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ファナのばあちゃん フィリア・リアム・ブラウン(2)
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作業服に着替えたサーキスはブラウン家の畑まで少し浮かれ気分で歩いていた。
ここでの生活は居心地がよかった。周りは皆が親切だ。かと言って師匠探しは簡単に諦めていいものでもなかった。師匠には一目会いたい。しかし、本当にそれだけの想いであれば、あの時、ドレイクと共に旅立ちドラゴンのオルバンに乗せてもらっていたはずだ。そういうことも後からの思い付きだ。サーキスの気持ちは揺らいでいた。
ブラウン家の畑に着くとフィリアが一人、収穫が終わって実がなくなったトマトの茎を掴み、根っこから引き抜こうとしていた。
「ぬ、抜けない…。さすがに今年は根がしっかりしてるねえ…。それともあたしが年なのかねえ…」
「ばあちゃーん! 手伝いに来たぜ!」
サーキスが元気よく挨拶して畑に入る。
「あらあらサーキス、律儀に来たのかい? お手伝い券なんか冗談だから気にしなくていいのに。病院はいいの?」
「うん、先生から許可はもらったよ。トマトを引き抜くの?」
「そうだよ、男手があると助かるよ! じゃんじゃん引き抜いて!」
「オッケー! それなら俺でもできそうだぜ! えっと…」
サーキスは周りを見渡した。
「ファナは買い物でいないよ。残念だったね」
「そんなことないぜ! ばあちゃんとも話したいし!」
そう言いながらサーキスはトマトの茎を掴んで根っこから引き抜いた。
「おやおやさすが男の子! 力強い! …将を射んとする者はまず馬から、だね。」
「いやいや、ばあちゃんから手品を教えてもらいたいしね。それとばあちゃん、腰は大丈夫?」
フィリアはサーキスがトマトを抜いた跡をクワで掘り返す。
「腰はおかげさまで良くなった。でも今日は息苦しい気がするんだ…。足が痛い気がするんだよね…。まあ、年だから気のせいかね!」
「大丈夫? 先生に診てもらった方がいいんじゃない?」
「大袈裟だね! 大丈夫だよ!」
「ならいいけど…。ところで話変わるけど、ばあちゃんは何で手品を始めようって思ったの?」
「若い時にあたしの好きな人がいてねえ。その人の気を惹きたくてちょっとした誰でもできるような手品を始めたんだよ。それからハマっていってねえ。うちも昔は金持ちだったんだよ。ここだけじゃなくて、よその土地にも畑があったし、畑耕すのに人を雇ってね。あたしは草むしりもやったことのないお嬢様だったんだよ。今じゃ信じられないだろ? 金も暇もあったからあたしは家族でヨーロッパ各国旅してプロの手品師の手品を観て廻ったりしたよ」
「うぉ! すげー!」
「楽しかったねえ。あたしみたいなのはマジックマニアって人種になるんだけど、そんな奴はプロに歓迎されるねえ。会う人会う人、手品の技を教えてもらったよ」
「なにそれ⁉ 俺に教えなくて人には教わってるじゃん⁉ ばあちゃん矛盾だぜ!」
「いーや。あんたの訊き方が悪いね。違うか…、やっぱり普通の人には無理かな? どちらにせよある程度テクニックを持ち合わせてないと厳しいねえ。訊き方のコツとしてはその人の持ちネタを避けて質問することだね。どこどこの誰々がやってたこういう手品を真似したい。教えてって言ったら快く教えてくれるよ」
「いやそれ、俺には無理だよ」
サーキスは次々と収穫が終わったトマトを根から引っこ抜く。若い労働力のおかげで、トマトはここまでで数十本引き抜かれていた。
「だから無理だって言ってるじゃないか。それから、プロ手品師の世界って狭くてねえ。みーんな他の手品師を意識してる。で、全員が全員、自分がナンバーワンって思っているからマジシャン同士仲が悪いんだよ。よその手品師の裏話や悪口をたくさん聞けたよ。面白い! やってることは夢があってファンタスティックなのに器の小さいことばっかり言ってるんだよ! あいつがやってることは俺の真似だとか、あいつのテクは十年遅れてるとか、あいつは二十年前に暴力事件を起こして警察の厄介になったとかね!」
「うわ、何か聞きたくない! 夢が壊されるよ!」
「ごめんごめん。そうそう…、あんたって口は堅そうだね…。自分のことはあまり喋らないし…」
サーキスは黙ったまま、トマトの引き抜き作業を続けた。
「男ってのはそういう方があたしは好みだよ。あたしはあんたにずっとここに居て欲しいねえ。それからあたしが手品師だと名乗らない理由はね…」
ちょうどその頃、パディは病院から出かけようとしていた。サーキスとファナのことが気になって仕方なかった。上着に白衣を着たままだ。
「リリカくーん、ちょっとブラウンさん家の畑を見てくるー! お留守番頼むよー」
「はーい」
乾いた土の上に太くたくましいトマトの茎が列を成して横たわる。サーキスは軽いトレーニングとでも思いながら仕事を続けていた。
「…でね、あたしが手品を人に観せない理由なんだけど、さっきも言ったけど昔は家は金持ちだった。けどあたしの祖父が大量に買った種や苗を盗賊に奪われてねえ。何台も馬車で輸送しているところを襲われちゃった。さらにその直後に祖父が金を預けていた銀行が倒産しちゃってね。あっという間にどん底だよ。残ったのはここの畑とその屋敷だけだよ。
そういう時って悪党に狙われやすいんだね。あたしの両親が騙されて残ったここの畑や家も盗られそうになったんだよ。それで悪党にあたしが名乗りを上げた。あたしが自分自身を賭けるから、勝負に勝ったら畑と家を返せってね。あたしはその時二十歳過ぎだった…」
「それってファナも知らないこと?」
「あの子も知らないことだね。だから言ったら駄目だよ。
悪党とはトランプで勝負することにした。一世一代の大博打だ。両親は反対したけど、知ったことか。なるだけギャラリーが多い酒場で勝負した。みんなに証人になってもらったよ。結果はあたしの大勝利だよ。赤子の手をひねるも同然。あんたの時と同じで手品の技でイカサマしたよ。その時ぐらい手品をやっていてよかったと思ったことはなかったよ。勝つとはわかっていたけど本当にあの時は膝が震える思いだった…。
それ以来、あたしは自分が手品師であることを明かさなくなったよ。子守りと思ってファナには子供の時に手品をうっかり観せちまったのは失敗だったね…。ははは」
「ばあちゃん、すごいぜ…」
「何言ってるんだい。僧侶の魔法の方がよっぽどすごいよ。人の怪我を治せるってのはあたしからしたら奇跡だよ…。でも、やっぱり息苦しい…。なんだ…」
そこでフィリアがうつ伏せになって倒れた。フィリアは顔を畑に埋めた。あまりに唐突な出来事だった。
「ばあちゃん! ばあちゃん! どうしたんだよ⁉」
サーキスが慌ててフィリアを抱き起こす。血の気のなくなった顔色。サーキスの頭に巡るのはフィリアの生命の危機。
「おーい、サーキス! どーしたのー?」
ファナが買い物を済ませたようで戻って来た。
「ファナ! ばあちゃんが倒れた!」
「えーっ⁉」
ファナが祖母に駆け寄る。サーキスがフィリアの肩を抱いて揺さぶった。
「ばあちゃん! ばあちゃん! 起きて! …息もほとんどしてない…。病院に連れて行かないと!」
サーキスがフィリアを背負おうとした時、向こうの方からのん気な声が聞こえた。
「おーい、サーキス! 仲良くやってるかーい!」
白衣姿のパディだった。サーキスとファナは大声を上げてパディを呼んだ。
「先生ーーっ! ばあちゃんが倒れたー!」
「何だってー⁉」
パディが駆け寄る。畑の中央でパディはフィリアの脈を取った。
「サーキス、ファナ君⁉ ブラウンさんは倒れる前に何か言ってなかったか⁉」
「息苦しい…。あと足が痛いとも言っていた…」
パディは躊躇なくフィリアのズボンを脱がせた。すると左足の膝から下が紫色になっている。
「サーキス! 宝箱でブラウンさんの膝の裏を視てくれ! 視る所は血管だ。それからファナ君は家から包丁を持って来て! 大急ぎで!」
ファナは慌てて家へ走り、サーキスが呪文を唱える。
「アハウスリース・フィギャメイク……テュアルミュールソー・リヴィア・宝箱」
膝の血管を視たサーキスが驚いた。血液の流れが止まっている。
「血が止まってるよ…。何だ…。血管が何か詰まってるよ…」
「やっぱり急性動脈閉塞症だ…。血栓…、サーキス、詰まっている所はどこ?」
パディはフィリアをうつ伏せにすると、サーキスは膝の中央を指差した。
「わかった…」
ファナが息を切らせながら戻って来た。
「はあはあ…。先生、包丁を取って来たよ…」
パディが包丁を受け取ると焦るように叫んだ。
「よし、サーキスもファナ君もここから五メートル以上離れて! サーキスは僕が合図したら目を閉じてブラウンさんに大回復の呪文を唱えて! 唱える時は僕に声が聞こえるぐらい大きくゆっくり! ファナ君は見ていてもいいけど、サーキスの呪文の邪魔になるから絶対に声を出さないで! 口は両手で塞いでて!」
サーキスとファナはパディ達からそれぞれ六時と九時の方向に別れた。ファナは口を手で押さえる。パディの合図でサーキスは言われた通りに目をつぶってゆっくりと呪文を唱え始めた。パディは包丁を持ちながらサーキスの声に耳を傾ける。
「スタフ・ワンズオゥルド・ソトジョンディビ・オフィスレイターズ・ニューブンソン……」
(よし、今だ)
パディはフィリアの膝の裏に思い切り包丁を突き立てた。さらにえぐるように包丁で膝の裏を切る。動脈が切れて血液が噴水のように飛び出した。パディは体いっぱいに血液を浴びた。そして血は三メートルほど上空に飛ぶ。もしここに天井でもあればそこを真っ赤に染めるほどの勢いだ。おかげで動脈の流れを止めていた血の蓋は空中へ飛んで行った。
一部始終を見ていたファナは声を出しそうになったが、塞がれた自分の手のせいで声も出なかった。目を閉じたままのサーキスは冷静に呪文を言い終える。
「……ウィルリティ・ティングスライ・ディルズンペンコ・大回復」
血の噴水も止まってフィリアの傷もたちどころに塞がる。彼女の動脈も元に戻り、血の流れも正常になった。血で真っ赤な顔のパディが二人に言った。
「二人とも来ていいよ!」
二人はうろたえながらもフィリアに近づいた。パディ達の周りの地面が血で赤く汚れている。パディがフィリアを仰向けにして両手で心臓マッサージを始めた。
「戻って来い! お願いだ!」
(僕はブラウンさんを死なせない!)
「ばあちゃん起きて!」
「頑張ればあちゃん!」
二人が大声で呼びかけているとフィリアが口を動かした。
「がふっ…。…はああぁぁ…。あ、あれ? 先生…」
フィリアが息を吹き返す。サーキスとファナはいつの間にか涙を流していることに気付いた。二人は涙を拭った。
「急に倒れたんだよ…。よかった…」
「よかった…。先生、ありがとう…。ばあちゃん、よかったよー」
血まみれの祖母を見ながらほっと胸をなでおろしたファナはさめざめと泣き始めた。白衣を真っ赤に染めたパディがフィリアに大きく深呼吸するよう促す。そしてひとしきり経つとパディがサーキスにお願いをした。
「あの、ブラウンさんは今回は助かったけど、また悪くなるかもしれない。定期的に血管や心臓を視た方がいい。それでサーキス、君にはずっと病院に居て欲しい。僕のためじゃなくてせめてブラウンさんのためにこのままスレーゼンに住んでくれないか?」
サーキスは迷わずに答えた。
「いいよ、楽勝だぜ」
「サーキス…」
ファナは瞳に涙をためて心から感謝した。
ここでの生活は居心地がよかった。周りは皆が親切だ。かと言って師匠探しは簡単に諦めていいものでもなかった。師匠には一目会いたい。しかし、本当にそれだけの想いであれば、あの時、ドレイクと共に旅立ちドラゴンのオルバンに乗せてもらっていたはずだ。そういうことも後からの思い付きだ。サーキスの気持ちは揺らいでいた。
ブラウン家の畑に着くとフィリアが一人、収穫が終わって実がなくなったトマトの茎を掴み、根っこから引き抜こうとしていた。
「ぬ、抜けない…。さすがに今年は根がしっかりしてるねえ…。それともあたしが年なのかねえ…」
「ばあちゃーん! 手伝いに来たぜ!」
サーキスが元気よく挨拶して畑に入る。
「あらあらサーキス、律儀に来たのかい? お手伝い券なんか冗談だから気にしなくていいのに。病院はいいの?」
「うん、先生から許可はもらったよ。トマトを引き抜くの?」
「そうだよ、男手があると助かるよ! じゃんじゃん引き抜いて!」
「オッケー! それなら俺でもできそうだぜ! えっと…」
サーキスは周りを見渡した。
「ファナは買い物でいないよ。残念だったね」
「そんなことないぜ! ばあちゃんとも話したいし!」
そう言いながらサーキスはトマトの茎を掴んで根っこから引き抜いた。
「おやおやさすが男の子! 力強い! …将を射んとする者はまず馬から、だね。」
「いやいや、ばあちゃんから手品を教えてもらいたいしね。それとばあちゃん、腰は大丈夫?」
フィリアはサーキスがトマトを抜いた跡をクワで掘り返す。
「腰はおかげさまで良くなった。でも今日は息苦しい気がするんだ…。足が痛い気がするんだよね…。まあ、年だから気のせいかね!」
「大丈夫? 先生に診てもらった方がいいんじゃない?」
「大袈裟だね! 大丈夫だよ!」
「ならいいけど…。ところで話変わるけど、ばあちゃんは何で手品を始めようって思ったの?」
「若い時にあたしの好きな人がいてねえ。その人の気を惹きたくてちょっとした誰でもできるような手品を始めたんだよ。それからハマっていってねえ。うちも昔は金持ちだったんだよ。ここだけじゃなくて、よその土地にも畑があったし、畑耕すのに人を雇ってね。あたしは草むしりもやったことのないお嬢様だったんだよ。今じゃ信じられないだろ? 金も暇もあったからあたしは家族でヨーロッパ各国旅してプロの手品師の手品を観て廻ったりしたよ」
「うぉ! すげー!」
「楽しかったねえ。あたしみたいなのはマジックマニアって人種になるんだけど、そんな奴はプロに歓迎されるねえ。会う人会う人、手品の技を教えてもらったよ」
「なにそれ⁉ 俺に教えなくて人には教わってるじゃん⁉ ばあちゃん矛盾だぜ!」
「いーや。あんたの訊き方が悪いね。違うか…、やっぱり普通の人には無理かな? どちらにせよある程度テクニックを持ち合わせてないと厳しいねえ。訊き方のコツとしてはその人の持ちネタを避けて質問することだね。どこどこの誰々がやってたこういう手品を真似したい。教えてって言ったら快く教えてくれるよ」
「いやそれ、俺には無理だよ」
サーキスは次々と収穫が終わったトマトを根から引っこ抜く。若い労働力のおかげで、トマトはここまでで数十本引き抜かれていた。
「だから無理だって言ってるじゃないか。それから、プロ手品師の世界って狭くてねえ。みーんな他の手品師を意識してる。で、全員が全員、自分がナンバーワンって思っているからマジシャン同士仲が悪いんだよ。よその手品師の裏話や悪口をたくさん聞けたよ。面白い! やってることは夢があってファンタスティックなのに器の小さいことばっかり言ってるんだよ! あいつがやってることは俺の真似だとか、あいつのテクは十年遅れてるとか、あいつは二十年前に暴力事件を起こして警察の厄介になったとかね!」
「うわ、何か聞きたくない! 夢が壊されるよ!」
「ごめんごめん。そうそう…、あんたって口は堅そうだね…。自分のことはあまり喋らないし…」
サーキスは黙ったまま、トマトの引き抜き作業を続けた。
「男ってのはそういう方があたしは好みだよ。あたしはあんたにずっとここに居て欲しいねえ。それからあたしが手品師だと名乗らない理由はね…」
ちょうどその頃、パディは病院から出かけようとしていた。サーキスとファナのことが気になって仕方なかった。上着に白衣を着たままだ。
「リリカくーん、ちょっとブラウンさん家の畑を見てくるー! お留守番頼むよー」
「はーい」
乾いた土の上に太くたくましいトマトの茎が列を成して横たわる。サーキスは軽いトレーニングとでも思いながら仕事を続けていた。
「…でね、あたしが手品を人に観せない理由なんだけど、さっきも言ったけど昔は家は金持ちだった。けどあたしの祖父が大量に買った種や苗を盗賊に奪われてねえ。何台も馬車で輸送しているところを襲われちゃった。さらにその直後に祖父が金を預けていた銀行が倒産しちゃってね。あっという間にどん底だよ。残ったのはここの畑とその屋敷だけだよ。
そういう時って悪党に狙われやすいんだね。あたしの両親が騙されて残ったここの畑や家も盗られそうになったんだよ。それで悪党にあたしが名乗りを上げた。あたしが自分自身を賭けるから、勝負に勝ったら畑と家を返せってね。あたしはその時二十歳過ぎだった…」
「それってファナも知らないこと?」
「あの子も知らないことだね。だから言ったら駄目だよ。
悪党とはトランプで勝負することにした。一世一代の大博打だ。両親は反対したけど、知ったことか。なるだけギャラリーが多い酒場で勝負した。みんなに証人になってもらったよ。結果はあたしの大勝利だよ。赤子の手をひねるも同然。あんたの時と同じで手品の技でイカサマしたよ。その時ぐらい手品をやっていてよかったと思ったことはなかったよ。勝つとはわかっていたけど本当にあの時は膝が震える思いだった…。
それ以来、あたしは自分が手品師であることを明かさなくなったよ。子守りと思ってファナには子供の時に手品をうっかり観せちまったのは失敗だったね…。ははは」
「ばあちゃん、すごいぜ…」
「何言ってるんだい。僧侶の魔法の方がよっぽどすごいよ。人の怪我を治せるってのはあたしからしたら奇跡だよ…。でも、やっぱり息苦しい…。なんだ…」
そこでフィリアがうつ伏せになって倒れた。フィリアは顔を畑に埋めた。あまりに唐突な出来事だった。
「ばあちゃん! ばあちゃん! どうしたんだよ⁉」
サーキスが慌ててフィリアを抱き起こす。血の気のなくなった顔色。サーキスの頭に巡るのはフィリアの生命の危機。
「おーい、サーキス! どーしたのー?」
ファナが買い物を済ませたようで戻って来た。
「ファナ! ばあちゃんが倒れた!」
「えーっ⁉」
ファナが祖母に駆け寄る。サーキスがフィリアの肩を抱いて揺さぶった。
「ばあちゃん! ばあちゃん! 起きて! …息もほとんどしてない…。病院に連れて行かないと!」
サーキスがフィリアを背負おうとした時、向こうの方からのん気な声が聞こえた。
「おーい、サーキス! 仲良くやってるかーい!」
白衣姿のパディだった。サーキスとファナは大声を上げてパディを呼んだ。
「先生ーーっ! ばあちゃんが倒れたー!」
「何だってー⁉」
パディが駆け寄る。畑の中央でパディはフィリアの脈を取った。
「サーキス、ファナ君⁉ ブラウンさんは倒れる前に何か言ってなかったか⁉」
「息苦しい…。あと足が痛いとも言っていた…」
パディは躊躇なくフィリアのズボンを脱がせた。すると左足の膝から下が紫色になっている。
「サーキス! 宝箱でブラウンさんの膝の裏を視てくれ! 視る所は血管だ。それからファナ君は家から包丁を持って来て! 大急ぎで!」
ファナは慌てて家へ走り、サーキスが呪文を唱える。
「アハウスリース・フィギャメイク……テュアルミュールソー・リヴィア・宝箱」
膝の血管を視たサーキスが驚いた。血液の流れが止まっている。
「血が止まってるよ…。何だ…。血管が何か詰まってるよ…」
「やっぱり急性動脈閉塞症だ…。血栓…、サーキス、詰まっている所はどこ?」
パディはフィリアをうつ伏せにすると、サーキスは膝の中央を指差した。
「わかった…」
ファナが息を切らせながら戻って来た。
「はあはあ…。先生、包丁を取って来たよ…」
パディが包丁を受け取ると焦るように叫んだ。
「よし、サーキスもファナ君もここから五メートル以上離れて! サーキスは僕が合図したら目を閉じてブラウンさんに大回復の呪文を唱えて! 唱える時は僕に声が聞こえるぐらい大きくゆっくり! ファナ君は見ていてもいいけど、サーキスの呪文の邪魔になるから絶対に声を出さないで! 口は両手で塞いでて!」
サーキスとファナはパディ達からそれぞれ六時と九時の方向に別れた。ファナは口を手で押さえる。パディの合図でサーキスは言われた通りに目をつぶってゆっくりと呪文を唱え始めた。パディは包丁を持ちながらサーキスの声に耳を傾ける。
「スタフ・ワンズオゥルド・ソトジョンディビ・オフィスレイターズ・ニューブンソン……」
(よし、今だ)
パディはフィリアの膝の裏に思い切り包丁を突き立てた。さらにえぐるように包丁で膝の裏を切る。動脈が切れて血液が噴水のように飛び出した。パディは体いっぱいに血液を浴びた。そして血は三メートルほど上空に飛ぶ。もしここに天井でもあればそこを真っ赤に染めるほどの勢いだ。おかげで動脈の流れを止めていた血の蓋は空中へ飛んで行った。
一部始終を見ていたファナは声を出しそうになったが、塞がれた自分の手のせいで声も出なかった。目を閉じたままのサーキスは冷静に呪文を言い終える。
「……ウィルリティ・ティングスライ・ディルズンペンコ・大回復」
血の噴水も止まってフィリアの傷もたちどころに塞がる。彼女の動脈も元に戻り、血の流れも正常になった。血で真っ赤な顔のパディが二人に言った。
「二人とも来ていいよ!」
二人はうろたえながらもフィリアに近づいた。パディ達の周りの地面が血で赤く汚れている。パディがフィリアを仰向けにして両手で心臓マッサージを始めた。
「戻って来い! お願いだ!」
(僕はブラウンさんを死なせない!)
「ばあちゃん起きて!」
「頑張ればあちゃん!」
二人が大声で呼びかけているとフィリアが口を動かした。
「がふっ…。…はああぁぁ…。あ、あれ? 先生…」
フィリアが息を吹き返す。サーキスとファナはいつの間にか涙を流していることに気付いた。二人は涙を拭った。
「急に倒れたんだよ…。よかった…」
「よかった…。先生、ありがとう…。ばあちゃん、よかったよー」
血まみれの祖母を見ながらほっと胸をなでおろしたファナはさめざめと泣き始めた。白衣を真っ赤に染めたパディがフィリアに大きく深呼吸するよう促す。そしてひとしきり経つとパディがサーキスにお願いをした。
「あの、ブラウンさんは今回は助かったけど、また悪くなるかもしれない。定期的に血管や心臓を視た方がいい。それでサーキス、君にはずっと病院に居て欲しい。僕のためじゃなくてせめてブラウンさんのためにこのままスレーゼンに住んでくれないか?」
サーキスは迷わずに答えた。
「いいよ、楽勝だぜ」
「サーキス…」
ファナは瞳に涙をためて心から感謝した。
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