自殺したガール

駄犬

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 俺はある時から、“臭い”が一体どこから発せられているのか。疑問に思うようになっていた。そんな折に、庭先で番犬を仕る隣家の柴犬から、獣臭とはまた違う、“臭い”を嗅ぎ取った。俺はいつものように、敷地を区切る柵越しに柴犬の頭を撫で付けようと手を伸ばす。すると、此方の目論み通りに柴犬は尻尾を振ってやってきて、柵の間に頭を突っ込み、番犬失格の人懐っこさを露呈する。俺はその恩恵に授かった瞬間、やはりあの“臭い”を嗅いだ。

 俺は息を何度か吸い込み直し、臭気に頭を突っ込む覚悟をする。鼻が先行する姿勢の悪さは顧みない。ひたすら“臭い”の元となる場所を探すのだ。やおら柴犬の顔に接近していく最中、楽しげに口角を上げた口の隙間から鋭い犬歯を見た。そして、「ハァハァ」と興奮気味に呼吸をする姿はやがて、獰猛な番犬らしい落ち着きのない乱れた息に聞こえ出し、人間が都合よく咀嚼しがちな表情は、微笑みから威嚇の為に口を大きく開いた番犬の厳しさに変わった。

「バウ!」

 俺がとっさに首を引っ込めた瞬間、前歯が鼻先を掠める。ゆくりなく起きた反抗を前に尻餅をついて驚いた。股の間を見れば、俺に噛みつこうと必死な番犬の影が伸びてきており、その執拗さに冷や汗を流す。ただ、この離れた距離にありながら、“臭い”は確かに俺の鼻腔を通り、酸素と共にとして供給されている。俺はふと、眼下の暴れる番犬の影を見た。

「?」

 鼻を近付けようと地面に接近を試みれば、その姿はあまりに不恰好で恥も外聞もない。ただし、こんこんと尽きない疑問の答えを得ることの等価交換だとするなら、座持ちを憂いて躊躇うようなことはしない。俺は鋭敏な鼻を駆使する為に、グッと頭を沈み込ませ、地面を目と鼻の先に捉えた。

「うっ」

 俺は思わず、顔を背けてしまった。あまりに“臭い”が強烈でまじまじと眼前に捉えていることが出来なかったのだ。

「まさか……?」

 想定を遥かに超えた“臭い”のもとは、有形であれば誰しも、その上に立ち、名札代わりに個人の輪郭を写し取る“影”であった。それからというもの、足元の影の行方に注意深くなり、背中が丸みを帯びると陰湿な雰囲気の一助を買い、不本意ながら薄暗い人間として認知されるようになった。しかしそれでも、出所元も定かではない“臭い”だけを追うのは、きわめてストレスの掛かる挙動不審な所作の引き金となっており、視線を落とすだけで看破できるのは目覚ましい進歩だ。

 鬱屈とした発散し難い悩みを抱えた無数の人間達が跋扈する、天下の往来を無自覚に避けてきた俺は初めて、日曜日の昼間に足を伸ばした。大挙して押し寄せる“臭い”は、凄まじいものだった。まるで運河の中を歩いているかのような息苦しさすら覚え、俺は忽ち溺れかけた。だが、足元に張り付く影が“臭い”の由来だと理解すれば、頭の中で整理でき、無知を理由に遠ざけていた俺はもういない。
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