病院の僧侶(プリースト) と家賃という悪夢にしばられた医者

加藤かんぬき

文字の大きさ
上 下
16 / 57

養鶏場の従業員

しおりを挟む
「キャーキャーキャー! 虫ー!」
 病院内でリリカが騒ぎながらハエに何かのスプレーをかけていた。スプレーを噴霧されたハエはあっという間に息絶えて床に落ちた。一部始終を見ていたサーキスが彼女に声をかけた。

「すげえなそれ。一体何をしたんだ?」
「あ、これ? 殺虫剤。あんた、知らなかったのね。うーん…。畑に白いマーガレットみたいな花を植えてる所を見るでしょ? 畑を一面使って」
「ああ。花束でも作るためか? スレーゼンの人達は心が豊かだなあっていつも思ってる」

「あれは実はマーガレットじゃなくて除虫菊じょちゅうぎくなのよ。別名シロバナムシヨケギク。胚珠はいしゅの部分にピレスロイドっていう成分があってそれが殺虫剤の原料になってるの。ちなみにこの商品名はそのまま『ピレスロイド』。
 あたしは虫が大っ嫌いだから、これが販売されて大助かりよ! 病院の中は清潔にしておかないといけないから余計に必須アイテムよね」

「すっげー! スレーゼンって何でもあるんだな!」
「うん。殺虫剤は誰からも重宝されてるから、お隣の国でも除虫菊を植えてもらって工場でピレスロイドを生産しているわ。それからピレスロイドは殺虫以外にも虫除けの効果もある。スプレーしておけば虫が寄り付かないわね。…それとあんたいいところに来てくれた。この落ちたハエ、拾ってゴミ箱に捨ててくれる?」

     *

「おーい! パディちゃん! 患者を連れて来たぞ! 喜べー!」
 ハゲ親父のフォードが相変わらずのタンクトップで今日は病院に中年男性を一人連れて来た。
 フォードの後ろを付いてくる、ふっさりとした白髪の男は腹を押さえて苦しそうな顔をしている。

「こいつの名前はポトム・ロギンス。四十四歳、養鶏場勤務だ!」
 リリカが気を利かせて問診票を患者の代わりに書き始めた。
「じゃあ、こっちへどうぞ。診察室へ入ってください」
 とサーキスが患者を促す。フォードも思うところがあるのかその場に同席した。
「こんにちは、ロギンスさん。僕は医者のパディ・ライスです。今日はどうしました?」

「二ヶ月前ぐらいから腹が痛くなりました。最近酷くて夜中に何回も起きる…。飯を食った後が特にそうです。量が多いと痛みは酷くなる。養鶏場は力仕事が多くて、きつくて近頃、仕事を休みがちです」
 パディはロギンスをベッドに寝かせて腹部を触診してみる。彼の腹は中年太りで若干の肥満体系でもあった。パディ医師が指で胃の辺りを押すと患者はうめいた。

「あああああー!」
 腹部をあちらこちら触り、何とか最も痛い場所を見つけることができた。
「質問ですけど、以前からご飯を食べる量は多かったですか?」
「うぅ…、はい…、最近は痛みで量も減ってますが…。以前は酒もたらふく…飲んでました」

「サーキス、宝箱トレジャーをお願い。胃を視て。まずは中から」
「了解。アハウスリース……テュアルミュールソー・リヴィア・宝箱トレジャー。…ええっと……」
 サーキスはしばらくして眉間にしわを寄せて小さな声で言った。

「先生が差してる場所、胃に小さな穴がある。…貫通してるね」
 貫通という言葉にロギンスは震えた。
「胃の外側見てくれるか? 食べ物が外に出てないか?」
「だよな! 自然とそうなるよな! …んーっと…。…出てはないな…。穴は小さいし…」

「でも貫通してる?」
「ああ! かなり小さい穴だけどな」
(何て恐ろしい会話をしているんだ⁉)
 ロギンスはさらに身震いした。そして、パディが結論を出した。

「こほっ…。…これは胃穿孔いせんこうですね。胃潰瘍いかいようが悪化したものです。…暴飲暴食も原因の一つと思われますが、ヘリコバクター・ピロリという菌、通称ピロリ菌が原因だと思います。酸性の胃酸に対してピロリ菌はアンモニア、アルカリ性を出して中和滞在します。そのアルカリ性が胃の壁を壊すと言われています…」

 胃穿孔いせんこうの死亡率は三十パーセント。パディはこのことは口にしなかった。患者が早く来院したことを幸運に思った。フォードが口を挟む。
「で、治療できるのか? また手術か?」

「はい、手術ですね。穿孔せんこう、胃に穴が空いているところを切除します。なに、ほんの少しですよ。今のところ食べ物が胃から出て行ってないみたいですが、おそらく胃酸は漏れていると思います。すぐに手術した方がいい」
「ってよ、ロギンス! お前は拒否できないぞ! 大家命令だ! 死んでも文句言いませんって同意書を書け!」

「そんな脅さないでくださいよ、フォードさん。…ロギンスさん。難しくない手術です。すぐに終わりますよ。胃を少し切ったら糸で縫って回復呪文をかけます。胃の大きさも変わることはありません。傷も残りませんよ」

     *

「どうです? ロギンスさん? お腹はまだ痛みます?」
 手術が終わり手術台の上で目を覚ましたロギンスはしばらくぼやけた顔だったが、やがてパッと明るい顔になった。
「いや全然大丈夫です! もう痛みはありません!」
「よかったなあ、ロギンスちゃん!」
 そして、フォードが不敵な笑みを浮かべて説明を始めた。

「それでパディちゃん。後から言って悪いけど、この白髪頭のロギンスは金を持ってないんだよ! 仕事を休みがちで家の家賃を滞納してやがったんだ。…パディちゃん、先に金がないと聞いていたら治療を拒否していたかな? まさか善良なライス総合外科病院がそんなことしないよなあー。まあ、いつものパターンだな。ヒッヒッヒッヒ。どうやって回収する? ツケにするか? 他に方法はあるか? ぶわーっはっはっは! ところで今日の治療代っていくら?」

 計算していたのかリリカが素早く答えた。
「二千八百ゴールドです」
 ロギンスの本音であろう声が漏れた。
「た、高い…」

(あのままにしておいたら死んでたかもしれないのに…。そんなに高いか? 死亡率を言えばよかったのか…?)
「本題だ。ロギンスちゃんはヘデラ養鶏場っていう所で働いているんだけど、今月は出勤日数が少なくて、社長のヘデラって奴から金の代わりに鶏の羽や足を大量に貰ったそうだ。それで、こいつ家賃の代わりに鶏の羽とか足をワシにやろうとしてたんだぞ。そんな物食えるか⁉」

「え? 食べられますよ?」
「食えるか! 捨てる部分だ!」
「食べられます!」
「食、え、な、い!」

 あろうことかロギンスもフォードに同意した。
「食べられません!」
 サーキスも二人に続いた。
「食えないぜ! 食ったことないぜ!」

「いいか、鶏っていうのは釜焼きで丸焼きしないと食えないの。それで足と羽は硬くて美味しくないから捨てるの! 頭もな!」
「仕方ないなあ…。リリカ君、油はある? ああ、この国にはパン粉もなかった…。それとパンもある? 硬いパンでいい。玉子も必要だ」

「玉子と油はありますよ。パンは買いに行かないとないです。…じゃあ、今から行って来ますね」
 リリカは看護師の帽子だけを置いてパン屋へ走り出した。ロギンスもパディの言われるがままに鶏の羽と足を取りに行く。
 しばらくして材料が揃い、台所でまな板とボール、鍋を前にしたパディが言った。

「例によって僕はフライドチキンなんか作るのは初めてで。あ、料理名ですね。フライドチキン。まず先に鍋を温めようかな。リリカ君お願い」
 リリカが火撃ファイアの呪文を唱えて指先から炎を出して薪を一気に燃え上がらせた。
「便利だね、リリカの呪文って」

「まあ、日常生活にはね」
 その後、パディはパンを包丁で刻み、砕いてパン粉を作る。それから毛をむしって下処理して貰った鶏肉に、溶いた玉子を付けてパン粉をまぶす。鍋にパン粉が付いた鶏肉を入れて油でじっくりと揚げる。

「もういいかな? 時間がわからないなあ…。焦げる手前ぐらいじっくり? うむむ…。よし、できたかな?」
 カラッと揚がったそれはパリパリの表面が食欲をそそり、香ばしい匂いが部屋を充満させた。
 フォードが真っ先にフライドチキンを一本奪って野獣のようにむしゃぶりついた。

「ぐあぁぁぁぁ! …うまいっ! これは五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るうまさだ! 限りなくジューシーだぁーっ!」
 続いて三人も手に取って食べ始めた。
「おいしい。外はサクサクで中はふわっとしてるんですね」
「うまっ! うまっ!」

「骨まで柔らかくなってる…」
「軟骨ならよく噛めば食べられますよ」
 パディのその言葉にロギンスがコリコリと骨を噛み、明るい顔を見せる。
「…本当だ! おいしい! …油で揚げるという発想はさすがに湧きませんでした…。先生はすごいですね…」

 余談ではあるが、フライドチキンの発祥は近代のアメリカからである。そのことはパディも知らなかったようだ。

「ロギンスさんはさしあたりこれを作って売るといいですよ。それからフォードさんには先に言っておきます、改良の余地は十分ありますよ。鶏肉に下味なんか付けるともっとおいしくなるんじゃないですかね。あとパン粉の改良も。それとフォードさんはお年ですし、油物は控えてください。フライドチキンみたいなものは週に一度にしてください。ロギンスさんもですね」

「うるせえぇー! ワシを年寄り扱いするんじゃねえ! こんなうまい物を教えておいて食うななんてどんな仕打ちだ? おう、パディ! 偉くなったもんだな!」
(やっぱり言うことを聞かないか! くそーっ!)
「医者として忠告しましたよ、フォードさん! …では二人とも頑張って。味を間違えなかったら世界を制覇できますよ」

「そんな馬鹿な。はっはっはっ!」
 ロギンスとサーキスは笑っていたが、フォードとリリカは真顔だった。
「じゃあ、ワシらは帰るぞ! ロギンスの支払いはまた今度だ! なーに、ワシがしっかりこいつから取り立ててやるぞ!」

 帰りにフォードは店子たなこのロギンスと二人になると景気よく言った。
「よーし、お前、養鶏場辞めろ。これからはフライドチキンを作って売れ。足と羽はワシが金を払って買ってやる。タダで貰ったら駄目だ。社長のヘデラが羽や足の価値を知ればすぐによこさなくなる。

 敵がものを知らない今がベストだ。ワシの交渉力でがんじがらめに契約して養鶏場の羽と足はこちらが全て永遠に頂く。向こうには一本もやらん。儲かったら家賃を納めろ! 病院代は二の次だっ!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白衣の下 先生無茶振りはやめて‼️

アーキテクト
恋愛
弟の主治医と女子大生の恋模様

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...