどれだけ効率よくインフラを整えられるのかを計算し、人々が恙無く暮らす為の拠り所は良くも悪くも、街の指針に従って形作られ、その美醜は対外的な評価に依存した。鏡合わせのように揃えられた鼻っ面は街並みとなって風景を構成する中、商いを営む店主の意図を汲んで建てられた建造物は一際目を惹き、イシュが今し方横切った、石を削って角を取った丸みに満ちた食事処は最たるものであった。
「……」
ただ、装飾品への理解と価値を見出すイシュからすると、街という花瓶に生けられた一房に過ぎず、審美眼を働かせて注視するようなものではなかった。時計台から人流を徒然と眺めるのと遜色ない。これは、魔術師が持つべき資質から乖離する態度といえ、ついさっき味わった賞賛は、イシュにとって稀有な経験であった。ハーキッシュが時計台に姿を現さなかったことが一連の行動の出発点となっており、自ら敷設したレールに他人は介在しないと思い込んでいたイシュの意表を突いたのだ。
習慣化した足取りが狂ったことへの歯痒さに尻を叩かれて、超然と風を切る。千両役者が浴びる無造作な拍手の波に押され、殊更に足早で歩を進める姿は、昨日まで見せていた鈍重さとは画然なる違いだ。その理由を今一度省みれば、墓穴を掘るのと変わらぬ露悪的な夢見の悪さに繋がるだろう。無自覚とはいえ、イシュはそれを肌で感じ取っていて、無心で足を動かし続けていた。
「なんだよ、イシュ。ローブを羽織らずにほつき歩いてるんだ?」
大きく逸脱した帰路は、巡視を働かせる魔術師の目に留まり、口酸っぱく叱責を受ける兆しが窺えた。ただ、イシュはあけすけに鼻白むような仕草は見せない。それどころか、満面の笑みを作った。
「スミスさん、ご苦労様です。背信者を捕まえるときにローブをズタズタに切られてしまって、参りましたよ」
憂さ晴らしに口汚く罵るつもりでいたのだろう。あてが外れたスミスという男は、自分の坊主頭を頻りにさする。
「それでは」
「何をそんなに我慢してるんですか! もっと素直になって」
親類の口喧しさを想起させる差し出がましさは、イシュの顔から瞬く間に表情を奪った。
「どうも」
いつもの調子を取り戻し、颯爽と雑踏に道を開けさせる。以前ならば、訝しげに睥睨されるばかりだったイシュの歩行は、羨望にも似た力強い支持が込められた視線を集め、魔術師たる由縁が顕現する。だが、そんなことなど目もくれないイシュには、その違いに気付くことはなく、ひたすら前進に傾倒する。
限られた資源の中でどれだけ効率よくインフラを整えられるのかを計算し、人々が恙無く暮らす為の拠り所は良くも悪くも、街の指針に従って形作られ、その美醜は対外的な評価に依存した。鏡合わせのように揃えられた鼻っ面は街並みとなって風景を構成する中、商いを営む店主の意図を汲んで建てられた建造物は一際目を惹き、イシュが今し方横切った、石を削って角を取った丸みに満ちた食事処は最たるものであった。
「……」
ただ、装飾品への理解と価値を見出すイシュからすると、街という花瓶に生けられた一房に過ぎず、審美眼を働かせて注視するようなものではなかった。時計台から人流を徒然と眺めるのと遜色ない。これは、魔術師が持つべき資質から乖離する態度といえ、ついさっき味わった賞賛は、イシュにとって稀有な経験であった。ハーキッシュが時計台に姿を現さなかったことが一連の行動の出発点となっており、自ら敷設したレールに他人は介在しないと思い込んでいたイシュの意表を突いたのだ。
習慣化した足取りが狂ったことへの歯痒さに尻を叩かれて、超然と風を切る。千両役者が浴びる無造作な拍手の波に押され、殊更に足早で歩を進める姿は、昨日まで見せていた鈍重さとは画然なる違いだ。その理由を今一度省みれば、墓穴を掘るのと変わらぬ露悪的な夢見の悪さに繋がるだろう。無自覚とはいえ、イシュはそれを肌で感じ取っていて、無心で足を動かし続けていた。
「なんだよ、イシュ。ローブを羽織らずにほつき歩いてるんだ?」
大きく逸脱した帰路は、巡視を働かせる魔術師の目に留まり、口酸っぱく叱責を受ける兆しが窺えた。ただ、イシュはあけすけに鼻白むような仕草は見せない。それどころか、満面の笑みを作った。
「スミスさん、ご苦労様です。背信者を捕まえるときにローブをズタズタに切られてしまって、参りましたよ」
憂さ晴らしに口汚く罵るつもりでいたのだろう。あてが外れたスミスという男は、自分の坊主頭を頻りにさする。
「それでは」
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