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アルペンローゼ・アプリコット(1)

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「こんにちはー」
 病院にジョセフ、サフラン、ポーラの孤児院の子供三人がやって来た。学校帰りの様子だ。ギルは挨拶も無しに子供たちを注意する。
「おいおい。お前ら、俺様は仕事中だぞ。遊びに来るな」

 パディが間に入る。
「まあまあ、いいじゃないかギル君。三人ともこんにちは」

「木こりさん、こんにちは!」
「パディ先生こんにちは」
「こんにちは。暇そうだね」

「うん! 患者さんがいないからね!」
 笑顔で正直に話すパディにギルが言った。
「ドクター! あまり本当のことを言うな! 俺の仕事は簡単なものと思われてしまう! 俺様が額に汗して働いているイメージがないと困るんだ! ガキどもからの尊敬の念が消え失せたらどうしてくれる⁉」

「師匠もそんなことを僕たちの前で言ったらダメだよ…」
「私はギルのことを尊敬してるよ!」
 ジョセフ、ポーラのあとにサフランが笑う。
「イヒヒヒ!」

 ギルが子供たちに質問した。
「レナードはどうした?」
「レナードは学校に居残って勉強してるよ! 勉強が面白いんだって! 理解できない!」

 ポーラがサフランに言った。
「呪文の勉強の方がいいよね?」
「そうだよ! 学校の勉強は面白くなーい。でもケーキ作りよりは全然いいよ! ケーキ作らなくていいのは幸せー!」

「し、師匠の前でそんなことを言ったら駄目だよ!」
 ジョセフ少年の言葉も聞かず、ポニーテールのポーラが主張する。
「サフランの言う通りだよ! ケーキ作りは粉をまぜまぜ、腕は痛くなるし、甘ったるい匂いが充満して息も苦しくなる…。ギルの魔の手から助けてくれたフォードさんには本当にありがとうって言いたいよ!」

「それを言われたら僕はケーキを売るのがつらかったな…。知らない人に『パウンドケーキはいりませんか』って言うのすごく恥ずかしかった…。でも、サフランはケーキを売るのが上手だったよね」
「そうそう! 『これが売れないと私、悪い悪魔みたいなお兄さんからお尻をぶたれるの。十日は治らないぐらいの痛みなの』って泣き真似してた! 同情を買ってケーキを売ってたもん!」

「脚が悪い振りもしてたね! とっくに治ってるのに! 前は脚が悪かったから、振りが上手なんだよ! 人としてどうかと思うよ!」
 ギルとパディが同時に驚いた。
「何だって⁉」
「せっかく僕が脚を治したのに!」

「イヒヒヒヒー!」
 悪しき笑顔のサフランを、ギルは指差しながらジョセフたちに大声を上げた。
「ジョセフ! どうして俺に報告しなかった⁉」

「ケーキが売れないと僕も困るもん! 売れ残ったら晩ご飯に出てくるでしょ! ご飯で甘い物なんかありえないよ!」
 そんなジョセフにポーラが同意する。
「そうそう! ケーキがご飯って絶対に体に悪いよね! それをギルとミアだけ『おいしいおいしい』って。どういう味覚してるの⁉」

「き、貴様ら…」
 苦痛に歪むギルの表情にサフランは大満足のご様子だ。
「ヒヒヒヒー!」

 パディがギルに同情する。
(ギル君もたいへんだな…)

「ケーキの話は置いといて」
 ジョセフが話を変えた。
「今日は知らない人にポーラが声をかけられたから、師匠に知らせに来たんだ。ベストを着込んだおじさんと日傘をさした金持ちそうなおばさんだった。ポーラを見たその人たちは『この子、アルペンローゼの小さい頃に似てる』って言ってた。その人たちの子供がポーラに似てるんだって…」

「ちょっと待って」
 パディが口をはさんだ。
「言われたらポーラ君の黒い瞳はローゼさんに似てる…ような…気がする…。自信はないけど…。ジョセフ君、そのご夫婦はアプリコットって名乗らなかった?」

「そうだよ! 先生は何でわかるの⁉ そしておじさんたちからポーラの名前とか、親はどことか、色々訊かれて! どうしようかと思ってたら、横からサフランが自分たちは孤児で、育ての親はギル師匠で、家は病院の南西のお屋敷みたいなところとか、ベラベラとしゃべっちゃったんだよ!」

 パディが注意した。
「だ、駄目だよサフラン! 個人情報を知らない人に話したら!」
「ヒヒヒ…。ごめんね」
 しかし、人たらしのサフランはこの頃から人を見る目が肥えつつあった。

 ポーラが言った。
「そのおじさんとおばさんが今度、うちまで挨拶に来るかもって! おうちの人に言っておいてって言われちゃった!」

 パディがカウンターの方を振り返ってリリカを見た。
「聞いてたかい、リリカ君?」
「はい、聞いてました…」

 リリカは机の一番上の引き出しを開けて書類を取り除き、引き出しにじかに書かれた言葉を見た。
『リリカさん、私の分までがんばって』
 それは太いペンで綴られていた。

     *

「私は~♪ 私は~♪ アルペンロ~ゼ~♪ ながい~♪ ながい~♪ 名前が長い~♪」
 三年前のライス病院。受付カウンターの前でミュージカルのように歌う黒髪の女性。
「ねえねえリリカさん! この街って花の名前を女の子につける人って多いでしょ? ずっっっと思ってるけど私って名前が長いでしょ? お父様に何でアルペンローゼの花にしたのか訊いても答えてくれないの。もう最初からローゼでいいじゃない⁉ フルネームで名乗ると『アルペンローゼ・アプリコットです』って長いの! 無駄な時間! リリカさんは短くていいなあ」

 アルペンローゼと名乗る女性はカウンターの中に入ってリリカの隣に座る。看護師の格好のリリカはパディが簡易的に書いたカルテに詳細な言葉を付け足す作業を行っている。手術回数の多い患者の分厚いカルテだ。
「リリカさんは専門用語をいっぱい知っててすごいなあ。受付の人ってこんなことまで覚えるのね」

「アルペンローゼさん、そこの散らばってるカルテを棚に戻してくれる? あたしちょっと散らかしちゃって。ごめんなさいね」
「やったー! リリカさんからお仕事いただきました! ではさっそく!」
 長身のアルペンローゼが立ち上がる。服装は赤いワンピース。八頭身の美人の彼女は棚の高い場所へも簡単にカルテを戻して行く。

「助かるわ、アルペンローゼさん。あたしは背が低いから踏み台がないと届かないから」
「ローゼでいいって言ってるじゃない! 何回言ったらわかるのよ…、あ! いらっしゃい、ゼシルさん!」
 患者らしき男が現れた。キツネのような細い目でお世辞にも男前とは言い難い青年だ。
「ローゼさん、遊びに行こう!」

 リリカが代わりに答えた。
「当院でのナンパはご遠慮ください」
「リリカさん! 俺はローゼさんと話してるの! …ローゼさん、今晩飲みに行かない?」
「私はお酒は飲みませんことよ。主治医に止められてますの。私の主治医のお言葉は絶対ですの。それよりゼシルさん! 健康診断受けません⁉ 体のことは治療よりも普段の予防に気を付けた方がトータルでお金がかかりませんことよ!」

「えっと…いくら?」
「リリカさんおいくら?」
宝箱トレジャーは一回三百ゴールド」
「受けよっかな」

「いらっしゃいませ! 患者さんお一人ご案内! パディ先生! お願いしまーす!」
 しばらく経って受付にゼシルが戻るとアルペンローゼに笑顔で報告する。
「先生からは何ともない、健康だって言われたよ。はい、三百ゴールド」
「それは素晴らしいですわ! 今度はお友達を健康診断に誘ってください!」

「うん、また来るよ!」
 キツネ顔のゼシルが去って行くと、その光景を覗いていたのか隣の部屋から現れたパディが言った。
「すごいよ、ローゼさん! 営業もやってるんだね!」
「うふふ! このライス病院も私が儲けさせてみせますわ! そろそろお昼なのでナタリー食堂へご飯に行きましょう! …リリカさんは?」

「あたしはいいわ。二人で行ってくれば?」
「では! 今日も先生には私が奢って差し上げますわ! ナタリー食堂へ味の薄いスープを飲みに行きましょう! パディ先生用の特別製みたいですけど、私も薄味に慣れましたわ!」
「うふふ!」

 長身の二人が笑顔で並んで歩くとどこから見てもお似合いのカップルにしか見えなかった。それをリリカは無表情で見送る。
 リリカが机の上の手元にあるカルテに目を移し、見直す。患者名はアルペンローゼ・アプリコット。病名は腹膜播種ふくまくはしゅ。アルペンローゼは末期癌まっきがんの患者だった。
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