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詐欺レベルMAX
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「あ、ご主人様起きた?」
起きたら外国人な国宝級イケメンの顔面ドアップで思考が停止した。
「ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」
にこにこと満面の笑みで追い討ちをかけられた。
「…………ご飯」
「わかった。じゃあ着替えようか」
間違いが多過ぎて、何から言えばいいのかわからないという事態が発生した。起き上がりながら、とりあえず。
「どこで覚えてきたの、それ」
あれ、と首を傾げられてもわからない。
「これを言うとキスができると思っていたのだけれど」
どこをどう指摘してやればいいのだろうか。
「違うから。もう、色々、というか全部! 違うから!」
「そうなのかい?」
「まずさっきのセリフ! あれは新妻が帰って来た夫に言うやつ。いや実際言う人がいるのかは疑問だけど」
「新妻……夫…………」
何故頬を赤らめる。
「照れるところじゃなくない……?」
「照れるところだよ?」
ディアノールは私の理解値を突破した。
「………………。そして。何であれ言うとイコールキスできる、なの?」
「え、だって『勿論お前に決まっているだろう、ちゅっちゅっち』」
「待った! 待って、本当にどこで覚えて来たの?」
「本…………?」
「その本捨てなさい」
「うん」
まだ持っていただろうかなんて呟くディアノールは素直でよろしい。そして本も、もうないならそれでよし。
朝から精神的にとても疲れた。半日くらい寝てるはずだけど、二度寝できる自信がある。
「あと一つ。起きて一番最初は朝の挨拶から」
「朝の挨拶」
「そう。ーーディアノールおはよう」
「おはよう?」
「うん」
口をもにょもにょとさせるディアノールの髪は、寝ていたためか少々くしゃりとなっていた。私はそっと手櫛で梳かした。
昨日用意した服があるのだと部屋から出て行くディアノールをベッドの上で眺める。扉が閉まったところでまたベッドへと体を沈ませる。
「あの精霊、おはようって誰にも言われたことないの……?」
流石にそれはないと信じたい。
しかし。そうなのだとしたら、何て哀しく孤独な生き物なのだろう。
とりあえず、ディアノールと一緒に生きたい、とは思う。しかし、家族としてのポジションが定まりきらないのが脆いとも思った。会ってから一日も経っていないのだから焦る必要はないが。
ディアノールが持って来た衣類の中に、コルセットがないことに安堵した。ドレスは着れるが、流石に現代っ子でコルセットを装着したことはないからだ。
「すっごく可愛い」
「気に入った?」
「うん」
「そっか。よかったよ」
新緑色をメインとしたドレスで、金の刺繍が派手すぎず、しかし繊細で美しい模様を作り出している。明るい、それでいて落ち着きがある雰囲気はとても私好みだった。
「ディアノールが選んだの?」
「うーん? 選んだと言うよりは作った、かな」
「え」
私は幾度かドレスとディアノールへ交互に視線を向ける。
「裁縫できるんだ……」
「できないよ?」
「え?」
「ん?」
まだ突っ込まないことにする。私はこの世界初心者なのだから、この内容は少し早い気がする。そういうものなのだと納得させるしかない。
「ともかく、作れるのに今日仕立て屋に行く必要ってあるの?」
「あるよ。誰でもそうなのだけれど、普通魔術だけで仕立てると酷く偏ってしまうから」
「…………何が?」
これはツッコミせざるを得ないと思う。
「魔術も、性質も。服は防御を兼ねるからね、偏ってしまうと守備が脆いんだ」
「ディアノールなら強化すれば克服できそうな気もするけど、無理なんだ?」
「うん。どう足掻いても相性の悪いものはあるからね。仕立て妖精に任せてしまうのが一番いい」
「そうなんだ。じゃ、着替えるね」
「うん」
ほわりと笑われても。
「私着替えるの」
「うん」
「…………」
「…………」
「出て行こうか」
くい、と親指で扉を指して意思表示をする。
「…………もしかして、そういうものなのかい?」
「うん」
戸惑っているディアノールにこっくりと深く頷いてやる。
「みんな、私の前で着替えていたけれど……。そうか、世界が違うから」
「関係ないと思う」
経験豊富ですか、そうですか。
温かいふれあいに関して無垢なだけで、とても大人なのだと理解した。そういえば昨日出逢った時、その後の無邪気さで印象が掻き消されたが、この精霊の笑みをとても蠱惑だと思った気がする。
「次は屋台がいいな」
「…………屋台」
「もしかしなくても屋台で買ったことないよね、うん、そんなイメージだよ。大丈夫」
お金は仕事を手に入れて稼げるようになるまで借りることにした。返さなくていいと言うが、そこは家族だろうがケジメである。
しかし、朝から高級レストランとは。個室ではあったが心の準備が皆無だったため緊張した。作法は然程私の方と変わらなかった。
たわいもない話を続けながら街並みを眺める。やはり中世紀ヨーロッパ風だ。とても好みな雰囲気で、これからここに住むのだろうことを考えるととてもわくわくする。
「ここだよ」
「ほわ」
建物は上品な煉瓦造りで、さらに、使用されている煉瓦は所々結晶化しており、日の光を反射させ煌めいている。そんな素敵な建物の看板には。
「ソルール商会。え、仕立て屋は?」
「そこも行くよ。とりあえずここに用事があるんだ」
ここはソルール商会の支店の一つなのだという。ちなみに、本店の場所を部外者は誰も知らず、有名な謎なのだそう。
店舗内は様々な商品が陳列されているが、整然とした印象を客に持たせる。火を吹く鳥や琥珀色の竜、大衆向けの量産品らしき瓶に入れられた飲み物、衣類コーナーには刺繍の素晴らしい貴婦人のドレス等。
あるもの全てに目を奪われていても、ディアノールが私に合わせてくれているためはぐれる心配はない。
「エフィーニア、後にしようか」
「ちょっとだけ駄目?」
「駄目。…………エフィーニアにね、渡したい物があるんだ」
なら進むしかない。
最奥にあるカウンターには店員が居た。
「個室持ちだ」
「少々お待ち下さい」
カウンターの猫耳な男性は胸につけている商会のブローチに向かって、こちらからの距離的に聞き取れない音量で何かを呟いた。すると猫な男性の背後にある扉から、晴れた夏空の髪をオールバックにした、三十代くらいの紳士が現れた。
この人は、人間ではない。
勿論猫耳がついている訳ではない。姿形も人間と同じ。にこやかに、人を安心させるような笑顔を浮かべ、柔らかくもきりりとした仕草をする。それでも、人外者だと分かるのだ。
何故分かるのかと問われても漠然としていて答えることは難しい。強いて言うのならば、肌で感じるのだ。しかしこれが正確な答えなのかを、私は知らない。
「鍵をお貸しください」
ディアノールは無言で渡す。その冷酷な雰囲気に息が詰まる。
「……はい、確かに。此方へどうぞ」
繊細な薔薇細工の石が特徴的な、アンティーク調の華奢な鍵を丁寧に眺め、男性は頷きディアノールに鍵を返す。
男性に先導されシンプルながらも上品な白色の扉の正面まで行く。
ディアノールが鍵を鍵穴へと刺して回す。白色の扉は鍵穴からじわりじりと金、エメラルド、ペリドットの装飾が施された扉へと変態した。
「すごい」
思わず感嘆した私に、視線が集まり顔が赤くなる。
中は部屋だった。当たり前か。でもファンタジーだしな、と現実ではありえないことも、ありえるかもと考えてしまう。
私にとってこの部屋は初めて見る種類だから、部屋の用途を問われても答えることはできない。
ただ、壁は全て抽斗だとは答えられる。
男性は相手に不愉快さを与えない微笑を浮かべ、ソファーを手で示す。
「この部屋の物は全てお客様の持ち物です。なので己の部屋なのだと思ってお寛ぎ下さい」
きっと私に向けた言葉なのだろう、ディアノールは無反応だった。
私達が座ったことを確認して男性は優雅に左手を胸、右手を背中に置いて一礼する。そして迷いのない足取りで抽斗に進む。
抽斗から金箔押の箱を取り出し、丁寧な手つきで持ち此方に運ぶ。
「こちらでご間違いないでしょうか」
蓋が開かれ中身が明らかとなる。
「……イヤーカフ?」
「そう。私が作った宝石でできているんだよ」
「このお品は、お客様のお持ち込みのアクセサリーを、お客様の目の前で金庫の魔術付与をさせていただいた物でございます」
金庫の魔術を使える者は貴重なのだと横で囁かれた。
しかし、それよりも。
「ディアノール、宝石も作れるんだ?」
「うん」
涙型にカットされた結晶石は澄んだ空のような水色で、中では金の光が優しく踊っている。そんな涙に寄り添い支える金色の蔦が、結晶石を傷付けることなく金具部分と繋いでいる。
こんなに素晴らしいイヤーカフを貰えるのかと心が弾むと同時に、貴重すぎるこれは何もしていない自分が貰っていいものなのだろうかという不安な気持ちが押し寄せる。
「エフィーニアと家族になれた記念に私が贈る物だから、遠慮せずに受け取ってほしい」
「…………」
「……………………違った?」
「ううん、違わない」
ただ、ディアノールが私の戸惑いに気付いてくれると思わなかっただけ。
ディアノールの優しさに頬が緩む。
「できる限りこれは外さないでほしい。寝る時も。状態維持の魔術が既に掛けられているから、壊す心配も汚す心配もない。……飽きてしまうかな?」
「こんなに素敵な物、飽きるわけないから」
「ならよかった。これは金庫だから、いざという時に役立つよ。ここに食糧や金品を入れておけば、緊急時に飢え死しないし、金品は質屋でお金に変えれば役に立つ」
「緊急時」
「うん。緊急時」
「………………」
その緊急時がどんな時なのか知りたいような、知りたくないような。私は思わず真顔になる。
話が一区切りついたと感じたのか、男性が説明を加える。
「イヤリングに魔力を少し流して下さい」
「魔力……?」
「若しくは血を一滴」
男性は少し目を見開いたが、直ぐに仮面を被り直したようだった。流石は商人と言ったところか。
針を受け取り、血を一滴垂らーーさなくてはいけないのだが、アクセサリー、それもとても貴重な物に垂らす、ということに対する抵抗でまごついてしまう。
「大丈夫、血は残らないから」
「信じるよ?」
拭っていないためぷっくりとしてきた血を、えいと思い切ってイヤーカフに付着させる。カチ、と何かがはまる金属音がした。
「これで持ち主登録がなされました。お客様以外がこの金庫を使用しようとしても、決して金庫は開きません」
「へえ!」
魔術は生体認証も出来るのかと驚き、またその安全仕様に満足して頷く。そしてもう自分のものなのだからとイヤーカフを耳に付け、イヤーカフに指を置いて存分に満喫する。
「可愛い」
ぽつりとディアノールが真面目な顔で言う。
「真面目な顔で何言ってるの」
部屋を出てふと振り返る。部屋に通じていた扉はまたシンプルな白色を纏っていた。
視線をまた前に戻すと、少し先の壁にもたれ掛かり、煙草を吸う美しく蠱惑的な茶髪少年が居た。
「ワツキじゃないか」
くい、と片眉を上げる仕草が、姿の割にやけに似合う少年だった。
「ああ」
ディアノールの表情が強張っている。私は少年から隠すかのように肩を抱き寄せられる。初めてみる表情に、私は心配になった。さらに言うと、この二人の関係にとても興味がある。
「お前がそんなに大事にするなんて、…………とうとう本命か?」
「…………」
ディアノールは無言だった。
それでも少年には充分な返答となったようだ。少年は一瞬瞳を揺らす。
結局、少年を無視する形で横を通り過ぎることとなった。
「無視かよ」
少年のぼやきにも似た呟きにも答えず、ディアノールは少年を一瞥することもなかった。
「よかったの?」
「うん。それよりご主人様、あいつ、ハールラトには関わらないようにね」
「何で?」
「彼は恋多き男で、捨てられた女は数知れず。一晩限りな関係も多いらしい。巻き込まれるのはごめんだろう?」
眉を顰める、というものではあったけれども、ようやくディアノールに表情が戻ったことに安堵した。が。
「…………え?」
私は後ろを振り向き、少年をまじまじと眺める。
歳は十をやっと越えただろうくらいに見える。だというのに、恋多きだとか、少年の説明に使うに適さない単語が使われた。
「少年なのに?」
「見た目だけだよ。彼も最も古い精霊の一人だからね?」
「……詐欺レベルでは」
「さぎれべる?」
「…………多分、ディアノールも詐欺レベルなんだろうね」
今首を傾げるディアノールは「も」と言っていた。最も古い、とはどれくらい古い時代のことを指しているのだろうかと疑問が浮かんだが、知ってはいけないと私の直感が告げていたのでスルーした。
起きたら外国人な国宝級イケメンの顔面ドアップで思考が停止した。
「ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」
にこにこと満面の笑みで追い討ちをかけられた。
「…………ご飯」
「わかった。じゃあ着替えようか」
間違いが多過ぎて、何から言えばいいのかわからないという事態が発生した。起き上がりながら、とりあえず。
「どこで覚えてきたの、それ」
あれ、と首を傾げられてもわからない。
「これを言うとキスができると思っていたのだけれど」
どこをどう指摘してやればいいのだろうか。
「違うから。もう、色々、というか全部! 違うから!」
「そうなのかい?」
「まずさっきのセリフ! あれは新妻が帰って来た夫に言うやつ。いや実際言う人がいるのかは疑問だけど」
「新妻……夫…………」
何故頬を赤らめる。
「照れるところじゃなくない……?」
「照れるところだよ?」
ディアノールは私の理解値を突破した。
「………………。そして。何であれ言うとイコールキスできる、なの?」
「え、だって『勿論お前に決まっているだろう、ちゅっちゅっち』」
「待った! 待って、本当にどこで覚えて来たの?」
「本…………?」
「その本捨てなさい」
「うん」
まだ持っていただろうかなんて呟くディアノールは素直でよろしい。そして本も、もうないならそれでよし。
朝から精神的にとても疲れた。半日くらい寝てるはずだけど、二度寝できる自信がある。
「あと一つ。起きて一番最初は朝の挨拶から」
「朝の挨拶」
「そう。ーーディアノールおはよう」
「おはよう?」
「うん」
口をもにょもにょとさせるディアノールの髪は、寝ていたためか少々くしゃりとなっていた。私はそっと手櫛で梳かした。
昨日用意した服があるのだと部屋から出て行くディアノールをベッドの上で眺める。扉が閉まったところでまたベッドへと体を沈ませる。
「あの精霊、おはようって誰にも言われたことないの……?」
流石にそれはないと信じたい。
しかし。そうなのだとしたら、何て哀しく孤独な生き物なのだろう。
とりあえず、ディアノールと一緒に生きたい、とは思う。しかし、家族としてのポジションが定まりきらないのが脆いとも思った。会ってから一日も経っていないのだから焦る必要はないが。
ディアノールが持って来た衣類の中に、コルセットがないことに安堵した。ドレスは着れるが、流石に現代っ子でコルセットを装着したことはないからだ。
「すっごく可愛い」
「気に入った?」
「うん」
「そっか。よかったよ」
新緑色をメインとしたドレスで、金の刺繍が派手すぎず、しかし繊細で美しい模様を作り出している。明るい、それでいて落ち着きがある雰囲気はとても私好みだった。
「ディアノールが選んだの?」
「うーん? 選んだと言うよりは作った、かな」
「え」
私は幾度かドレスとディアノールへ交互に視線を向ける。
「裁縫できるんだ……」
「できないよ?」
「え?」
「ん?」
まだ突っ込まないことにする。私はこの世界初心者なのだから、この内容は少し早い気がする。そういうものなのだと納得させるしかない。
「ともかく、作れるのに今日仕立て屋に行く必要ってあるの?」
「あるよ。誰でもそうなのだけれど、普通魔術だけで仕立てると酷く偏ってしまうから」
「…………何が?」
これはツッコミせざるを得ないと思う。
「魔術も、性質も。服は防御を兼ねるからね、偏ってしまうと守備が脆いんだ」
「ディアノールなら強化すれば克服できそうな気もするけど、無理なんだ?」
「うん。どう足掻いても相性の悪いものはあるからね。仕立て妖精に任せてしまうのが一番いい」
「そうなんだ。じゃ、着替えるね」
「うん」
ほわりと笑われても。
「私着替えるの」
「うん」
「…………」
「…………」
「出て行こうか」
くい、と親指で扉を指して意思表示をする。
「…………もしかして、そういうものなのかい?」
「うん」
戸惑っているディアノールにこっくりと深く頷いてやる。
「みんな、私の前で着替えていたけれど……。そうか、世界が違うから」
「関係ないと思う」
経験豊富ですか、そうですか。
温かいふれあいに関して無垢なだけで、とても大人なのだと理解した。そういえば昨日出逢った時、その後の無邪気さで印象が掻き消されたが、この精霊の笑みをとても蠱惑だと思った気がする。
「次は屋台がいいな」
「…………屋台」
「もしかしなくても屋台で買ったことないよね、うん、そんなイメージだよ。大丈夫」
お金は仕事を手に入れて稼げるようになるまで借りることにした。返さなくていいと言うが、そこは家族だろうがケジメである。
しかし、朝から高級レストランとは。個室ではあったが心の準備が皆無だったため緊張した。作法は然程私の方と変わらなかった。
たわいもない話を続けながら街並みを眺める。やはり中世紀ヨーロッパ風だ。とても好みな雰囲気で、これからここに住むのだろうことを考えるととてもわくわくする。
「ここだよ」
「ほわ」
建物は上品な煉瓦造りで、さらに、使用されている煉瓦は所々結晶化しており、日の光を反射させ煌めいている。そんな素敵な建物の看板には。
「ソルール商会。え、仕立て屋は?」
「そこも行くよ。とりあえずここに用事があるんだ」
ここはソルール商会の支店の一つなのだという。ちなみに、本店の場所を部外者は誰も知らず、有名な謎なのだそう。
店舗内は様々な商品が陳列されているが、整然とした印象を客に持たせる。火を吹く鳥や琥珀色の竜、大衆向けの量産品らしき瓶に入れられた飲み物、衣類コーナーには刺繍の素晴らしい貴婦人のドレス等。
あるもの全てに目を奪われていても、ディアノールが私に合わせてくれているためはぐれる心配はない。
「エフィーニア、後にしようか」
「ちょっとだけ駄目?」
「駄目。…………エフィーニアにね、渡したい物があるんだ」
なら進むしかない。
最奥にあるカウンターには店員が居た。
「個室持ちだ」
「少々お待ち下さい」
カウンターの猫耳な男性は胸につけている商会のブローチに向かって、こちらからの距離的に聞き取れない音量で何かを呟いた。すると猫な男性の背後にある扉から、晴れた夏空の髪をオールバックにした、三十代くらいの紳士が現れた。
この人は、人間ではない。
勿論猫耳がついている訳ではない。姿形も人間と同じ。にこやかに、人を安心させるような笑顔を浮かべ、柔らかくもきりりとした仕草をする。それでも、人外者だと分かるのだ。
何故分かるのかと問われても漠然としていて答えることは難しい。強いて言うのならば、肌で感じるのだ。しかしこれが正確な答えなのかを、私は知らない。
「鍵をお貸しください」
ディアノールは無言で渡す。その冷酷な雰囲気に息が詰まる。
「……はい、確かに。此方へどうぞ」
繊細な薔薇細工の石が特徴的な、アンティーク調の華奢な鍵を丁寧に眺め、男性は頷きディアノールに鍵を返す。
男性に先導されシンプルながらも上品な白色の扉の正面まで行く。
ディアノールが鍵を鍵穴へと刺して回す。白色の扉は鍵穴からじわりじりと金、エメラルド、ペリドットの装飾が施された扉へと変態した。
「すごい」
思わず感嘆した私に、視線が集まり顔が赤くなる。
中は部屋だった。当たり前か。でもファンタジーだしな、と現実ではありえないことも、ありえるかもと考えてしまう。
私にとってこの部屋は初めて見る種類だから、部屋の用途を問われても答えることはできない。
ただ、壁は全て抽斗だとは答えられる。
男性は相手に不愉快さを与えない微笑を浮かべ、ソファーを手で示す。
「この部屋の物は全てお客様の持ち物です。なので己の部屋なのだと思ってお寛ぎ下さい」
きっと私に向けた言葉なのだろう、ディアノールは無反応だった。
私達が座ったことを確認して男性は優雅に左手を胸、右手を背中に置いて一礼する。そして迷いのない足取りで抽斗に進む。
抽斗から金箔押の箱を取り出し、丁寧な手つきで持ち此方に運ぶ。
「こちらでご間違いないでしょうか」
蓋が開かれ中身が明らかとなる。
「……イヤーカフ?」
「そう。私が作った宝石でできているんだよ」
「このお品は、お客様のお持ち込みのアクセサリーを、お客様の目の前で金庫の魔術付与をさせていただいた物でございます」
金庫の魔術を使える者は貴重なのだと横で囁かれた。
しかし、それよりも。
「ディアノール、宝石も作れるんだ?」
「うん」
涙型にカットされた結晶石は澄んだ空のような水色で、中では金の光が優しく踊っている。そんな涙に寄り添い支える金色の蔦が、結晶石を傷付けることなく金具部分と繋いでいる。
こんなに素晴らしいイヤーカフを貰えるのかと心が弾むと同時に、貴重すぎるこれは何もしていない自分が貰っていいものなのだろうかという不安な気持ちが押し寄せる。
「エフィーニアと家族になれた記念に私が贈る物だから、遠慮せずに受け取ってほしい」
「…………」
「……………………違った?」
「ううん、違わない」
ただ、ディアノールが私の戸惑いに気付いてくれると思わなかっただけ。
ディアノールの優しさに頬が緩む。
「できる限りこれは外さないでほしい。寝る時も。状態維持の魔術が既に掛けられているから、壊す心配も汚す心配もない。……飽きてしまうかな?」
「こんなに素敵な物、飽きるわけないから」
「ならよかった。これは金庫だから、いざという時に役立つよ。ここに食糧や金品を入れておけば、緊急時に飢え死しないし、金品は質屋でお金に変えれば役に立つ」
「緊急時」
「うん。緊急時」
「………………」
その緊急時がどんな時なのか知りたいような、知りたくないような。私は思わず真顔になる。
話が一区切りついたと感じたのか、男性が説明を加える。
「イヤリングに魔力を少し流して下さい」
「魔力……?」
「若しくは血を一滴」
男性は少し目を見開いたが、直ぐに仮面を被り直したようだった。流石は商人と言ったところか。
針を受け取り、血を一滴垂らーーさなくてはいけないのだが、アクセサリー、それもとても貴重な物に垂らす、ということに対する抵抗でまごついてしまう。
「大丈夫、血は残らないから」
「信じるよ?」
拭っていないためぷっくりとしてきた血を、えいと思い切ってイヤーカフに付着させる。カチ、と何かがはまる金属音がした。
「これで持ち主登録がなされました。お客様以外がこの金庫を使用しようとしても、決して金庫は開きません」
「へえ!」
魔術は生体認証も出来るのかと驚き、またその安全仕様に満足して頷く。そしてもう自分のものなのだからとイヤーカフを耳に付け、イヤーカフに指を置いて存分に満喫する。
「可愛い」
ぽつりとディアノールが真面目な顔で言う。
「真面目な顔で何言ってるの」
部屋を出てふと振り返る。部屋に通じていた扉はまたシンプルな白色を纏っていた。
視線をまた前に戻すと、少し先の壁にもたれ掛かり、煙草を吸う美しく蠱惑的な茶髪少年が居た。
「ワツキじゃないか」
くい、と片眉を上げる仕草が、姿の割にやけに似合う少年だった。
「ああ」
ディアノールの表情が強張っている。私は少年から隠すかのように肩を抱き寄せられる。初めてみる表情に、私は心配になった。さらに言うと、この二人の関係にとても興味がある。
「お前がそんなに大事にするなんて、…………とうとう本命か?」
「…………」
ディアノールは無言だった。
それでも少年には充分な返答となったようだ。少年は一瞬瞳を揺らす。
結局、少年を無視する形で横を通り過ぎることとなった。
「無視かよ」
少年のぼやきにも似た呟きにも答えず、ディアノールは少年を一瞥することもなかった。
「よかったの?」
「うん。それよりご主人様、あいつ、ハールラトには関わらないようにね」
「何で?」
「彼は恋多き男で、捨てられた女は数知れず。一晩限りな関係も多いらしい。巻き込まれるのはごめんだろう?」
眉を顰める、というものではあったけれども、ようやくディアノールに表情が戻ったことに安堵した。が。
「…………え?」
私は後ろを振り向き、少年をまじまじと眺める。
歳は十をやっと越えただろうくらいに見える。だというのに、恋多きだとか、少年の説明に使うに適さない単語が使われた。
「少年なのに?」
「見た目だけだよ。彼も最も古い精霊の一人だからね?」
「……詐欺レベルでは」
「さぎれべる?」
「…………多分、ディアノールも詐欺レベルなんだろうね」
今首を傾げるディアノールは「も」と言っていた。最も古い、とはどれくらい古い時代のことを指しているのだろうかと疑問が浮かんだが、知ってはいけないと私の直感が告げていたのでスルーした。
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(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
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