病院の僧侶(プリースト)2 ギルの戦い

加藤かんぬき

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アルペンローゼ・アプリコット(2)

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 腹膜播種ふくまくはしゅ。腹の膜に畑の種をばらまくように、癌細胞がんさいぼうが散らばった状態をそう呼ぶ。
 初めはがんが目に見えないほど小さいが、やがて増殖、移動、転移して患者の命を奪う。
 パディ・ライスは癌の治療を苦手としていた。そもそも抗癌剤がこの世界にはない。薬屋に頼もうにもパディは作り方を知らなかった。知識があったとしても化学物質を生み出すのに技術力が圧倒的に足りない。

 そこでパディはアルペンローゼの癌治療にあたって、肉眼で見えるようになった癌を何度も切る、という力技の方法を選ぶ。
 入院中のアルペンローゼの腹部を、僧侶に宝箱トレジャーで何度も観察させ、癌細胞が育って肉眼で見えるようになったら、その日のうちに手術で切り取る、そんな戦法で癌に挑んだ。
 手術の回数も週に二回から三回。

 その日も手術台に乗せられたアルペンローゼの腹部が切られる。内部を観察していると異変に気づいたリリカがすぐ隣の僧侶に言った。
「ここに育ってる癌が…。マディソンさん! 報告を受けてない癌がありますよ!」
「申し訳ない、リリカ…。見逃していた…」
 宝箱トレジャーの呪文はたいていの僧侶が使うことが可能だが、人体内部を視るには個人の力量に左右される。視力、注意力、観察力。病巣を見逃すことは誰にでもありえた。

「まあまあリリカ君。誰にでもこういうことはあるよ」
 マスクに手術着姿のパディがなだめた。
「それに、透視してもらった時から癌が育ったのかも」
「ダメですよ、先生! そんな甘いことを言っていてはアルペンローゼさんの命が削られて行くばかりです! マディソンさんはもっと命がけで透視して! 小さいミスも許されないわ!」
 アルペンローゼの癌は腹部のあちらこちらに転移していた。全ての癌を取りきることは不可能だった。

 手術が終われば一時の間だが、アルペンローゼは体調が良くなった。
「今回も無事に終わったんですね。毎回、ベッドに寝てるだけで終わるから楽でいいわ。うふふ」
 実際、この時間にも見えない癌が大きくなっている。手術室にいる全員がアルペンローゼの残された時間を思い、耐え忍んだ。

 アプリコット一族は資産家でスレーゼン市で知らない者はいないほどだった。一族の数人はライス総合外科病院の世話になり、パディ医師によって命を救われている。アルペンローゼの父はパディ・ライスに全幅の信頼を寄せていた。
 無神論者のアプリコット一族を見ていた、やはり神を信じないリリカは不思議なことに思えた。

 女神を信じない者が健康を得て幸せになり、信じる者は病気を悪化させて不幸になる。信仰とはいったい何なのだろうとリリカは考えた。
(いや、そもそもカスケード寺院が言っていることだもの…。女神セリーンは関係ないのかも…。もうカスケード寺院が分教してカスケード教でも作ればいいのよ…)

 そんなことを考えながらカウンターで自分の仕事を始めようと机を見れば、見覚えのないノートを見つけた。ノートはページが開かれており、雑文か何かがギッシリと書き込まれている。それはアルペンローゼの書いたものとすぐにわかった。リリカは吸い込まれるようにそれを読みだす。


『―――看護師で受付のお姉さん、ルリカさんは膨大な書類を机に叩きつけるようにして言いました。
「アルペンローゼさん! この書類の整理をお願い! それが終わったら玄関の掃除! 待合室から見えるガラス拭きも全部! その後はお風呂の掃除よ! 今日中に終わらせて!」
 ルリカさんはかわいらしい金髪のツインテールで他の患者さんには優しく接しますが、治療費を払わない私には恐ろしく冷たく言い放ちます。ツインテールが悪魔の尻尾のように見えます。

「ラディ先生は超善人だからあなたのような貧乏人にも治療をしてあげるけど、あたしはそれが許せない! お金が払えない分、労働で奉仕するのよ! 働いて返して!」
 末期の患者にあまりの仕打ち。私は涙をこらえながら仕事を始めます。
「ああ、急にお腹が…」
 私に襲いかかる突然の激痛。そんな状態でもルリカさんは容赦ありません。

「またまたー。仕事したくないからってそんな演技を。あたしには通じないわよ。それに昨日もあなた、ラディ先生とキスをしてたわね! 自分が末期癌だからって先生を同情で誘うのはやめて!」

 私はルイス総合外科病院の医院長と恋仲にありました。主治医の院長からの猛烈なアタックに心を奪われ、主治医のラディ先生と恋に落ちたのです。前々から医院長に恋心を寄せていたルリカさんはそれが面白くありません。私のことが憎くて憎くて仕方ない様子です。
「はいはい。整理を続けなさい! 何であなたがルディ先生と…あたしの方がよっぽど…」』


 アルペンローゼが書いたノートを読んだリリカ。
「何よこれ! 何よこれ⁉ 何なのこれ⁉」
 彼女は我を忘れて叫んだ。そこへふらっとアルペンローゼが現れる。
「あらあらあらー、ルリカさん、読んじゃったー? うふふふー!」
「あたしはリリカ! アルペンローゼさん! これはどういうことですか⁉」

「ローゼでいいって言ってるじゃない。これはエッセイよ。書き終わったらコンクールに応募するの。タイトルは『エッセイ・アルペンローゼ、闘病の果てに』よ。健気な末期癌の女性が悪辣な看護師さんにいじめられながら、自分の病気と向き合う感動作よ!」

「全然、エッセイじゃないですよ! 捏造だわ! 嘘ばっかり! 創作って言った方が正しいわ! …思ったけどアルペンローゼさん、あなた、あたしがこれを読むようにわざとノートを開きっぱなしにしましたね」

「せいかーい! ルリカさんには一番に読んで欲しかったもの! 反応が予想通りでとっても嬉しいわ!」
「それから、これ名前が間違ってる。ここは『ラディ先生』って書いてるのにこっちは『ルディ先生』になってる」

「え? …わー、本当だ! ルリカさんは添削も優秀! アシスタントに…」
「ならないわよ」
「ケチー!」

 終始笑顔のアルペンローゼにリリカは眉間にシワを寄せている。アルペンローゼが続けた。
「コンクールもね、お父様の知り合いの出版社に応募するの! 賞金は五万ゴールドなんだけど、お父様にその会社に三十万ゴールドほど寄付してもらって私が一等をもらうのよ! 出来レースってやつ! 生まれもその人間の能力の一つよ! ホホホホホ! …ホホホホって高笑いを初めてやってみたけど、私に似合ってるわね! ホホホホ!」

「…あの、コンクールっていつあるんですか?」
「締め切りは今から半年後」
 その頃にはおそらくもうアルペンローゼはこの世にいない。リリカは口をつぐんだ。それをアルペンローゼは明るく返す。
「ちょっと急に黙り込まないで! つまらないでしょ、ルリカさん!」
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