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第六章 『そこに、救いなどなくて……』
⑦ 『心偽りし者』
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リットは珍しく、ナイムの街でも一、二を争う高級な酒場の個室で、とある『男』と二人で顔を突き合わせて飲んでいた。
その男は面識こそあるものの、まさかこのエルマイラム王国に来ているとは思っていなかったので、声をかけられたときにはリットも驚いた。
「それで? 俺に話ってなんだよ」
リットはぞんざいな態度で年長者の若い男に尋ねるが、その表情には笑みが浮かんでいる。彼の顔は、歯の浮くような美辞麗句を口にして女と会話をしているときとはまるで違った。
緊張感とこれから起こるであろうことに期待しているのだ。それは、子どもの好奇心の表情にも似ている。善悪を考えずに、自分の楽しみを優先させようとする危険性を含むものだ。
「お前たちの今後の動向は調べている。だから、お前がそこで余計な詮索はせずに居てくれれば良い。一切に目をつぶってな」
若い男は余計な言葉は言わず、単刀直入に用件を口にする。
「へぇ~。嫌だと言ったら? そんな一方的な言いようを、俺が聞いてやる謂れはないぜ」
「……お前と敵対するつもりはない。だから、提案がある」
「ふぅ~ん、交換条件ってやつね。しかし、俺が興味を引ける話題をあんたが提供できるとは思えないが……」
リットは久しぶりに味わう年代物の蒸留酒の風味を楽しみながら、男の言葉を待つ。
しかし、男の口から発せられた内容は、リットの想像を大きく上回る事柄だった。
「はっ? 俺が見落としている? それに、良いように操られているだって?」
リットの顔から表情が消える。それと同時に、心地いい酩酊感も一気に吹き飛んでしまう。
「俺は力を貸せと言っているのではない。敵対するなと言っているだけだ。それを飲めるのであれば、お前の知らない情報を渡す。それでどうだ?」
「…………」
リットはしばらく思案していたが、グラスの中の液体を飲み干すと、「いいぜ。その条件を飲もう」と答え、喉で笑う。
「だが、約束できるのは、俺が積極的にうちの連中に情報を提供しないってことだけだぜ。あいつらが自力で気づくようなヘマをあんたがした場合の責任までは取らないからな」
「それで構わない」
男はそこまでを言うと、懐から紙を取り出し、それを伏せてリットの前に差し出した。そしてそのまま静かに席を立ち、会計伝票を持っていこうとする。
そんな彼に、リットは真顔になって警告した。
「なぁ、<害虫>さんよ。あんたがこの大陸でも一騒動起こそうとしているのなら、このナイムの街以外でやれよ。ここは俺の今のお気に入りなんだ。もしもここを巻き込んだら、俺がお前を殺すぜ」
「お前と敵対するつもりはないと言ったはずだ」
「……『今は』ないだけだろう? くっくっくっ、あのオッドアイ集団に同情するぜ。たちの悪い<害虫>に巣食われるなんてな」
リットの無礼な発言に気分を害した様子もなく、男は振り返らずに部屋を出ていった。
リットは男が置いて行った紙を引っくり返して内容を確認する。
そして、それを片手で握りつぶすと、そのまま魔法の炎を使って燃やした。
(存外やっかいだな、<神術>というのは。俺でさえ細やかに感知しようとしないと、見落としが発生しちまうってことかよ。それに、他にも分からないことだらけだということが分かった)
リットは面白くなさそうに頭を掻く。
(ということは、ジェノちゃんに取り憑いているあの<獣>にも何らかの秘密があるのか? 思い出してみれば、<聖女の村>で使われた禁呪はそれなりの力があるものだった。だが、あの<獣>には全く効果がなかったのも、力が及ばなかったのではなく、別な要因があったのかもしれない)
リットはしばらく考えていたが、「らしくねぇな。何を熱くなっているんだろうねぇ、俺はさ」と一言口から漏らす。
(やれやれ、こんなふうに暗躍ばかりしていたら、またジェノちゃんに嫌われちまうな。だが、あの<害虫>は、<正義の味方>のジェノちゃんにとっては天敵だ。俺がどうにかするしかないか……)
できることならば、ジェノとあの男が再会するのは避けたほうがいい。最悪、そのことでジェノの心が折れてしまう可能性があるからだ。
けれど、それだけは決してリットも容認できない。できるわけがない。
リットは、『ジェノ自身の意思』で『心折れて欲しい』のだ。諦めてもらいたいのだ。自分のやっている行いは、惨めで無意味なものだと認めさせたいのだ。
それこそが、リットがジェノとつるんでいる理由なのだから。
(しっかし、今回護衛で行くだけの、ラセード村って言うところになにがあるんだ? 少し調べるか。まぁ、約束してしまった以上、何が分かっても、ジェノちゃんたちには黙っているしかないがな)
リットは言葉とは裏腹に、楽しそうに口の端を上げる。
(悪いな、ジェノちゃん。今回の護衛依頼では、お前達の味方はできないぜ。だが、その埋め合わせはする。獅子身中の虫の存在が分かったんだ。そいつはうまく飼い殺してやる。どうせ、お優しいジェノちゃんにはそいつを殺せないのは明らかだからな。だから、それが一番だろう?)
心のなかで返ってくるはずのない問いかけをし、リットは店を出ることにする。
リットの今の最大の楽しみは、ジェノを見ていることだ。
非力で、才もなく、ただただ気持ちだけが先走る哀れな道化が、懸命に身を粉にして足掻くさまは何よりも滑稽で愉快だから。
そして、その道化の限界はいつなのかと期待して待っている。
悪趣味この上ないと自分でも思うが、これがリット=ルースレットという男の性格なのだから仕方がないだろう。
(まだまだ壊れないでくれよ、ジェノちゃん。この俺の実力を知りながらも、正面切って喧嘩をふっかけて来たのはお前だけなんだからさ。もっとあがいて見せてくれよ)
そしてリットはまた自らの気持ちを偽る。
自分にとってジェノという存在が、嘲笑や侮蔑の対象ではなく、憐憫や哀れを抱く対象でもないことを理解しているのに、それを認めない。
リットとジェノの関係の本質を知っているものが仮に居たのなら、きっとリットがジェノに抱いている気持ちをこう指摘したはずだ。
それはただの『羨望』だと……。
その男は面識こそあるものの、まさかこのエルマイラム王国に来ているとは思っていなかったので、声をかけられたときにはリットも驚いた。
「それで? 俺に話ってなんだよ」
リットはぞんざいな態度で年長者の若い男に尋ねるが、その表情には笑みが浮かんでいる。彼の顔は、歯の浮くような美辞麗句を口にして女と会話をしているときとはまるで違った。
緊張感とこれから起こるであろうことに期待しているのだ。それは、子どもの好奇心の表情にも似ている。善悪を考えずに、自分の楽しみを優先させようとする危険性を含むものだ。
「お前たちの今後の動向は調べている。だから、お前がそこで余計な詮索はせずに居てくれれば良い。一切に目をつぶってな」
若い男は余計な言葉は言わず、単刀直入に用件を口にする。
「へぇ~。嫌だと言ったら? そんな一方的な言いようを、俺が聞いてやる謂れはないぜ」
「……お前と敵対するつもりはない。だから、提案がある」
「ふぅ~ん、交換条件ってやつね。しかし、俺が興味を引ける話題をあんたが提供できるとは思えないが……」
リットは久しぶりに味わう年代物の蒸留酒の風味を楽しみながら、男の言葉を待つ。
しかし、男の口から発せられた内容は、リットの想像を大きく上回る事柄だった。
「はっ? 俺が見落としている? それに、良いように操られているだって?」
リットの顔から表情が消える。それと同時に、心地いい酩酊感も一気に吹き飛んでしまう。
「俺は力を貸せと言っているのではない。敵対するなと言っているだけだ。それを飲めるのであれば、お前の知らない情報を渡す。それでどうだ?」
「…………」
リットはしばらく思案していたが、グラスの中の液体を飲み干すと、「いいぜ。その条件を飲もう」と答え、喉で笑う。
「だが、約束できるのは、俺が積極的にうちの連中に情報を提供しないってことだけだぜ。あいつらが自力で気づくようなヘマをあんたがした場合の責任までは取らないからな」
「それで構わない」
男はそこまでを言うと、懐から紙を取り出し、それを伏せてリットの前に差し出した。そしてそのまま静かに席を立ち、会計伝票を持っていこうとする。
そんな彼に、リットは真顔になって警告した。
「なぁ、<害虫>さんよ。あんたがこの大陸でも一騒動起こそうとしているのなら、このナイムの街以外でやれよ。ここは俺の今のお気に入りなんだ。もしもここを巻き込んだら、俺がお前を殺すぜ」
「お前と敵対するつもりはないと言ったはずだ」
「……『今は』ないだけだろう? くっくっくっ、あのオッドアイ集団に同情するぜ。たちの悪い<害虫>に巣食われるなんてな」
リットの無礼な発言に気分を害した様子もなく、男は振り返らずに部屋を出ていった。
リットは男が置いて行った紙を引っくり返して内容を確認する。
そして、それを片手で握りつぶすと、そのまま魔法の炎を使って燃やした。
(存外やっかいだな、<神術>というのは。俺でさえ細やかに感知しようとしないと、見落としが発生しちまうってことかよ。それに、他にも分からないことだらけだということが分かった)
リットは面白くなさそうに頭を掻く。
(ということは、ジェノちゃんに取り憑いているあの<獣>にも何らかの秘密があるのか? 思い出してみれば、<聖女の村>で使われた禁呪はそれなりの力があるものだった。だが、あの<獣>には全く効果がなかったのも、力が及ばなかったのではなく、別な要因があったのかもしれない)
リットはしばらく考えていたが、「らしくねぇな。何を熱くなっているんだろうねぇ、俺はさ」と一言口から漏らす。
(やれやれ、こんなふうに暗躍ばかりしていたら、またジェノちゃんに嫌われちまうな。だが、あの<害虫>は、<正義の味方>のジェノちゃんにとっては天敵だ。俺がどうにかするしかないか……)
できることならば、ジェノとあの男が再会するのは避けたほうがいい。最悪、そのことでジェノの心が折れてしまう可能性があるからだ。
けれど、それだけは決してリットも容認できない。できるわけがない。
リットは、『ジェノ自身の意思』で『心折れて欲しい』のだ。諦めてもらいたいのだ。自分のやっている行いは、惨めで無意味なものだと認めさせたいのだ。
それこそが、リットがジェノとつるんでいる理由なのだから。
(しっかし、今回護衛で行くだけの、ラセード村って言うところになにがあるんだ? 少し調べるか。まぁ、約束してしまった以上、何が分かっても、ジェノちゃんたちには黙っているしかないがな)
リットは言葉とは裏腹に、楽しそうに口の端を上げる。
(悪いな、ジェノちゃん。今回の護衛依頼では、お前達の味方はできないぜ。だが、その埋め合わせはする。獅子身中の虫の存在が分かったんだ。そいつはうまく飼い殺してやる。どうせ、お優しいジェノちゃんにはそいつを殺せないのは明らかだからな。だから、それが一番だろう?)
心のなかで返ってくるはずのない問いかけをし、リットは店を出ることにする。
リットの今の最大の楽しみは、ジェノを見ていることだ。
非力で、才もなく、ただただ気持ちだけが先走る哀れな道化が、懸命に身を粉にして足掻くさまは何よりも滑稽で愉快だから。
そして、その道化の限界はいつなのかと期待して待っている。
悪趣味この上ないと自分でも思うが、これがリット=ルースレットという男の性格なのだから仕方がないだろう。
(まだまだ壊れないでくれよ、ジェノちゃん。この俺の実力を知りながらも、正面切って喧嘩をふっかけて来たのはお前だけなんだからさ。もっとあがいて見せてくれよ)
そしてリットはまた自らの気持ちを偽る。
自分にとってジェノという存在が、嘲笑や侮蔑の対象ではなく、憐憫や哀れを抱く対象でもないことを理解しているのに、それを認めない。
リットとジェノの関係の本質を知っているものが仮に居たのなら、きっとリットがジェノに抱いている気持ちをこう指摘したはずだ。
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