ときにはシリーズ

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ときには、心休まる休息を

⑨ 『綺麗な夜空』

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 背中まで伸びた美しい栗毛色の髪。
 一目見ただけで淑やかな印象を受ける整った優しい顔立ち。
 微笑みを浮かべるだけで、花が咲き誇るかのように輝く、瑞々しく美しい少女。

 だが、今その少女の顔に浮かんでいるのは、大きな不安と少しの苛立ちだ。

「メルちゃん。時計をそんなに見つめても、時間は早く進んだりはしないわよ。……気長に待ちましょう」

 バルネアが声をかけると、メルエーナは不安げな顔をこちらに向ける。

「でも、バルネアさん。本当なら、一つ前の乗合馬車で帰ってくるはずだったんですよ。……ジェノさんは時間はきちんと守るはずなのに……」

 そう言うと、メルエーナは胸元の二つに別れたペンダントに手をやる。
 それはメルエーナがジェノのことを心配している時の癖だということをバルネアは知っている。

「最終の馬車で帰ってくるんじゃないかしら? ジェノちゃんには私のおすすめのお店を紹介しておいたんだけど、結構人気のお店だから、そこで時間をくって遅くなったのかもしれないわね」

 そんなバルネアの言葉に頷きながらも、やはりメルエーナは心配そうに時計を頻繁に確認する。

「ふふふっ。昔、お義母さんに言われた言葉の意味が分かるわね」
 バルネアは心のうちでそう呟き、ふと昔を思い出す。

 船の入港が遅れることは頻繁にあった。
 そんな時にはいつもバルネアは義母と一緒に、夫の、ティルの帰りを心配していた。
 今の自分とメルエーナと同じように。

『ありがとう、バルネア。貴女が私の分まで心配してくれるから、私は冷静でいられるわ』

 夫を病で早くに亡くした義母の言葉。

 バルネアが嫁ぐ前までは、いつも一人で息子の安否を心配し続けていた。
 誰か自分の他にも自分と同様に、その人を心配してくれている人がいるというのはとても心強いものだということが、今になってよく分かる。

「そう言えば、久しぶりにお義母さんに手紙でも書こうかしらね。あっ、実家の方にも暫く連絡していなかったから一緒に書こうかしら」

 そんなことを考えていると、静かに裏口のドアをノックする音が聞こえた。

「あらっ、帰ってきたみたいね」

 バルネアがそう言い終わるよりも早くに、メルエーナはドアに向かって走り寄った。

「ジェノさん?」

「……メルエーナか。俺だ……」

 聞き慣れた若い男の子の声。
 メルエーナは静かにドアの鍵を外して迎え入れる。

 家に入ってきた――いや戻ってきたのは、メルエーナと同い年で、彼女と同じようにバルネアが知人から預かっている少年。
 この家の家族の一人のジェノだった。

 やや長身で眉目秀麗と言う言葉がぴったりくるほど非常に整った顔立ちをしている。
 それは、この店で料理の他に女性客の楽しみになっているほどだ。
 だが、腰に下げた長剣がこの少年が只の優男ではないことを物語っていた。

「もう。心配したんですよ。いつも時間に正確なジェノさんが遅くなるなんて……」

「心配? ……ああっ、明日の朝の厨房の掃除の事か。安心しろ、きちんと俺が……」

 ジェノの言葉に、メルエーナはむっと顔色を変えた。

「誰もそんな心配はしていません! 帰りが遅いのを心配していたんです! それと、明日の朝の掃除は私がやりますから、ジェノさんはゆっくり休んでいて下さい。長時間馬車に揺られて疲れているんですから」

「そんなやわな鍛え方はしていない。待たせてしまったのは申し訳なかったが、もう休んだほうがいい」

 淡々とそう言うと、ジェノはメルエーナの横を通り過ぎ、バルネアの元にやってくると軽く頭を下げた。

「すみません、遅くなりました。頼まれていた注文はつつがなく終わりました。これが伝票です。後で確認をお願いします」

 バルネアは苦笑し、ジェノから伝票を受け取る。

 いつもこの少年はこんな事務的な素っ気ない喋り方をする。
 本当はとても優しい性格なのに、わざと無関心を装おうとするのだ。

「ジェノちゃん。少しくらい遅くなるのは構わないわよ。……でもね、必ず帰ってこないと駄目よ。それだけは約束して」

 バルネアはそう言って微笑む。
 もう帰っては来ない、大切な人の姿をその少年に重ねあわせて。

「……はい」
 バルネアがその言葉に込めた想いがどれほど伝わっているのかは分からないが、不思議そうな顔をしながらもジェノはそう答えて頷いた。

「うん、よろしい。そうだ、ジェノちゃん。お風呂を沸かしておいたから寝る前に汗を流してきなさい」

「ありがとうございます。それと後で少し厨房を貸して下さい」

「あらっ? ジェノちゃん、もしかして夕食を食べてないの?」

 バルネアがいくつもおすすめの料理店を教えておいたはずなのに、ジェノは仕事先の街で食事をしてこなかったようだ。
 時間が時間だ。
 お腹が空いただろうに。

「……情けない事ですが、道に迷ってしまって、最終の馬車に乗るのがやっとだったので」
 ジェノがそう言うと、メルエーナが彼に声をかける。

「ジェノさん、よければ私が何か……」

「いや、結構だ。自分でどうにかする。メルエーナ、さっきも言ったがもう休んだほうがいい。明日に差し支えるぞ」

 せっかくメルエーナがなにか手料理を振る舞ってくれようとしたのに、ジェノはそれをそっけなく断る。
 メルエーナの体調を心配しての言葉だが、もう少し柔らかな言い方をすればいいのにとバルネアは思う。

「ですけれど……」

 メルエーナが食い下がろうとするが、ジェノは肩に掛けていた荷物入れの鞄から紙袋を一つ取り出し、それを丁寧に開いて中身の本をメルエーナに手渡す。

「……頼まれていたものだ。それでも読んで今日は休んでおけ」

 そう言ってメルエーナに背を向けると、ジェノはバルネアに顔を向け、また鞄から紙袋を取り出してそれを開く。
 その中から出されたのは、バルネアがもしも書店で見かけたらでいいからと頼んでおいた本だった。

「すみません、渡し忘れていました。バルネアさんにもこれを」

 ジェノはバルネアにも本を手渡すと、紙袋を丁寧に四つ折りにしてゴミ箱に捨てる。
 無意識下での行動ほど育ちの良さが分かるものだ。
 それに……。

「ありがとう、ジェノちゃん。でも、こういう場合は、メルちゃんに頼まれていた本だけを優先してもいいのよ」

「……言っている意味がわからないんですが?」

 ジェノの言葉に、バルネアは困ったように笑い、

「まぁ、とりあえずお風呂に入ってきなさい。厨房はその後で自由に使っていいから」

 そう言って半ば強引にジェノに風呂に入るように勧める。

 ジェノはまた怪訝な顔をしながらも、その言葉にしたがって浴室に向かって行った。

「……ジェノさん」

 手渡された本を抱えて物憂げな顔をするメルエーナ。

 彼女はずっとジェノのことを憎からず想っているのに、その気持ちはなかなか伝わらない。

 バルネアはそんな彼女に優しく声をかける。

「メルちゃん。相変わらず素直じゃないわよね、ジェノちゃんてば。でも、やっぱり優しいのよ、ジェノちゃんって。これを見てくれないかしら?」

 バルネアはゴミ箱から紙袋を取り出して、それを二つテーブルの上に置いた。

「……こっちの袋がメルちゃんが頼んだ本が入っていた袋。こっちのが私の頼んだ本が入っていた袋ね。どうして柄の違う袋が2つもあるのか分かるかしら?」

 バルネアの問に、メルエーナは、はっとした顔をする。
 聡い娘だ。
 バルネアの言わんとしていることをすぐに察したようだ。

「……まったく、ジェノちゃんには、おいそれと頼み事はできないわね」

 ジェノはこのナイムの街に勝るとも劣らない大きな街の生まれだ。
 それに旅慣れている。
 そして時間にルーズなタイプではない。
 そんな彼が馬車に乗り遅れるほど道に迷うとは考えにくい。

「私達の頼んだ本を探しまわってくれていたんですね……」
「ええ。そうに違いないわ」

 バルネアの言葉に、メルエーナは抱えていた本をギュッと抱きしめる。

「後で、もう一度お礼を言っておかないといけないわね」

「いいえ、その必要はありませんよ。ジェノさんのことだから、きっと『道に迷って、たまたま通りかかった本屋に置いてあっただけです』とか言ってとぼけるに決まっていますから」

 メルエーナは少し怒ったような顔でそう言うと、しかしすぐに笑顔になってエプロンを身に付ける。

「バルネアさん、厨房を借りてもいいですか?」 

「ええっ、もちろん。明日の仕込みも終わっているから、余っている食材はなんでも自由に使っていいわよ。お腹が空いているでしょうから、美味しい料理を作ってあげてね」

 バルネアが満面の笑みで快諾すると、メルエーナは「はい」と笑顔で答えて厨房に向かう。

「……ジェノちゃんはお風呂にゆっくり入る方だけど、あまり時間はないわよ。さてさて、メルちゃんはどんな料理をつくるのかしらね?」

 残った食材をひと通り確認して、目を閉じてどんな料理を作ろうか考えるメルエーナに、バルネアは優しい笑みを浮かべて心の中でエールを送る。

「ふふっ。お義母さんの目には、昔の私もこんなふうに写っていたのかしらね」

 昔の自分の姿を、料理のメニューを考えるメルエーナの後ろ姿に重ね合わせて、バルネアは静かに目を閉じる。

 そうして浮かび上がってくるのは、最愛の人の顔。

「……ティル。今日、私達とリリィちゃんを巡り会わせたのって貴方の仕業でしょう?」

 心のうちでそう尋ねると、バルネアの脳裏に浮かぶティルの顔が申し訳無さそうな表情に変わる。

「やっぱりね。できすぎているもの。あんなに昔の私とそっくりな境遇の女の子と出会うなんて」

 もしかするとただの偶然かも知れない。
 だが、バルネアには今日のリリィとの出会いは、亡き夫がそうなるように仕向けたように思えてならなかった。

 リリィはバルネアが作った料理を食べて大層喜んでいた。
「わたし、この料理の味を決して忘れません」と涙を流しながら美味しそうに食べる姿に、バルネアは料理人冥利に尽きる想いだった。

「……まだ、どうするかはわからないですけど、父と母に相談をして、これからのことを決めたいと思います」

 別れ際にそう言い残してリリィは帰っていったが、そのときには笑顔をみせてくれた。
 きっとあの娘は大丈夫だろう。

「ふふっ、ティル。最近、私が貴方のことを思い出さないでいたから寂しかったの? それとも、いい加減そっちに一人でいるのが耐え切れないのかしら? でも、駄目よ。私にはまだまだこっちでやらなくちゃいけないことがたくさんあるんだから……」

 寂しげな顔をするティルにそう言い聞かせ、バルネアは静かに瞼を開ける。

「よし、まずはお米を使って……」

 バルネアの眼に写るのは、大好きな人のために一生懸命料理を作ろうと頑張る女の子。

 その年頃の普通の女の子の中では料理上手とはいっても、本職のバルネアから見ればなんとも危なっかしい手つきだが。

「……頑張って、メルちゃん」

 心のうちでもう一度エールを送り、バルネアはそれ以上のことは何もしない。

 手を貸すことは簡単だ。
 だが、今のメルエーナに自分があれこれと指示をするのは野暮というものだろう。

 メルエーナは懸命に、でも笑顔で料理をする。
 それは自分の料理を食べてくれる人の笑顔を思い浮かべているからだ。

 技術的には拙くても、それは料理をする上で何よりも大切なことで、決して忘れてはいけないこと。

 トントントンという小気味のいい包丁の音を聞きながら、バルネアは再び目を閉じて、今度は昔の自分を思い浮かべる。

 遠方から船が戻ってきた時には祝いの宴が毎回開催されたものだ。

 バルネア達の作る料理は宴に欠かせないものだったので、バルネアは義母と二人で目が回るような忙しさの中で、船員達とその家族のための料理を作り続けた。
 だがそれは本当に楽しい仕事だった。

 けれど……。

「……メルちゃんに私と同じ思いをさせてはだめよ、ジェノちゃん……」

 バルネアがそんな思い出に浸っていると、やがて風呂あがりのジェノが居間に戻ってきた。

「……メルエーナが料理を作っているんですか?」

 厨房から漂ってくる香りに、ジェノはメルエーナが料理を作っていることを察したようだ。

「メルエーナ、料理は俺が……」
「はい、ストップよ、ジェノちゃん。せっかくメルちゃんがジェノちゃんのために美味しい料理を作ってくれているんだから、今回は素直にメルちゃんの厚意に甘えておきなさい」

 厨房に行こうとしたジェノを止めて、バルネアは自分の前の席に座るように促す。
 その席はジェノのいつもの指定席なのだ。

「……わかりました」
 ジェノは小さく息を吐き、静かに椅子に腰を下ろす。

「普通、女の子の手料理って言ったら、男の子は喜ぶはずなんでしょうけど……」

 ジェノの趣味もメルエーナの趣味も料理作りなのだが、ジェノのほうが料理のセンスに優れているのだ。
 メルエーナが料理でアピールしてもその思いがジェノに伝わりにくいのはそれが原因だ。

「そうだ、ジェノちゃん。改めてお礼を言わせてちょうだい。私とメルちゃんの頼んだ本をかなり無理をして探してくれたんでしょう? 本当にありがとう」

 バルネアの感謝の言葉に、しかしジェノは顔色一つ変えずに、

「感謝されるほどのことはしていません。……その、道に迷って、たまたま通りかかった本屋に置いてあっただけです」

 そう答えた。

 その直後に、バルネアは堪え切れずに、ぷっと吹き出して笑う。

「……バルネアさん?」
 怪訝な顔でこちらを見るジェノ。

 
「ごめんなさい。いやぁ、でもやっぱりメルちゃんはよく分かっているわね」
 バルネアはそう言ってまた笑う。

 先ほどのメルエーナとバルネアの会話を知らないジェノにはなんのことだか分からず、彼はバルネアが笑い止むまでずっと怪訝な顔をするしかなかった。

「うん。でも、やっぱりジェノちゃんもいい子よね。これは私からもご褒美をあげないといけないわね」

 ひとしきり笑った後に、バルネアはそう言って立ち上がると、戸棚の隅から白い包み紙を一つ取り出し、ジェノにそれを手渡した。

「はい。これは私からのお礼よ。お金だとジェノちゃんは受け取ってくれないから、実用的なものにしたわ」

「……これは?」

 手の上に置かれた包みを不思議そうに見つめるジェノに、
「これは、とってもよく効く胃薬よ。どうせすぐに必要になるでしょうから持っていて」
 バルネアは笑顔で答える。

「……さっきから、何を言っているのか分からな……」

「お待たせしました!」

 ジェノの言葉は最後まで続かなかった。
 それは、満面の笑みを浮かべたメルエーナがトレイを片手にバルネアとジェノの前にやってきたからだった。

「ジェノさん。お夜食を作りましたんで、召し上がって下さい」

 そう言ってメルエーナは満面の笑顔でピラフの入った容器をトレイからテーブルに移すと、それを皮切りに、合計五品をジェノの前に配膳した。

「……メルエーナ。……何だ、これは……」

 テーブルの上に所狭しと言わんばかりに置かれた料理の数々に、ジェノは片手で頭を抑えながら尋ねる。

「はい。ジェノさんの好物を作りました」
 満面の笑みを浮かべたまま答えるメルエーナ。

「……そういうことを聞いているんじゃない。何だ、この量は……」

 ジェノの前に置かれた五品は全て大盛りで、三人前以上はありそうだ。

 バルネアはクスッと微笑み、

「ジェノちゃん。お残しは駄目よ」

 ジェノの退路を塞ぐ。

 メルエーナの気持ちがたっぷり込められた料理なのだ。
 多少無理はしても全部食べなければ失礼だ。

「ジェノさん、冷めてしまう前に食べて下さい」

 笑顔で食べるように促すメルエーナ。
 ジェノは観念したのか小さくため息を付いて、「いただこう……」と言ってピラフに匙を伸ばして口に運ぶ。

「…………」
 メルエーナは不安げな、そして期待に満ちた視線をジェノに向ける。

「ジェノちゃん、お味はどう? そこはキチンと伝えないと駄目よ」
 更にそれをバルネアが後押しする。

「……腕を上げたな、メルエーナ」
 ジェノが発した、控えめな賛辞の言葉。
 だが、メルエーナにはそれで十分だったようで、心から嬉しそうに笑う。

「よかったです。あっ、こっちの皿も食べてみてください」
「わかった。だから、少しは落ち着け……」

 珍しく喜び全開のハイテンションなメルエーナに、ジェノは呆れ気味に釘を刺す。
 だが、その表情は無愛想ながらもどこか嬉しそうに見えるのは、バルネアの気のせいではないだろう。

「ジェノさん、今日、私、新しいお友達ができたんです」
 バルネアの隣の席に座り、ジェノに話を振るメルエーナ。

 その表情はとても嬉しそうだ。

「……休むつもりはないようだな。まったく。……それで、何が合ったんだ?」

 ジェノはもはや諦めたかのように、メルエーナに話の続きを促す。

 バルネアはそんな二人のやり取りを微笑ましげに見ていた。

「……ティル。やっぱりしばらくは貴方のところにはいけないわ。まだまだ私はここで頑張らないといけないもの。だから、私のことを見守っていて。貴方が言ってくれたことを、貴方と過ごした日々のことは決して忘れたりなんかしないから」

 バルネアは心の中でそう呟き、席を立って窓に近づいて夜空を眺める。

 そこには綺麗な星空が広がっていた。
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