ときにはシリーズ

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ときには、気心知れた親友と

㉒ 『決着』

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 先手はバルネアの料理。
 審査員達に給仕されるのは、少し深めのスープ皿。
 それに、付け合せとして食べやすい大きさに切られたバゲットが添えられている。

「あの、ルーシアさんとジェノさんも、どうぞ」
 審査員への給仕を終えたメルエーナが、ジェノ達の調理台まで料理を運んできてくれた。

「感謝する、メルエーナ」
「あら、ありがとう」
 ジェノとルーシアはそれを受け取り、料理を確認する。

 ちょうどそのタイミングで、司会者がバルネアに料理の説明を求めた。

「はい。私が今回お出しする料理は、ご覧の通りのブイヤベースです」
 調理台には戻らず、審査員達が座る席の前で、バルネアは料理の名前を告げる。

 ブイヤベース。
 魚介類を香味野菜で煮込む料理。
 見た目が悪かったり、一部に毒があったりで、商品にならない魚を消費するために考案された煮込み料理が原型とされている。
 深みのある茶色いスープが大変美味しい料理であるが、特段珍しい料理という訳ではない。

「ブイヤベース? ありきたりだな。具材も、白身魚や海老と貝といった感じで、特に目を引くものはない」
 審査員の一人が率直な感想を口にした。そして観客の一部からも同じような声が上がる。

「ふふふっ。彼女の料理はいつもそうなんですよ。ありきたりの料理でとびっきりの味を楽しませてくれる。けれど、飽きが来ない味付けなのですわ」
 唯一の女性審査員が、やんわりとそう付け加える。

「さぁ、まずは一口、味をご確認ください」
 バルネアが促すと、審査員達は互いの顔を見て頷き、スプーンでまずはスープを賞味しようとする。

 だが、スープを口に運ぶ直前で、すでに皆の相好が崩れ始める。えも言われぬ素晴らしい香りが、湯気とともに鼻孔をくすぐり、自然と笑顔にしてしまうのだ。

 それは、調理台でバルネアの料理を口にしようとするルーシアも同じだった。

「まったく、腹が立つくらい、いい出来のブイヤベースね。この香りだけでバゲットが進みそうだわ。しかも、海老と貝類をわざと入れている」
「わざと、ですか?」
 ジェノはバルネアの料理の評価が気になり、料理に手はつけていなかったが、ルーシアの言葉が引っかかった。

「あら、貴方にしては不勉強ね。ブイヤベースって、本来は決められた新鮮な魚を四種類以上と、サフランを用いて作る料理で、基本的には海老や貝は入れないのよ。
 まぁ、家庭で作る場合は、海老や貝を入れてごった煮風味にしてしまう事が多わよね。でも、本場のブイヤベース愛好家にしてみれば、邪道この上ない料理というわけ」
 ルーシアが簡単に説明してくれる。

「それを、バルネアさんは……」
「もちろん知っているわよ。知った上で、敢えて入れているのよ。あいつは、間違いなく入れたほうが美味しいと判断しているってわけよ。
 あいつの前では伝統もなにもないの。より美味しくて、お客様が喜んでくれる料理を作るというのが、あいつの信条だから」
 ルーシアの説明を受け、ジェノは気になって料理に匙を伸ばしてスープを味見する。

 舌で味を感じるよりも早くに、素晴らしい香りが広がり、美味しいと思ってしまう。さらに、それを舌で感じ取った際に起こる旨味の多幸感に、思わず言葉を失ってしまった。

「……ふ~ん。以前、あの島で食べたときよりも更に味が洗練されているわね。これを食べてしまったら、忘れられなくなってしまうわ」
 ルーシアも味見をして、舌を巻く。だが、それはすぐに笑みに変わった。
 
「いいわ、バルネア。そうでなければ、私も全力を出した意味がないもの」
 ルーシアはそう言うと、ジェノの背中をバンと強く叩く。

「ほら、気後れはしないんじゃあなかったの?」
 ルーシアの挑発的な言葉に、ジェノは口の端を上げる。

「ええ。ただ少し驚いただけです」
「いいわね、その減らず口。嫌いじゃあないわよ」
 ルーシアは、もう勝敗は決まったとばかりに料理を絶賛する審査員達に向かって、ニンマリ微笑む。

 ジェノには、彼女のその姿がとても頼もしく思えた。そしてそれと同時に、彼女が心から嬉しそうなのも理解できた。

『どう、分かった? このとんでもない料理を笑顔で作り上げるのが、バルネアという稀代の料理人よ』

 ルーシアは語らなくても、その目が輝いて、そう語っていた。
 自らの親友を称賛する人々に、告げていたのだ。

 けれど、ルーシアはそんな親友に決して負けないという自負もある。
 あいつのとなりで競い合うのは私しかいないという、傲慢な程の自負が。

「さて、そろそろ私達の番ね。行くわよ、ジェノ!」
「はい」
 瞬く間に空になった皿を片付けるバルネアとメルエーナを横目に、ジェノ達は料理を取り分けて、審査員達に給仕するために足を進めるのだった。







 メルエーナは、バルネアの作ったブイヤベースが絶賛されたことに、ほっと胸を撫で下ろした。
 もちろん、味見したときからその素晴らしい味は理解していたのだが、こうして結果が出たことに安堵する。

 けれど、これはまだ目的の半分が達成できたに過ぎない。
 しかも、残りの半分は、すべてルーシアさんの料理に懸かっているので、メルエーナにできることは、ただ祈るだけだった。

 だが、そんな彼女とバルネアのところに、ジェノがやってきて、スープ皿と、クルトンとチーズ、そして黄色いソースが入った小皿を給仕していく。

「ルーシアさんから、バルネアさんとメルエーナの分だと預かってきました」
 ジェノはそれだけ告げると、一礼して調理台に戻っていってしまう。

「これは……」
 その事を寂しく思いながらも、メルエーナはスープ皿の中身を確認する。
 そこにはブイヤベースと同じ深みのある茶色のスープが盛られている。けれど、香りが違う。そして、濾してあるスープであるため、具材が何なのかがわからない。

「あらあら、流石はルーシアね。すごく美味しそうだわ」
 バルネアはその料理を見て、ニコニコと笑っている。

「さて、続きまして、ルーシアさんの料理です。ルーシアさん、料理の説明をお願い致します」
 司会者の声に、メルエーナは慌ててそちらに顔を向ける。

「今回皆様にお出しする料理は、『スープ・ド・ポワソン』と呼ばれる料理です」
 ルーシアは慇懃に料理を説明する。

「その名のとおり、魚のスープという意味で、先程、バルネアシェフが皆様にお出ししたブイヤベースと基本的には同じ料理です。
 まずはスープを味わってみてください。その後に、クルトンにルイユという黄色いソースを塗り、チーズと一緒にスープに入れてお楽しみ下さい」
 ルーシアの説明に、どよめきが起きる。

「同じ? この何も具材が入っていない地味なスープが?」
「馬鹿。濾してあるに決まっているだろう」
「でも、何だか本当に地味よね」

 観客から上がる無責任な言葉を耳にしながらも、ルーシアは笑みを浮かべている。
 絶対的な自信があるのだ。

「あっ……」
 メルエーナは眼前のスープの匂いを嗅ぎ、その芳しさに戦慄する。

 そしてそれは、審査を始めた審査員達も同様だった。

「素晴らしい。まるで魚の臭みは感じられないのに、その旨味だけが口いっぱいに広がっていく」
「何よりこの香りですよ。先程のバルネアシェフのブイヤベースの香りも良かったが、それに勝るとも劣らない」
「しかも、海老や貝は使われていないようだが、魚だけでここまで深い味わいが生まれるものなのか」

 絶賛だった。手放しの絶賛。
 メルエーナも意を決して、ルーシアの料理を口に運ぶ。

「……ああっ……」
 思わず感嘆のため息が漏れた。
 言葉にできない。そして、頭の中でもこの料理を修する言葉が、ただ『美味しい』としか表せない。

「流石はルーシアね。スープが最高なのはもちろん、付け合せもいいわね。うん。スプーンが止まらないわ」
 バルネアも嬉しそうに料理に舌鼓を打っている。

「これは、勝敗は決まったのではないか? シンプルな魚の旨味を全面に出すこの料理の方が、単純だからこそ、熟練の技術に裏打ちされた高度な料理だと儂は思う」
「いえ、待って下さい。たしかにこの料理は美味しい。ですが、先程の『ブイヤベース』が負けているとは、私には思えません。
 ルーシアさんの『スープ・ド・ポワソン』は魚の旨味しかありませんが、そこに海老や貝の旨味を更に加えて味のバランスを取るほうが難しいのではないでしょうか?」
「だが、敢えてその味を加えなければ、バルネアシェフの料理は、ルーシアシェフの料理に追いつけないということでは?」
「それは論点が違うでしょう。魚の旨味だけを引き出したほうが勝ちという勝負ではないのですよ。総合的に味を判断しないと……」

 ルーシアの料理を完食した審査員達は、各々の意見を口にして他の審査員に同意を求めるが、誰もが主張を曲げようとはしない。

 観客達も、どちらの料理が美味しそうなのかで喧々囂々になってしまっている。

「……すごい。やはりバルネアさんもルーシアさんも、素晴らしい料理人です!」
 二人で細かな料理のすり合わせをせずに、全力でぶつかりあったのに、その実力は完全に拮抗している。それは、バルネアとルーシアがお互いを意識して、信用して、全力で調理をした料理を出しても、相手もそれに劣らない料理を出してくると信頼していたからだ。

 あまりの感激に、メルエーナの瞳に涙が滲んでくる。

 二人共、なんて素晴らしい料理人なのだろう。そして、この互いを高められる関係性が、この上なく美しいものに思えた。

 ……しばらく、審査員達は話し合っていたが、当初の予定り、各々がこちらの料理が美味しいと思う料理人の名前が書かれた小さな旗を揚げる事となった。

 それは、決して引き分けがないことを意味する。

 そして、その結果は……。


「以上、三対二の結果を持って、今回の料理勝負の勝利者は、<銀の旋律>料理長、ルーシア氏とする!」
 審査員長の声が、会場に響き渡った。

 だが、観客の中には納得がいかない者も多い。

「そうか? どう見ても、バルネアさんの料理の方が、手が込んでいて美味そうに見えたけどな」
「そうそう。ルーシアシェフの料理はやっぱり地味よ」
「いやいや、結果は受け止めろよ」
「何で、お前が偉そうに仕切っているんだよ!」

 しかし、そんな収集が付かなくなりそうなところに、

「みなさん! 少し私の話を聞いて頂けませんでしょうか?」

 凛としたルーシアの声が会場に響き渡った。

 メルエーナは彼女が何を言おうとしているのかすでに分かっているので、急いで借りていた厨房に向かって走る。
 そして、厨房の大鍋を運ぼうとした所で、背中から声がかかった。

「無理をするな、メルエーナ。折角の料理がこぼれてしまっては、これからに差し支える。俺が運ぼう」
「ジェノさん!」
 ようやく敵対する間柄でなくなったことに安堵し、メルエーナは自分に声をかけてくれた少年の名前を口にする。

「ここからが本番だ」
「はい!」
 メルエーナは満面の笑顔で答え、ジェノと一緒に最後の準備を開始するのであった。







 料理対決の勝敗が決まったあの時、ルーシアは審査員と観客達に提案をした。

「この勝負結果が、たった一人の差しかないというのは納得がいきません。そこで、私はより多くの人達に私の料理を食べて頂き、その味を確認して頂きたいと思います。
 幸い、このナイムの街の議員様の計らいで、調理予算は多めに頂いておりましたので、少量ずつにはなりますが、十分観客の皆様に味わって頂ける量をすでにご用意しておりますので」
 ルーシアのその言葉に、皆が呆気にとられ、言葉をなくした。

「あら、それは好都合ね」
 そう言って、バルネアが歩み寄り、ルーシアの隣に立つ。

「せっかくこうしてお集まり頂いた皆様にも、料理を食べて頂こうと思い、私も同じように料理をご用意しております。
 私もこの勝負結果は納得がいきませんので、これから、観客の皆様にも味わって頂いて、今後、どちらの店を訪れて頂けるかで、その勝敗としたいと思います」

 全く相談していなかった行動に、審査員達や司会者達は面食らうが、ルーシアとバルネアはお互いの顔を見て微笑んだ。

(ふっふっふっ。私をこんなふざけた舞台に上げた罰よ。せいぜい慌てふためきなさい)
 ルーシアは厳かな顔の裏で、そんな事を思い、意地悪く笑っていた。

 今まで見ているだけだった垂涎の料理を食べられる機会が訪れた観客達を、止められるものなら止めてみるがいい、と。


 そうして、結局、ジェノとメルエーナがそれぞれの料理のストックを運んできて、来場者達に振る舞われることになった。

 笑顔だった。
 どちらが美味しいかと聞かれると迷ってしまうだろうが、この会場に来て、ルーシアとバルネアの料理を口にする幸運に恵まれた人々は、誰もが笑顔を浮かべている。

 どちらの料理が美味しいかは各々が判断すればいい。
 そして、今後建設予定の<銀の旋律>の支店に足を運ぶか、バルネアの<パニヨン>に足を運ぶかを選べばいいのだ。

 ルーシアとしては、開店前に良い宣伝をさせてもらえたので文句はない。
 それに、僅差で破れたバルネアの店にもさしたる影響は出ないだろう。

 忙しく料理を簡易容器に盛り付けながら、ルーシアはバルネアの方を向いて、「今回も私の勝ちね」という気持ちを込めて笑みを向けてやる。
 すると、バルネアはぷくぅと頬を膨らませ、「次は負けないから」と言わんばかりの視線を向けてくる。

 ルーシアはそれを見て満足そうに微笑み、途切れることのないお客様のために料理を提供し続けるのであった。
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