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美しい思い出を守る
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アンダーソン家の強さを表したといわれる家紋。
ライオンのように勇ましく攻撃し、そしてどのような攻めもはねのける盾を持つ。それが家紋の意味だと教えられた。二百年前の騒乱の時代に作られた家紋だ。
十九歳という若さで亡くなったシャーロットが作った家紋の刺繍。
裏面に刺繍のサインがほどこされている。間違いなくシャーロットが作ったものだ。
シャーロットは自分の作成した刺繍に、一見イニシャルにはみえず模様と見間違うようなものを目立たない場所にほどこしていた。
結婚前は自身のイニシャルだけだったが、結婚後はジョンと彼女のイニシャルを組みあわせたものを使っていた。
おうとつのついた市松模様の部分をなでながら、エマから聞いた話しについて考える。
シャーロットの流産、そして毒殺の可能性。
ウィリアムズ家の女性達は、毒殺の可能性を考えるほど私を恨んでいるのだろうか。
これまでウィリアムズ家の男達から毒殺の話しをされたことはない。とくに長男とは昔から仲が良かったが、彼との付き合いはシャーロットの死後もとくに変わっていない。もし毒殺の可能性があったならすぐに私に話したはずだ。
そのように考えるとウィリアムズ夫人とエマは、どこかで聞いた毒殺未遂の話から妄想にとらわれてしまったのだろうか。
人は自分が信じたいものを信じる。現実がどうであれ。
シャーロットの死は彼女の近くにいた者達に大きな影をおとした。
シャーロットの家族、とくにウィリアムズ夫人は娘の死後、家に閉じこもるようになったという。
夫人は五人の子供を愛していたし、五人に分けへだてなく接しているつもりだった。
しかし大人しいシャーロットのことを後回しにしがちで、母としてもっとしてあげられることがあったと泣くことが増えたと聞いている。
シャーロットが亡くなってから十年たつ。
悲しみが癒えきっていないウィリアムズ夫人とエマは、シャーロットの死を何としてでも誰かに責任をとらせたいと思っているのではないだろうか。
そのようにしないと自分を保っていられないのかもしれない。
シャーロットが亡くなり誰もが呆然とした。健康だった彼女が原因不明の病で衰弱し亡くなった。誰もが彼女の死を信じられなかった。
みな不運だったと同情的だったが、妻を守れなかった夫という不名誉な言い方をする者もいた。
そしてウィリアムズ夫人からは、なぜこのようなことになる前に「夫」は何もしなかったのだという気持ちが言葉のはしばしからすけていた。
医師でも分からぬ病に倒れたシャーロット。病のことなど何も知らない私に何が出来たというのだ。それも領地に行っている間にすべて終わってしまった。
医師を手配し、そして手厚く看病するよう指示するぐらいしか私にできたことはない。
彼女の側にいたとしても私ができたことなど何もなかっただろう。
私を非難する気持ちがみえるたびに、そのように言いたい気持ちを必死でおさえた。
シャーロットの死に愕然とし理不尽な思いを抱えたのは私も同じだった。誰かに、自分以外の誰かに、シャーロットの死の責任をおわせたい気持ちは理解できた。
私自身、医師を責め、家令や侍女と彼女に関わっていた使用人を責めた。
どうしてこのようなことになる前に何もしなかったのだと。
いまならそれがどれほど筋違いなことを言っていたのか分かるが、あの時はどこかに怒りをぶつけなくては正気を保っていられなかった。
大切な妻を亡くしたのだ。それも私が家を離れている間に。死に目にもあえず独りで逝かせてしまった。
あの時に味わった無力感はいまでも時々よみがえる。
シャーロットとは政略結婚だが、彼女は幼馴染みで子供の頃から好ましく思っていた。はにかんだ笑顔をみせ話すシャーロットはかわいらしく、彼女の笑顔がみたくて何かと構った。
そしてシャーロットとの結婚生活は楽しかった。
内気でおとなしいシャーロットは、結婚する前はほとんど外出することがなかったようで、一緒に街にくりだすとおしゃべりになった。
シャーロットが知らなかったことを教えると驚いた表情をし、そして頬を上気させ喜んだりと子供のようだった。
そのことをからかうと、さっと淑女の笑みを浮かべ澄ました態度をとる。
くるくると変わる表情をみるのが楽しく、つい彼女をからかい、からかったあとに彼女を抱きしめずにいられなかった。
子供の頃から私に好意をむけてくれ、結婚してからは好意だけでなく愛情、信頼、尊敬、賞賛の気持ちを向けてくれるシャーロットと一緒にいるのは心地よかった。
シャーロットは時間があると刺繍をしていた。私の存在に気付かないほど集中して刺繍する姿をみるのが好きだった。
刺繍の図案を考えるのに、同じような図案を何枚も描いている姿や、色を決めるために糸を隣りあわせにして色を見比べる姿。テンポよく針をさしていく姿など、それまで見たことのないシャーロットの姿はどれも好ましかった。
母が刺繍を苦手にしていたこともあり、それまで女性が刺繍している姿を見ること自体ほとんどなかったので、彼女が刺繍をほどこしている姿は新鮮でとても女性らしく感じた。
シャーロットは美しいペリドットの瞳をもち、彼女の少し赤みがかった茶色の髪にその瞳の色がよくはえた。
シャーロットが贈ってくれたペリドットを使ったカフスボタンをいまでも使っている。彼女を思い出させてくれる大切な物だ。
私の誕生日にわたすつもりで用意したと思われるそのカフスボタンは、誕生日の前にシャーロットが亡くなってしまったため、彼女の死後遺品として私の手にわたった。
ペリドットの石言葉は幸福で、それはまさしくシャーロットとの結婚生活をあらわす言葉だった。
二年という短い結婚生活だった。
私達はとてもうまくいっていた。それは後妻をめとったあとにしみじみ痛感した。
後添えの妻は気が強く、何ごとも自分の意見を押し通そうとするので話すだけで疲れた。
話しがあわないのでお互い必要最低限の会話にとどめ、義務的な関わりしか持っていない。
ごく普通の政略結婚の夫婦といえるが、シャーロットとの結婚生活が幸せだっただけに、後妻との結婚は失望感が大きかった。
そのため早々に愛人をつくった。
政略結婚をする貴族社会では男女とも愛人をもつのが普通だ。婚姻は家と家、血による結束のためのもの。たとえ相手が生理的に受けつけない存在であろうが、そこに「否」という文字は存在しない。
個人の感情をまったくかえりみない婚姻で、義務のために心を殺しつづけることは不可能だ。そのため子をなしたあとは愛する人と過ごすことが許される。
建前上、愛人をもつのは子をなした後ということになっているが、婚約しているときから愛人がいるのもめずらしくない。
私も今の妻とは子をなす前から愛人をもち心の均衡をとるようになった。
シャーロットをうしなった喪失感は大きかった。
シャーロットと茶を飲みながらお互いの話しをしたり、たわいないことを話すのは心地よかった。
社交を好まなかったシャーロットだが、ドレスを着て髪を結い上げた姿は魅惑的で気持ちがたかぶった。
二人で愚痴をこぼしながら執務をこなすとつまらない仕事がはかどった。
彼女が亡くなり屋敷内が彼女の存在をまったく感じられないただの空間となってしまった。
彼女が嫁いでくる前の状態に戻っただけといえたが、彼女がいない屋敷で私は自分の身をどこにおけばよいのかと惑った。
それだけに誰か側にいて欲しかった。シャーロットのように私に寄りそってくれる誰かを。
政略結婚で夫が愛人を持つことは織りこみ済みとはいえ、子をなす前に私が愛人を持つことに妻は不満をしめした。
「愛人を持つのをとやかくいうつもりはありませんが、子をなしてからという了解を守って頂きたかったですわね。
他の女性からの移り香をぷんぷんさせて妻のもとに来るのはあまりに無神経では」と嫌みをいわれた。
しかし妻はそれ以上なにかいってくることはなく、妻も子をなしたあと好きにやっているようだ。
この十年、愛人は何人か入れ替わった。
彼女達には愛人としてよい暮らしをさせ愛情も注いできたが、妻や他の女への嫉妬をみせ私をわずらわせた。
付き合い始めたころは少しの時間でも私に会えれば喜んでくれたが、時がたつにつれ会えなければ私をなじるようになる。
妻を愛していなくても夫婦として社交をこなす必要もあれば、子をなす義務もある。子爵家の次期当主として義務を怠るわけにはいかない。愛人にだけかまけているわけにはいかないのだ。
そして愛人達は私の愛を確かめようとすねたり、我がままをいったり、高額なものをねだったりと面倒なことをする。
私が彼女達の望む言動をしなければ、愛していないのかと感情を爆発させる。
そうなると私は彼女達と一緒にいても気持ちが休まることもなければ、愛しいとも思えなくなるばかりだった。
いまの愛人も少し会えないと飽きてしまったのかとうるさく聞くようになった。別れ時かもしれない。しばらくは気軽に遊べる女性がいればよい。
男として情欲のまま後腐れのない相手と楽しむ。そのような相手を口説くのは楽しくそして達成感があった。
人にはそれぞれ違った良さがある。愛人が「私がいるのにどうして他の女と遊ぶの」ということがあるが、愛人とは違う魅力をもった女性を好ましいと思うのは仕方ないことだ。
それは人だけでなく物にもいえる。好きな色が一色だけではないように、好きな食べ物が一つだけではないように、私が好ましいと思う女性は一人だけではない。
美しいと思う女性、好ましいと思う女性を口説くのは、男として当たり前の行動だ。
そして女性の方も男性から口説かれることを期待し楽しんでいる。女性の方からあからさまな視線をおくられ、さりげなく私に近づき触れてくることも多い。
未婚女性の純潔は守らなくてはならないので、どれだけ魅力的で積極的な未婚女性が近寄ってきても、未婚女性だけは儀礼的にしか接しない。
未亡人や愛人を探している既婚女性しか相手にしないのは暗黙の了解で、そのような女性達がこちらに興味をしめして近付いてくるならともに楽しむまでだ。
これまで面倒にならない相手と遊び、愛人も同じようにわきまえのある女性を選んできた。
それだけに嫉妬にかられシャーロットを毒殺するような女がいたとはどうしても思えない。
シャーロットが生きていた時もたわむれで付き合った女性はいたが愛人はいなかった。お互い名さえしらないこともあったはずだ。
もしかしたらシャーロットへ手紙を書いた女は、誰か他の男と人違いしていたのかもしれない。
誰かが私の名をかたったか、女がシャーロットを自分の男の妻と勘違いしたという方がしっくりくる。
そうだ、そうに違いない。どのように考えても毒殺するほど嫉妬に狂った女がいたとは思えない。
しかし面倒なことにウィリアムズ夫人とエマは、私が関わった女が毒殺したと思いこんでいるようだった。浅はかなことだ。
機会があればそのような可能性などないと否定すべきだろう。しかしこの手のことは下手に否定すればするほど、相手がかたくなに自分の思いこみが正しいと信じこんでしまう。
彼女達のなかでは、シャーロットはすっかり私の愛人に毒殺されたとことになっているのだろう。
だからエマがわざわざシャーロットの刺繍を渡すことを口実にして毒殺の話をしてきたのだ。
シャーロットが毒殺されたと考えた方が、彼女達は怒りや苦しみ、悲しみ、痛みから逃れやすいのかもしれない。
病での死は怒りや憎しみを向ける相手がいない。ただ理不尽だとなげくしかない。
しかし毒殺であれば毒殺をくわだてた人間がおり、その人間に怒りと憎しみを向けられる。
怒りを向ける相手がいれば、私もシャーロットを失った喪失感をやりすごしやすかったかもしれない。
悲しみにくれるのではなく、彼女を殺した人間をさがし、そして報いをうけさせる。
そのように出来たなら、どこに向けてよいのかも分からない思いと喪失感を持て余すことはなかっただろう。
本当にシャーロットが妊娠していたのか分からないが、子が流れることなく、そしてシャーロットが亡くならなければ、シャーロットのようなペリドットの瞳をもつ子供を抱くことができただろう。
シャーロットが行ってみたいといっていた美しい浜辺がある港町を一緒に楽しめたかもしれない。
子供達が社交界へデビューするのを二人で見守れたかもしれない。
子供へ家督をゆずったあと、領地でのんびり白髪になるまで一緒に過ごせたかもしれない。
シャーロット、君と歩めなかった人生を考えると胸がくるしい。
なぜ先に逝ってしまったんだ。どうしてこのような苦しみを私にあたえ逝ってしまったのだ。
シャーロットに会いたい。
私の側で刺繍する姿をもっと見ていたかった。
全身で私のことを好きだと訴える愛しい姿をもっと見ていたかった。
彼女の初めてにもっと立ち会いたかった。
もし生まれかわりがあるのならシャーロットとまた出会いたい。次も隣同士の幼馴染みになり夫婦になりたい。そして今度こそ白髪になるまで一緒に生きたい。
シャーロット、君が恋しい。
シャーロットとの美しい思い出を毒殺といった馬鹿げた考えでけがされるなど許されない。
シャーロットは私のことを小さい頃から慕ってくれ、そして夫婦となり一途に愛してくれた妻だ。
そして私も彼女を心から愛していた。シャーロットとの結婚生活は愛にあふれ、美しくそして素晴らしいものだった。
シャーロットは十九歳という若さで病で亡くなった。
それが真実だ。
シャーロット、そちらへ逝くのはまだもう少し先だと思うが待っていてほしい。
必ず君のもとへいく。
ライオンのように勇ましく攻撃し、そしてどのような攻めもはねのける盾を持つ。それが家紋の意味だと教えられた。二百年前の騒乱の時代に作られた家紋だ。
十九歳という若さで亡くなったシャーロットが作った家紋の刺繍。
裏面に刺繍のサインがほどこされている。間違いなくシャーロットが作ったものだ。
シャーロットは自分の作成した刺繍に、一見イニシャルにはみえず模様と見間違うようなものを目立たない場所にほどこしていた。
結婚前は自身のイニシャルだけだったが、結婚後はジョンと彼女のイニシャルを組みあわせたものを使っていた。
おうとつのついた市松模様の部分をなでながら、エマから聞いた話しについて考える。
シャーロットの流産、そして毒殺の可能性。
ウィリアムズ家の女性達は、毒殺の可能性を考えるほど私を恨んでいるのだろうか。
これまでウィリアムズ家の男達から毒殺の話しをされたことはない。とくに長男とは昔から仲が良かったが、彼との付き合いはシャーロットの死後もとくに変わっていない。もし毒殺の可能性があったならすぐに私に話したはずだ。
そのように考えるとウィリアムズ夫人とエマは、どこかで聞いた毒殺未遂の話から妄想にとらわれてしまったのだろうか。
人は自分が信じたいものを信じる。現実がどうであれ。
シャーロットの死は彼女の近くにいた者達に大きな影をおとした。
シャーロットの家族、とくにウィリアムズ夫人は娘の死後、家に閉じこもるようになったという。
夫人は五人の子供を愛していたし、五人に分けへだてなく接しているつもりだった。
しかし大人しいシャーロットのことを後回しにしがちで、母としてもっとしてあげられることがあったと泣くことが増えたと聞いている。
シャーロットが亡くなってから十年たつ。
悲しみが癒えきっていないウィリアムズ夫人とエマは、シャーロットの死を何としてでも誰かに責任をとらせたいと思っているのではないだろうか。
そのようにしないと自分を保っていられないのかもしれない。
シャーロットが亡くなり誰もが呆然とした。健康だった彼女が原因不明の病で衰弱し亡くなった。誰もが彼女の死を信じられなかった。
みな不運だったと同情的だったが、妻を守れなかった夫という不名誉な言い方をする者もいた。
そしてウィリアムズ夫人からは、なぜこのようなことになる前に「夫」は何もしなかったのだという気持ちが言葉のはしばしからすけていた。
医師でも分からぬ病に倒れたシャーロット。病のことなど何も知らない私に何が出来たというのだ。それも領地に行っている間にすべて終わってしまった。
医師を手配し、そして手厚く看病するよう指示するぐらいしか私にできたことはない。
彼女の側にいたとしても私ができたことなど何もなかっただろう。
私を非難する気持ちがみえるたびに、そのように言いたい気持ちを必死でおさえた。
シャーロットの死に愕然とし理不尽な思いを抱えたのは私も同じだった。誰かに、自分以外の誰かに、シャーロットの死の責任をおわせたい気持ちは理解できた。
私自身、医師を責め、家令や侍女と彼女に関わっていた使用人を責めた。
どうしてこのようなことになる前に何もしなかったのだと。
いまならそれがどれほど筋違いなことを言っていたのか分かるが、あの時はどこかに怒りをぶつけなくては正気を保っていられなかった。
大切な妻を亡くしたのだ。それも私が家を離れている間に。死に目にもあえず独りで逝かせてしまった。
あの時に味わった無力感はいまでも時々よみがえる。
シャーロットとは政略結婚だが、彼女は幼馴染みで子供の頃から好ましく思っていた。はにかんだ笑顔をみせ話すシャーロットはかわいらしく、彼女の笑顔がみたくて何かと構った。
そしてシャーロットとの結婚生活は楽しかった。
内気でおとなしいシャーロットは、結婚する前はほとんど外出することがなかったようで、一緒に街にくりだすとおしゃべりになった。
シャーロットが知らなかったことを教えると驚いた表情をし、そして頬を上気させ喜んだりと子供のようだった。
そのことをからかうと、さっと淑女の笑みを浮かべ澄ました態度をとる。
くるくると変わる表情をみるのが楽しく、つい彼女をからかい、からかったあとに彼女を抱きしめずにいられなかった。
子供の頃から私に好意をむけてくれ、結婚してからは好意だけでなく愛情、信頼、尊敬、賞賛の気持ちを向けてくれるシャーロットと一緒にいるのは心地よかった。
シャーロットは時間があると刺繍をしていた。私の存在に気付かないほど集中して刺繍する姿をみるのが好きだった。
刺繍の図案を考えるのに、同じような図案を何枚も描いている姿や、色を決めるために糸を隣りあわせにして色を見比べる姿。テンポよく針をさしていく姿など、それまで見たことのないシャーロットの姿はどれも好ましかった。
母が刺繍を苦手にしていたこともあり、それまで女性が刺繍している姿を見ること自体ほとんどなかったので、彼女が刺繍をほどこしている姿は新鮮でとても女性らしく感じた。
シャーロットは美しいペリドットの瞳をもち、彼女の少し赤みがかった茶色の髪にその瞳の色がよくはえた。
シャーロットが贈ってくれたペリドットを使ったカフスボタンをいまでも使っている。彼女を思い出させてくれる大切な物だ。
私の誕生日にわたすつもりで用意したと思われるそのカフスボタンは、誕生日の前にシャーロットが亡くなってしまったため、彼女の死後遺品として私の手にわたった。
ペリドットの石言葉は幸福で、それはまさしくシャーロットとの結婚生活をあらわす言葉だった。
二年という短い結婚生活だった。
私達はとてもうまくいっていた。それは後妻をめとったあとにしみじみ痛感した。
後添えの妻は気が強く、何ごとも自分の意見を押し通そうとするので話すだけで疲れた。
話しがあわないのでお互い必要最低限の会話にとどめ、義務的な関わりしか持っていない。
ごく普通の政略結婚の夫婦といえるが、シャーロットとの結婚生活が幸せだっただけに、後妻との結婚は失望感が大きかった。
そのため早々に愛人をつくった。
政略結婚をする貴族社会では男女とも愛人をもつのが普通だ。婚姻は家と家、血による結束のためのもの。たとえ相手が生理的に受けつけない存在であろうが、そこに「否」という文字は存在しない。
個人の感情をまったくかえりみない婚姻で、義務のために心を殺しつづけることは不可能だ。そのため子をなしたあとは愛する人と過ごすことが許される。
建前上、愛人をもつのは子をなした後ということになっているが、婚約しているときから愛人がいるのもめずらしくない。
私も今の妻とは子をなす前から愛人をもち心の均衡をとるようになった。
シャーロットをうしなった喪失感は大きかった。
シャーロットと茶を飲みながらお互いの話しをしたり、たわいないことを話すのは心地よかった。
社交を好まなかったシャーロットだが、ドレスを着て髪を結い上げた姿は魅惑的で気持ちがたかぶった。
二人で愚痴をこぼしながら執務をこなすとつまらない仕事がはかどった。
彼女が亡くなり屋敷内が彼女の存在をまったく感じられないただの空間となってしまった。
彼女が嫁いでくる前の状態に戻っただけといえたが、彼女がいない屋敷で私は自分の身をどこにおけばよいのかと惑った。
それだけに誰か側にいて欲しかった。シャーロットのように私に寄りそってくれる誰かを。
政略結婚で夫が愛人を持つことは織りこみ済みとはいえ、子をなす前に私が愛人を持つことに妻は不満をしめした。
「愛人を持つのをとやかくいうつもりはありませんが、子をなしてからという了解を守って頂きたかったですわね。
他の女性からの移り香をぷんぷんさせて妻のもとに来るのはあまりに無神経では」と嫌みをいわれた。
しかし妻はそれ以上なにかいってくることはなく、妻も子をなしたあと好きにやっているようだ。
この十年、愛人は何人か入れ替わった。
彼女達には愛人としてよい暮らしをさせ愛情も注いできたが、妻や他の女への嫉妬をみせ私をわずらわせた。
付き合い始めたころは少しの時間でも私に会えれば喜んでくれたが、時がたつにつれ会えなければ私をなじるようになる。
妻を愛していなくても夫婦として社交をこなす必要もあれば、子をなす義務もある。子爵家の次期当主として義務を怠るわけにはいかない。愛人にだけかまけているわけにはいかないのだ。
そして愛人達は私の愛を確かめようとすねたり、我がままをいったり、高額なものをねだったりと面倒なことをする。
私が彼女達の望む言動をしなければ、愛していないのかと感情を爆発させる。
そうなると私は彼女達と一緒にいても気持ちが休まることもなければ、愛しいとも思えなくなるばかりだった。
いまの愛人も少し会えないと飽きてしまったのかとうるさく聞くようになった。別れ時かもしれない。しばらくは気軽に遊べる女性がいればよい。
男として情欲のまま後腐れのない相手と楽しむ。そのような相手を口説くのは楽しくそして達成感があった。
人にはそれぞれ違った良さがある。愛人が「私がいるのにどうして他の女と遊ぶの」ということがあるが、愛人とは違う魅力をもった女性を好ましいと思うのは仕方ないことだ。
それは人だけでなく物にもいえる。好きな色が一色だけではないように、好きな食べ物が一つだけではないように、私が好ましいと思う女性は一人だけではない。
美しいと思う女性、好ましいと思う女性を口説くのは、男として当たり前の行動だ。
そして女性の方も男性から口説かれることを期待し楽しんでいる。女性の方からあからさまな視線をおくられ、さりげなく私に近づき触れてくることも多い。
未婚女性の純潔は守らなくてはならないので、どれだけ魅力的で積極的な未婚女性が近寄ってきても、未婚女性だけは儀礼的にしか接しない。
未亡人や愛人を探している既婚女性しか相手にしないのは暗黙の了解で、そのような女性達がこちらに興味をしめして近付いてくるならともに楽しむまでだ。
これまで面倒にならない相手と遊び、愛人も同じようにわきまえのある女性を選んできた。
それだけに嫉妬にかられシャーロットを毒殺するような女がいたとはどうしても思えない。
シャーロットが生きていた時もたわむれで付き合った女性はいたが愛人はいなかった。お互い名さえしらないこともあったはずだ。
もしかしたらシャーロットへ手紙を書いた女は、誰か他の男と人違いしていたのかもしれない。
誰かが私の名をかたったか、女がシャーロットを自分の男の妻と勘違いしたという方がしっくりくる。
そうだ、そうに違いない。どのように考えても毒殺するほど嫉妬に狂った女がいたとは思えない。
しかし面倒なことにウィリアムズ夫人とエマは、私が関わった女が毒殺したと思いこんでいるようだった。浅はかなことだ。
機会があればそのような可能性などないと否定すべきだろう。しかしこの手のことは下手に否定すればするほど、相手がかたくなに自分の思いこみが正しいと信じこんでしまう。
彼女達のなかでは、シャーロットはすっかり私の愛人に毒殺されたとことになっているのだろう。
だからエマがわざわざシャーロットの刺繍を渡すことを口実にして毒殺の話をしてきたのだ。
シャーロットが毒殺されたと考えた方が、彼女達は怒りや苦しみ、悲しみ、痛みから逃れやすいのかもしれない。
病での死は怒りや憎しみを向ける相手がいない。ただ理不尽だとなげくしかない。
しかし毒殺であれば毒殺をくわだてた人間がおり、その人間に怒りと憎しみを向けられる。
怒りを向ける相手がいれば、私もシャーロットを失った喪失感をやりすごしやすかったかもしれない。
悲しみにくれるのではなく、彼女を殺した人間をさがし、そして報いをうけさせる。
そのように出来たなら、どこに向けてよいのかも分からない思いと喪失感を持て余すことはなかっただろう。
本当にシャーロットが妊娠していたのか分からないが、子が流れることなく、そしてシャーロットが亡くならなければ、シャーロットのようなペリドットの瞳をもつ子供を抱くことができただろう。
シャーロットが行ってみたいといっていた美しい浜辺がある港町を一緒に楽しめたかもしれない。
子供達が社交界へデビューするのを二人で見守れたかもしれない。
子供へ家督をゆずったあと、領地でのんびり白髪になるまで一緒に過ごせたかもしれない。
シャーロット、君と歩めなかった人生を考えると胸がくるしい。
なぜ先に逝ってしまったんだ。どうしてこのような苦しみを私にあたえ逝ってしまったのだ。
シャーロットに会いたい。
私の側で刺繍する姿をもっと見ていたかった。
全身で私のことを好きだと訴える愛しい姿をもっと見ていたかった。
彼女の初めてにもっと立ち会いたかった。
もし生まれかわりがあるのならシャーロットとまた出会いたい。次も隣同士の幼馴染みになり夫婦になりたい。そして今度こそ白髪になるまで一緒に生きたい。
シャーロット、君が恋しい。
シャーロットとの美しい思い出を毒殺といった馬鹿げた考えでけがされるなど許されない。
シャーロットは私のことを小さい頃から慕ってくれ、そして夫婦となり一途に愛してくれた妻だ。
そして私も彼女を心から愛していた。シャーロットとの結婚生活は愛にあふれ、美しくそして素晴らしいものだった。
シャーロットは十九歳という若さで病で亡くなった。
それが真実だ。
シャーロット、そちらへ逝くのはまだもう少し先だと思うが待っていてほしい。
必ず君のもとへいく。
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