彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

⑱ 『願いと決意』

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 船旅の間、ずっとこのボロボロの体が小康状態を保ち続けることができたのは、リットさんの魔法のおかげだ。
 それだけではなく、彼はいつも軽妙にいろいろな話を聞かせてくれた。
 さらには、神殿生活の禁忌に触れるギリギリの話を聞かせてくれて、ついつい聞き入ってしまうこともあった程だ。

 まぁ、イルリアに彼が窘められるまでがいつものパターンではあったけれど、でもそのやり取りがとても楽しかった。

 そう、イルリア。
 同室であることと、同性の気軽さもあって、彼女とは一番多く会話をした。更に、彼女は本当に手厚く私の介助に努めてくれた。

 私が、リットさんの魔法のおかげで、なんとか一人で物事をできるようになっても、彼女は甲斐甲斐しく私を助けて、そして見守っていてくれた。

 感謝の言葉を述べると、しかし彼女は、「そういう取引でしょう。気にしないでよ」と言って笑う。
 でも、いくら俗世に疎い私でも分かる。この献身的な介助は、彼女の優しい心根があってこそのもので、他の人がおいそれと真似できるものではないと。

 そして、ジェノ。
 いつも私のために美味しい食事を作ってくれた。
 そして、私の大きな過ちに気づかせてくれた恩人。

 寡黙だけれど、こちらが話しかければしっかりと応えてくれる。そして、無愛想な態度なのに、その中に温かみがあることが今はもう分かっている。
 
 もしも、狙ってこんな話し方をしているのであれば、ジェノはリット以上の女ったらしなのだろうが、彼はどうやら天然でこういう話し方をしているようだ。

 しかし、何故だろう。
 彼は、無理に冷たい人間を演じようとしているのではと思えてしまうのは。

 私は、カルラとレーリアと一緒にこの船に乗りたかった。けれど、彼女達の代わりに私と寝食を共にしてくれたのが、彼らで本当に良かったと思う。

 彼らの恩義に、優しさに応えるためにとは思いながらも、この十日間の船旅は本当に楽しかった。
 私だけが楽しい思いをしてと、カルラとレーリアに申し訳なく思う気持ちもあるが、それでも、彼女達は羨ましがることはあっても、私を恨んだりしないことはもう分かっている。信じられる。

 あと少しで、この旅は終わる。
 それは、私の命が終わりに近づくということだ。

 けれど、後悔はもう……。


「……駄目ね」
 そこまで思ったところで、私は苦笑した。
 
 後悔はもうないと思いたかった。
 けれど、私は、今頃になって何かを残したいと考えるようになってしまっていた。

 私という人間。カルラという人間。そして、レーリアという人間。
 成人を迎えることができず、十七歳で死んでいくことになる私達を、誰かに覚えていてほしいと願ってしまったのだ。

 何かを、私は、私達は、残せないだろうか?
 それは、形に残らないものでもいい。
 ただ、誰かに、私達という人間がいたのだと覚えていてもらいたい。

 ……それは、悲しい記憶でしかなかったとしても……。

 そんな事を考えていると、部屋のドアがノックされた。
 どうぞ、と応えると、イルリアが部屋に入ってくる。
 
「サクリ。他の乗客は皆下船したようだから、私達もそろそろ行きましょう」
 私は何もお願いしていないのに、彼女達は私が人前にこの醜い姿を晒したくないことを理解し、こういった配慮をしてくれるのがとても嬉しい。

「サクリ。降りる時は特に危険だから、しっかり私に掴まっていてよ」
 私に手を差し伸べて、イルリアは微笑む。

「ええ。お願いね、イルリア」
 私の返事を聞くと、彼女は意地の悪い笑みを浮かべる。

「サクリ。貴女さえ良ければ、またあの朴念仁にお姫様抱っこをさせてもいいわよ」
「それは嬉しいわね。お願いしようかしら?」
 私がそう返すと、イルリアは驚いた顔をする。

「ふっ、ふふふっ。冗談よ。私をからかおうとしていたみたいだから、反撃させてもらったわ」
 私がそう明るい声で言うと、イルリアは「してやられたわ」と少し悔しそうに言う。
 けれど、すぐにどちらとなく笑みを浮かべて笑いあう。

 本当に、彼女達と旅ができて良かった。

 私はその思いを胸に、イルリアと一緒に十日間過ごした部屋を後にするのだった。







 空気の匂いが違う。
 気温も、エルマイラムより涼しい気がする。
 別の大陸にやって来たのだと、イルリアは体でその違いを感じ取る。

 ここは、港町ルウシャ。
 ナイムの街とは比較にならないが、流石に港町だということもあり、生活に必要な施設は全て整っていることは調査済みだ。

 だが、呑気に物見遊山をしている暇はない。
 早く目的を果たして、サクリの元に帰らなければ。

 長かった船旅もようやく一段落し、イルリアは、目的の村のあるセラース大陸の地を踏みしめる事となった。
 だが、ここからが本番だ。

 今回の依頼である、サクリの護衛がまだ続いていることもそうだ。だが、イルリアには他に、是非とも聖女ジューナに会わなければならない理由がある。

「まずは、銀行にいかないと……」
 念のため、お金はかなり多めに持ってきている。だが、いざという時に後悔しないように、小金貨をもう一枚用意して置いたほうが良いだろう。

 相手は、高名な聖女。『銅貨一枚支払わずとも、病める人々に救いの手を差し伸べる』と謳われている。
 だが、文明的な生活を送る上で、金銭が介在しないということはありえない。
 病人のための施設を維持するだけでもお金はかかり続けるのだ。

 下衆な考えだと思うが、そこが付け入る隙きだとイルリアは考えている。

 まず、サクリに自分のことを目的地である『聖女の村』の関係者に紹介してもらう。そして、寄付の話を持ちかける。何とも単純な方法だが、これに勝る手段は生憎と考えつかなかった。

 ただ、寄付と一口に言っても、イルリアは小金貨を五枚寄付するつもりでいる。
 小金貨は、大銀貨十枚分の価値。

 あくまでエルマイラム王国での基準だが、ナイムの街の一般的な世帯の平均月収が、大銀貨二枚程度なことを考えると、彼らの年収の二年分以上の金額を寄付するこの行為は、決して無下に扱えるものではないはずだ。
 
 イルリアにとっても、おいそれと動かせる金額ではない。だが、これで悩みのタネが解消されるのであれば安いものだと彼女は思う。

「……お願いします。どうか今度こそ、あいつへの借りを返させて下さい」
 誰にとなく、イルリアは心のなかで祈る。

 自らの犯した罪を思えば、もっと自分は苦しむべきなのかもしれない。
 けれど、それは同時にあいつを、ジェノを苦しめることにも繋がってしまう。

「捉えようによっては、あんたのほうがサクリよりも重体じゃない……。それなのに……」
 サクリのことを優先し、ジェノは自分の体のことをまったく気にした様子はない。
 何処までも他人が優先で、自己のことを顧みないあいつに、腹が立ってくる。

 あまりにも腹が立って、涙が溢れそうになった事に気づき、イルリアはそれを腕で乱暴に拭う。

「泣いている場合じゃあない。私は自分の失態は自分で挽回する」
 イルリアは決意を込めて自らの頬を両手で叩いて気合を入れると、小走りに繁華街に向かって走り出すのだった。
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