病院の僧侶(プリースト) と家賃という悪夢にしばられた医者

加藤かんぬき

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チェスターとピアース(2)

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 スキンヘッドのピアースが語り続ける。
「ヤブ医者の許可もあって俺は嫁さんを家に連れて帰った。できる限りはあいつの面倒を見てやっていたと思う。それでヤブ医者はなぜか呼んでもないのにちょくちょく、うちにやって来やがるんだ。

 最初は世間話だけだったが、嫁さんが猫を触りたいと言えばヤブ医者のライスは猫のぬいぐるみを作って持って来た。外科医ってのは器用なもんだ。かわいらしい白猫だった…。パン屋の新作ができれば調子がいい時に食べろとパンを持って来た。あいつが考案した甘い豆入りのパンはちっともうまくなかった。

 それから、あいつは食堂のおばさんに描かせた絵本を何冊か持って来た。嫁さんは特にみにくいアヒルの子が白鳥になる話を気に入って何度も読んでいた。
 嫁さんは基本的に乳癌だったから、一度ヤブ医者に『どうせ嫁の生乳が見たくて来てるだけだろー⁉』って言ったら、『そうですよ。それが医者の特権ですよ』ってあいつ、笑ってやがった。

 誰が四十過ぎのおばさんの胸なんか見たがるんだ。…あとは痛いところはないかって背中を揉んだりしてたよ。医者ってのは全く役に立たないものだぜ。
 余命一か月のところが結局三か月まで延びたよ…。最期の方は寝てばかりだった。嫁さんは安らかに逝ったよ…」

 隣のチェスターという男は大粒の涙をカウンターにこぼしていた。スキンヘッドのピアースの方はコップの酒を飲み干した。
「死んでよかったらあの病院へ行け」
 リリカ達は静かに座席を立って勘定を済ませ、外へ出た。薄暗くなった空に冷たい夜風を浴びる。サーキスが言った。

「病院まで送るぜ。…って言うか俺も帰り道一緒か…」
 二人は星が薄っすらと見える道を並んで歩いた。

「エミフル・ピアースさん。四十六歳だったわね…。うちの病院へ来た時はもう手遅れだった。もう少し早く来てくれてれば…。それとね、先生はたまに『時間を戻れたら』なんてことを言うのよ。
 さっきエミフルさんの旦那さんは安らかに逝ったって言ってたけど、パディ先生が言うには本人はかなりの苦痛だっただろうと言ってたわ。エミフルさんは気丈な人だったのね。

 パディ先生は人から天才ってよく言われるじゃない? でも図に乗らないし、物腰は控え目だわ。治療しても人の治癒力やあんた達僧侶に頼ってるって自覚があるからよ。エミフルさんみたいに病魔に勝てなかったり、誰でも寿命は来るわ。結局、医学は最後には死に敗北するって経験で理解してる…。だからと言って死への抵抗は決してやめない。

 患者さん達はあたし達に何も言わないけど、みんな先生に感謝してるのね。今日は来てよかったわ。また一緒に飲みましょ」

「おう! 今日は本当によかったぜ!」
「それとあんな話を聞いておいてあんたよく泣かなかったわね?」
「おう、俺は酒が入ると泣かなくなるんだぜ!」
「ふーん」

     *

 翌日、左手に手袋をしたヒゲ面の中年、チェスターがライス総合外科病院へおもむいた。診察室で正面のパディ医師と話をする分にはいいのだが、どうも斜め後ろからのすすり泣きが気になって仕方がない。振り返ると金髪の看護師のような男の鳴き声が、すすり泣きから嗚咽おえつに変わった。

 パディがサーキスに注意した。
「サーキス! 何で泣いてるか知らないけど患者さんに迷惑でしょ! 泣くなら隣の部屋へ行って! 泣き終わったらすぐに顔を洗って戻って来てね! 君がいないと僕は仕事ができないんだから!」

 サーキスは黙って部屋から出て行った。
「すみませんねえ、彼はうちの僧侶なんですけど涙腺がどうにも弱いみたいで。あ、チェスターさんの症状を聞きましたところ、おそらく頚椎椎間板けいついついかんばんヘルニアですね。

 原因はチェスターさんの首の後ろですね。首の骨を支える椎間板ついかんばんというクッションから中の髄核ずいかくが飛び出して神経を圧迫していると思います。それで手が痺れたり痛んだりするんですね。椎間板の一部を切って神経を自由にしてあげれば治りますよ」

「ほ、本当か⁉ すごい…。まさか首の後ろからなんて…。いいぜ! 手術してくれ! 俺は死んでも文句は言わねえ! 何なら誓約書を書いてもいいぜ!」
「ははは。決断が早いですね。僕もびっくりです。チェスターさんはきっぷがいいですねえ。ちなみに…。あ、これは言わなくていいか」

「何だよ、言ってくれよ! 気になるぜ!」
「このまま頚椎けいつい椎間板ついかんばんヘルニアの症状が進むと立って歩くこともままならなくなります。ずっとずっと先のことでしたけどね。勇気を出してうちの病院に来てよかったですね!」
 そう微笑む医者にチェスターは歯をガタガタと鳴らして震えた。

    *

 手術も無事に終わるとチェスターは元気に帰って行った。パディは一応、数日は仕事も休むように言いつけた。
 診察室にパディ、リリカ、サーキスの三人が集まると、パディはサーキスがなぜ泣いていたのか理由を聞いた。

「なるほどねー。それなら僕も泣いてしまうかも。だからチェスターさんはすぐに手術するって決めたんだ。…ピアースさんのことは残念だったよ…。全く力及ばなかった。申し訳ないって今でも思うよ。ごほっごほっ」

 パディは窓に目を移してぼんやりと外の景色を眺める。そしてリリカがサーキスに突然クイズを出した。
「問題です。チェスターさんと同じ病気、頚椎椎間板ヘルニアだった人がサーキスの知り合いにいます。さて誰でしょう?」

「え? え? え? いたかそんな人? だ、誰だ? うちのばあちゃん? 違うな…。ファナやうちに来たドレイクさん達とも違う…。孤児院の子供? 違うか? 誰だ…」
「ぶー。時間切れ。答えは食堂のナタリーおばさんでした」

「えー⁉ そうだったのか⁉ ナタリーおばさんがパディ先生に手術をしてもらったのは聞いたけど、何の病気か全然わからなかったぜ⁉」
 パディがサーキスに諭すように言った。

「いいかいサーキス。君は聞き上手だ。そして医療知識もだいぶ身に付いてきている。これからはもっと人の言葉に耳を傾けて。ごほっ…。そうすればまだ目に見えない病気もきっと気付くことができる。君はもっと人を救えるよ。フフ…。今度、ナタリーさんに会った時、病気だった時の話をじっくり聞いてみて」

    *

 数日後、街の外れにある運送屋に一台の馬車が停車した。従業員達が荷台に一斉に群がって四方から荷物を下ろしにかかる。ヒゲづらのチェスターが特に大きな木箱を持ち上げようとすると隣の同僚の男が言った。

「おいチェスター、大丈夫か⁉ そんな重い物、また落とすかもしれないぞ! 俺に任せてお前はもっと軽い物にしておけ!」
「はっはー! 大丈夫だぜ! 左手は完治した! 体の気だるさも全くない! ライス総合外科病院で手術をしてもらったからな!」

 チェスターがそこまで言うとスキンヘッドのピアースが止めに入った。
「待てチェスター! そんなことを言ったらみんながお前を…」
 チェスターの隣の男がだしぬけに言った。
「ライス病院っていいね。俺、腹が痛いの治してもらったよ。あそこの医者は感じがいいよね」

 チェスターもピアースも初耳だった。さらに反対側の男が。
「ワシは足を手術してもらったー」
 荷台の向こう側からも声が聞こえる。
「俺もライス病院行ったことがあるぞー!」

 チェスターが大声で叫んだ。
「お前らそういう大事なことは早く言えよーっ!」
 一帯が何とも言えない温かな笑い声に包まれた。
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