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第二部
神経過敏
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エブリン村を調査するにあたって、シュバルツの団員は、前線基地となる天幕を設けていた。俺達はその前線基地にて、改めて依頼の内容の確認をするつもりでいた。町を出てから三日目の朝、間近に迫っているであろう前線基地を目指し、馬の手綱を操る。見晴らしの良い野原を暫く進んでいると、行く手を阻むように鬱蒼とした森が立ちはだかる。聞く所によると、この森を抜けた先では、草一つ生えていない灰色の地面がお目見えし、晴れ間であれば、青と灰で色を成す景色の中にシュバルツが用意する前線基地が一目で見極められるそうだ。
この短い日数とはいえ、馬の上で移動する事にすっかり慣れてしまった。獣道に近い森の中を馬から降りて、自らの足を動かす億劫さに身体が悲鳴を上げている。木の根っこや細かく勾配がついた地面を恨めしく睥睨をしながら、俺はカイトウの先導に従う。溜まりに溜まったこの疲労感は、前世の記憶を幾つ引き出してもなかなか当て嵌まるものが見つからない。自分を慰める為の言葉は存在せず、少しでも気を紛らわそうと景色に目を向けたなら、出口が見えない森の様相に目を回す。
「……」
そんな俺の個人的な事情を抜きにしても、他の者達も画一的な具合を示しており、現代日本に於ける子どもの体力低下によって引き起こされた、「軟弱者」と揶揄される類いのものではないらしい。
「あと少しだ」
その宣言がもたらす結果は、腹の底に石を抱えるのと何ら変わらない。地図の上で指尺を用いる事も出来ない不便利な世界では、言葉だけの指針を頼りに歩行する辛さは形容し難い。深く短い嘆息を間欠的に繰り返して淀んだ空気を育てながら、齷齪と足を動かし続けていると、木々の隙間に光の壁を見た。すっかり湿った肺に、直ぐにでも新たな空気を取り入れたかったが、カイトウを追い越すような発作まがいの欲求は落ち着けよう。それは包装を施された誕生日プレゼントを目の前にした子どもに因んだ、愉快な胸の高鳴りである。
「おお」
不意に誰かが感嘆の声を上げる。それもそのはずだ。整地された採掘場を想起する岩盤が剥き出しになった地面が地平線となり、空と手を組んだ開放感は先程まで足元ばかり気に掛けていた事を考えるとひとしおであった。
「あそこ、あそこにあるぞ」
晴天の空から吊り下げられているかのようなツンと伸びた天井に、裾を踏んで転ぶのを避けるドレスの膨らみによく似た赤い天幕の胴回りは、人の営みを支えている。
「どうも。月照のカイトウです」
天幕の割れ目に手を滑り込ませて幾ばくか頭を屈ますカイトウの後ろ姿は、酒気を求めて暖簾をくぐる仕事帰りのサラリーマンと瓜二つだ。アヒルの子どもさながらに、ぞろぞろとカイトウの後ろをついて回るのは憚られ、右腕であるウスラにカイトウのお供は任せて慎みやかに外で待つ事になった。
首から肩にかけてナメクジが這って残したような鈍重な轍を凝りほぐす。膝から下を脱力させて片方ずつ前後に揺らし、溜まった疲労にお暇願う。
「本番はこれからだぞ」
リーラルにそう釘を刺されると、独りでに歪んだ口の形が発する語気の強さに俺自身、驚く。
「わかってるさ!」
癇癪を起こした猫のような神経質で上擦った声は、俺の精神状態をそのまま表していた。ガラス細工さながらの繊細な扱いを求めるのはお門違いであり、只々面映い。不安に思っているのは何も俺だけじゃないはずだ。にも関わらずこの体たらく。俺は押し黙る事でしか、リーラルに謝意を伝えられなかった。
この短い日数とはいえ、馬の上で移動する事にすっかり慣れてしまった。獣道に近い森の中を馬から降りて、自らの足を動かす億劫さに身体が悲鳴を上げている。木の根っこや細かく勾配がついた地面を恨めしく睥睨をしながら、俺はカイトウの先導に従う。溜まりに溜まったこの疲労感は、前世の記憶を幾つ引き出してもなかなか当て嵌まるものが見つからない。自分を慰める為の言葉は存在せず、少しでも気を紛らわそうと景色に目を向けたなら、出口が見えない森の様相に目を回す。
「……」
そんな俺の個人的な事情を抜きにしても、他の者達も画一的な具合を示しており、現代日本に於ける子どもの体力低下によって引き起こされた、「軟弱者」と揶揄される類いのものではないらしい。
「あと少しだ」
その宣言がもたらす結果は、腹の底に石を抱えるのと何ら変わらない。地図の上で指尺を用いる事も出来ない不便利な世界では、言葉だけの指針を頼りに歩行する辛さは形容し難い。深く短い嘆息を間欠的に繰り返して淀んだ空気を育てながら、齷齪と足を動かし続けていると、木々の隙間に光の壁を見た。すっかり湿った肺に、直ぐにでも新たな空気を取り入れたかったが、カイトウを追い越すような発作まがいの欲求は落ち着けよう。それは包装を施された誕生日プレゼントを目の前にした子どもに因んだ、愉快な胸の高鳴りである。
「おお」
不意に誰かが感嘆の声を上げる。それもそのはずだ。整地された採掘場を想起する岩盤が剥き出しになった地面が地平線となり、空と手を組んだ開放感は先程まで足元ばかり気に掛けていた事を考えるとひとしおであった。
「あそこ、あそこにあるぞ」
晴天の空から吊り下げられているかのようなツンと伸びた天井に、裾を踏んで転ぶのを避けるドレスの膨らみによく似た赤い天幕の胴回りは、人の営みを支えている。
「どうも。月照のカイトウです」
天幕の割れ目に手を滑り込ませて幾ばくか頭を屈ますカイトウの後ろ姿は、酒気を求めて暖簾をくぐる仕事帰りのサラリーマンと瓜二つだ。アヒルの子どもさながらに、ぞろぞろとカイトウの後ろをついて回るのは憚られ、右腕であるウスラにカイトウのお供は任せて慎みやかに外で待つ事になった。
首から肩にかけてナメクジが這って残したような鈍重な轍を凝りほぐす。膝から下を脱力させて片方ずつ前後に揺らし、溜まった疲労にお暇願う。
「本番はこれからだぞ」
リーラルにそう釘を刺されると、独りでに歪んだ口の形が発する語気の強さに俺自身、驚く。
「わかってるさ!」
癇癪を起こした猫のような神経質で上擦った声は、俺の精神状態をそのまま表していた。ガラス細工さながらの繊細な扱いを求めるのはお門違いであり、只々面映い。不安に思っているのは何も俺だけじゃないはずだ。にも関わらずこの体たらく。俺は押し黙る事でしか、リーラルに謝意を伝えられなかった。
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