219 / 248
第五章 邂逅は、波乱とともに
㊱ 『譲れないもの』
しおりを挟む
『君が忘れてしまっていても、きっとアレを見れば思い出してくれるはずだって信じているよ。だから、お願い、レミィ。今日だけは起きていて!』
レイルンは今朝、レミリアにそう告げた。
そして、夫がそれを許してくれたので、夕食後に眠くなってしまった愛娘を寝かせたレミリアは、居間のテーブルに腰をおろして外を見るとはなしに見ていた。
もっとも、昼とはことなり、明かりがないその方向を眺めても闇以外は何も見えないのだが。
夫が寝室にこもっていてくれているので、本当に良かったと思う。
罪悪感に押しつぶされそうな今の自分は、きっとひどい顔をしている。
覚えている。
幼かった自分が指輪をレイルンに強請ったことを。エメラルドではなく、他の輝く石を願ったことを。
それは、幼く無知であったがために出たとんでもないお願い。
けれど、私が大好きになった妖精は、レイルンは、その願いを叶えるためにずっと頑張り続けてくれていたのだ。
でも、あれは幼い頃の、物を知らなかった無知な自分が願った無茶なお願い。
いくら妖精のレイルンでも、叶えられるはずがない。
「裏切られたと思っていた。けれど違った。私がレイルンを裏切ったんだ……」
幼き時の約束を守り続けることが出来なかった自分。そして、その後ろめたさから、レイルンが訪ねて来てくれたときにも、過去を忘れてしまったフリをしてしまった自分。
それなのに、それなのに……。
レイルンは一生懸命、こんな私のお願いを叶えようとしてくれている。
「……レミリア」
涙を流しているタイミングで、夫のキレースがランプを片手に寝室から出てきた。レミリアは慌てて涙を拭う。
「あなた……」
口から自然に出た、もうすっかり馴染んだ呼称にさえ、レミリアは不安になる。
人間と妖精の共存を心から願っているこの人を、無垢な妖精を傷つけた、自分のような狡くて不義理な女が、そう呼ぶ資格があるのかと。
そんなふうに考えると二の句が続けられなくて、顔を俯けてしまう。
「…………」
キレースは何も言わずに、静かにこちらに歩み寄ってくると、ランプをテーブルの上に置いた。
「レミリア、そんな顔をしないでくれないかな。……君が悪いわけではないよ。もちろん、レイルンが悪いわけでもない。ただ、君達はすれ違ってしまっただけなんだ」
「……でも、私は……」
レミリアの言葉を遮るように、キレースは俯いたままのレミリアを優しく抱きしめた。
「フレリアの前では話すことを躊躇われたから言っていなかったんだけれど、今日の洞窟探索の際に、僕はレイルンと口論をしたんだ。その内容は、僕とレイルンのどちらが君のことを大切に思っているかについてだった」
「……えっ?」
レミリアは顔を静かに上げて、夫の顔を見上げる。
ランプの明かりでもわかるくらい、キレースは耳まで真っ赤にしていた。
「結果は、僕の勝ちだった。僕がどれほど君のことを大切に思っているのかを、愛しているのかを伝えて、今の君が幸せだと伝えたら、レイルンは分かってくれたよ」
「……ごめんなさい。貴方に酷いことを任せてしまって。本当は私が言わなければいけないことなのに」
レミリアの瞳から、再び涙がこぼれ落ちる。
狡いと思う。卑怯だと思う。不義理をしていると思う。
けれど、あの時と変わらない真っ直ぐな目をした一途なレイルンに、レミリアは向かい合うことが出来なかった。
あまりにも残酷なことをした罪悪感に押しつぶされてしまいそうで……。
「それは違うよ、レミィ。僕と二人で口論をしたから、レイルンは君を諦めてくれようとしているんだ。もしも直接君から拒絶されたら、あの子はもっと深い傷を負うことになっていたはずだからね」
「……でも、私は……妖精を、レイルンを裏切って……。貴方は、ずっと人間と妖精のために……」
端的で、要領を得ない言葉しか言えなかったが、レミリアの気持ちを、夫はきちんと理解する。
「うん。僕は人間と妖精の関係を改善したいと思っている。だけど、それは対等なものでなければいけないんだ。もちろん譲歩しなければいけないことはある。けれど、どうしても譲れないものだって互いにあるはずだ」
キレースはそう言って、微笑んだ。
「僕にとっては、君とフレリアがそうだよ。たとえ初恋の相手だって、君を譲ることは出来ない。レミィ、僕は君を心から愛している……」
「あなた……」
そこまでが限界だった。レミリアが声を押し殺して泣いていられたのは。
レミリアは幼子のように声を上げて泣いた。
ずっとずっと胸にためていたものを、吐き出すかのように。
そして、レミリアがようやく気持ちを落ち着かせた頃だった。
「なっ!」
「えっ?!」
真っ暗なはずの外から、光が差し込み始めたのは。
時間的には、これから闇が深まることこそあれ、明るくなるのはもっともっと先のはずなのに。
「もしかして、これは、レイルンが……」
レミリアの言葉に、キレースは頷く。
「お父さん、お母さん! お外がすっごく明るいよ!」
「フレリア……」
隣の部屋から、幼い我が子が飛び出してきた。
しかし、光で目が覚めたにしてはタイミングが早すぎる。
きっと自分が大声で泣いてしまったから起こしてしまったのだろうとレミリアは後悔するが、今はそれよりも優先しなければいけないことがある。
「レミィ、フレリアを一人で家においておく訳にはいかないよ。外に出かける準備をして。僕もすぐに支度をするから!」
「……はっ、はい!」
夫の指示に従い、レミリアは娘を急いで着替えさせる。
この光はきっとレイルンが何かをしたからに違いない。
それならば、事の当事者である自分が彼のもとに行かなければならない。
そんなことで罪滅ぼしにはならないことは分かっているが、せめてそれだけはしないといけないのだ。
レミリアはそう思いながら、娘の着替えが終わると、自分も服を着替え始めたのだった。
レイルンは今朝、レミリアにそう告げた。
そして、夫がそれを許してくれたので、夕食後に眠くなってしまった愛娘を寝かせたレミリアは、居間のテーブルに腰をおろして外を見るとはなしに見ていた。
もっとも、昼とはことなり、明かりがないその方向を眺めても闇以外は何も見えないのだが。
夫が寝室にこもっていてくれているので、本当に良かったと思う。
罪悪感に押しつぶされそうな今の自分は、きっとひどい顔をしている。
覚えている。
幼かった自分が指輪をレイルンに強請ったことを。エメラルドではなく、他の輝く石を願ったことを。
それは、幼く無知であったがために出たとんでもないお願い。
けれど、私が大好きになった妖精は、レイルンは、その願いを叶えるためにずっと頑張り続けてくれていたのだ。
でも、あれは幼い頃の、物を知らなかった無知な自分が願った無茶なお願い。
いくら妖精のレイルンでも、叶えられるはずがない。
「裏切られたと思っていた。けれど違った。私がレイルンを裏切ったんだ……」
幼き時の約束を守り続けることが出来なかった自分。そして、その後ろめたさから、レイルンが訪ねて来てくれたときにも、過去を忘れてしまったフリをしてしまった自分。
それなのに、それなのに……。
レイルンは一生懸命、こんな私のお願いを叶えようとしてくれている。
「……レミリア」
涙を流しているタイミングで、夫のキレースがランプを片手に寝室から出てきた。レミリアは慌てて涙を拭う。
「あなた……」
口から自然に出た、もうすっかり馴染んだ呼称にさえ、レミリアは不安になる。
人間と妖精の共存を心から願っているこの人を、無垢な妖精を傷つけた、自分のような狡くて不義理な女が、そう呼ぶ資格があるのかと。
そんなふうに考えると二の句が続けられなくて、顔を俯けてしまう。
「…………」
キレースは何も言わずに、静かにこちらに歩み寄ってくると、ランプをテーブルの上に置いた。
「レミリア、そんな顔をしないでくれないかな。……君が悪いわけではないよ。もちろん、レイルンが悪いわけでもない。ただ、君達はすれ違ってしまっただけなんだ」
「……でも、私は……」
レミリアの言葉を遮るように、キレースは俯いたままのレミリアを優しく抱きしめた。
「フレリアの前では話すことを躊躇われたから言っていなかったんだけれど、今日の洞窟探索の際に、僕はレイルンと口論をしたんだ。その内容は、僕とレイルンのどちらが君のことを大切に思っているかについてだった」
「……えっ?」
レミリアは顔を静かに上げて、夫の顔を見上げる。
ランプの明かりでもわかるくらい、キレースは耳まで真っ赤にしていた。
「結果は、僕の勝ちだった。僕がどれほど君のことを大切に思っているのかを、愛しているのかを伝えて、今の君が幸せだと伝えたら、レイルンは分かってくれたよ」
「……ごめんなさい。貴方に酷いことを任せてしまって。本当は私が言わなければいけないことなのに」
レミリアの瞳から、再び涙がこぼれ落ちる。
狡いと思う。卑怯だと思う。不義理をしていると思う。
けれど、あの時と変わらない真っ直ぐな目をした一途なレイルンに、レミリアは向かい合うことが出来なかった。
あまりにも残酷なことをした罪悪感に押しつぶされてしまいそうで……。
「それは違うよ、レミィ。僕と二人で口論をしたから、レイルンは君を諦めてくれようとしているんだ。もしも直接君から拒絶されたら、あの子はもっと深い傷を負うことになっていたはずだからね」
「……でも、私は……妖精を、レイルンを裏切って……。貴方は、ずっと人間と妖精のために……」
端的で、要領を得ない言葉しか言えなかったが、レミリアの気持ちを、夫はきちんと理解する。
「うん。僕は人間と妖精の関係を改善したいと思っている。だけど、それは対等なものでなければいけないんだ。もちろん譲歩しなければいけないことはある。けれど、どうしても譲れないものだって互いにあるはずだ」
キレースはそう言って、微笑んだ。
「僕にとっては、君とフレリアがそうだよ。たとえ初恋の相手だって、君を譲ることは出来ない。レミィ、僕は君を心から愛している……」
「あなた……」
そこまでが限界だった。レミリアが声を押し殺して泣いていられたのは。
レミリアは幼子のように声を上げて泣いた。
ずっとずっと胸にためていたものを、吐き出すかのように。
そして、レミリアがようやく気持ちを落ち着かせた頃だった。
「なっ!」
「えっ?!」
真っ暗なはずの外から、光が差し込み始めたのは。
時間的には、これから闇が深まることこそあれ、明るくなるのはもっともっと先のはずなのに。
「もしかして、これは、レイルンが……」
レミリアの言葉に、キレースは頷く。
「お父さん、お母さん! お外がすっごく明るいよ!」
「フレリア……」
隣の部屋から、幼い我が子が飛び出してきた。
しかし、光で目が覚めたにしてはタイミングが早すぎる。
きっと自分が大声で泣いてしまったから起こしてしまったのだろうとレミリアは後悔するが、今はそれよりも優先しなければいけないことがある。
「レミィ、フレリアを一人で家においておく訳にはいかないよ。外に出かける準備をして。僕もすぐに支度をするから!」
「……はっ、はい!」
夫の指示に従い、レミリアは娘を急いで着替えさせる。
この光はきっとレイルンが何かをしたからに違いない。
それならば、事の当事者である自分が彼のもとに行かなければならない。
そんなことで罪滅ぼしにはならないことは分かっているが、せめてそれだけはしないといけないのだ。
レミリアはそう思いながら、娘の着替えが終わると、自分も服を着替え始めたのだった。
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
婚約者の幼馴染?それが何か?
仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた
「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」
目の前にいる私の事はガン無視である
「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」
リカルドにそう言われたマリサは
「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」
ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・
「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」
「そんな!リカルド酷い!」
マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している
この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ
タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」
「まってくれタバサ!誤解なんだ」
リカルドを置いて、タバサは席を立った
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる