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第一部

藍鼠色

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「軽はずみな言動は避けた方がいい」

 ベレトの厳しさに潮騒も黙るはずだ。俺はそれを肌で感じ、目で見て思い、頭で理解した。

「すみません。でもベレトさん、元の世界に戻りたいと考えた事はないんですか?」

「あっちの世界に魔法使いはいないだろう。それが答えだ」

「……」

 腰は抜けかけ、膝の震えが止まらず、残りの人生を出生地も欠落した世界で生きていく事に呆然とした。

「レラジェ、君の望みを口にしろ」

 ランプの魔神を想起する腕組みが、どんな世迷言を言ってもその望みを叶える用意があるようだった。しかし、何も浮かばない。誕生日プレゼントの注文を承る両親の愛に無関心を装い、「なんでもいい」と無愛想に答えた日の思い出が去来する。無欲という訳ではないし、人並みの喜怒哀楽はある。ただ、想像力に欠けていた。美術の授業では常に頭を悩ませ、挙げ句の果てには隣の席のクラスメイトから着想を得て、鉛筆を動かすほどの愚鈍さを帯びる。その受け身の過程には、便秘を患う事にも繋がった。

 人間関係に於いてもそれは変わらず、自ら親しき仲を築こうとはしてこなかった。それ故に、如何にも辛気臭い雰囲気が身体から立ち込め、殻のような分厚い壁となり、無名の生徒の一人として教室の一角を埋めた。しかしそんな俺にも、友人と呼べる人間がたった一人だけいた。真新しい学生服に袖を通す初々しい中学の入学式で顔を合わせてから、同じ高校へ進学すると、互いに言葉にせずとも友人関係にある事は目を見て話せば判った。学び舎を飛び出して社会人へ衣替えした時、果たして俺達はこの関係を続けているのか。それとも所謂、過去を振り返った際の思い出の一部となるのか。形而下でしか認知できぬ先々の未来を、とある一台の自動車が引き裂いた。

 七十歳という節目を迎えた老齢は、車の運転に影響を及ぼすであろう身体機能の衰えを度外視して運転席に乗り込んだらしい。そして見事、アクセルとブレーキを踏み間違えて、歩道に突っ込んだ。そこに偶さか歩いていたのが彼であった。対岸の火事のようにニュース映像を眺めていた今までの俺はそこにはいなかったし、一命を取り留めたと親を伝って知ると、涙が自然と溢れて止まらなかった。

 ただ、悪い報告は続いた。首から下が麻痺を起こし、指一本も動かせない状態にあって、加害者への賠償責任を問う為に彼の両親が動いていると聞かされる。病室に軽々しく顔を出せなかった。どんな言葉を掛ければいいのか、わからなかった。それでも俺は、容体が安定して見舞いを許されれば、直ぐにでも病院へ向かっていた。

「やあ、中村。元気か?」

 首だけを動かして俺を歓迎する彼の姿に、動揺の一切を悟られぬように顔を取り繕った。

「俺はボチボチかな」

 普段と変わらない語気を心掛けながら、細心の注意を払って所作も気遣う。ネジを目一杯に締めた関節はどこかぎこちなく、丸椅子をベッドの横に持って行こうとした際には、気負った指が刹那に緩み、盛大な物音を招く。

「ごめん!」
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