病院の僧侶(プリースト) と家賃という悪夢にしばられた医者

加藤かんぬき

文字の大きさ
上 下
27 / 57

ギーリウス・ラウカー夫婦(2)

しおりを挟む
 シィンの指示で新しく湯が運ばれ、それを持ってきた女官と共にそれまで部屋にいたほとんどの女官も下がる。
 部屋には数人だけになったところで、白羽はようやくホッと息をついた。
 侍女のサンファに手を引かれ、壁際の椅子に腰を下ろす。面紗越しに見える視界の中では、王太子であるシィンと、白羽の新しい騎士であるレイゾンとが茶を飲んでいる。
 良い香りだ。茶葉の質がいいせいもあるのだろうが(そしてそれはおそらくシィンの好みであり、指示だ。彼がのんびりと茶を飲むことが好きで、それ故、城を訪れた客にも質の良い茶を出すことは知られている。疎い白羽ですらそれを知っているぐらいに)、茶を淹れた少年の腕も確かなのだろう。レイゾンの従者らしき少年は、ハキハキとした声が気持ちのいい、賢そうな面差しだった。
 年は……よくわからないがサンファと同じぐらいか少し下ぐらいだろう。サンファの本当の歳はわからないが、見た感じはそんなところだ。
 
 そして当のレイゾンはといえば、王太子であるシィンを前にしているからか、少し緊張の面持ちのようだ。だが、初めて見た時の彼は、先ほど隣室にいた時、サンファが言っていた言葉に納得できるような印象だった。男っぽいというか骨っぽいというか、厳ついというか野生的というか……。
 今まで会った事のないタイプ。

 いや、「今まで」と言うと少し違う。
 
 城にやってくる前——当時の王太子だったティエンに求められて入城する以前、踊り子だった頃に出会った数人の男たちと似た雰囲気だと言えるだろう。
 荒々しい、野蛮で強引な男たち。昔の話だ。だが、遡れば記憶の中にある男たち。幾許かの金と引き換えに、白羽が「売り物」として時間を共にした男たちだ。
 城に来てからは会うこともなかった類の男。
 ただ、そうしたむくつけき男たちと城の男たちのどちらが”まし”かと問われれば、答えに窮するのだが……。

 いずれにせよ、当然ながら、前王であるティエンとはまるで違うタイプだ。
 
(あの方の元へ行くのか……私は……)

 考えると、全身が微かに震えるようだ。白羽は膝の上で組んでいる指に静かに力を込める。

 恐怖——とは違う……と思う。
 確かに怖そうな雰囲気だけれど、それは大きな身体や傷のある顔のせいで、決して乱暴なわけではないだろう。そんな方ではない思う。でなければ、あの賢そうな従者が仕えてはいないだろうから。

 ただ……。

 ただ——あの目が。
 あの視線が。

(っ……)

 思い出すと体温が上がるようだ。胸の奥がざわざわする。
 怖いわけじゃない。不快なわけでもない。多分。なのにざわざわゾクゾクするのが止まない。落ち着かなくなるのだ。思い出すだけで。
 
 あんなに——あんな風に、まるで射抜かれたようにも感じるほどの強い視線で見られたことはなかったから。

 物心着いた時から、欲まみれの目を向けられたことなら数えきれないほどあった。昔はそうやって生きてきたからやむを得ないとしてもだ。
 そして入城してからは、好奇の目で見られていた。
 蔑むように見られたことも一度や二度ではなかった。
 王太子に媚びて取り入り、城に入り込んだ踊り子だと思われていた時はもちろん、その後、騏驥に変わってからも、周囲からの目は優しいものではなかったし、普通の騏驥に対するものでもなかった。
 他でもない、ティエンが、白羽を騏驥として扱わなかったからだ。
 白羽を五変騎の一頭と認めながら、特別な白い騏驥だと知りながら、彼は決して白羽に乗ろうとはしなかったから。

 ティエン存命中も死後も、白羽は城内の異物——腫物のようなものだった。白羽に対して変わらず親切だったのは、今こうして白羽の支度を整えてくれた上、城を出る見届け人となってくれるという、シィンだけだった。

『彼は私に最も似ていて最も似ていないのだよ』

 ティエンが折に触れて語っていたことを思い出す。
 生涯誰とも婚姻を結ばず、一人として子供を残さなかったティエンと異なり、早くに結婚していた彼の末弟には、白羽が城に入ったときには既に子がいた。それがシィンだった。
 当時の彼は、”王太子の数人いる弟妹のうちの末弟の子供”という、ごくごく気楽な立場だったからか、幼少時はかなり自由に過ごしていたようだった。本人が明るく屈託なく、また好奇心旺盛な性格だったこともあるのだろう。
 緩くとはいえ、ティエンが結界を張っていたはずの、普段は誰もが近寄ろうともしない白羽の住む離房に、彼はひょっこりとやってきたのだった。
 驚く白羽に、幼かった彼もまた一瞬だけ驚いた顔を見せ、しかし直後「おしろのおにわであそんでいたら、まいごになってしまいました」と微苦笑を見せて。

 その後、白羽がどういう立場の者か、誰からか聞いたのだろう。来なくなるかと思えば逆で、彼はしばしば白羽の元を訪れてくれた。話し相手になってくれるように。ティエン以外に頼るもののいない自分を慰めてくれるように。それは、白羽が騏驥になってからも変わらなかった。
 そして訪れたときは、伯父であるティエンへの礼を欠かさぬように、白羽にも必ず丁寧に振る舞ってくれた。活発でありながら礼儀正しい子だった。そうしたところをティエンもきっと可愛がっていたのだと思う。
 数人いる甥や姪の中でもとりわけ気にかけていたようだし、普段は白羽には誰も近寄らせようとしなかったのに、シィンだけは許していた。
 
 だが、彼がシィンを特別に扱っていたのはそれだけが理由ではなかった。

『彼は私に最も似ていて最も似ていないのだよ』

 ティエンのその言葉を白羽が本当に理解したのは、白羽が騏驥になってからだった。
 
 その後——。
 身体の弱かったティエンは即位間も無くこの世を去り、白羽が喪に服している間に時勢は大きく変わった。
 変わらなかったのは……。

 白羽はレイゾンと話しているシィンを見る。
 ティエン亡き後は、シィンの立場も変わり白羽が籠る別宮を訪れることも少なくなった。けれどそれは白羽を疎ましく思ってのことではなく、主を亡くした騏驥の立場を慮ってくれたからなのだろう。彼は騏驥に対してとても誠実な騎士だ。
 折に触れて様子を見にきてくれていた。会うのは短い時間で、それまでとは違い、いつも御簾か几帳越しだったけれど、それでもティエンとの思い出を共有し、彼が可愛がっていたシィンと話せるのは安らげる時間だった。
 
 そして今。彼が白羽のために用意してくれたのは、もったいないほどに美しい衣。これほど立派な支度をしてもらえるとは思ってもいなかった。真珠、水晶、白翡翠に月長石といった髪を彩る数々の髪飾りは、元は白羽がティエンから贈られたものとはいえ、全て城へ置いていこうと思っていたものたちだ。それをシィンはわざわざ……。

(私などにこれほどまでに気をかけてくださるとは……)

 しかしそんな風にいつでも自分に親身になってくれた恩ある騎士を見ていても、いつしか視線はふと、もう一人の騎士に向いてしまう。

 椅子が小さく見えるような大きな身体。野生的な面差しを一層怖く思わせるかのような頰の傷。節くれだった大きな手。太い首。低い、少しざらついた声……。
 
 興味から、だろうか?
 今まで出会った事のない騎士の方だから?
 この城では見ない雰囲気の方だから?
 ティエンともシィンともあまりに違う方だから?

 ならばいい。そんなふうに誰かに興味を持ったことなどなかったけれど……。それでも、そうして理由がはっきりとしているなら。
 でも……本当にそうだろうか。
 もしそうでないなら。
 なら、このざわめくような気持ちはいったいどこからやってくるのか。
 見られると竦んでしまうのに、一方でもっと彼を見ていたいような……。

(彼は、私を自分の騏驥とすることを嫌がってるのに……)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白衣の下 先生無茶振りはやめて‼️

アーキテクト
恋愛
弟の主治医と女子大生の恋模様

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...