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ときには、心休まる休息を
⑥ 『欠けていたもの』
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「……うん、我ながら良い味だわ……」
料理のベーススープの味を確認し、バルネアは満足気に微笑む。
バルネア達の住居の向かいにある『白の子鹿亭』は、彼女達『銅の調べ』の料理人たちにとっては第二の厨房とされている場所である。
閉店した料理店をそのまま改修した場所で、普段は『銅の調べ』の関係者以外が足を踏み入れることはない。
だが、今日は特別だ。
「ティルって格式張った料理って苦手そうだから、簡素な料理のほうが良いわよね」
内心の焦りがないといえば嘘になる。
昨日はルーシアの言葉を思い出し、あまり眠れなかった。
今すぐにでもコンテストにむけて、料理の試作を開始したいという気持ちはある。
だが、バルネアはその気持ちをなんとか抑えて、たった一人のために料理を作り上げていく。
「さてと、これで下準備は終了。後はティルが来てくれるのを待つだけね」
そう呟いて時計を確認すると、想定の時間通りになっていた。
「……お昼まで後三十分。どうしようかな。せっかくだから、もう一品作ろうかな……」
もしもティルがお昼の時間前に店を訪ねてきても良いように、時間に余裕を持って料理をしていたが、どうやら必要なかったようだ。
バルネアは少し考えると、食材の保管庫に向かって足を進めていった。
「うん、もう一品サービスしちゃおう! このまま料理を作らないでいたら、また余計なことを考えてしまいそうだし……」
バルネアは保管庫でめぼしい材料を確認する。
「そう言えば、お肉が好きだって言ってたわよね。よーし、定番中の定番だけど、ステーキの一枚でも焼いてあげよう。……となると、ソースは……」
牛肉の塊を手にし、それを調理台の上においた時点でバルネアの動きが止まった。
「……考えてみたら、去年のコンテストの決勝も、『牛肉料理』がお題だったのよね……」
バルネアはそう呟くと、暫く沈黙し、
「……でも、今の私は去年の私とは違うわ」
ぐっと両手を握りしめて気合を入れる。
「……ステーキは単純な料理。だからこそ、難しく、料理人の腕が顕著に現れる」
バルネアは真剣な眼差しで素早く調理にかかる。
「…………」
言葉一つ発することなく、バルネアは肉の下処理を終えると、ステーキのソースを作り上げていく。
何百回としてきた作業。
だが、今は普段以上に集中し、ただ料理を完成させることだけを考える。
焼き加減はミディアムレア。
そう決めると全神経を集中して牛肉を焼き上げていく。
そして肉が食するのに最高のタイミングで皿に移して……。
「……あの、バルネア?」
不意にそんな声が聞こえて、バルネアは慌てて声のした方に顔を向ける。
「……ティル? ……あっ、いらっしゃいませ……」
バルネアはカウンター越しに突然現れたティルに、半ば反射的に来店者に対する迎えの挨拶を口にする。
「あっ、うん。……ごめん。今日は早めにお昼休みが取れたものだから少し早く来てしまったんだ。その、何度か声をかけたんだけど、料理することに夢中になっていて聞こえていなかったみたいだったから……」
「えっ、いえ、悪いのは私の方よ」
あまりに調理に集中しすぎていて、ティルが店に来たことに気づかなかった。
バルネアは慌てて仕込んでおいた食材を料理しようとするが、ふと眼前のステーキが目に入った。
「あっ、ちょうど良かったわ。ティル。とりあえずこれを食べていて。すぐに他の料理を用意するから。ほら、とにかく座って」
「あっ、うん」
状況が理解できないのだろう。
ティルが少し怪訝な顔をして頷き、カウンター越しにバルネアの真向かいの席に座る。
期せずしてジャストタイミングで出来上がったステーキを、バルネアはティルに給仕する。
「あっ、このステーキはオマケだから食べ過ぎないでね。まだまだ料理は続くから」
「うっ、うん。分かったよ」
ティルはバルネアの言葉に頷き、「いただきます」と言ってステーキを口に運ぶ。
そして、それを咀嚼して飲み込むと、ティルの口からバルネアの予想通りの言葉が発せられた。
「……うん。その、すごく美味しいよ」
ティルは笑顔でバルネアのステーキを評した。
「ふふっ、良かった。待っていて、すぐに他の料理を作るから」
バルネアは満足気に微笑むと、素早く他の料理の調理に取り掛かる。
ティルのための特別な料理の調理に。
「まずは前菜から、と行きたいところだけど、格式張ったコース料理をお昼から食べるのはちょっと堅苦しいし、時間も掛かるから、私の特選メニュー構成で行くわね」
バルネアは口を動かしながらも、あっという間に一品目を用意する。
「最初はサラダね。肉料理の後だから口直しも兼ねて。とはいっても、ただのサラダじゃないのよ」
「ええと、これって、サラダ……なのかな?」
バルネアが差し出した皿に乗っていたのは、透明なゼリーに包まれた物体だった。
よく見ると細かくさいの目に切られた人参やグリンピースやコーンが見える。
「ええ、そうよ。ゼラチンで野菜とスープを固めた特製サラダ。食べてみて」
笑顔で促すと、ティルは嬉しそうに料理にナイフを入れる。
そしてそれを一口大に切り分けると、ティルはフォーク越しにその感触を確かめ、プルプルとゼリーが動くさまを目で楽しみ、期待を込めた眼差しでそれを口に運ぶ。
「おっ、美味しい! すっ、すごいよ。口の中でゼリーが溶けていって、でも野菜はすごく歯ごたえがあって……。ああっ、なんて言えばいいんだろう……」
「ふふふっ。良いわよ、気の利いた表現を探さなくても。『美味しい』って言ってくれることが、料理人に取っては何より嬉しい事なんだから」
バルネアは笑顔でそう答え、しかし、何か違和感を覚えた。
「それじゃあ、次は魚料理。定番のムニエルね。とは言ってもちょっと変わっているのよ。ティル。貴方にこの魚が何か当てられるかしら?」
「ははっ、僕はそこまで味の違いが分かるわけじゃないから、自信がないけど……」
「別に外れてもなんにもないから気楽に答えてみて。ヒントを一つだけあげるわ。この魚はきちんと処理すると生臭くないから、魚嫌いな人でも食べられるのよ」
バルネアのヒントがあっても、結局ティルはその魚を当てることはできなかった。
もっとも、満面の笑顔で「美味しい」と言ってくれたことで、バルネアは大満足だった。
「ふふ~ん。やっぱり当てられなかったわね。一般的に川や沼の魚よりも、海の魚のほうが味がいいと言われているけど、こうして食べてみると海以外の魚も美味しいものなのよ」
「海以外の魚?」
「うん。このムニエルは、ナマズのムニエルよ」
「なっ、ナマズ? これがナマズなんだ。はっ、初めて食べたよ……。でも、君の言うとおりとても美味しい魚なんだね」
ティルの驚く声に、バルネアは「ふふっ、驚いた?」としてやったりと言わんばかりの笑顔を浮かべる。
「魚は食べ飽きているって言っていたけれど、こうして食べてみると魚料理も悪く無いでしょう?」
「うん。すごく美味しい」
満面の笑みを浮かべるティル。
「ふふっ、ありがとう。さて、次は……」
バルネアは笑顔で次の料理をティルの前に給仕し、料理の空皿を片付けようとして、ふとその手を止めた。
「……これは……、煮込み料理なのかな?」
ティルの問に、バルネアは慌てて笑顔を作って彼の方を向く。
「そうよ。そしてこの皿がメインディッシュなの。この料理はねぇ……」
ティルに料理の説明をしながら、バルネアは皿を片付けて、カウンター席から厨房に戻る。
その皿の一番上には、最初に出したステーキが殆ど残ったままの状態で置かれていた。
「……へぇ、そんな由来があるんだ。それじゃあ、いただきます」
ティルはそう言って料理を口に運んで、
「うっ、うん。これもすごく美味しい。その、酸味のあるソースがすごく肉の美味しさと玉葱の甘さに合って……その、とにかく美味しいよ」
先程までと同じように満面の笑みを浮かべた。
そして、バルネアはそこで先ほど自分が覚えた違和感の正体に気づく。
「…………」
「……どうかしたのかな、バルネア?」
自分の感想にも何も反応を示さなかった事に、ティルは不思議そうにこちらを見てくる。
「……後は、デザートでお終いなんだけど、その前に一つだけ教えて。ティル、私の作ったステーキは、貴方の口に合わなかったみたいね。一体何がいけなかったのかしら?」
バルネアはなんとか笑顔を作って尋ねる。
「えっ、いや、そんなことないよ。ステーキも十分美味しかったよ。ただ、あまり食べ過ぎないようにって言われたから……」
「……嘘ね。貴方は私の料理を食べた時にいつも笑顔を浮かべていたけれど、最初のステーキを食べた時の笑顔がなんだかぎこちなかったわ。
……お願い。私に気を使わないでいいから、本当のことを言って。もしかしたら私に欠けているものが見つかるかもしれないから」
最初に作ったステーキは、バルネアが自身の持つ技術を注ぎ込んで作ったものだった。
肉の焼き加減もこの上なかったはずだし、ソースにも気を使って最高のものを作り上げたつもりだ。
なのに、それがたった一切れしか食べてもらえなかったのだ。
バルネアの受けたショックは軽いものではない。
「……ごめん、気分を害させてしまったみたいで……。でも、嘘は言っていないよ。本当に君の焼いてくれたステーキは美味しかったんだ。……ただ……」
「……ただ、何かしら?」
バルネアは真剣な表情でティルの次の言葉を待った。
「……ええと、昨日、君が作ってくれた鶏肉料理を思い出してしまって、それと比較するとなんだか物足りないように思えたんだ。……でも、他の料理は全部美味しかった。昨日の料理にも負けていなかった。いや、それ以上に美味しかったよ。だから、その……」
ティルの言葉に、一瞬バルネアは呆然としたが、はたととあることに気がついた。
「……そっか。そういうことだったんだ……」
バルネアはそう呟くと、
「ティル、ありがとう!」
突然の感謝の言葉とともにカウンター越しにティルの両手を握りしめて、それをブンブンと上下にふる。
「えっ、ええと、怒っているんじゃないの?」
おかしなことを聞いてくるティルに、バルネアは笑顔で言葉を返す。
「なんで怒ったりするのよ。逆よ逆。ありがとう。私、すごく大事なことを忘れていたの。そしてそのことにようやく気づいたわ。貴方のお陰でね」
「そっ、その、どういうこと?」
訳がわからないといった顔で説明を求めるティルに、バルネアは微笑み、
「ふふふっ、まぁ、それは置いといて、すぐにデザートを出すから食べて。お昼休み終わっちゃうでしょう?」
そう言って最後の皿の準備を始める。
「あっ、あの、バルネア? 僕には何がなんだかさっぱりなんだけど?」
「気にしない、気にしない。とにかくこれを食べてみて」
バルネアは笑顔でデザートをティルの前に差し出す。怪訝な顔を浮かべながらもそのデザートを一口食べて、ティルは驚きながらもまた満面の笑顔を見せてくれた。
「やっぱりそう。私に足りなかったものは……」
その笑顔でバルネアは確信した。
自分に欠けていたものを。
大切なことを。
料理のベーススープの味を確認し、バルネアは満足気に微笑む。
バルネア達の住居の向かいにある『白の子鹿亭』は、彼女達『銅の調べ』の料理人たちにとっては第二の厨房とされている場所である。
閉店した料理店をそのまま改修した場所で、普段は『銅の調べ』の関係者以外が足を踏み入れることはない。
だが、今日は特別だ。
「ティルって格式張った料理って苦手そうだから、簡素な料理のほうが良いわよね」
内心の焦りがないといえば嘘になる。
昨日はルーシアの言葉を思い出し、あまり眠れなかった。
今すぐにでもコンテストにむけて、料理の試作を開始したいという気持ちはある。
だが、バルネアはその気持ちをなんとか抑えて、たった一人のために料理を作り上げていく。
「さてと、これで下準備は終了。後はティルが来てくれるのを待つだけね」
そう呟いて時計を確認すると、想定の時間通りになっていた。
「……お昼まで後三十分。どうしようかな。せっかくだから、もう一品作ろうかな……」
もしもティルがお昼の時間前に店を訪ねてきても良いように、時間に余裕を持って料理をしていたが、どうやら必要なかったようだ。
バルネアは少し考えると、食材の保管庫に向かって足を進めていった。
「うん、もう一品サービスしちゃおう! このまま料理を作らないでいたら、また余計なことを考えてしまいそうだし……」
バルネアは保管庫でめぼしい材料を確認する。
「そう言えば、お肉が好きだって言ってたわよね。よーし、定番中の定番だけど、ステーキの一枚でも焼いてあげよう。……となると、ソースは……」
牛肉の塊を手にし、それを調理台の上においた時点でバルネアの動きが止まった。
「……考えてみたら、去年のコンテストの決勝も、『牛肉料理』がお題だったのよね……」
バルネアはそう呟くと、暫く沈黙し、
「……でも、今の私は去年の私とは違うわ」
ぐっと両手を握りしめて気合を入れる。
「……ステーキは単純な料理。だからこそ、難しく、料理人の腕が顕著に現れる」
バルネアは真剣な眼差しで素早く調理にかかる。
「…………」
言葉一つ発することなく、バルネアは肉の下処理を終えると、ステーキのソースを作り上げていく。
何百回としてきた作業。
だが、今は普段以上に集中し、ただ料理を完成させることだけを考える。
焼き加減はミディアムレア。
そう決めると全神経を集中して牛肉を焼き上げていく。
そして肉が食するのに最高のタイミングで皿に移して……。
「……あの、バルネア?」
不意にそんな声が聞こえて、バルネアは慌てて声のした方に顔を向ける。
「……ティル? ……あっ、いらっしゃいませ……」
バルネアはカウンター越しに突然現れたティルに、半ば反射的に来店者に対する迎えの挨拶を口にする。
「あっ、うん。……ごめん。今日は早めにお昼休みが取れたものだから少し早く来てしまったんだ。その、何度か声をかけたんだけど、料理することに夢中になっていて聞こえていなかったみたいだったから……」
「えっ、いえ、悪いのは私の方よ」
あまりに調理に集中しすぎていて、ティルが店に来たことに気づかなかった。
バルネアは慌てて仕込んでおいた食材を料理しようとするが、ふと眼前のステーキが目に入った。
「あっ、ちょうど良かったわ。ティル。とりあえずこれを食べていて。すぐに他の料理を用意するから。ほら、とにかく座って」
「あっ、うん」
状況が理解できないのだろう。
ティルが少し怪訝な顔をして頷き、カウンター越しにバルネアの真向かいの席に座る。
期せずしてジャストタイミングで出来上がったステーキを、バルネアはティルに給仕する。
「あっ、このステーキはオマケだから食べ過ぎないでね。まだまだ料理は続くから」
「うっ、うん。分かったよ」
ティルはバルネアの言葉に頷き、「いただきます」と言ってステーキを口に運ぶ。
そして、それを咀嚼して飲み込むと、ティルの口からバルネアの予想通りの言葉が発せられた。
「……うん。その、すごく美味しいよ」
ティルは笑顔でバルネアのステーキを評した。
「ふふっ、良かった。待っていて、すぐに他の料理を作るから」
バルネアは満足気に微笑むと、素早く他の料理の調理に取り掛かる。
ティルのための特別な料理の調理に。
「まずは前菜から、と行きたいところだけど、格式張ったコース料理をお昼から食べるのはちょっと堅苦しいし、時間も掛かるから、私の特選メニュー構成で行くわね」
バルネアは口を動かしながらも、あっという間に一品目を用意する。
「最初はサラダね。肉料理の後だから口直しも兼ねて。とはいっても、ただのサラダじゃないのよ」
「ええと、これって、サラダ……なのかな?」
バルネアが差し出した皿に乗っていたのは、透明なゼリーに包まれた物体だった。
よく見ると細かくさいの目に切られた人参やグリンピースやコーンが見える。
「ええ、そうよ。ゼラチンで野菜とスープを固めた特製サラダ。食べてみて」
笑顔で促すと、ティルは嬉しそうに料理にナイフを入れる。
そしてそれを一口大に切り分けると、ティルはフォーク越しにその感触を確かめ、プルプルとゼリーが動くさまを目で楽しみ、期待を込めた眼差しでそれを口に運ぶ。
「おっ、美味しい! すっ、すごいよ。口の中でゼリーが溶けていって、でも野菜はすごく歯ごたえがあって……。ああっ、なんて言えばいいんだろう……」
「ふふふっ。良いわよ、気の利いた表現を探さなくても。『美味しい』って言ってくれることが、料理人に取っては何より嬉しい事なんだから」
バルネアは笑顔でそう答え、しかし、何か違和感を覚えた。
「それじゃあ、次は魚料理。定番のムニエルね。とは言ってもちょっと変わっているのよ。ティル。貴方にこの魚が何か当てられるかしら?」
「ははっ、僕はそこまで味の違いが分かるわけじゃないから、自信がないけど……」
「別に外れてもなんにもないから気楽に答えてみて。ヒントを一つだけあげるわ。この魚はきちんと処理すると生臭くないから、魚嫌いな人でも食べられるのよ」
バルネアのヒントがあっても、結局ティルはその魚を当てることはできなかった。
もっとも、満面の笑顔で「美味しい」と言ってくれたことで、バルネアは大満足だった。
「ふふ~ん。やっぱり当てられなかったわね。一般的に川や沼の魚よりも、海の魚のほうが味がいいと言われているけど、こうして食べてみると海以外の魚も美味しいものなのよ」
「海以外の魚?」
「うん。このムニエルは、ナマズのムニエルよ」
「なっ、ナマズ? これがナマズなんだ。はっ、初めて食べたよ……。でも、君の言うとおりとても美味しい魚なんだね」
ティルの驚く声に、バルネアは「ふふっ、驚いた?」としてやったりと言わんばかりの笑顔を浮かべる。
「魚は食べ飽きているって言っていたけれど、こうして食べてみると魚料理も悪く無いでしょう?」
「うん。すごく美味しい」
満面の笑みを浮かべるティル。
「ふふっ、ありがとう。さて、次は……」
バルネアは笑顔で次の料理をティルの前に給仕し、料理の空皿を片付けようとして、ふとその手を止めた。
「……これは……、煮込み料理なのかな?」
ティルの問に、バルネアは慌てて笑顔を作って彼の方を向く。
「そうよ。そしてこの皿がメインディッシュなの。この料理はねぇ……」
ティルに料理の説明をしながら、バルネアは皿を片付けて、カウンター席から厨房に戻る。
その皿の一番上には、最初に出したステーキが殆ど残ったままの状態で置かれていた。
「……へぇ、そんな由来があるんだ。それじゃあ、いただきます」
ティルはそう言って料理を口に運んで、
「うっ、うん。これもすごく美味しい。その、酸味のあるソースがすごく肉の美味しさと玉葱の甘さに合って……その、とにかく美味しいよ」
先程までと同じように満面の笑みを浮かべた。
そして、バルネアはそこで先ほど自分が覚えた違和感の正体に気づく。
「…………」
「……どうかしたのかな、バルネア?」
自分の感想にも何も反応を示さなかった事に、ティルは不思議そうにこちらを見てくる。
「……後は、デザートでお終いなんだけど、その前に一つだけ教えて。ティル、私の作ったステーキは、貴方の口に合わなかったみたいね。一体何がいけなかったのかしら?」
バルネアはなんとか笑顔を作って尋ねる。
「えっ、いや、そんなことないよ。ステーキも十分美味しかったよ。ただ、あまり食べ過ぎないようにって言われたから……」
「……嘘ね。貴方は私の料理を食べた時にいつも笑顔を浮かべていたけれど、最初のステーキを食べた時の笑顔がなんだかぎこちなかったわ。
……お願い。私に気を使わないでいいから、本当のことを言って。もしかしたら私に欠けているものが見つかるかもしれないから」
最初に作ったステーキは、バルネアが自身の持つ技術を注ぎ込んで作ったものだった。
肉の焼き加減もこの上なかったはずだし、ソースにも気を使って最高のものを作り上げたつもりだ。
なのに、それがたった一切れしか食べてもらえなかったのだ。
バルネアの受けたショックは軽いものではない。
「……ごめん、気分を害させてしまったみたいで……。でも、嘘は言っていないよ。本当に君の焼いてくれたステーキは美味しかったんだ。……ただ……」
「……ただ、何かしら?」
バルネアは真剣な表情でティルの次の言葉を待った。
「……ええと、昨日、君が作ってくれた鶏肉料理を思い出してしまって、それと比較するとなんだか物足りないように思えたんだ。……でも、他の料理は全部美味しかった。昨日の料理にも負けていなかった。いや、それ以上に美味しかったよ。だから、その……」
ティルの言葉に、一瞬バルネアは呆然としたが、はたととあることに気がついた。
「……そっか。そういうことだったんだ……」
バルネアはそう呟くと、
「ティル、ありがとう!」
突然の感謝の言葉とともにカウンター越しにティルの両手を握りしめて、それをブンブンと上下にふる。
「えっ、ええと、怒っているんじゃないの?」
おかしなことを聞いてくるティルに、バルネアは笑顔で言葉を返す。
「なんで怒ったりするのよ。逆よ逆。ありがとう。私、すごく大事なことを忘れていたの。そしてそのことにようやく気づいたわ。貴方のお陰でね」
「そっ、その、どういうこと?」
訳がわからないといった顔で説明を求めるティルに、バルネアは微笑み、
「ふふふっ、まぁ、それは置いといて、すぐにデザートを出すから食べて。お昼休み終わっちゃうでしょう?」
そう言って最後の皿の準備を始める。
「あっ、あの、バルネア? 僕には何がなんだかさっぱりなんだけど?」
「気にしない、気にしない。とにかくこれを食べてみて」
バルネアは笑顔でデザートをティルの前に差し出す。怪訝な顔を浮かべながらもそのデザートを一口食べて、ティルは驚きながらもまた満面の笑顔を見せてくれた。
「やっぱりそう。私に足りなかったものは……」
その笑顔でバルネアは確信した。
自分に欠けていたものを。
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