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第四章 あの日憧れたあの人のように
㊲ 『師弟』
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今日も朝の稽古を終えて、机に向かっていたジェノ。
それはいつもの光景だが、勉強を一段落させたところで、リニアが神妙な面持ちでジェノに話しかけてきた。
「ジェノ。君に話して置かなければいけないことがあるの」
「どうしたの、先生? 改まって……」
ジェノは不思議そうに尋ねたが、リニアの話を聞いて、泣き出しそうな顔になる。
「そんな! どういうこと! ここでの生活が嫌に……僕のことが嫌いになったの?」
ジェノは慌てふためく。
だが、それも無理のない話だ。リニアはジェノの先生をあと三日ほどで辞めると言い出したのだから。
「ううん。そんなことはないわ。私も、できることなら君がもう少し大きくなるまで先生でいたかった。けれど、どうしても故郷に帰らなければいけなくなってしまったの……」
「そんな……」
ジェノは絶望し、力なく肩を落とす。
まだ、マリアと別れて一ヶ月も経っていないのに、大好きな先生とも別れなければならないなんて、辛すぎる。
「私の故郷はこの国からずっと離れたところにあるの。本当は自然が豊かな素晴らしい国なんだけれど、馬鹿な人間も居てね……。近々、戦争が起こりそうなのよ」
「戦争……」
「そう、戦争よ。冒険者ギルドに定期的に情報を流してもらっていたから、いち早くこの情報を掴むことが出来た。……私は生まれ育った故郷を愛しているわ。だから私は故郷に戻ってそんな馬鹿な争いを止めないと行けないのよ」
リニアはそう言うと、困ったように笑う。
「そんな! 戦争なんて危険だよ! 先生はものすごく強いけれど、それでもたくさんの人達を相手にしたら……死んじゃうかもしれない。
それなら、安全なこの国に居たほうがいいよ! 僕は、先生に死んでほしくなんてない! もっと、もっと、僕にいろいろなことを教えてよ!」
懸命にジェノはリニアの説得を試みるが、彼女は首を横に振った。
「ジェノ。ごめんなさい。君の気持ちは本当に嬉しいわ。でも、私は故郷が荒れ果てていくのを黙って見てはいられない。自分だけ幸せではいられないのよ。……損な性格だって、自分でも思っているんだけれどね」
ポンポンとジェノの頭を叩き、リニアは苦笑する。
「……嫌だよ。僕は嫌だ! 先生と離れ離れになるなんて!」
「うん。私も嫌だよ。君と離れ離れになるのは。恩人である君にもっともっと剣を、いろいろなことを教えてあげたいと思うわ」
「えっ? 恩人?」
リニアの口から飛び出た思わぬ言葉に、ジェノは驚く。
「覚えているかな? 私は、武術を学んで、身につけていてよかったと思っているって言ったときのこと。あれは私の心からの気持ち。
君に出会えて本当によかった。私は君に剣を、志を教えることで自分を見つめ直すことが出来た。そして、自分の剣が何のためにあるのかを理解できたんだから」
「……先生……」
ジェノはなんと言えばいいのかわからず、ただそう口にする。
「私は故郷を出て旅を続けていたけれど、その間、嫌なことばかりに出会ってきたわ。だから、私は自分の剣技を隠そうとしていた。厄介な揉め事に巻き込まれないように。
君に剣を教え始めたときも、基礎だけ教えれば十分だと思っていた。それ以上は年齢的に言っても必要ないって思っていた。でも、一生懸命すぎるくらい一生懸命な君を見ていたら、私も幼い頃の自分を、剣術が好きで、その力を誰かを助けるために使いたいと願っていたあの頃を思い出せたの。
だから、嬉しくなって、ついついあれもこれもと教えてしまったわ」
リニアはそう言うと、恥ずかしそうに頬を掻く。
「でも、私の剣は、誰かを守るためにある。それにはもちろん君も含まれているけれど、私はこの剣を故郷の人々を守るためにも使いたいの。
どうか、私のわがままを許して……」
リニアはジェノに深々と頭を下げた。
「先生……それでも、僕は……。先生にもっと……」
喉元までこみ上げて、漏れてしまった言葉。けれど、それ以上はもれないように、ジェノは言葉を飲み込む。
「君のお兄さんのデルクさんが、もうこの家も商会も実質的に手に入れた。これからは、おいそれと君を狙う人も現れないはずよ。
そして、君の剣の修業だけれど、この街の道場の先生に話を通しておいたから通うといいわ。そして、君には先生のとっておきを渡そうと思うの」
リニアはそう言うと、教科書の中から、一冊、背表紙のない本をジェノに手渡した。
「この本は?」
「これは、私特製の、君のためだけの秘伝の書。私の流派の修行方法が書かれているわ。本格的に剣を極めようとするのならば、道場での稽古の他に、ここに書かれている修行も行いなさい。言っておくけれど、これも他の人に見せては駄目よ」
「……秘伝の書……。はい。大事にして、決して他の人には見せません!」
ジェノは涙を堪えて、元気に答える。
「うん。そして、これは先生からのラブレター……というのは冗談だけれど、愛情を込めて書いた手紙よ。でも、今すぐに開けては駄目。君が誕生日を迎えるたびに、一つ一つ開封して。
君が大人に、十八歳になる時までの分を書いたから、楽しみにしてくれると嬉しいわ」
「こんなに、たくさん……」
手紙の束を受け取り、ジェノは驚く。
「先生の魔術は、基本的に自分にしか使えないんだけれど、長い間身につけているものには魔術を少しだけ通すことができるの。
だから、この手紙の文字は、魔術を流せるようにした愛用のペンで書いたから、もしも順番を飛ばして読んだりしたら、文字が読めなくなるからね。ズルはしちゃあ駄目よ」
「そんなことはしません!」
「うん。君なら大丈夫だと思うけどね。それと、その手紙には、この秘伝書の更に深い意味も書かれているわ。でも、修行をおろそかにしていたら、その意味がわからないと思うから、頑張って修行を続けるように」
リニアは笑顔でそう締めくくったが、すぐにそれが崩れ始め、彼女はジェノを抱きしめた。
「ごめんなさい。君の修行に最後まで付き合うことが出来なくて……」
リニアは涙を零していた。その事に気づいたジェノは、自分も涙を堪えきれなくなる。
「先生……。僕、僕は……」
「本当にごめんね。そして、ありがとう。君が私の初めての生徒で本当に良かった。どうか、その真っ直ぐな気持ちを忘れないで。私の言ったことも忘れないでいてね……」
師弟は抱き合い、数日後の別れを惜しむように泣き続けたのだった。
◇
秋めいてきたが、日差しは強く暑い。
いい天気だった。
雲ひとつない青空が広がっている。
これが、今後の先生の旅路を祝福するものであって欲しいとジェノは願う。
「ペントさん。長い間、お世話になりました」
「いえいえ。何も出来ずに、申し訳ございませんでした」
待たせている馬車に荷物を載せて、リニアはまずペントに深々と挨拶をする。
本来ならば、ジェノの兄であるデルクも見送りに来る予定だったのだが、生憎と急な仕事が入ってしまい、それは叶わなかった。
商会の若き新当主として多忙な日々を送っているのだから、それは仕方がないとリニアは分かってくれている。
「先生。今まで、本当にありがとうございました」
ジェノはなんとか悲しい感情を顔に出さずに、お礼を言うことが出来た。
「うん。こちらこそありがとうね。君との生活は本当に楽しかったわ」
リニアはそう言うと、にっこり微笑み、自分が身につけていたハーフジャケットを脱ぐ。
「ジェノ、修行も勉強も頑張りなさい。そして、それと同じくらいにしっかり遊びなさい。そして、無理はしないことよ」
そうジェノに釘を差したリニアは、ジェノに自分のジャケットを羽織らせた。
「ははっ。まだぶかぶかだね。でも、すぐに君は大きくなって、着られないようになってしまうわね、きっと」
「……先生」
「こらこら、湿っぽいのは無しよ」
そう言いながらも、リニアの瞳にも光るものが浮かんでいる。
「それじゃあ、またね、ジェノ」
「うん。またね、先生」
リニアが笑顔で別れの挨拶を口にしたので、ジェノも涙を流しながらも笑顔でそれに応える。
すると、リニアは少し体を屈めて、ジェノの額にキスをした。
「ジェノ。素敵な男性になりなさい……」
優しいその言葉に、ジェノは号泣してしまう。
「うん。頑張れ、頑張れ、男の子。君はきっと、私よりも強くなれるはずよ」
リニアは最後にジェノの頭を撫でて、馬車に乗り込んでいった。
「先生! 本当に、本当にありがとう! 僕、絶対に強くなるよ! 先生みたいに強い人になるよ!」
ジェノはそう宣言し、馬車が見えなくなるまで、ずっとその姿を見つめ続けたのだった。
それはいつもの光景だが、勉強を一段落させたところで、リニアが神妙な面持ちでジェノに話しかけてきた。
「ジェノ。君に話して置かなければいけないことがあるの」
「どうしたの、先生? 改まって……」
ジェノは不思議そうに尋ねたが、リニアの話を聞いて、泣き出しそうな顔になる。
「そんな! どういうこと! ここでの生活が嫌に……僕のことが嫌いになったの?」
ジェノは慌てふためく。
だが、それも無理のない話だ。リニアはジェノの先生をあと三日ほどで辞めると言い出したのだから。
「ううん。そんなことはないわ。私も、できることなら君がもう少し大きくなるまで先生でいたかった。けれど、どうしても故郷に帰らなければいけなくなってしまったの……」
「そんな……」
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まだ、マリアと別れて一ヶ月も経っていないのに、大好きな先生とも別れなければならないなんて、辛すぎる。
「私の故郷はこの国からずっと離れたところにあるの。本当は自然が豊かな素晴らしい国なんだけれど、馬鹿な人間も居てね……。近々、戦争が起こりそうなのよ」
「戦争……」
「そう、戦争よ。冒険者ギルドに定期的に情報を流してもらっていたから、いち早くこの情報を掴むことが出来た。……私は生まれ育った故郷を愛しているわ。だから私は故郷に戻ってそんな馬鹿な争いを止めないと行けないのよ」
リニアはそう言うと、困ったように笑う。
「そんな! 戦争なんて危険だよ! 先生はものすごく強いけれど、それでもたくさんの人達を相手にしたら……死んじゃうかもしれない。
それなら、安全なこの国に居たほうがいいよ! 僕は、先生に死んでほしくなんてない! もっと、もっと、僕にいろいろなことを教えてよ!」
懸命にジェノはリニアの説得を試みるが、彼女は首を横に振った。
「ジェノ。ごめんなさい。君の気持ちは本当に嬉しいわ。でも、私は故郷が荒れ果てていくのを黙って見てはいられない。自分だけ幸せではいられないのよ。……損な性格だって、自分でも思っているんだけれどね」
ポンポンとジェノの頭を叩き、リニアは苦笑する。
「……嫌だよ。僕は嫌だ! 先生と離れ離れになるなんて!」
「うん。私も嫌だよ。君と離れ離れになるのは。恩人である君にもっともっと剣を、いろいろなことを教えてあげたいと思うわ」
「えっ? 恩人?」
リニアの口から飛び出た思わぬ言葉に、ジェノは驚く。
「覚えているかな? 私は、武術を学んで、身につけていてよかったと思っているって言ったときのこと。あれは私の心からの気持ち。
君に出会えて本当によかった。私は君に剣を、志を教えることで自分を見つめ直すことが出来た。そして、自分の剣が何のためにあるのかを理解できたんだから」
「……先生……」
ジェノはなんと言えばいいのかわからず、ただそう口にする。
「私は故郷を出て旅を続けていたけれど、その間、嫌なことばかりに出会ってきたわ。だから、私は自分の剣技を隠そうとしていた。厄介な揉め事に巻き込まれないように。
君に剣を教え始めたときも、基礎だけ教えれば十分だと思っていた。それ以上は年齢的に言っても必要ないって思っていた。でも、一生懸命すぎるくらい一生懸命な君を見ていたら、私も幼い頃の自分を、剣術が好きで、その力を誰かを助けるために使いたいと願っていたあの頃を思い出せたの。
だから、嬉しくなって、ついついあれもこれもと教えてしまったわ」
リニアはそう言うと、恥ずかしそうに頬を掻く。
「でも、私の剣は、誰かを守るためにある。それにはもちろん君も含まれているけれど、私はこの剣を故郷の人々を守るためにも使いたいの。
どうか、私のわがままを許して……」
リニアはジェノに深々と頭を下げた。
「先生……それでも、僕は……。先生にもっと……」
喉元までこみ上げて、漏れてしまった言葉。けれど、それ以上はもれないように、ジェノは言葉を飲み込む。
「君のお兄さんのデルクさんが、もうこの家も商会も実質的に手に入れた。これからは、おいそれと君を狙う人も現れないはずよ。
そして、君の剣の修業だけれど、この街の道場の先生に話を通しておいたから通うといいわ。そして、君には先生のとっておきを渡そうと思うの」
リニアはそう言うと、教科書の中から、一冊、背表紙のない本をジェノに手渡した。
「この本は?」
「これは、私特製の、君のためだけの秘伝の書。私の流派の修行方法が書かれているわ。本格的に剣を極めようとするのならば、道場での稽古の他に、ここに書かれている修行も行いなさい。言っておくけれど、これも他の人に見せては駄目よ」
「……秘伝の書……。はい。大事にして、決して他の人には見せません!」
ジェノは涙を堪えて、元気に答える。
「うん。そして、これは先生からのラブレター……というのは冗談だけれど、愛情を込めて書いた手紙よ。でも、今すぐに開けては駄目。君が誕生日を迎えるたびに、一つ一つ開封して。
君が大人に、十八歳になる時までの分を書いたから、楽しみにしてくれると嬉しいわ」
「こんなに、たくさん……」
手紙の束を受け取り、ジェノは驚く。
「先生の魔術は、基本的に自分にしか使えないんだけれど、長い間身につけているものには魔術を少しだけ通すことができるの。
だから、この手紙の文字は、魔術を流せるようにした愛用のペンで書いたから、もしも順番を飛ばして読んだりしたら、文字が読めなくなるからね。ズルはしちゃあ駄目よ」
「そんなことはしません!」
「うん。君なら大丈夫だと思うけどね。それと、その手紙には、この秘伝書の更に深い意味も書かれているわ。でも、修行をおろそかにしていたら、その意味がわからないと思うから、頑張って修行を続けるように」
リニアは笑顔でそう締めくくったが、すぐにそれが崩れ始め、彼女はジェノを抱きしめた。
「ごめんなさい。君の修行に最後まで付き合うことが出来なくて……」
リニアは涙を零していた。その事に気づいたジェノは、自分も涙を堪えきれなくなる。
「先生……。僕、僕は……」
「本当にごめんね。そして、ありがとう。君が私の初めての生徒で本当に良かった。どうか、その真っ直ぐな気持ちを忘れないで。私の言ったことも忘れないでいてね……」
師弟は抱き合い、数日後の別れを惜しむように泣き続けたのだった。
◇
秋めいてきたが、日差しは強く暑い。
いい天気だった。
雲ひとつない青空が広がっている。
これが、今後の先生の旅路を祝福するものであって欲しいとジェノは願う。
「ペントさん。長い間、お世話になりました」
「いえいえ。何も出来ずに、申し訳ございませんでした」
待たせている馬車に荷物を載せて、リニアはまずペントに深々と挨拶をする。
本来ならば、ジェノの兄であるデルクも見送りに来る予定だったのだが、生憎と急な仕事が入ってしまい、それは叶わなかった。
商会の若き新当主として多忙な日々を送っているのだから、それは仕方がないとリニアは分かってくれている。
「先生。今まで、本当にありがとうございました」
ジェノはなんとか悲しい感情を顔に出さずに、お礼を言うことが出来た。
「うん。こちらこそありがとうね。君との生活は本当に楽しかったわ」
リニアはそう言うと、にっこり微笑み、自分が身につけていたハーフジャケットを脱ぐ。
「ジェノ、修行も勉強も頑張りなさい。そして、それと同じくらいにしっかり遊びなさい。そして、無理はしないことよ」
そうジェノに釘を差したリニアは、ジェノに自分のジャケットを羽織らせた。
「ははっ。まだぶかぶかだね。でも、すぐに君は大きくなって、着られないようになってしまうわね、きっと」
「……先生」
「こらこら、湿っぽいのは無しよ」
そう言いながらも、リニアの瞳にも光るものが浮かんでいる。
「それじゃあ、またね、ジェノ」
「うん。またね、先生」
リニアが笑顔で別れの挨拶を口にしたので、ジェノも涙を流しながらも笑顔でそれに応える。
すると、リニアは少し体を屈めて、ジェノの額にキスをした。
「ジェノ。素敵な男性になりなさい……」
優しいその言葉に、ジェノは号泣してしまう。
「うん。頑張れ、頑張れ、男の子。君はきっと、私よりも強くなれるはずよ」
リニアは最後にジェノの頭を撫でて、馬車に乗り込んでいった。
「先生! 本当に、本当にありがとう! 僕、絶対に強くなるよ! 先生みたいに強い人になるよ!」
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