彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

⑧ 『親友』

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 代わり映えのない景色だとサクリは思った。

 つい半年前までは、当たり前のように走り回っていた庭をこんなにも遠くに感じることになるとは、サクリは微塵も思っていなかった。

 まだ十五歳になったばかりのサクリは、病が発覚してしばらくの間は、早く体が治ってくれないかと願っていた。
 そう、この時、彼女は知らなかったのだ。
 自分が侵された病が、不治の病であることを。

 だんだん体力が失われていく。
 ベッドから起き上がることも出来ないのだから、それは仕方がないと思っていた。
 体が良くなれば、また徐々に体を慣らしていけばいいのだと、軽く考えていた。

 自分をつきっきりで見て下さる司祭様も、薬師の方も、すぐに良くなると言ってくれていたから。

けれど、病はサクリの体を少しずつ、けれど確実に蝕んでいった。

 そして、それは、病に侵されて一年が経つ頃には、顕著になった。

 背中まで伸びた自慢の金色の髪は、色を失ってボサボサになっていく。
 食事は食べているのに、顔は痩せこけていくばかり。そして、次第に食事もあまり喉を通らなくなっていくと、それはいっそう加速していった。

 若くて健康的だったサクリの体は、急速に弱っていったのだ。

 それまで自分の専属だった司祭様や薬師が、この部屋を訪ねてくることもなくなった。
 心配をして、この病室に頻繁に来てくれるのは、カルラとレーリアだけになってしまっていた。

「ああっ、そうか。私は、このまま死ぬんだ……」
 もう分かりきっていたことを、サクリはある日、一人きりの部屋で口に出した。
 すると、少しだけ気持ちが楽になった。
 治るかもしれないという、儚い希望を捨てたことで、ようやく死を迎え入れるしかないのだと観念することができた。

 しかし……。







「ねぇ、カルラ、レーリア。いままで、こんな私のためにありがとう。でも、これからは私の部屋には来なくていいよ。どうせ、私はもう助からないから……」
 病を発症してから一年半程が経った、私の十七回目の誕生日。

 それを心から祝ってくれた二人の親友に、私はそう切り出した。

 これが最後の誕生日だと、私は理解していたから。
 もう、体が殆ど動かない。そして、私の姿はとても人に見せられないほど醜くなってしまっていた。
 私が十七歳になったばかりだと言っても、誰も信じないだろう。
 私自身が、鏡を見たくないと思うほど、この体は老衰しきった老婆のような外見なのだから。

 それに、カルラとレーリアに申し訳がなくて仕方がなかった。
 二人が、懸命に神殿のお勤めを頑張って、時間を作ってまで私に会いに来ていることは知っている。

 これでも、神殿長の娘だ。
 年に応じて、仕事が大変になることくらい分かっている。

 それなのに、二人は今までと変わらぬペースで私を訪ねて来てくれている。それは、彼女達が懸命に頑張っているからに他ならない。


 余命幾ばくもない私のために、カルラとレーリアが苦労するのはおかしな話だ。

 私の世話を押し付けられた神官見習い達の中には、聞こえよがしに、『早く死んでくれないかしら』と、『こんな死に損ないのせいで、カルラさんとレーリアさんが苦労をされるなんて』と言うものさえいる。 
 しかし、彼女達の言うことは間違っていない。
 私は、これ以上生きていても、他人に迷惑を掛けるだけの厄介者に他ならないのだから。

 カーフィア様が自殺を禁止していなければ、私はとっくの昔に自らの舌を噛み切っていただろう。
 いや、それさえも、もう今の私にはできそうもないのだが……。


「ふざけないで! 何を言っているのよ、サクリちゃん!」
 いつも笑顔を浮かべているカルラが、私に向かって大声で叫んだ。

 物心ついた頃からの長い付き合いだが、こんなに激怒したカルラを見たのは初めてだった。
 
「そうね。私も流石に、今の言葉は許せないわ。こんなに長い付き合いなのに、貴女は、私達がどうしてこの部屋に来るのか分かっていないの?」
 レーリアは静かに立ち上がって、私の額をコツンと軽く叩く。

「なんで、大好きな友達のところに遊びに来るのを、やめなくちゃいけないのよ。私達が貴女に会いに来る理由は、貴女に会いたいから。ただそれだけ。
 それに、絶対に貴女の病は私達がなんとかしてみせる。そう言ったでしょうが」
 レーリアの言葉に、カルラも頷く。

「そうだよ! 私達はサクリちゃんに会いたいの! お話するのが楽しくて仕方がないの! 何? また誰かになにか言われたの? それなら、すぐに誰に言われたのか教えて。
 私のサクリちゃんを苦しめるとは許せん。八つ裂きにしてくれる!」
「だから、そんな物騒なことを口走るな! 貴女は、神官見習いとしての自覚を持ちなさい!」
 鼻息を荒くするカルラを、レーリアが大声で嗜める。
 
 それは、ずっと変わらないやり取り。
 それに気づいた私は、ふと、あの頃のことを。元気だったころの自分の姿を、この二人と笑い合っていた幸せな時間を思い出すことができた。

「……大丈夫よ。私達がついているわ」
「そうそう。私達がサクリちゃんとずっと一緒にいるから」
 知らぬ間に涙をこぼしていた私を、レーリアとカルラは優しく抱きしめてくれた。

 もう、私に迷いはなかった。
 最後の瞬間まで、この二人と一緒に生きていこう。

 私の死は避けられないけれど、それでもレーリアとカルラが一緒なら……。




 だから、久しぶりに会った、お母……いや、神殿長様に今回の話を持ちかけられたときには、私は嬉しかった。
 
 だって、旅に出ることができるのだ。
 かけがえのない親友と一緒に。


 ……私は、全てを受け入れると、神殿長様に答えた。


 すると、神殿長様は、私に儀式を施してくれた。
 魔法を使える神官様や司祭様達を総動員して、私の体が何とか旅に耐えられるようにして下さったのだ。
 
 おかげで、苦しいながらも少しだけ体が動くようになった。
 涙が出るほど嬉しかった。

 そして、カルラとレーリアに手伝ってもらいながら、私は懸命にリハビリに努めた。
 楽しかった。本当に楽しかった。
 体が少しだけでも動けるようになるのは。
 
 カルラとレーリアも本当に喜んでくれた。
 私が、杖を使いながら、部屋から神殿の入口まで一人で歩きついた時には、涙を流しながら喜び、抱きしめてくれた。

 そして、これから始まる旅に、三人で胸をときめかせた。

 あそこに寄ろう、ここに寄ろう。食事はあの店が良さそうだ。
 船旅での揺れは大丈夫だろうか? 路銀は足りるだろうか? 

 そんなとりとめのない会話が、何よりも楽しくて、幸せで……。

 幸せで……。
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