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[SIDE:L]出発
似たもの同士
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「……すげぇ…」
ふんわりと広がる、甘い極上の香り。
目の前に差し出されたものは夢か、幻か…。
いや、紫苑が食い入るように見つめる先に、"それ"は在った。幻ではない、確かに存在しているのだ。
キラキラと輝かせた目を数回こすり、改めてその存在を認識した紫苑は
「ほ、本当にこれ…っ食っていいのか!!?」
そう言って壊れんばかりにテーブルを叩き、立ち上がった。
Chapter.9:
似たもの同士
「どーぞ!好きなだけお食べ!」
その一言で、紫苑は『おぉ…』と小さく声を漏らすと、先程とは正反対にゆっくりと、音を立てずに着席した。
ここは、フォメロスの中でも特に高級なブランド店が建ち並ぶメインストリートの一角。煌びやかな貴族様御用達の名店が名を連ねる中で、憩いの場となっている場所。
美しい花の装飾看板を掲げた紅茶の専門店だ。
何が素晴らしいかというと、もちろん豊富に取り揃えられた茶葉が上質な事は言うまでもないが、ケーキやクッキーなどスウィーツの美味さと華やかさでも誰もが認める超人気店である。
そしてその上品な店内の最奥、VIP席と呼ばれる特別な個室にて、彼等は優雅な(?)ひと時を過ごしていた。
「何だろうねこの可愛い生き物…。ずっと見ていられそうだよ…」
そう呟いたのは、両手で頬杖をつき満面の笑みで少女を見つめる中年の男… ワグナーだった。
「あの…」
「あ、わかってるよ萌葱君。コイツ変態だとか思ってるよね?うん、よく言われるよ、言われるけどさ、解るよね?ね、この可愛い子なに!?唐突に見せるこの純粋無垢な少女感なんなの!?完全にお兄さんドキドキしちゃうよねー!!」
「すいません、変態ですね」
「解ってよ!!萌葱君!!」
つい先程初対面の挨拶を交わした相手に言うことではないが、残念ながら萌葱の目にはワグナーはただただ『変態』にしか映らなかった。
「…言いたい事は解りますけど…」
解る、だが、言い方が変態的なのだと、萌葱は口元を引き攣らせてちらりとワグナーを見た。
「あ、そうやってちらっと見るのやめてー?萌葱君みたいなお上品そうな人にそういう目で見られると哀しくなるー」
個室内に居るのは紫苑とワグナー、そして萌葱の3人。
先程一通りの任務を終えた紫苑と萌葱は、黒耀に頼まれたと言うワグナーの出迎えを受け、現在は休憩の為ここに居る。
『少し問題が起きた』
という紫苑からの連絡を受けていた黒耀が念の為にと手配した人物が、これだ。
「いや…上品なのは先生の方じゃないですか?こんな名店の個室にすぐ入れるなんて凄いですよ」
変態だけど。
…と語尾に付けたくなる気持ちを抑え、萌葱は今一度ぐるりと個室内を見回した。
ここはアティウスの帝都に本店を構える一流店だ。帝都の貴族界で育ってきた萌葱も当然よく知っている店なのだった。
個室を選んでくれたのはおそらく、萌葱と紫苑の身分を考慮してのことだろう。
個室であれば周囲の目も遮られるのだ、会話に気を張る必要もさほどない。
その上本日の彼等の任務を考えれば、"お嬢様"が立ち寄る場所、そして案内される席として何ら違和感もない。
「ふっふっふ、こう見えて帝国のお偉いさん方にも名の通ったお医者さんですからね?遠慮しないで君も好きな物頼んでいいよ!」
「あ、いえ俺はお茶だけで十分です。ありがとうございます」
「おやおや謙虚だねぇ?甘い物以外もあるよ?それにね、LSの中では生活チームがしっかりと食事管理してるからこういう贅沢なものって滅多に食べられないんだよ?だからほら、紫苑ちゃんのこの様子」
「ああ…成程。それでこんなに…」
御覧の通り、この数分の間で紫苑がそれはそれは甘い物に目がないのだという事が判明した。しかしライトニングストーム内では思う存分に好物を食べる事はできないのだ。
それも、山のようにたっっっぷりと絞られた生クリームと色とりどりのアイスや果物そしてメイプルバターにチョコレートソースや粉砂糖までふんだんに盛り付けられた見た目も華やかだが糖分値もお化け級の特大パンケーキだなんて罪深い食べ物が、そう簡単に許されるはずもない。
戦艦班の中で隊員達の身の回りの生活管理を行っている生活チームは、戦闘要員達の体調管理には特に気を使っているのだ。食事制限も当然の事だった。
「今日の任務も終わったことだし、帰る前に何か好きな事させてあげて欲しいって、紫苑ちゃんの優し~いパパからお願いされたんだよね」
「パパ?…ああ、リーダーのことですね!」
紫苑の親代わりだという黒耀は、どうやら"娘"の事を心から可愛がっているようだ。
ワグナーにそんなお願いをする黒耀の様子がすんなりと頭に浮かんだ萌葱は、あまりに微笑ましくて思わず笑ってしまった。
すると
「アイツは父親じゃねえって言ってんだろうが!!」
今まで夢中でパンケーキを頬張っていた紫苑が唐突に2人の会話に割って入った。
「えー?でも親代わりでしょ?パパじゃん!」
「そうだけど!でも違う!!」
まだまだパンケーキをつつく手を止めようとはしないが、やけにワグナーの言葉に食いつく紫苑。
だがしかし。ほうほう…成程そうか、これは…と、口許をニヤつかせたワグナーはもう一言。
「あー解った紫苑ちゃん。"カレシ"って言って欲しいんだね?」
会心の一撃を放った。
「っっはぁ!!?…っば!!な、何言ってんだこのクソめがね!!!殴るぞ変態!!死ね!!!」
そんな攻撃に、紫苑は思わずパンケーキを喉に詰まらせそうになりながらもそれはもう必死に反論をする。彼女の顔はもちろん火を噴いたように真っ赤だ。
「うーわ暴言の嵐!だよね~そうだよね~!!萌葱君見た?この反応!も~紫苑ちゃんてば恋する純情乙女なんだよね~もう可愛いが過ぎるよ~女の子だね!17歳だね!青春だね!!」
「うるせぇこのクソが!!それ以上言ったらマジで殴るぞ!!」
「へぇ紫苑さん…!そうなんですか」
「へぇそうなんですかじゃねぇ新人!!素直に真に受けるな!!」
真に受けるなと言われても、紫苑の反応があまりにも過剰なもので、ワグナーでなくてもこれは本当ではないかと信じてしまうのは仕方がないだろう。
紫苑は耳まで見事に赤くして茹で上がってしまいそうだ。
ワグナーもワグナーで、紫苑をここまでいじり倒せるのだからこの男はなかなかの強者だ。
「いやしかし黒耀君ね、彼ふわふわしてるけどあれは強者だよねぇ。僕が知る中では少なくても3、4人は虜にしてるね」
「えっリーダーって……」
「おいこら変な事言うな!!黒耀はそんな女たらしじゃねえよ!!」
「いや天然だとは思うけどね?でも分からないよ~ほら、もしかしたら彼には裏の顔が」
「あるわけねえだろあのお人好しに!!」
言われなくても、黒耀が強者だという事は萌葱にも何となくだが解る。
しかしそうは言うものの、黒耀は"いいひと"というものを完璧に体現したような人間だ。彼に限ってまさか有り得ないとは思うが、もしも彼の全てが作り物だとしたら…?
「うわ…ちょっと考えたら鳥肌が立ちました…」
「おい新人!!無駄なこと考えるな!!」
いや、それは絶対にないと信じたい。
彼に絶対的な信頼をおいている紫苑を信じよう、と萌葱は紫苑の言う通り無駄な思考を振り払った。
ひとまず温かい紅茶をひと口…
「でもさぁやっぱり女の子にはああいうタイプがモテるものなんだよねぇ?まぁそうだよね優しいもんねぇ彼。いいねぇ僕なんてもう全然だよ~モテる秘訣ってなんだろうね、そうだ教えてよ萌葱君!!」
「…っ!!え!はい!?俺!?」
しかし、ワグナーを相手に油断は禁物だ。
からかう標的を変えるつもりなのか、不意打ちをくらった萌葱は驚いて紅茶を吹き出しそうになった。
ワグナー=アンネリス、35歳独身。
もう長いこと仕事仕事で生きてきたせい(?)で、いつからか恋人の影もなければ浮いた話の1つも上がらない。どちらかと言えば自分よりも人の恋路を応援する方が好きだというタイプの男。
生家には既に家族はないが、生まれ故郷ヴィレッツの同胞達をこよなく愛し、故郷を離れても尚、皆を家族のように大事にしている面倒見の良い兄貴だ。
だがしかし、そんな情報など今日が初対面である萌葱は何も知るはずがない。
現時点で解るワグナーとは…
陽気な明るさはピカイチだが、お喋り過ぎるせいで変人要素が目立っている。
外見はそこそこ悪くないのだが、どことなく胡散臭さを感じさせる風貌。
職業は高給取りの医者という好条件のはずだが、やはり変人要素が前面に押し出されている。
いや萌葱だって別段モテるわけではないのだからそんな大層な助言など期待されても困るのだが、期待に胸躍らせたような顔で見つめられていては仕方がない。
萌葱はワグナーをふむと数秒見つめてから割と真剣にアドバイスを…
「先生は少し口数を減らしてみたら良いんじゃないですか?」
「え、そうなの!?本当に?成程!わかった!!そうだよね確かに白夜君も密かにモテるって聞くしね!何も話さなくてもモテる男っていいねそれ!!」
…した、つもりだったのだが。
「あ、でも白夜君を目指すにはもっと身体を鍛えなきゃ駄目かな?いやぁでも体力にはあまり自信ないんだよね~僕ほら戦闘種族じゃないからぁ~」
何か、違う。
残念ながら、ワグナーには1ミリも伝わらなかったようだ。
「馬鹿言うな新人、コイツが3秒以上黙ってられるわけねぇだろ」
「…そのようですね」
「おいメガネ!てめぇじゃ白夜にも黒耀にも程遠いぞ!現実を見ろ!!」
紫苑は相変わらず容赦がない。
まあ、これでワグナーも悪い人間ではないのだが。
「まあ変な事を言わなければ別に…明るくて俺は良いと思いますけどね?」
「え、本当に!?うん、でも変な事って?」
「まぁそうだなその口さえどうにかすれば金目当ての女が勝手に寄ってくんじゃねぇの?とりあえず黙って金でもチラつかせとけよ」
そうか。これからワグナーが目指すべき姿は、ただ黙って、
金をチラつかせる男…
「…うわぁ!最低だ!!」
「ちょっと萌葱君!?紫苑ちゃんの暴言鵜呑みにしないで!!?」
ウェーブのかかった長めの銀髪、銀縁のインテリ眼鏡、上質なスーツに宝石の付いたループタイ…そんなワグナーの外見も相俟って、想像してみただけでただの最低男だった。
「嫌だよそんな男ーー!!全くなんてこと言うんだろうねこの17歳女子は!!お菓子食べてる時はあんなに可愛いのに!」
「るせぇな!まずは10秒黙ってられるようになってから出直せバーカ!!」
「あーもー冷たいー!哀しいよー!!僕をそっと癒してくれる優しい彼女が欲しいよー!!」
「じゃあもう医者なんだから身近なナースにでも手ぇ出しとけよ」
「うわ…!!それこそ最低だよ紫苑ちゃん!!君自分の事になると純情なくせに人の事となると急にとんでもない事言うよね!?言っておくけどうちのナース達めちゃくちゃガードが固いの!僕になんて見向きもしてくれない!!」
「まあ、お前だからな」
「え!?どういう事なの!?」
「お前にひっかかる女なんて居ないってことだよ!」
「何それ駄目じゃん!!話が振り出しに戻るじゃん!!」
賑やかすぎるのが玉に瑕の男ワグナーと、口が悪すぎるのが残念な少女紫苑の、まるで喜劇のようなやりとりが目前で繰り広げられている。
萌葱は1人困ったように笑い、改めてティーカップを持ち上げた。
「もう~萌葱君!優雅にお茶飲んでないでさぁ~!あ、わかった!萌葱君みたいに紅茶を飲む姿が様になる男を目指そう!」
「えっ」
相変わらず、油断はできないが。
「いや本当に!様になってるんだよねぇ~萌葱君ってお育ち良いでしょ」
「えぇぇ…いや、別に…そんな事…」
「こいつ帝都生まれ帝都育ちのボンボンだぞ」
「あ、そうなの!?どうりでね~ふとした瞬間の動きが何かお上品だと思ったんだよねぇ。訛りとかもないし」
「あ…えーと…」
家の話は、あまり好きではない。
それが萌葱にとっては永遠に付きまとうであろう大きな悩みの根源なのだ。
「そんなに…分かるものですか?」
「まあ分かるよぉ?厳しく育てられたんだなって、思う」
「え…」
しかし、ワグナーの言葉は意外なものだった。
「君さ、ご両親の事はあまり得意じゃなかったでしょ」
「えっ…と、それは…」
「嫌いではないけど苦手。尊敬はしないし反発心はあるけど反抗的な態度はとらない、言われた事はちゃんとやる、だけどわざわざ近付いて仲良くしようとは思わなかった。これまでで唯一実行した大きな反抗は今の職についたこと!…なんてどう?そんな感じじゃない?」
「……」
これは…
恐ろしい男だと、正直に思った。
萌葱は返す言葉もなく視線を落とし、小さく溜息をついた。
「あ、ごめんね!?気を悪くした?ヴィレッツで生まれ育った癖かな、閉鎖的な所で生きてきたからさ…初対面の相手ってどうしてもこう、つい観察しちゃうというか、分析しちゃうんだよね…」
ヴィレッツ星…。そうか、成程。
萌葱の脳裏にはある男の姿がチラついた。
「いえ、すいません先生…そうですね…」
何だか可笑しくなって、萌葱はふっと小さく笑った。
「凄いですよ先生。ほとんど当たりです」
「あ、本当に?やったね!当て感もちょっとあったんだけどね!僕の目もまだまだ衰えてないか~!」
医者という職業柄もあるのだろうが、それにしても彼の観察力と分析力には驚いた。
ただ自分が無防備過ぎたのかもしれないが…と、萌葱は再び溜息をついた。
「お前さ、そんな簡単に言い当てられるとか、マジでやばいぞ?敵にバレたらどうすんだよ。油断すんなよ」
「そうですね…すいません」
紫苑にもズバリと釘を刺され、萌葱は反論の余地もなかった。しかし
「おお?紫苑ちゃん先輩だねぇ?でも紫苑ちゃんは紫苑ちゃんで自分に素直過ぎるところが色々と危ないと思うけどね?」
「なに!?」
「紫苑ちゃんは感情が表に出やすいから、それが油断にも繋がりやすいと思うんだよね。敵にちょっとカマかけられたらすーぐ引っかかりそう!萌葱君はさ、逆に言えば"ただのお貴族様"に見える方が強いから、まさか"黒服"だなんて敵も想像がつかないかもしれないよ。案外潜入捜査に向いてるかもねぇ?でもちょっとお惚けさんなところもありそうだから気をつけないと!」
すらすらと続けるワグナーの付け足しに、今度は紫苑の方が返す言葉を無くしてぽかんと口を開け放した。
「…先生って…本当によく見てるんですね…」
「あーまぁ、ただの人間観察が好きな医者の戯言だと思ってよ!」
ハハハ!と楽しそうに笑うワグナーだったが、萌葱にとってはただの陽気な変わり者だと思ったこの男を僅かながらに尊敬した瞬間だった。
「あの、先生は浅葱さんと同郷ですか?」
そして気になったのは、先程ふと頭に浮かんだ人物の事。
「ん?ああ、そうだよ!あの子とは兄弟みたいなものなんだ」
「兄弟!?」
「ほら、ヴィレッツって地下のアナグラ暮らしでしょ?外部にはちょっと閉鎖的だけど、その分近所に住んでる人達とは家族同然だったし、特にあの子とは親同士が仲良くてね」
「そうなんですか…」
兄弟とまで言われるとさすがに驚くが、ワグナーがヴィレッツ星の出身だと聞いた瞬間から萌葱が気になっていたのはそう、浅葱の事だった。
ワグナーの話によればヴィレッツで育った者の特徴だというこの優れた"観察力"と"分析力"。閉鎖された環境で、初めて遭遇した者を瞬時に敵か味方か見分ける必要があった事から、一言で言えば"警戒心が強い"とも言えるのだろう。
だとしたら、自分はおそらく…浅葱にはまだまだ警戒されている。きっと人間性を探られている段階なのだろう、と萌葱は妙にだが納得がいった。
「こいつと浅葱ってどことなく似てるだろ。性格悪いところとか」
紫苑にもそう言われ、確かに似ているのかもしれないと思った。実の兄弟ではないにせよ、同じ故郷で兄弟のように育てば人は似てくるものなのかもしれない。
「いや、でも性格が悪いのは浅葱さんの方が…」
「あーまた言ったな?そのまま浅葱に言っとくわ」
「えー!紫苑さんが先に言ったんじゃないですか!!そういう紫苑さんも性格悪いですよ!!」
「うるせえ新人!お前は今日ヘマやらかしたんだから戻ったら浅葱にでもがっつり絞られとけ!」
「えぇ…そんなぁ…凄い恐怖なんですけど…」
萌葱の脳裏に浮かぶ、それはそれはお冠な浅葱の姿。
決して声を荒らげて怒鳴るという事はないが、浅葱と言えば何よりも言葉の暴力が尋常ではないと有名で、ライトニングストームの中では恐怖の毒舌王と恐れられている。
普段は飄々としていて、軽い冗談ばかり言うお調子者のようにも見えるが、一度怒りのスイッチが入るとそれはもう氷のように冷たく、容赦なく人の心を抉りにかかって来る狂気の鬼だと言われている。
萌葱がここへ来て直ぐに聞いたウワサ話は、そんな彼の"洗礼を受けて"も心が折れずにいられた鉄の心を持つ者、または粉々に砕け落ちても見事立ち上がることができた強靭な魂を持つ者の集まりが現在の通信チームなのである。と、いう恐ろしいものだった。
「なんだ、あの子やっぱり相変わらずの毒舌王なんだねぇ」
そんな噂話を思い出して恐怖に震える萌葱を前に、ワグナーはやれやれと小さく苦笑した。
「全く…人に優しくしなさいっていつも言ってるのに、困った弟だよあの子は」
そう言って深い溜息をついたワグナーはもはや兄というより父親のようだ。
「でもね萌葱君聞いて?あの子"毒舌王"とか"鬼上司"とか言われてビビられてるみたいだけど、実は他の呼ばれ方もしてるの知ってる?」
「…他の、ですか?」
だが、ワグナーは萌葱の恐怖を和らげるためか場を和ませるためか、今度はそう言って悪戯に笑った。全く見当がつかなかった内容に萌葱はきょとんと首を傾げたが、特に興味のない話だと見切った紫苑はつまらなそうに紅茶を手に取った。
そして次の瞬間
「"氷の妖精さん"だよ」
「ぶっ!!!!」
ワグナーの言葉に、紫苑は豪快に紅茶を吹き出した。
「えっ、ちょ…!紫苑さん大丈夫ですか!?」
「あははは!も~何で紫苑ちゃんが吹いてんの!」
思わぬ衝撃にゴッホゴッホと噎せ込む紫苑。何か言いたそうだが当然何も言葉にはならず、慌てる萌葱に『大丈夫だ』とジェスチャーだけを送っている。
「いやまさか紫苑ちゃんがそんなに驚くとはね~ごめんごめん!」
ワグナーはそう言ってハンカチを紫苑の口元へ差し出すと、よしよしと背中をさすった。それを紫苑は涙目でじとりと睨むが、まだ整わない呼吸に負け大人しく彼のハンカチを受け取…ったと同時に口に当てた状態で更に大きな咳を続けた。
「あはは、それはわざとかな?あんまり咳すると喉傷めるから気をつけてね~」
当然、ワグナーのハンカチだから。に決まっている。もちろんワグナーも解っている。
が、咳の治まらない(?)紫苑の背中をさすりながら、彼はやれやれと笑った。
そんな様子を前にふと萌葱は思った。
「…先生、そういうところスマートにできるのは凄いと思いますよ」
「え?」
ふむ、と顎に手をあて1人で頷く萌葱の言葉に、今度はワグナーがきょとんと首を傾げた。
「俺はちょっと戸惑って直ぐにハンカチ出せませんでした」
続いた言葉で、ああ!と彼の言いたい事に気が付いたワグナーだったが
「あはは!スマートだった!?まぁわざと人のハンカチに咳するような子には何の効果もないけどね!!ついでに、触るな変態ってぶん殴られてもおかしくなかったよね!!」
残念ながら、結果は見ての通りだったもので笑うしかない。急に咳き込んでしまった女性にすかさずハンカチを差し出せる男性はなかなかにスマートで紳士なのではと思われるのだが。
「あはは…まあそうですね…相手が悪かったみたいですけど…」
「そうねぇ私も凄く良いと思うけどね~私だったらさりげなくそんな事されたらときめくわ~!」
「あ、そうですよね?やっぱりカッコ良……って、あれ!!?」
そして萌葱はふと、自然と会話に加わっている何者かの存在に気が付いた。
「ぐ、紅蓮さん!?」
そう、そこに居たのは紅蓮だった。
「え!?びっくりした!!なん…」
「でもそうよねぇ、あんまり女の子の身体に触りすぎるのは良くないわよね?まぁ私ならそんなの気にしないけど~むしろ歓迎~!でもそうは言っても好みのタイプに限るけどぉ~?」
何の前触れもなく突如現れた紅蓮は、驚きを隠せない萌葱の事など気にする事なく、極普通に同じ席につき当然のように会話に参加し誰の了承もなく紫苑の大事なパンケーキを横からつついている。
「あ!!おいてめぇ紅蓮!!人のもん勝手に食ってんじゃねえよ!!」
当然、紫苑は怒って彼女の手からフォークを取り上げた。しかし紫苑は彼女の唐突な登場には何の違和感ももっていない様子だ。
「あ~紅蓮ちゃん久しぶり~♪紅蓮ちゃんも何か頼む?いいよ~好きな物頼んで」
「ワグたん久しぶり~♪やだ、いいの?何にしようかしら~ここのケーキ美味しいのよね~♪♪」
何故か、ワグナーも何ら気にしてはいない。
まさか違和感を感じているのは自分だけか?おかしいのは自分だけなのか!?と萌葱は1人そわそわと落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「やだ萌ちゃんどうしたの?随分落ち着かないわね、大丈夫?」
仕舞いにはこの違和感の根源である紅蓮本人から心配される始末。
「い……いやいやいやいや!ちょっと待って下さい皆さん!!おかしくないですか!?紅蓮さん、一体いつからそこに居たんですか!!!」
そして、ようやくその言葉をもって状況説明を願い出た。
「え?うーん、ほんの数分前くらいからかしら?」
「コイツこんな目立つ外見しておきながら何の気配もなく姿現すの得意なんだよ」
「そうそう、いつもの事だよねぇ~」
しかし。成程そうなんですか…なんて言えるような返答は誰からもいただけなかった。
「…得意とかいうレベルではないような気がするんですが……」
いや、だがよく考えてみれば今朝だって紅蓮は萌葱と浅葱の泊まっていた部屋に前触れもなく出現していたように思う。
そうか、これが彼女の通常スキルなのだろうか。そして、これが特務隊の日常なのか…。
萌葱はこうして妙なところでチーム・ストームの凄さを知り、且つ、特務隊の日常にまた新たな不安を覚える事となった。
「紅蓮さん潜入は向かないって言われてましたけど…それだけ気配を消せるならむしろ誰よりも向いているんじゃ…」
「あらそぉ?でもリーダーにはいつも駄目って言われるのよねぇ何でかしら」
「お前は自己主張が激しすぎんだよ!」
「あははだよねぇ~どんなにうまく気配消せてたって数分も経てばす~ぐ我慢できなくなって自分出しちゃうのが紅蓮ちゃんだもんね!」
成程……納得。
ここでようやく、萌葱は納得のいく答えをいただけた。
「え~だってぇ~ずっと黙ってるなんて性に合わないのよ~喋りたくなっちゃう~私無視されるのとか無理ぃ~!」
「あははまぁそうだよね~話したくなっちゃうよね~!」
「でしょぉ~??ワグたん解ってるわぁ~」
「お前らは少し黙る事を覚えろ」
どうやら紅蓮とワグナーは割と似たもの同士のようだ。同じ"おしゃべり"というだけでなく、何だか話す波長まで合っているように見える。
それを心底迷惑そうに紫苑が大きな溜息をついて目を細めた。
「コイツらと居ると疲れんだよ…」
「あはは……」
その隣りで苦笑する萌葱だったが、紅蓮とワグナーはそんな2人にはお構い無しでまた勝手にわいわいと楽しそうに会話を始めていた。ここは一先ず放っておいた方が良さそうだ。
「でも紫苑さん…浅葱さんは大丈夫なんですね?浅葱さんとは一緒に出掛けようとしてましたし」
似たもの同士といえば、浅葱もまた2人と同じく割とおしゃべりタイプのように思えた萌葱はふと紫苑に問いかけた。
「あ?まぁ…アイツもよく喋るけど、コイツらよりはうるさくねぇし、慣れてるし」
「慣れてる?」
すると、返ってきた答えは予想外のものだった。
「浅葱とはコイツらより付き合い長いんだよ。アイツは特務隊に入る前は黒耀と同じ帝国軍にいたからな…黒耀に拾われたガキの頃、アイツにはよく構ってもらってた」
「えっ…!!」
あの浅葱が子供の世話をしている様子だなんて全く想像がつかなかった萌葱だが、それよりも予想外だったのはそこではなく、
「黒耀さんと浅葱さんは元帝国軍だったんですか!?」
そう、黒耀と浅葱が前は帝国軍に居た、という部分だった。
言うまでもなく警務局と帝国軍はまるで別物の組織であって、仕事ぶりも考え方も違うことから何ならお互いがそれぞれの存在をあまりよく思っていないというのが現実なのだ。そんな間柄であるせいか、帝国軍から特務隊への抜擢だなんて話は…萌葱はこれまで聞いた事がなかった。それも特務隊の幹部、そして最高司令官が、まさか元軍人であったとは驚きだ。
「何だ知らなかったのか?アイツらかなりガキの頃から長く帝国軍に居たらしいし、黒耀は特に皇帝のお気に入りみたいだからな。特務隊結成時にアイツは皇帝から直々に司令官任命されてんだよ。浅葱はその黒耀からの指名で特務隊に入った」
「…す、凄いですね…ちょっと驚きました」
流石……としか言いようがなかった。
子供の頃から軍人、皇帝のお気に入り、皇帝から直々の指名で司令官…全てが驚きすぎて、萌葱はもはや尊敬を通り越して僅かな不信感さえ抱いていた。
確かに帝国軍には年齢の制限がはっきりと定められてはいない。優秀であれば子供の頃から軍人になる事も不可能ではないだろう。だが、当然ながらそう簡単な話でもない。"優秀であれば"の基準をクリアする為に彼等は一体どれだけの能力を持っていたのだろうかと、萌葱の中で素直に2人への興味が膨れ上がった。
だが黒耀があの若さで、あの皇帝の信頼を得ている事、ましてやお気に入りだなんて、その理由は…何か他にも複雑なものがあるのではないかという疑惑にまで頭が回ってしまった。
それ程までに、ウィスタリア皇帝は用心深く人を心から信用することのない、冷酷無比の鬼だと言われているのだ。
「あの子達はね、色々苦労してるんだよ」
しかし、唐突に挟み込まれたのは、どこからこちらの話を聞いていたのか…しばらく紅蓮とわいわいしていたと思っていたワグナーからの一言だった。
「黒耀君の事情はあまり詳しくは知らないけど複雑なのは確かだし…浅葱君は小さい頃から頭が良すぎたんだよね。それが幸か不幸か、たまたまヴィレッツにやって来た帝国軍の目にとまって…10歳位からシステムの開発だとか何やら色々と協力させられてた」
「そんな歳の頃からですか…!」
気がつけば、紅蓮の方も複雑な面持ちでこちらに視線を向けている。紫苑は既に知った話だと解っているし、自分も同じ歳の頃には色々と経験しているだけに何の驚きもない。故に再びパンケーキをつつきながら何とはなしに話を聞きに入っていた。
「まぁ本人は割と楽しんでたみたいだけどね?でも傍から見てたらあまり良いものじゃなかったよね…最初は知識の提供くらいだったけど、それがしばらく続いたと思ったら最終的にはエスターに連れて行かれる事になって…あの頃はショックだったなぁ。本人は自分で望んで行ったんだって言ってるけど、僕からしたら、可愛がってた弟が無理矢理軍人達に攫われていったって気分だったね」
「……そうなんですか」
思い出話を語るようにゆっくりと静かに言葉を続けるワグナーだったが、語り口は穏やかであっても、その瞳だけはどこか遠くを見つめていた。
心なしか、重たい空気が流れていた。
「あの子は物心ついた頃位にご両親が流行病で亡くなってね…うちはずっと医者の家系で、両親も医者だしあの子のご両親とも仲が良かったから、2人の最期はうちで見送ったんだ。ヴィレッツでは病が流行るとあっという間に広がるから、感染者は徹底的に隔離されててさ、あの子はご両親の最期には会えてないし、一緒に居た時間が少なすぎてあまり顔も覚えてないって言ってた」
浅葱は両親の治療中から、ワグナーの両親が支援していた孤児院で預かられていた流れのままそこで暮らすようになり、ワグナー自身もよく面倒を見に行っていたのだと言う。
「孤児院で暮らしてても…ほら、あの子協調性ないでしょ!?院内でもずっと独りでさ~もう、あんな子が1人軍人達の中でうまくやっていけるのかって思ったら心配で心配で仕方なくてさ、僕も医者としてちゃんとやっていけるようになってからすぐエスターに移住して来たんだ。まぁ再会した時、本人からは何しに来たんだってうざがられたけどね!酷くない!?」
そうやって語りながら、不穏に思われた空気も自ら跳ね飛ばすようにワグナーはいつの間にかハハハ!!と普段通り笑っていた。
「まぁ、お前みたいな奴がついてきたらそりゃうぜぇわ」
「あー紫苑ちゃんまで酷いなー!!」
そして紫苑の横やりで空気は戻り、
「やだわ…泣けちゃう。私はワグたんの気持ち解るわぁ~だって浅葱可愛いから!野蛮な軍人達に囲まれて何か変な事されないかって心配になっちゃう!」
「そうそう!アリスは戦闘種族じゃないし、力で抑え込まれたらって思ったら…!」
「やだー!こわーい!!」
やはりワグナーと紅蓮は気が合うようで、そうやってまた盛り上がり始める2人を前に萌葱はあの浅葱に限ってそんな心配はないのではとこっそり苦笑した。
彼の戦闘能力値はまだ知らないが、普段の彼を見ていると相手が軍人であっても何かされる前に返り討ちにしてしまう方が正しいのではないかと思えた。
「ガキの頃はどうだか知らねぇけど、アイツは軍人相手にもあの調子でいつも喧嘩うってたぞ。むしろ変なもん発明して悪戯仕掛けては仲間困らせて楽しんでたような奴だよ。おかげでいつも黒耀が後始末することになって怒ってた」
「ああ…そっちの方が想像つきます」
やはり自分の予想は間違っていなかった、と萌葱は紫苑の言う事にうんうんと首を縦に振った。
「あはは!それね!!ま~氷の妖精さんだからね~可愛い顔して恐ろしい子だからあの子」
「そうだその呼び方!さっきつっこみ忘れました!!」
そしてワグナーの妖精発言に今度は紫苑ではなく萌葱が反応した。
「あはは気になる?いやぁほら妖精は悪戯好きっていう童話よくあるでしよ?だから、"悪戯っこ"っていうのとヴィレッツが"氷の惑星"っていう所からだと思うんだよね~怒ると氷みたいに冷たいっていうのもあるけど!」
「成程……」
言われてみれば、納得の呼び名だった。
だが妙に可愛らしくて面白い…なんて言ったら浅葱は怒るのだろうか、と萌葱が考えていると
「可愛いあだ名よね~萌ちゃん帰ったら浅葱に言ってみるといいわよ!ぶっ飛ばされると思うけど」
「ぶっ飛ばされるんじゃないですか!!嫌ですよ恐ろしい!!」
予想通りだった。
「そんなあだ名があったんだな…面白ぇから帰ったら言ってみよう」
「え!!紫苑さん!?」
しかし萌葱は当然そんな危険を犯したくはないが、怖いもの知らずの紫苑は平然とそう言いにやりと不敵に笑った。
「紫苑ちゃんが知らなかったのは意外だったな~!紫苑ちゃん浅葱君とは仲良しなのに」
「仲良しなんですか!?」
「そうよ~私やリーダーがヤキモチ妬いちゃうくらいね!」
「はぁ?仲良しぃ?別にそんなんじゃねぇよ、アイツといると気が楽なだけだよ」
「それは仲良しですよ紫苑さん!俺には考えられません!!」
浅葱と一緒にいると気が楽、だなんて今の萌葱からは到底考えられない事だった。ペアを組まされ同室で寝泊まりをしているこの数日間も、何かと冷や冷やしているのが現状だ。
「はぁ?別に、コイツらと居るよりは疲れないだろ」
「いや疲れますよ…だって怒らせたくないですし」
「皆そう言うよな、アイツってそんなに怖いか?ただのチビだろ」
「えっ…」
いや、ほぼ同じ背丈の紫苑にだけはただのチビだなんて浅葱も言われたくはないだろうが…彼に恐怖を感じる事は特務隊内では当たり前の事だった。
「紅蓮、お前だって別に怖くないだろ?それにワグナーだって」
「え?まぁ私は、浅葱は可愛い子って思ってるからそんな怖くないけど、でも本気で怒らせるのは私だって嫌よ?浅葱は絶対に本気で怒らせたらいけない相手No.2よ」
「あはは!僕もそうだね、別にそんないつも怖いわけじゃないけど、怒らせるのはやっぱり嫌だね~本気で怒らせたら怖いのは確かだよ!」
この2人でもそうなのだ、これは相当のものだと萌葱は改めて浅葱の恐怖を実感した。紫苑はそれでも不満そうに眉を寄せているが。
「やっぱりそうですよね……でも紅蓮さん、浅葱さんの上をいくNo.1は…もしかして」
「もちろん、リーダーよ」
「……ですよね~」
そして萌葱の中では黒耀への恐怖レベルも確実に上昇していた。普段大人しい人程怒ると怖い、というのはよく聞く話だが…黒耀はそんな程度の話ではないように思えた。
「あ、でも…という事はやっぱり…白夜さんは見かけによらず本当に怖くないんですか?もしかしてNo.3だったりしませんよね?」
「やぁねあんなの全然怖くないわよ!ただのデカブツ!!」
いや、似たような背丈をしている紅蓮からはただのデカブツだなんて白夜も言われたくはないだろうが…彼の場合は見た目から恐怖心を持たれる事が当たり前だった。
「白夜君はめちゃくちゃ良い人だよー!全然怖くないから、普段から普通に絡んじゃっていいと思うよ!いつも怖がられて人に逃げられること、実はすごい気にしてるからね彼」
「えっ…あ、そうなんですね!?」
ここで、白夜への恐怖レベルが割と下がった事に萌葱はほっとした。帰ったら少し彼と話をしてみようかと考え……
「って、あれ!?紅蓮さん!!そういえば白夜さんは一緒じゃないんですか!!?」
そして、重要な事に気がついた。
「え?白夜?知らないわよー」
「えっ知らない!?あれ!?紅蓮さんは白夜さんとペアを組んでいたんじゃ……」
そうだ、特務隊ではライトニングストームや司令部の外で行動をする際は必ず誰かとペアを組む事が規定として決まっている。
そして、本日はリーダーの指示により紅蓮は白夜とペアを組んでいたはずなのだ。それがどういう事だろう、どう見ても近くに彼の姿は見当たらなかった。
「おい紅蓮……お前また白夜撒いてきたろ」
「え、撒いた!?」
紫苑はやれやれと深い溜息をつき萌葱は驚いて目を丸くするが、紅蓮は呑気なもので、何のこと?と言わんばかりに首を傾げてあらぬ方向を見つめている。
「黒耀にも言われたろ!いい加減白夜と仲良くしろって!」
「いやよ~!アイツ邪魔だし口うるさいし!!」
「え!!白夜さんがうるさい!?」
帝国共通語を得意としていない事が理由だとは聞いているが、白夜は非常に口数が少なく、萌葱がこの数週間で彼の声を聞いた回数は指が5本あれば数えられる程度だった。そんな彼が口うるさいだなんて、まさか想像がつかない。
「そうよ~!アイツ、私とは母星語で話せるからって2人で居る時は割りとよく喋るんだから!!うるさいのよ!」
「うるさいとかお前が言うな!!」
紫苑のご尤もなツッコミが入り、ワグナーは大笑いしている。萌葱はどうしたら良いのか分からず1人でただ汗をかいていた。
「どうせ白夜からの通信も全部無視してんだろ」
「えーーだってぇーーー」
「お前ここにはどうやって来たんだよ!」
「通信チームの子に連絡してこっそり紫苑ちゃんと萌ちゃんの追跡してもらったのよ」
「お前なぁ…もーいい!俺が白夜に連絡する!」
白夜の事となると何故か子供のように駄々をこねる紅蓮は、こうなるともはや紫苑の方が年上のように見えてくる。
紫苑は仕方なく席を立ち、静かで声の聞き取りやすそうな廊下に出て行った。おそらくここで通信をすると、紅蓮に邪魔をされると分かっての事だろう。
「あはは紫苑ちゃんも大変なんだね~!紅蓮ちゃんももう少し白夜君に優しくしてあげたら?幼馴染なのに、何でそんなに仲が悪いの?」
「ワグたんまでそんな事言わないで!嫌なものは嫌なのー!!」
これは重症だ。
実は特務隊の誰もが紅蓮と白夜の関係性については疑問を抱いている。ワグナーの言う通り、彼等は同じ故郷で生まれ育った幼馴染なのだが…白夜からはともかく、紅蓮は一方的に彼の事を嫌っていて、それがあまりに酷いもので、周囲は白夜に同情の眼差しを向けている。
「白夜君まじめだから、今頃1人で街中探しまわってるよ」
「えっ…!白夜さん…こっちに連絡入れてくれてたら…」
「あ~彼ああ見えて天然ちゃんだからそういう所に頭回らないと思う!」
「天然ちゃん!?」
「後から気づいて、あ…その手があったか…ってなるね!」
「白夜さん……すいません、もっと早くこっちが気付くべきでした…」
ケラケラと笑うワグナーの言葉に、萌葱は心の底から白夜が不憫に思えた。
「……おい新人!白夜と連絡がとれた!お前ちょっと店の外まで迎えに行って来い!」
「えっ!あ、はい!!行きます!!」
どうやら彼の居場所が分かったようで、廊下からひょっこりと顔を出した紫苑の指示を聞き、萌葱はすぐさま立ち上がった。
「えー別にいいわよ行かなくてもーーーほっときなさいよーーあんなやつーーー」
なんて、後ろで紅蓮が不満たっぷりに言っていたが、何も聞こえないふりをして、萌葱はさっさと部屋を後にした。
その後、無事に白夜と合流した彼等はティータイムを仕切り直し、また賑やかに会話を楽しんだ。
…まあ、紅蓮があからさまに白夜からは席を遠く離していた事は言うまでもないが。
しかし帰りは4人でゆっくり散歩をしながら歩いて帰ろうとねだる紅蓮のためワグナーとはここで別れ、道中、慣れないハイヒールで足が痛いと駄々をこね始めた紫苑に楽な靴を購入しようとショッピングモールへ入り、結局あれやこれやと買い物を楽しんだ。
…何だかんだで、彼等はたまの休日を堪能していた。
そうこうして、任務報告のためにとライトニングストームへ戻った頃には既に日は暮れていて、黒耀が帰りの遅い彼等を心配してそわそわと格納庫の前を彷徨いていた。
4人の姿を見るなり嬉しそうに駆け寄ってきた彼は、まるで子供達の帰りを待っていた母親のようだった。
それから、きっと任務中にヘマをやらかした事をコテンパンに絞られるのだろうと萌葱が震えながら浅葱の元へ向かうと、案の定彼の『おかえり』と笑った笑顔とそのたった一声にとてつもない冷気が漂っていた。
やっぱり、自分にとっての恐怖No.1はこの人です。
と、萌葱は心の内で泣いた。
そしてその夜、ベッドの中で一日を振り返ると…
今日は本当に疲れた。だがこの疲れから、
失敗はあれど初任務を無事に終え、ちゃっかり休日も楽しんで、何よりチーム・ストームの様々な一面を知る事ができた、彼にとっては大変濃厚な一日であったと実感させられた。
元帝国軍人だった浅葱と黒耀の過去。
実は仲良しの紫苑と浅葱の関係。
紅蓮の異常な白夜嫌いと、あまりに不憫な白夜。
絶対に怒らせてはいけないひと黒耀と、
でもやっぱり萌葱にとっては浅葱が最恐だと震えた事。
そんな浅葱にはワグナーという何だか面白いお兄さんがいた事…
色々ありすぎて、まだ頭が追いつかない。
だがしかし、時間は待ってはくれない。
これから先に待っている重大任務に向けて、まだまだ彼が知るべき事は、山程ありそうだ――…。
To be continue……
*********
ふんわりと広がる、甘い極上の香り。
目の前に差し出されたものは夢か、幻か…。
いや、紫苑が食い入るように見つめる先に、"それ"は在った。幻ではない、確かに存在しているのだ。
キラキラと輝かせた目を数回こすり、改めてその存在を認識した紫苑は
「ほ、本当にこれ…っ食っていいのか!!?」
そう言って壊れんばかりにテーブルを叩き、立ち上がった。
Chapter.9:
似たもの同士
「どーぞ!好きなだけお食べ!」
その一言で、紫苑は『おぉ…』と小さく声を漏らすと、先程とは正反対にゆっくりと、音を立てずに着席した。
ここは、フォメロスの中でも特に高級なブランド店が建ち並ぶメインストリートの一角。煌びやかな貴族様御用達の名店が名を連ねる中で、憩いの場となっている場所。
美しい花の装飾看板を掲げた紅茶の専門店だ。
何が素晴らしいかというと、もちろん豊富に取り揃えられた茶葉が上質な事は言うまでもないが、ケーキやクッキーなどスウィーツの美味さと華やかさでも誰もが認める超人気店である。
そしてその上品な店内の最奥、VIP席と呼ばれる特別な個室にて、彼等は優雅な(?)ひと時を過ごしていた。
「何だろうねこの可愛い生き物…。ずっと見ていられそうだよ…」
そう呟いたのは、両手で頬杖をつき満面の笑みで少女を見つめる中年の男… ワグナーだった。
「あの…」
「あ、わかってるよ萌葱君。コイツ変態だとか思ってるよね?うん、よく言われるよ、言われるけどさ、解るよね?ね、この可愛い子なに!?唐突に見せるこの純粋無垢な少女感なんなの!?完全にお兄さんドキドキしちゃうよねー!!」
「すいません、変態ですね」
「解ってよ!!萌葱君!!」
つい先程初対面の挨拶を交わした相手に言うことではないが、残念ながら萌葱の目にはワグナーはただただ『変態』にしか映らなかった。
「…言いたい事は解りますけど…」
解る、だが、言い方が変態的なのだと、萌葱は口元を引き攣らせてちらりとワグナーを見た。
「あ、そうやってちらっと見るのやめてー?萌葱君みたいなお上品そうな人にそういう目で見られると哀しくなるー」
個室内に居るのは紫苑とワグナー、そして萌葱の3人。
先程一通りの任務を終えた紫苑と萌葱は、黒耀に頼まれたと言うワグナーの出迎えを受け、現在は休憩の為ここに居る。
『少し問題が起きた』
という紫苑からの連絡を受けていた黒耀が念の為にと手配した人物が、これだ。
「いや…上品なのは先生の方じゃないですか?こんな名店の個室にすぐ入れるなんて凄いですよ」
変態だけど。
…と語尾に付けたくなる気持ちを抑え、萌葱は今一度ぐるりと個室内を見回した。
ここはアティウスの帝都に本店を構える一流店だ。帝都の貴族界で育ってきた萌葱も当然よく知っている店なのだった。
個室を選んでくれたのはおそらく、萌葱と紫苑の身分を考慮してのことだろう。
個室であれば周囲の目も遮られるのだ、会話に気を張る必要もさほどない。
その上本日の彼等の任務を考えれば、"お嬢様"が立ち寄る場所、そして案内される席として何ら違和感もない。
「ふっふっふ、こう見えて帝国のお偉いさん方にも名の通ったお医者さんですからね?遠慮しないで君も好きな物頼んでいいよ!」
「あ、いえ俺はお茶だけで十分です。ありがとうございます」
「おやおや謙虚だねぇ?甘い物以外もあるよ?それにね、LSの中では生活チームがしっかりと食事管理してるからこういう贅沢なものって滅多に食べられないんだよ?だからほら、紫苑ちゃんのこの様子」
「ああ…成程。それでこんなに…」
御覧の通り、この数分の間で紫苑がそれはそれは甘い物に目がないのだという事が判明した。しかしライトニングストーム内では思う存分に好物を食べる事はできないのだ。
それも、山のようにたっっっぷりと絞られた生クリームと色とりどりのアイスや果物そしてメイプルバターにチョコレートソースや粉砂糖までふんだんに盛り付けられた見た目も華やかだが糖分値もお化け級の特大パンケーキだなんて罪深い食べ物が、そう簡単に許されるはずもない。
戦艦班の中で隊員達の身の回りの生活管理を行っている生活チームは、戦闘要員達の体調管理には特に気を使っているのだ。食事制限も当然の事だった。
「今日の任務も終わったことだし、帰る前に何か好きな事させてあげて欲しいって、紫苑ちゃんの優し~いパパからお願いされたんだよね」
「パパ?…ああ、リーダーのことですね!」
紫苑の親代わりだという黒耀は、どうやら"娘"の事を心から可愛がっているようだ。
ワグナーにそんなお願いをする黒耀の様子がすんなりと頭に浮かんだ萌葱は、あまりに微笑ましくて思わず笑ってしまった。
すると
「アイツは父親じゃねえって言ってんだろうが!!」
今まで夢中でパンケーキを頬張っていた紫苑が唐突に2人の会話に割って入った。
「えー?でも親代わりでしょ?パパじゃん!」
「そうだけど!でも違う!!」
まだまだパンケーキをつつく手を止めようとはしないが、やけにワグナーの言葉に食いつく紫苑。
だがしかし。ほうほう…成程そうか、これは…と、口許をニヤつかせたワグナーはもう一言。
「あー解った紫苑ちゃん。"カレシ"って言って欲しいんだね?」
会心の一撃を放った。
「っっはぁ!!?…っば!!な、何言ってんだこのクソめがね!!!殴るぞ変態!!死ね!!!」
そんな攻撃に、紫苑は思わずパンケーキを喉に詰まらせそうになりながらもそれはもう必死に反論をする。彼女の顔はもちろん火を噴いたように真っ赤だ。
「うーわ暴言の嵐!だよね~そうだよね~!!萌葱君見た?この反応!も~紫苑ちゃんてば恋する純情乙女なんだよね~もう可愛いが過ぎるよ~女の子だね!17歳だね!青春だね!!」
「うるせぇこのクソが!!それ以上言ったらマジで殴るぞ!!」
「へぇ紫苑さん…!そうなんですか」
「へぇそうなんですかじゃねぇ新人!!素直に真に受けるな!!」
真に受けるなと言われても、紫苑の反応があまりにも過剰なもので、ワグナーでなくてもこれは本当ではないかと信じてしまうのは仕方がないだろう。
紫苑は耳まで見事に赤くして茹で上がってしまいそうだ。
ワグナーもワグナーで、紫苑をここまでいじり倒せるのだからこの男はなかなかの強者だ。
「いやしかし黒耀君ね、彼ふわふわしてるけどあれは強者だよねぇ。僕が知る中では少なくても3、4人は虜にしてるね」
「えっリーダーって……」
「おいこら変な事言うな!!黒耀はそんな女たらしじゃねえよ!!」
「いや天然だとは思うけどね?でも分からないよ~ほら、もしかしたら彼には裏の顔が」
「あるわけねえだろあのお人好しに!!」
言われなくても、黒耀が強者だという事は萌葱にも何となくだが解る。
しかしそうは言うものの、黒耀は"いいひと"というものを完璧に体現したような人間だ。彼に限ってまさか有り得ないとは思うが、もしも彼の全てが作り物だとしたら…?
「うわ…ちょっと考えたら鳥肌が立ちました…」
「おい新人!!無駄なこと考えるな!!」
いや、それは絶対にないと信じたい。
彼に絶対的な信頼をおいている紫苑を信じよう、と萌葱は紫苑の言う通り無駄な思考を振り払った。
ひとまず温かい紅茶をひと口…
「でもさぁやっぱり女の子にはああいうタイプがモテるものなんだよねぇ?まぁそうだよね優しいもんねぇ彼。いいねぇ僕なんてもう全然だよ~モテる秘訣ってなんだろうね、そうだ教えてよ萌葱君!!」
「…っ!!え!はい!?俺!?」
しかし、ワグナーを相手に油断は禁物だ。
からかう標的を変えるつもりなのか、不意打ちをくらった萌葱は驚いて紅茶を吹き出しそうになった。
ワグナー=アンネリス、35歳独身。
もう長いこと仕事仕事で生きてきたせい(?)で、いつからか恋人の影もなければ浮いた話の1つも上がらない。どちらかと言えば自分よりも人の恋路を応援する方が好きだというタイプの男。
生家には既に家族はないが、生まれ故郷ヴィレッツの同胞達をこよなく愛し、故郷を離れても尚、皆を家族のように大事にしている面倒見の良い兄貴だ。
だがしかし、そんな情報など今日が初対面である萌葱は何も知るはずがない。
現時点で解るワグナーとは…
陽気な明るさはピカイチだが、お喋り過ぎるせいで変人要素が目立っている。
外見はそこそこ悪くないのだが、どことなく胡散臭さを感じさせる風貌。
職業は高給取りの医者という好条件のはずだが、やはり変人要素が前面に押し出されている。
いや萌葱だって別段モテるわけではないのだからそんな大層な助言など期待されても困るのだが、期待に胸躍らせたような顔で見つめられていては仕方がない。
萌葱はワグナーをふむと数秒見つめてから割と真剣にアドバイスを…
「先生は少し口数を減らしてみたら良いんじゃないですか?」
「え、そうなの!?本当に?成程!わかった!!そうだよね確かに白夜君も密かにモテるって聞くしね!何も話さなくてもモテる男っていいねそれ!!」
…した、つもりだったのだが。
「あ、でも白夜君を目指すにはもっと身体を鍛えなきゃ駄目かな?いやぁでも体力にはあまり自信ないんだよね~僕ほら戦闘種族じゃないからぁ~」
何か、違う。
残念ながら、ワグナーには1ミリも伝わらなかったようだ。
「馬鹿言うな新人、コイツが3秒以上黙ってられるわけねぇだろ」
「…そのようですね」
「おいメガネ!てめぇじゃ白夜にも黒耀にも程遠いぞ!現実を見ろ!!」
紫苑は相変わらず容赦がない。
まあ、これでワグナーも悪い人間ではないのだが。
「まあ変な事を言わなければ別に…明るくて俺は良いと思いますけどね?」
「え、本当に!?うん、でも変な事って?」
「まぁそうだなその口さえどうにかすれば金目当ての女が勝手に寄ってくんじゃねぇの?とりあえず黙って金でもチラつかせとけよ」
そうか。これからワグナーが目指すべき姿は、ただ黙って、
金をチラつかせる男…
「…うわぁ!最低だ!!」
「ちょっと萌葱君!?紫苑ちゃんの暴言鵜呑みにしないで!!?」
ウェーブのかかった長めの銀髪、銀縁のインテリ眼鏡、上質なスーツに宝石の付いたループタイ…そんなワグナーの外見も相俟って、想像してみただけでただの最低男だった。
「嫌だよそんな男ーー!!全くなんてこと言うんだろうねこの17歳女子は!!お菓子食べてる時はあんなに可愛いのに!」
「るせぇな!まずは10秒黙ってられるようになってから出直せバーカ!!」
「あーもー冷たいー!哀しいよー!!僕をそっと癒してくれる優しい彼女が欲しいよー!!」
「じゃあもう医者なんだから身近なナースにでも手ぇ出しとけよ」
「うわ…!!それこそ最低だよ紫苑ちゃん!!君自分の事になると純情なくせに人の事となると急にとんでもない事言うよね!?言っておくけどうちのナース達めちゃくちゃガードが固いの!僕になんて見向きもしてくれない!!」
「まあ、お前だからな」
「え!?どういう事なの!?」
「お前にひっかかる女なんて居ないってことだよ!」
「何それ駄目じゃん!!話が振り出しに戻るじゃん!!」
賑やかすぎるのが玉に瑕の男ワグナーと、口が悪すぎるのが残念な少女紫苑の、まるで喜劇のようなやりとりが目前で繰り広げられている。
萌葱は1人困ったように笑い、改めてティーカップを持ち上げた。
「もう~萌葱君!優雅にお茶飲んでないでさぁ~!あ、わかった!萌葱君みたいに紅茶を飲む姿が様になる男を目指そう!」
「えっ」
相変わらず、油断はできないが。
「いや本当に!様になってるんだよねぇ~萌葱君ってお育ち良いでしょ」
「えぇぇ…いや、別に…そんな事…」
「こいつ帝都生まれ帝都育ちのボンボンだぞ」
「あ、そうなの!?どうりでね~ふとした瞬間の動きが何かお上品だと思ったんだよねぇ。訛りとかもないし」
「あ…えーと…」
家の話は、あまり好きではない。
それが萌葱にとっては永遠に付きまとうであろう大きな悩みの根源なのだ。
「そんなに…分かるものですか?」
「まあ分かるよぉ?厳しく育てられたんだなって、思う」
「え…」
しかし、ワグナーの言葉は意外なものだった。
「君さ、ご両親の事はあまり得意じゃなかったでしょ」
「えっ…と、それは…」
「嫌いではないけど苦手。尊敬はしないし反発心はあるけど反抗的な態度はとらない、言われた事はちゃんとやる、だけどわざわざ近付いて仲良くしようとは思わなかった。これまでで唯一実行した大きな反抗は今の職についたこと!…なんてどう?そんな感じじゃない?」
「……」
これは…
恐ろしい男だと、正直に思った。
萌葱は返す言葉もなく視線を落とし、小さく溜息をついた。
「あ、ごめんね!?気を悪くした?ヴィレッツで生まれ育った癖かな、閉鎖的な所で生きてきたからさ…初対面の相手ってどうしてもこう、つい観察しちゃうというか、分析しちゃうんだよね…」
ヴィレッツ星…。そうか、成程。
萌葱の脳裏にはある男の姿がチラついた。
「いえ、すいません先生…そうですね…」
何だか可笑しくなって、萌葱はふっと小さく笑った。
「凄いですよ先生。ほとんど当たりです」
「あ、本当に?やったね!当て感もちょっとあったんだけどね!僕の目もまだまだ衰えてないか~!」
医者という職業柄もあるのだろうが、それにしても彼の観察力と分析力には驚いた。
ただ自分が無防備過ぎたのかもしれないが…と、萌葱は再び溜息をついた。
「お前さ、そんな簡単に言い当てられるとか、マジでやばいぞ?敵にバレたらどうすんだよ。油断すんなよ」
「そうですね…すいません」
紫苑にもズバリと釘を刺され、萌葱は反論の余地もなかった。しかし
「おお?紫苑ちゃん先輩だねぇ?でも紫苑ちゃんは紫苑ちゃんで自分に素直過ぎるところが色々と危ないと思うけどね?」
「なに!?」
「紫苑ちゃんは感情が表に出やすいから、それが油断にも繋がりやすいと思うんだよね。敵にちょっとカマかけられたらすーぐ引っかかりそう!萌葱君はさ、逆に言えば"ただのお貴族様"に見える方が強いから、まさか"黒服"だなんて敵も想像がつかないかもしれないよ。案外潜入捜査に向いてるかもねぇ?でもちょっとお惚けさんなところもありそうだから気をつけないと!」
すらすらと続けるワグナーの付け足しに、今度は紫苑の方が返す言葉を無くしてぽかんと口を開け放した。
「…先生って…本当によく見てるんですね…」
「あーまぁ、ただの人間観察が好きな医者の戯言だと思ってよ!」
ハハハ!と楽しそうに笑うワグナーだったが、萌葱にとってはただの陽気な変わり者だと思ったこの男を僅かながらに尊敬した瞬間だった。
「あの、先生は浅葱さんと同郷ですか?」
そして気になったのは、先程ふと頭に浮かんだ人物の事。
「ん?ああ、そうだよ!あの子とは兄弟みたいなものなんだ」
「兄弟!?」
「ほら、ヴィレッツって地下のアナグラ暮らしでしょ?外部にはちょっと閉鎖的だけど、その分近所に住んでる人達とは家族同然だったし、特にあの子とは親同士が仲良くてね」
「そうなんですか…」
兄弟とまで言われるとさすがに驚くが、ワグナーがヴィレッツ星の出身だと聞いた瞬間から萌葱が気になっていたのはそう、浅葱の事だった。
ワグナーの話によればヴィレッツで育った者の特徴だというこの優れた"観察力"と"分析力"。閉鎖された環境で、初めて遭遇した者を瞬時に敵か味方か見分ける必要があった事から、一言で言えば"警戒心が強い"とも言えるのだろう。
だとしたら、自分はおそらく…浅葱にはまだまだ警戒されている。きっと人間性を探られている段階なのだろう、と萌葱は妙にだが納得がいった。
「こいつと浅葱ってどことなく似てるだろ。性格悪いところとか」
紫苑にもそう言われ、確かに似ているのかもしれないと思った。実の兄弟ではないにせよ、同じ故郷で兄弟のように育てば人は似てくるものなのかもしれない。
「いや、でも性格が悪いのは浅葱さんの方が…」
「あーまた言ったな?そのまま浅葱に言っとくわ」
「えー!紫苑さんが先に言ったんじゃないですか!!そういう紫苑さんも性格悪いですよ!!」
「うるせえ新人!お前は今日ヘマやらかしたんだから戻ったら浅葱にでもがっつり絞られとけ!」
「えぇ…そんなぁ…凄い恐怖なんですけど…」
萌葱の脳裏に浮かぶ、それはそれはお冠な浅葱の姿。
決して声を荒らげて怒鳴るという事はないが、浅葱と言えば何よりも言葉の暴力が尋常ではないと有名で、ライトニングストームの中では恐怖の毒舌王と恐れられている。
普段は飄々としていて、軽い冗談ばかり言うお調子者のようにも見えるが、一度怒りのスイッチが入るとそれはもう氷のように冷たく、容赦なく人の心を抉りにかかって来る狂気の鬼だと言われている。
萌葱がここへ来て直ぐに聞いたウワサ話は、そんな彼の"洗礼を受けて"も心が折れずにいられた鉄の心を持つ者、または粉々に砕け落ちても見事立ち上がることができた強靭な魂を持つ者の集まりが現在の通信チームなのである。と、いう恐ろしいものだった。
「なんだ、あの子やっぱり相変わらずの毒舌王なんだねぇ」
そんな噂話を思い出して恐怖に震える萌葱を前に、ワグナーはやれやれと小さく苦笑した。
「全く…人に優しくしなさいっていつも言ってるのに、困った弟だよあの子は」
そう言って深い溜息をついたワグナーはもはや兄というより父親のようだ。
「でもね萌葱君聞いて?あの子"毒舌王"とか"鬼上司"とか言われてビビられてるみたいだけど、実は他の呼ばれ方もしてるの知ってる?」
「…他の、ですか?」
だが、ワグナーは萌葱の恐怖を和らげるためか場を和ませるためか、今度はそう言って悪戯に笑った。全く見当がつかなかった内容に萌葱はきょとんと首を傾げたが、特に興味のない話だと見切った紫苑はつまらなそうに紅茶を手に取った。
そして次の瞬間
「"氷の妖精さん"だよ」
「ぶっ!!!!」
ワグナーの言葉に、紫苑は豪快に紅茶を吹き出した。
「えっ、ちょ…!紫苑さん大丈夫ですか!?」
「あははは!も~何で紫苑ちゃんが吹いてんの!」
思わぬ衝撃にゴッホゴッホと噎せ込む紫苑。何か言いたそうだが当然何も言葉にはならず、慌てる萌葱に『大丈夫だ』とジェスチャーだけを送っている。
「いやまさか紫苑ちゃんがそんなに驚くとはね~ごめんごめん!」
ワグナーはそう言ってハンカチを紫苑の口元へ差し出すと、よしよしと背中をさすった。それを紫苑は涙目でじとりと睨むが、まだ整わない呼吸に負け大人しく彼のハンカチを受け取…ったと同時に口に当てた状態で更に大きな咳を続けた。
「あはは、それはわざとかな?あんまり咳すると喉傷めるから気をつけてね~」
当然、ワグナーのハンカチだから。に決まっている。もちろんワグナーも解っている。
が、咳の治まらない(?)紫苑の背中をさすりながら、彼はやれやれと笑った。
そんな様子を前にふと萌葱は思った。
「…先生、そういうところスマートにできるのは凄いと思いますよ」
「え?」
ふむ、と顎に手をあて1人で頷く萌葱の言葉に、今度はワグナーがきょとんと首を傾げた。
「俺はちょっと戸惑って直ぐにハンカチ出せませんでした」
続いた言葉で、ああ!と彼の言いたい事に気が付いたワグナーだったが
「あはは!スマートだった!?まぁわざと人のハンカチに咳するような子には何の効果もないけどね!!ついでに、触るな変態ってぶん殴られてもおかしくなかったよね!!」
残念ながら、結果は見ての通りだったもので笑うしかない。急に咳き込んでしまった女性にすかさずハンカチを差し出せる男性はなかなかにスマートで紳士なのではと思われるのだが。
「あはは…まあそうですね…相手が悪かったみたいですけど…」
「そうねぇ私も凄く良いと思うけどね~私だったらさりげなくそんな事されたらときめくわ~!」
「あ、そうですよね?やっぱりカッコ良……って、あれ!!?」
そして萌葱はふと、自然と会話に加わっている何者かの存在に気が付いた。
「ぐ、紅蓮さん!?」
そう、そこに居たのは紅蓮だった。
「え!?びっくりした!!なん…」
「でもそうよねぇ、あんまり女の子の身体に触りすぎるのは良くないわよね?まぁ私ならそんなの気にしないけど~むしろ歓迎~!でもそうは言っても好みのタイプに限るけどぉ~?」
何の前触れもなく突如現れた紅蓮は、驚きを隠せない萌葱の事など気にする事なく、極普通に同じ席につき当然のように会話に参加し誰の了承もなく紫苑の大事なパンケーキを横からつついている。
「あ!!おいてめぇ紅蓮!!人のもん勝手に食ってんじゃねえよ!!」
当然、紫苑は怒って彼女の手からフォークを取り上げた。しかし紫苑は彼女の唐突な登場には何の違和感ももっていない様子だ。
「あ~紅蓮ちゃん久しぶり~♪紅蓮ちゃんも何か頼む?いいよ~好きな物頼んで」
「ワグたん久しぶり~♪やだ、いいの?何にしようかしら~ここのケーキ美味しいのよね~♪♪」
何故か、ワグナーも何ら気にしてはいない。
まさか違和感を感じているのは自分だけか?おかしいのは自分だけなのか!?と萌葱は1人そわそわと落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「やだ萌ちゃんどうしたの?随分落ち着かないわね、大丈夫?」
仕舞いにはこの違和感の根源である紅蓮本人から心配される始末。
「い……いやいやいやいや!ちょっと待って下さい皆さん!!おかしくないですか!?紅蓮さん、一体いつからそこに居たんですか!!!」
そして、ようやくその言葉をもって状況説明を願い出た。
「え?うーん、ほんの数分前くらいからかしら?」
「コイツこんな目立つ外見しておきながら何の気配もなく姿現すの得意なんだよ」
「そうそう、いつもの事だよねぇ~」
しかし。成程そうなんですか…なんて言えるような返答は誰からもいただけなかった。
「…得意とかいうレベルではないような気がするんですが……」
いや、だがよく考えてみれば今朝だって紅蓮は萌葱と浅葱の泊まっていた部屋に前触れもなく出現していたように思う。
そうか、これが彼女の通常スキルなのだろうか。そして、これが特務隊の日常なのか…。
萌葱はこうして妙なところでチーム・ストームの凄さを知り、且つ、特務隊の日常にまた新たな不安を覚える事となった。
「紅蓮さん潜入は向かないって言われてましたけど…それだけ気配を消せるならむしろ誰よりも向いているんじゃ…」
「あらそぉ?でもリーダーにはいつも駄目って言われるのよねぇ何でかしら」
「お前は自己主張が激しすぎんだよ!」
「あははだよねぇ~どんなにうまく気配消せてたって数分も経てばす~ぐ我慢できなくなって自分出しちゃうのが紅蓮ちゃんだもんね!」
成程……納得。
ここでようやく、萌葱は納得のいく答えをいただけた。
「え~だってぇ~ずっと黙ってるなんて性に合わないのよ~喋りたくなっちゃう~私無視されるのとか無理ぃ~!」
「あははまぁそうだよね~話したくなっちゃうよね~!」
「でしょぉ~??ワグたん解ってるわぁ~」
「お前らは少し黙る事を覚えろ」
どうやら紅蓮とワグナーは割と似たもの同士のようだ。同じ"おしゃべり"というだけでなく、何だか話す波長まで合っているように見える。
それを心底迷惑そうに紫苑が大きな溜息をついて目を細めた。
「コイツらと居ると疲れんだよ…」
「あはは……」
その隣りで苦笑する萌葱だったが、紅蓮とワグナーはそんな2人にはお構い無しでまた勝手にわいわいと楽しそうに会話を始めていた。ここは一先ず放っておいた方が良さそうだ。
「でも紫苑さん…浅葱さんは大丈夫なんですね?浅葱さんとは一緒に出掛けようとしてましたし」
似たもの同士といえば、浅葱もまた2人と同じく割とおしゃべりタイプのように思えた萌葱はふと紫苑に問いかけた。
「あ?まぁ…アイツもよく喋るけど、コイツらよりはうるさくねぇし、慣れてるし」
「慣れてる?」
すると、返ってきた答えは予想外のものだった。
「浅葱とはコイツらより付き合い長いんだよ。アイツは特務隊に入る前は黒耀と同じ帝国軍にいたからな…黒耀に拾われたガキの頃、アイツにはよく構ってもらってた」
「えっ…!!」
あの浅葱が子供の世話をしている様子だなんて全く想像がつかなかった萌葱だが、それよりも予想外だったのはそこではなく、
「黒耀さんと浅葱さんは元帝国軍だったんですか!?」
そう、黒耀と浅葱が前は帝国軍に居た、という部分だった。
言うまでもなく警務局と帝国軍はまるで別物の組織であって、仕事ぶりも考え方も違うことから何ならお互いがそれぞれの存在をあまりよく思っていないというのが現実なのだ。そんな間柄であるせいか、帝国軍から特務隊への抜擢だなんて話は…萌葱はこれまで聞いた事がなかった。それも特務隊の幹部、そして最高司令官が、まさか元軍人であったとは驚きだ。
「何だ知らなかったのか?アイツらかなりガキの頃から長く帝国軍に居たらしいし、黒耀は特に皇帝のお気に入りみたいだからな。特務隊結成時にアイツは皇帝から直々に司令官任命されてんだよ。浅葱はその黒耀からの指名で特務隊に入った」
「…す、凄いですね…ちょっと驚きました」
流石……としか言いようがなかった。
子供の頃から軍人、皇帝のお気に入り、皇帝から直々の指名で司令官…全てが驚きすぎて、萌葱はもはや尊敬を通り越して僅かな不信感さえ抱いていた。
確かに帝国軍には年齢の制限がはっきりと定められてはいない。優秀であれば子供の頃から軍人になる事も不可能ではないだろう。だが、当然ながらそう簡単な話でもない。"優秀であれば"の基準をクリアする為に彼等は一体どれだけの能力を持っていたのだろうかと、萌葱の中で素直に2人への興味が膨れ上がった。
だが黒耀があの若さで、あの皇帝の信頼を得ている事、ましてやお気に入りだなんて、その理由は…何か他にも複雑なものがあるのではないかという疑惑にまで頭が回ってしまった。
それ程までに、ウィスタリア皇帝は用心深く人を心から信用することのない、冷酷無比の鬼だと言われているのだ。
「あの子達はね、色々苦労してるんだよ」
しかし、唐突に挟み込まれたのは、どこからこちらの話を聞いていたのか…しばらく紅蓮とわいわいしていたと思っていたワグナーからの一言だった。
「黒耀君の事情はあまり詳しくは知らないけど複雑なのは確かだし…浅葱君は小さい頃から頭が良すぎたんだよね。それが幸か不幸か、たまたまヴィレッツにやって来た帝国軍の目にとまって…10歳位からシステムの開発だとか何やら色々と協力させられてた」
「そんな歳の頃からですか…!」
気がつけば、紅蓮の方も複雑な面持ちでこちらに視線を向けている。紫苑は既に知った話だと解っているし、自分も同じ歳の頃には色々と経験しているだけに何の驚きもない。故に再びパンケーキをつつきながら何とはなしに話を聞きに入っていた。
「まぁ本人は割と楽しんでたみたいだけどね?でも傍から見てたらあまり良いものじゃなかったよね…最初は知識の提供くらいだったけど、それがしばらく続いたと思ったら最終的にはエスターに連れて行かれる事になって…あの頃はショックだったなぁ。本人は自分で望んで行ったんだって言ってるけど、僕からしたら、可愛がってた弟が無理矢理軍人達に攫われていったって気分だったね」
「……そうなんですか」
思い出話を語るようにゆっくりと静かに言葉を続けるワグナーだったが、語り口は穏やかであっても、その瞳だけはどこか遠くを見つめていた。
心なしか、重たい空気が流れていた。
「あの子は物心ついた頃位にご両親が流行病で亡くなってね…うちはずっと医者の家系で、両親も医者だしあの子のご両親とも仲が良かったから、2人の最期はうちで見送ったんだ。ヴィレッツでは病が流行るとあっという間に広がるから、感染者は徹底的に隔離されててさ、あの子はご両親の最期には会えてないし、一緒に居た時間が少なすぎてあまり顔も覚えてないって言ってた」
浅葱は両親の治療中から、ワグナーの両親が支援していた孤児院で預かられていた流れのままそこで暮らすようになり、ワグナー自身もよく面倒を見に行っていたのだと言う。
「孤児院で暮らしてても…ほら、あの子協調性ないでしょ!?院内でもずっと独りでさ~もう、あんな子が1人軍人達の中でうまくやっていけるのかって思ったら心配で心配で仕方なくてさ、僕も医者としてちゃんとやっていけるようになってからすぐエスターに移住して来たんだ。まぁ再会した時、本人からは何しに来たんだってうざがられたけどね!酷くない!?」
そうやって語りながら、不穏に思われた空気も自ら跳ね飛ばすようにワグナーはいつの間にかハハハ!!と普段通り笑っていた。
「まぁ、お前みたいな奴がついてきたらそりゃうぜぇわ」
「あー紫苑ちゃんまで酷いなー!!」
そして紫苑の横やりで空気は戻り、
「やだわ…泣けちゃう。私はワグたんの気持ち解るわぁ~だって浅葱可愛いから!野蛮な軍人達に囲まれて何か変な事されないかって心配になっちゃう!」
「そうそう!アリスは戦闘種族じゃないし、力で抑え込まれたらって思ったら…!」
「やだー!こわーい!!」
やはりワグナーと紅蓮は気が合うようで、そうやってまた盛り上がり始める2人を前に萌葱はあの浅葱に限ってそんな心配はないのではとこっそり苦笑した。
彼の戦闘能力値はまだ知らないが、普段の彼を見ていると相手が軍人であっても何かされる前に返り討ちにしてしまう方が正しいのではないかと思えた。
「ガキの頃はどうだか知らねぇけど、アイツは軍人相手にもあの調子でいつも喧嘩うってたぞ。むしろ変なもん発明して悪戯仕掛けては仲間困らせて楽しんでたような奴だよ。おかげでいつも黒耀が後始末することになって怒ってた」
「ああ…そっちの方が想像つきます」
やはり自分の予想は間違っていなかった、と萌葱は紫苑の言う事にうんうんと首を縦に振った。
「あはは!それね!!ま~氷の妖精さんだからね~可愛い顔して恐ろしい子だからあの子」
「そうだその呼び方!さっきつっこみ忘れました!!」
そしてワグナーの妖精発言に今度は紫苑ではなく萌葱が反応した。
「あはは気になる?いやぁほら妖精は悪戯好きっていう童話よくあるでしよ?だから、"悪戯っこ"っていうのとヴィレッツが"氷の惑星"っていう所からだと思うんだよね~怒ると氷みたいに冷たいっていうのもあるけど!」
「成程……」
言われてみれば、納得の呼び名だった。
だが妙に可愛らしくて面白い…なんて言ったら浅葱は怒るのだろうか、と萌葱が考えていると
「可愛いあだ名よね~萌ちゃん帰ったら浅葱に言ってみるといいわよ!ぶっ飛ばされると思うけど」
「ぶっ飛ばされるんじゃないですか!!嫌ですよ恐ろしい!!」
予想通りだった。
「そんなあだ名があったんだな…面白ぇから帰ったら言ってみよう」
「え!!紫苑さん!?」
しかし萌葱は当然そんな危険を犯したくはないが、怖いもの知らずの紫苑は平然とそう言いにやりと不敵に笑った。
「紫苑ちゃんが知らなかったのは意外だったな~!紫苑ちゃん浅葱君とは仲良しなのに」
「仲良しなんですか!?」
「そうよ~私やリーダーがヤキモチ妬いちゃうくらいね!」
「はぁ?仲良しぃ?別にそんなんじゃねぇよ、アイツといると気が楽なだけだよ」
「それは仲良しですよ紫苑さん!俺には考えられません!!」
浅葱と一緒にいると気が楽、だなんて今の萌葱からは到底考えられない事だった。ペアを組まされ同室で寝泊まりをしているこの数日間も、何かと冷や冷やしているのが現状だ。
「はぁ?別に、コイツらと居るよりは疲れないだろ」
「いや疲れますよ…だって怒らせたくないですし」
「皆そう言うよな、アイツってそんなに怖いか?ただのチビだろ」
「えっ…」
いや、ほぼ同じ背丈の紫苑にだけはただのチビだなんて浅葱も言われたくはないだろうが…彼に恐怖を感じる事は特務隊内では当たり前の事だった。
「紅蓮、お前だって別に怖くないだろ?それにワグナーだって」
「え?まぁ私は、浅葱は可愛い子って思ってるからそんな怖くないけど、でも本気で怒らせるのは私だって嫌よ?浅葱は絶対に本気で怒らせたらいけない相手No.2よ」
「あはは!僕もそうだね、別にそんないつも怖いわけじゃないけど、怒らせるのはやっぱり嫌だね~本気で怒らせたら怖いのは確かだよ!」
この2人でもそうなのだ、これは相当のものだと萌葱は改めて浅葱の恐怖を実感した。紫苑はそれでも不満そうに眉を寄せているが。
「やっぱりそうですよね……でも紅蓮さん、浅葱さんの上をいくNo.1は…もしかして」
「もちろん、リーダーよ」
「……ですよね~」
そして萌葱の中では黒耀への恐怖レベルも確実に上昇していた。普段大人しい人程怒ると怖い、というのはよく聞く話だが…黒耀はそんな程度の話ではないように思えた。
「あ、でも…という事はやっぱり…白夜さんは見かけによらず本当に怖くないんですか?もしかしてNo.3だったりしませんよね?」
「やぁねあんなの全然怖くないわよ!ただのデカブツ!!」
いや、似たような背丈をしている紅蓮からはただのデカブツだなんて白夜も言われたくはないだろうが…彼の場合は見た目から恐怖心を持たれる事が当たり前だった。
「白夜君はめちゃくちゃ良い人だよー!全然怖くないから、普段から普通に絡んじゃっていいと思うよ!いつも怖がられて人に逃げられること、実はすごい気にしてるからね彼」
「えっ…あ、そうなんですね!?」
ここで、白夜への恐怖レベルが割と下がった事に萌葱はほっとした。帰ったら少し彼と話をしてみようかと考え……
「って、あれ!?紅蓮さん!!そういえば白夜さんは一緒じゃないんですか!!?」
そして、重要な事に気がついた。
「え?白夜?知らないわよー」
「えっ知らない!?あれ!?紅蓮さんは白夜さんとペアを組んでいたんじゃ……」
そうだ、特務隊ではライトニングストームや司令部の外で行動をする際は必ず誰かとペアを組む事が規定として決まっている。
そして、本日はリーダーの指示により紅蓮は白夜とペアを組んでいたはずなのだ。それがどういう事だろう、どう見ても近くに彼の姿は見当たらなかった。
「おい紅蓮……お前また白夜撒いてきたろ」
「え、撒いた!?」
紫苑はやれやれと深い溜息をつき萌葱は驚いて目を丸くするが、紅蓮は呑気なもので、何のこと?と言わんばかりに首を傾げてあらぬ方向を見つめている。
「黒耀にも言われたろ!いい加減白夜と仲良くしろって!」
「いやよ~!アイツ邪魔だし口うるさいし!!」
「え!!白夜さんがうるさい!?」
帝国共通語を得意としていない事が理由だとは聞いているが、白夜は非常に口数が少なく、萌葱がこの数週間で彼の声を聞いた回数は指が5本あれば数えられる程度だった。そんな彼が口うるさいだなんて、まさか想像がつかない。
「そうよ~!アイツ、私とは母星語で話せるからって2人で居る時は割りとよく喋るんだから!!うるさいのよ!」
「うるさいとかお前が言うな!!」
紫苑のご尤もなツッコミが入り、ワグナーは大笑いしている。萌葱はどうしたら良いのか分からず1人でただ汗をかいていた。
「どうせ白夜からの通信も全部無視してんだろ」
「えーーだってぇーーー」
「お前ここにはどうやって来たんだよ!」
「通信チームの子に連絡してこっそり紫苑ちゃんと萌ちゃんの追跡してもらったのよ」
「お前なぁ…もーいい!俺が白夜に連絡する!」
白夜の事となると何故か子供のように駄々をこねる紅蓮は、こうなるともはや紫苑の方が年上のように見えてくる。
紫苑は仕方なく席を立ち、静かで声の聞き取りやすそうな廊下に出て行った。おそらくここで通信をすると、紅蓮に邪魔をされると分かっての事だろう。
「あはは紫苑ちゃんも大変なんだね~!紅蓮ちゃんももう少し白夜君に優しくしてあげたら?幼馴染なのに、何でそんなに仲が悪いの?」
「ワグたんまでそんな事言わないで!嫌なものは嫌なのー!!」
これは重症だ。
実は特務隊の誰もが紅蓮と白夜の関係性については疑問を抱いている。ワグナーの言う通り、彼等は同じ故郷で生まれ育った幼馴染なのだが…白夜からはともかく、紅蓮は一方的に彼の事を嫌っていて、それがあまりに酷いもので、周囲は白夜に同情の眼差しを向けている。
「白夜君まじめだから、今頃1人で街中探しまわってるよ」
「えっ…!白夜さん…こっちに連絡入れてくれてたら…」
「あ~彼ああ見えて天然ちゃんだからそういう所に頭回らないと思う!」
「天然ちゃん!?」
「後から気づいて、あ…その手があったか…ってなるね!」
「白夜さん……すいません、もっと早くこっちが気付くべきでした…」
ケラケラと笑うワグナーの言葉に、萌葱は心の底から白夜が不憫に思えた。
「……おい新人!白夜と連絡がとれた!お前ちょっと店の外まで迎えに行って来い!」
「えっ!あ、はい!!行きます!!」
どうやら彼の居場所が分かったようで、廊下からひょっこりと顔を出した紫苑の指示を聞き、萌葱はすぐさま立ち上がった。
「えー別にいいわよ行かなくてもーーーほっときなさいよーーあんなやつーーー」
なんて、後ろで紅蓮が不満たっぷりに言っていたが、何も聞こえないふりをして、萌葱はさっさと部屋を後にした。
その後、無事に白夜と合流した彼等はティータイムを仕切り直し、また賑やかに会話を楽しんだ。
…まあ、紅蓮があからさまに白夜からは席を遠く離していた事は言うまでもないが。
しかし帰りは4人でゆっくり散歩をしながら歩いて帰ろうとねだる紅蓮のためワグナーとはここで別れ、道中、慣れないハイヒールで足が痛いと駄々をこね始めた紫苑に楽な靴を購入しようとショッピングモールへ入り、結局あれやこれやと買い物を楽しんだ。
…何だかんだで、彼等はたまの休日を堪能していた。
そうこうして、任務報告のためにとライトニングストームへ戻った頃には既に日は暮れていて、黒耀が帰りの遅い彼等を心配してそわそわと格納庫の前を彷徨いていた。
4人の姿を見るなり嬉しそうに駆け寄ってきた彼は、まるで子供達の帰りを待っていた母親のようだった。
それから、きっと任務中にヘマをやらかした事をコテンパンに絞られるのだろうと萌葱が震えながら浅葱の元へ向かうと、案の定彼の『おかえり』と笑った笑顔とそのたった一声にとてつもない冷気が漂っていた。
やっぱり、自分にとっての恐怖No.1はこの人です。
と、萌葱は心の内で泣いた。
そしてその夜、ベッドの中で一日を振り返ると…
今日は本当に疲れた。だがこの疲れから、
失敗はあれど初任務を無事に終え、ちゃっかり休日も楽しんで、何よりチーム・ストームの様々な一面を知る事ができた、彼にとっては大変濃厚な一日であったと実感させられた。
元帝国軍人だった浅葱と黒耀の過去。
実は仲良しの紫苑と浅葱の関係。
紅蓮の異常な白夜嫌いと、あまりに不憫な白夜。
絶対に怒らせてはいけないひと黒耀と、
でもやっぱり萌葱にとっては浅葱が最恐だと震えた事。
そんな浅葱にはワグナーという何だか面白いお兄さんがいた事…
色々ありすぎて、まだ頭が追いつかない。
だがしかし、時間は待ってはくれない。
これから先に待っている重大任務に向けて、まだまだ彼が知るべき事は、山程ありそうだ――…。
To be continue……
*********
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