ときにはシリーズ

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ときには、気心知れた親友と

⑲ 『過去語り⑥』

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 どうして、こんなことに。
 詮無きことだとは思いながらも、ルーシアは嘆かずには居られなかった。

 バルネアは、ついに念願の自らの店を持つことになった。

 自分が生涯の好敵手と認めた相手だ。きっとその店は瞬く間に繁盛し、知る人ぞ知る存在に過ぎなかったバルネアの名前が、大きく世間に認知されることを確信していた。

 それなのに……。

「バルネア……」
 病院のベッドで眠る、明らかに衰弱している友人の名前を口にし、ルーシアはこみ上げてくる涙を懸命に堪えていた。
 けれど、彼女の傍らに座ってその顔を見ていると、以前の明るく脳天気な笑顔を浮かべていた頃とのあまりの違いに、ついに堪えきれなくなってしまう。


 夫に手配をお願いすると、すぐに医者を連れてきてくれた。
 そして、バルネアを診断してもらおうと思ったのだが、初老の医者はバルネアの姿を一目見るなり、病院に運ぶので手伝うようにと指示を出したのだ。

 医者に同行していた看護師と夫が、力を合わせてバルネアをこの病院に運んでくれた。
 そして、注射を打って錯乱するバルネアを落ち着かせ、この病室のベッドに横に寝かせた。

 バルネアは、しばらくの間ティルの名前を何度も口にしていたが、薬の効果なのか、ようやく先程眠ってくれた。

「この馬鹿。あと数日遅かったら、危なかったって言われたのよ……」
 ルーシアは文句を言いながらも、辛そうな顔で眠り続けるバルネアの手を優しく握る。
 すると、僅かだがバルネアの表情が和らいだ。
 
 本当に、不幸中の幸いだった。
 バルネアの店の開店祝いには、自分達の他にも何人も呼ばれているが、自分達が一番乗りだった。だが、もしも悪天候で到着が遅れていたら、最悪間に合わなかった可能性が高かったのだ。

「……ティル。どうして死んでしまったのよ。こいつは、貴方が居ないと駄目なのは知っているでしょうが……」
 数年前の別れ際に、ティルが、『僕は、ずっとバルネアと一緒ですから』と言っていたのを思い出し、ルーシアは涙をこぼす。

 無念だっただろう。
 バルネアを一人残して死んでいくのは。
 

 ……ルーシアはそれから可能な限り、ナイムの街に滞在した。
 だが、その間にバルネアの心の傷は癒えることはなかったのだった。







「あの時のあいつは壊れ始めていた。でも、私はあいつのそばに居続けてあげる事さえ出来なかった。……いいえ、しなかったの」
 ルーシアはまた小さく嘆息し、ジェノを真っ直ぐに見つめる。

「しなかった、という言葉には語弊があるのではないですか? ルーシアさんは、その時にはすでに<銀の旋律>の副料理長で、旦那さんもおられたのですよね。それであれば、やむを得なかったと思います」
 ジェノは思ったことをそのまま口にする。

「……ふふっ。冷静な態度ばかり見てきたけれど、貴方は優しいのね。でも、私はバルネアが一番困っていた時に何もしてあげられなかった。その事実は変わらないわ」
 ルーシアは硬い声で言う。

 ずっと、その時の事を彼女は負い目に感じているのだろう。
 その事に気づいたジェノは、言葉をかけようとしたが、それよりも先にルーシアが再び口を開く。

「バルネアの事を、遅れてこの街にやって来た彼女の義母――ロゼリアさんにお願いしてから半年以上が経ったある日、バルネアから手紙が届いたの。
 そこには、私への謝罪と自分はどうにか立ち直れそうだと。ティルが残してくれたこの店を繁盛させてみせると書かれていたわ」
 ルーシアはそう言って自虐気味に笑う。

「本当に、あいつに私がしてあげられたことなんて何もないわ。あいつは、自分の力であの苦難から立ち上がったのだから」
「……ルーシアさん。それは……」
「止めて、ジェノ! あの時のことを知らない貴方にどんな言葉をかけられても、私はそれを受け入れられないから。そして、貴方のことを嫌ってしまいそうだから……」
 取り付く島もないルーシアの態度に、ジェノは言葉を飲み込まざるを得なかった。

 少しの沈黙の後、ルーシアが再び口を開く。

「……あいつに弟子がいない理由は、そんな余裕がまったくなかったから。店を出すに当たって、いろいろと借金もしていたみたい。だから、あいつは旦那が残してくれたあの店を、<パニヨン>を守ろうとした。
 あいつの腕は私が認めるほど。でも、夫を失った心の傷を乗り越えるまで、あいつの料理はそれまでの輝きを失ってしまったそうよ。でも、それでもあいつは、一人で身を粉にして働き続けて、あの店を守り続けたの」

 ルーシアはまた力なく自身を嘲笑い、

「なんて、偉そうに言っているけれど、これもロゼリアさんの手紙で知っただけで、私は今回の旅行まで、ずっとバルネアとも手紙のやり取りだけだったんだけどね」

 小さく息をつく。

「そんなバルネアが自分の料理を取り戻して、この国の国王様から、『我が国の誉れである』と讃えられるようになったのも、生活に余裕を持つことができるようになったのも、貴方がこの国に来る、二、三年前のことなのよ」

 ルーシアはそこまで言うと、パンパンと顔を手で叩いた。
 そして、暗い表情を一変させて、微笑む。

「そんなわけで、私はあいつの友人でいる資格なんてないの。でも、同じように料理の道を歩む者同士、ライバルではいられるとは思っている。だから、私は勝負をするの。勝負がしたいの。それだけが、私とあいつを繋ぐものだから」
 そう話を締めくくるルーシアに、ジェノは口元を綻ばせる。

「何よ、その顔は……」
 ルーシアの不満げな声に、ジェノは口を開く。

「以前も言いましたが、バルネアさんが素晴らしい料理人の名を口にするときには、必ず貴女の名前が出てきます。そして、言うんです。『特に、ルーシアは凄いのよ。美人で優しくて、私の大親友なんだから』って」
「……脳天気な、あいつらしいわね」
 ルーシアはそう鼻で笑うが、まだジェノの話は終わっていない。

「そして、いつも貴女についての自慢話が続くんです。最低でも三十分は」
「はっ? 自慢話?」
「ええ。その中で、『自分が一番苦しくて仕方がなかった時に、助けてくれた恩人』と貴女のことを言っていました。
 その内容を尋ねても話してはくれませんでしたが、先程のルーシアさんの話で、その言葉の意味がようやく分かりました」

 ジェノがそこまで言うと、ルーシアは真剣な表情で、こちらを見つめてくる。

「その話は、本当? 今、適当に作った話ではなくて?」
「本当です。自分だけではなく、メルエーナも何度も聞いているので、確認してみて下さい」
 ジェノは事実を口にしているだけだ。嘘など一つもついていない。

「……そう……」
 ルーシアは絞り出すような声で言う。

「日が傾いてきましたね。そろそろこの宿屋の料理人達が来る頃ですので……」
「ええ。今日はもういいわ。また夕食に誘うから、それまで部屋でゆっくりしていなさい」

 そう許可を得て、ジェノは静かに部屋に戻ることにするのだった。
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