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さようなら、臆病な私
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ようやく願いが叶う。
寝具から腕をだし、すっかり痩せ細った自分の腕をみた。
ようやくここまできた。もう一息だ。
腕を動かしただけで疲れを感じる。すっかり体力を失ったようだ。
もうよいだろう。
一気に進めても不自然に見えないはず。
ようやく、ようやくだ。
夫が領地から戻ってくる前に終わらせなければ。
◆◆◆◆◆
「旦那様、奥様が!」
ジョンは反射的に妻の部屋へと駆けだした。
領地から戻り、妻のシャーロットの様子をみるため彼女の部屋へ向かっていると、侍女が足早にジョンへ近づきながら切羽詰まった声をだした。良い知らせなわけがない。
「シャーロット!」
妻の名を呼んでも、体を揺さぶっても、全く反応がない。
これまで見たことがないほど顔が青い。
体温が感じられない。
体が硬い。
「嘘だ。嘘だろう、シャーロット。どうしてだ!」
眠っているだけだ。生きている。
しかしそのような希望を粉々に打ち砕くほど、シャーロットの体にはこれまであった温もりも、柔らかさもない。
気がつくとジョンはシャーロットのベッドの側にある椅子に座っていた。
シャーロット付きの侍女が泣いている。医師と家令が話している。シャーロットは青白い顔をして目をつむったままだ。
ジョンは自分の目にうつるその光景が何を意味するのか分からなくなってきた。本当に現実なのか。自分はここで何をしているのか。なぜシャーロットは目を覚まさない。自分はここで何をしているのだ。
結婚して二年、シャーロットは風邪で一度寝込んだ以外いたって健康だった。
幼馴染みなので子供の頃からシャーロットのことを知っているが、体が弱いといったはなしはなく、風邪や腹痛など軽い不調があるのをたまに聞く程度だった。
シャーロットは一ヶ月前に体調をくずした。妊娠かと思ったがそうではなく、吐き気以外の異常はみられないことから静養すれば治るだろうと医師はみたてた。
そのためジョンは予定通り領地へ向かった。しかしシャーロットは回復することなく弱る一方だった。
ジョンはシャーロットの状態が良くならないという報告を受け、領地での仕事を出来るだけ早く終え戻ってきた。まさかシャーロットの状態が亡くなるほど悪くなっているなど思ってもみなかった。
これまでシャーロットは病気に縁がなく、そして死病が流行っているわけでもない。死など自分達にとって全く関係のないものだった。だからシャーロットの体調について軽く考えていたのだ。
目の前に生気のないシャーロットの体が横たわっている。
ベッドに横たわるシャーロットはすっかり痩せ細り、まるで別人のようだ。このようなシャーロットなど見たことがない。
なぜだ。なぜシャーロットが死なねばならなかったのだ。
一ヶ月前は女性らしい柔らかな丸みがあり、ジョンに幸せそうに微笑む頬は艶やかだった。死の影なぞどこにも見られなかった。
「お悔やみ申し上げます。いろいろ手を尽くしたのですが、病の原因が分からずじまいでした。ありとあらゆる薬も試したのですが――」
「原因不明の病って何だそれは。医師なら病について何でも知ってるはずだろう。なぜ原因が分からないんだ。そのようなお粗末な言い訳が通ると思うな!」
怒りを爆発させるジョンに、医師が静かな口調で原因不明の病で亡くなる人は多いこと。医学が進み対処できる病は日々増えてはいるが、まだまだ分からないことの方が多いのだと丁寧に説明した。
「そのような言葉を聞きたいのではない! どうして、どうしてシャーロットは死んだのだ!」
家令がジョンの両肩を強くつかみ落ち着かせようとする。
ジョンは「触るな!」と叫び家令の手を振りはらう。
怒りにまかせてシャーロットの部屋を飛び出したジョンは、「なぜだ、なぜだ!」と叫びつづける。
ジョンの叫び声が屋敷中にこだました。
◆◆◆◆◆
あの時、振り返らなければ。
あの日、出かけなければ。
何度そう考えただろう。
いいえ、これで良かったのだ。
十三歳の頃から生きているのがつらいと思うようになった。とくに何があった訳でもないが、気がつくと生きていたくないと思っていた。
貴族の娘として生きてきたので、貧困にあえぐような生活をしたことはない。虐げられたこともなければ、絶望するような経験をしたこともない。
恵まれているにもかかわらず、私は生きているのがつらいと感じていた。
積極的に死のうとは思わないが、生きていたいとも思わない。もしこの瞬間、暴れ馬の暴走に巻き込まれて死ねるなら、喜んで死ぬだろう。
私はなぜ自分がそのように思うのかよく分からなかった。
私の生活は毎日決められた淑女教育を家庭教師から受け、その合間にお茶会で同年代の子達と交流し、自由な時間に趣味の刺繍を楽しんだ。
五人兄弟妹の真ん中で遊び相手に困らなかったこともあり、お茶会以外で外に出ることはあまりなく、私の世界は屋敷内で完結していた。
長兄のように過度な期待を受けることもなく、落ち着きのない次兄のようにお小言の嵐にさらされることもない。三男のように特別な才能のせいで自由を制限されることもなければ、末っ子の妹のように着せ替え人形にされることもなかった。
私は自由だった。そしてそれが寂しかった。
私の生きていたくないという気持ちは、十三歳の時から去ることはなかった。臆病者の私は、死の痛みや苦しみを考えると自死する勇気をもてなかった。
事故で死ねないか、病気で死ねないか、誰か殺してくれないか。
自分で自分を殺すことは怖くてできないが、事故や病気で死ねるならと思ってきた。
しかし頑丈に生まれたせいで病気になっても回復する。危ないことをする勇気もない。事故にもあわない。殺したいほど恨まれることもなかった。
いつしか楽に死ねる方法はないかと考えることが多かったせいか、少量づつ口にすれば緩やかに衰弱し、死を迎えることができる実について知った。病にかかったかのように自然に死を迎えられるという。
これなら臆病者の私にもできそうだ。
しかしその実をどのように入手すればよいのか分からない。どのような場所で売られているのか、どれぐらいお金が必要なのか全く分からなかった。
だけどこの実の存在は私に可能性をしめしてくれた。植物について学べばよいのではと。
あまり苦しまずに死ぬことができる方法。それも自死ではなく病で亡くなったように見えるなら、私の死はどうしようもなかったと誰の迷惑にもならないだろう。
生きている価値があると思えない私だ。死んでも悲しんでくれる人がいるとも思えない。家族は少しは泣いてくれるかもしれないが、それでもすぐに私のことなど忘れるだろう。
私はまず屋敷の庭師に植物について話しを聞くことから始めた。
これまで淑女教育しか受けたことのない私は、庭に植えられているような植物に毒素を持つ物があることを初めて知った。
庭師に薬草について教えて欲しいと頼むと、知り合いの薬師から薬草について基本的な知識を得られる本を聞きだし教えてくれた。おかげで毒草についての知識を得られるようになった。
庭で咲いている花に微弱の毒があったり、普通の草にみえるものに猛毒が含まれていたりと、毒は私が考えているよりも身近に存在していた。
私は趣味の刺繍を忘れるほど毒について調べることに没頭した。出来るだけ苦しまずに死ねる毒。病をよそおえるような毒。私の希望に近い形で命を絶つことができる毒を探しつづけた。
そして私は一つの毒に行き当たった。病をよそおえる毒。苦しまずの部分は多少犠牲にしなくてはならないが、私が望む形の死をむかえられそうだ。
しかし私はその毒を使うことはなかった。政略結婚することになったからだ。
私は十七歳の時にジョンと結婚した。屋敷が隣同士で幼馴染みのジョンは、実の兄よりも兄らしく接してくれた。ジョンは四人兄弟の長男で、女の子が珍しかったのか私を自分の妹のように思ってくれたようだ。
三つ年上のジョンはいつも優しかった。兄たちのように意地悪することもなければ、困っていると助けてくれた。
私はジョンのことが大好きだったが、ジョンが私のことを好きになるとは思えなかった。
かわいくもなければ愛想もない私は、人から可愛がられることがなかった。社交の場で交流する知り合いはいたが、とりたてて人から興味をもってもらえる存在でもない。
いずれ政略結婚で嫁ぐことは分かっていたが、その嫁ぎ先がまさかジョンの家だとは思ってもみなかった。
大好きなジョンの妻になるなど夢ではないかと思った。政略結婚の相手がこれまで慕ってきた人という偶然が、実際にどれほどあるのか分からないが、どう考えても数は多くないだろう。
お互い気心が知れた間柄なので、婚約、結婚と順調に進んだ。
ジョンは私にとってずっと優しいお兄さんで、結婚後は優しい夫となった。私は初めて幸せだと思った。
結婚するまで不幸せではなかったが、幸せだと思うこともなかった。
それまでの私の人生は死ねないので生きている。ただそれだけだった。
しかし結婚してからは、ジョンと一緒にいられるのが嬉しく、ジョンとの時間、新しい生活、何もかもが新鮮で楽しかった。
私の生活は一気に鮮やかな色であふれた。以前、私が二十四色の糸を使って作りあげた花をモチーフとした刺繍があるが、ジョンとの生活はその刺繍のようにあらゆる色に彩られていた。それまではずっと無色だった。
ジョンからドレスを贈られる。私が喜びそうな花があったからと渡される。可愛いといってくれる。好きだと好意を伝えられる。
まるで物語に登場する愛されている主人公のようで、このような幸せが自分の身に起こるとはと怖れさえ感じた。あまりにも幸せで、現実なのかと心配になるほどだった。
ジョンとの結婚で私は生まれて初めて幸せだと感じ、この幸せがずっと続いていくのではと思っていた。
しかしそれは私の勘違いでしかなかった。
結婚して二年。とても幸せだった。すっかり夢を現実と錯覚してしまった。
生きている価値などない私に、このような幸せがあるのはおかしかったのだ。幸せすぎていろいろなものを見ないようにしていただけだった。
あの日は刺繍糸を選ぶために街へでた。結婚してからジョンと一緒に街にでるようになり、一人でも出かけるようになった。
刺繍糸を買うついでに、ジョンが好きな焼き菓子を買い、ジョンに贈るために注文したカフスボタンを受け取りにいこうと気持ちが浮き立っていた。
少し奥まった場所にある店に行く途中、ふと視界にはいった美しい薄紅色のスカーフに目をうばわれ、スカーフをよく見ようと振り返った。
通りの反対側にいた美しいスカーフの持ち主は、男性と親密な様子で話していた。男性が着ているジャケットに見覚えがある。そしてジョンと同じ体型で同じ髪色。心臓の鼓動がはやまった。
後ろ姿の男性を見続けていると、その男性が笑った拍子に頭を動かし横顔がみえた。ジョンだった。
ジョンは女性を抱き寄せると口づけた。
私は踵をかえしその場を離れた。自分の目で見たものが信じられなかった。信じたくなかった。ジョンが他の女性と睦みあっていたなど。
私は何を勘違いしていたのだろう。
私が愛されるわけがなかったのだ。
ジョンが優しくしてくれたので、愛されていると思いちがえてしまった。彼は妹のような私に、ただ優しくしてくれていただけなのだ。
結婚も政略結婚で、ジョンが私のことを好きだから結婚したわけではない。それにもかかわらず私はジョンが私のことを好きになってくれた、愛してくれていると思いこんでしまった。
ジョンが私に関心をもってくれることが嬉しく、すっかり浮かれていた。ジョンは政略結婚の相手への義務として良い関係を作ろうとしていただけなのに。
自分でも不思議に思うほど、ジョンに好きな女性がいるかもと考えたことがなかった。私がジョンを子供の時から好きだったように、ジョンにもこれまで好きな相手がいて当然だったのに。
本当は心の奥底で私がジョンから愛されるわけがないと分かっていた。これまで私を愛してくれる人などいなかったのだ。結婚したからといって、突然ジョンから愛されるわけがない。
親から愛されない。兄弟妹から愛されない。私は誰からも愛されない。
少しだけ。
少しだけジョンから愛されていると思いたかった。ずっと愛されず寂しかったから。私を愛してくれる人がいると思いたかった。
少しだけ。
少しだけこの世に生きていてよいのだと思いたかった。愛してくれる人がいるから生きていてよいのだと。
ジョンは孤立している私を憐れんでくれたのだろう。その憐れみから私に優しくしてくれたに違いない。
私は彼が抱いてくれた憐れみを愛だと思ってしまった。彼が私に同情して優しくしてくれたのを好意からだと思ってしまった。
これ以上ジョンを私に縛りつけてはいけない。優しい彼のことだ、私を可哀想におもい離縁することはないだろう。
もう十分だ。彼は私を幸せにしてくれた。生きていて初めて幸せだと思うことができた。
私が彼のために出来ることは、彼の前から自然な形で消えること。自死と疑われないよう命を絶つ。
ありがとう、ジョン。素敵な夢だった。
臆病な自分から脱する時がきた。
さようなら、臆病な私。
寝具から腕をだし、すっかり痩せ細った自分の腕をみた。
ようやくここまできた。もう一息だ。
腕を動かしただけで疲れを感じる。すっかり体力を失ったようだ。
もうよいだろう。
一気に進めても不自然に見えないはず。
ようやく、ようやくだ。
夫が領地から戻ってくる前に終わらせなければ。
◆◆◆◆◆
「旦那様、奥様が!」
ジョンは反射的に妻の部屋へと駆けだした。
領地から戻り、妻のシャーロットの様子をみるため彼女の部屋へ向かっていると、侍女が足早にジョンへ近づきながら切羽詰まった声をだした。良い知らせなわけがない。
「シャーロット!」
妻の名を呼んでも、体を揺さぶっても、全く反応がない。
これまで見たことがないほど顔が青い。
体温が感じられない。
体が硬い。
「嘘だ。嘘だろう、シャーロット。どうしてだ!」
眠っているだけだ。生きている。
しかしそのような希望を粉々に打ち砕くほど、シャーロットの体にはこれまであった温もりも、柔らかさもない。
気がつくとジョンはシャーロットのベッドの側にある椅子に座っていた。
シャーロット付きの侍女が泣いている。医師と家令が話している。シャーロットは青白い顔をして目をつむったままだ。
ジョンは自分の目にうつるその光景が何を意味するのか分からなくなってきた。本当に現実なのか。自分はここで何をしているのか。なぜシャーロットは目を覚まさない。自分はここで何をしているのだ。
結婚して二年、シャーロットは風邪で一度寝込んだ以外いたって健康だった。
幼馴染みなので子供の頃からシャーロットのことを知っているが、体が弱いといったはなしはなく、風邪や腹痛など軽い不調があるのをたまに聞く程度だった。
シャーロットは一ヶ月前に体調をくずした。妊娠かと思ったがそうではなく、吐き気以外の異常はみられないことから静養すれば治るだろうと医師はみたてた。
そのためジョンは予定通り領地へ向かった。しかしシャーロットは回復することなく弱る一方だった。
ジョンはシャーロットの状態が良くならないという報告を受け、領地での仕事を出来るだけ早く終え戻ってきた。まさかシャーロットの状態が亡くなるほど悪くなっているなど思ってもみなかった。
これまでシャーロットは病気に縁がなく、そして死病が流行っているわけでもない。死など自分達にとって全く関係のないものだった。だからシャーロットの体調について軽く考えていたのだ。
目の前に生気のないシャーロットの体が横たわっている。
ベッドに横たわるシャーロットはすっかり痩せ細り、まるで別人のようだ。このようなシャーロットなど見たことがない。
なぜだ。なぜシャーロットが死なねばならなかったのだ。
一ヶ月前は女性らしい柔らかな丸みがあり、ジョンに幸せそうに微笑む頬は艶やかだった。死の影なぞどこにも見られなかった。
「お悔やみ申し上げます。いろいろ手を尽くしたのですが、病の原因が分からずじまいでした。ありとあらゆる薬も試したのですが――」
「原因不明の病って何だそれは。医師なら病について何でも知ってるはずだろう。なぜ原因が分からないんだ。そのようなお粗末な言い訳が通ると思うな!」
怒りを爆発させるジョンに、医師が静かな口調で原因不明の病で亡くなる人は多いこと。医学が進み対処できる病は日々増えてはいるが、まだまだ分からないことの方が多いのだと丁寧に説明した。
「そのような言葉を聞きたいのではない! どうして、どうしてシャーロットは死んだのだ!」
家令がジョンの両肩を強くつかみ落ち着かせようとする。
ジョンは「触るな!」と叫び家令の手を振りはらう。
怒りにまかせてシャーロットの部屋を飛び出したジョンは、「なぜだ、なぜだ!」と叫びつづける。
ジョンの叫び声が屋敷中にこだました。
◆◆◆◆◆
あの時、振り返らなければ。
あの日、出かけなければ。
何度そう考えただろう。
いいえ、これで良かったのだ。
十三歳の頃から生きているのがつらいと思うようになった。とくに何があった訳でもないが、気がつくと生きていたくないと思っていた。
貴族の娘として生きてきたので、貧困にあえぐような生活をしたことはない。虐げられたこともなければ、絶望するような経験をしたこともない。
恵まれているにもかかわらず、私は生きているのがつらいと感じていた。
積極的に死のうとは思わないが、生きていたいとも思わない。もしこの瞬間、暴れ馬の暴走に巻き込まれて死ねるなら、喜んで死ぬだろう。
私はなぜ自分がそのように思うのかよく分からなかった。
私の生活は毎日決められた淑女教育を家庭教師から受け、その合間にお茶会で同年代の子達と交流し、自由な時間に趣味の刺繍を楽しんだ。
五人兄弟妹の真ん中で遊び相手に困らなかったこともあり、お茶会以外で外に出ることはあまりなく、私の世界は屋敷内で完結していた。
長兄のように過度な期待を受けることもなく、落ち着きのない次兄のようにお小言の嵐にさらされることもない。三男のように特別な才能のせいで自由を制限されることもなければ、末っ子の妹のように着せ替え人形にされることもなかった。
私は自由だった。そしてそれが寂しかった。
私の生きていたくないという気持ちは、十三歳の時から去ることはなかった。臆病者の私は、死の痛みや苦しみを考えると自死する勇気をもてなかった。
事故で死ねないか、病気で死ねないか、誰か殺してくれないか。
自分で自分を殺すことは怖くてできないが、事故や病気で死ねるならと思ってきた。
しかし頑丈に生まれたせいで病気になっても回復する。危ないことをする勇気もない。事故にもあわない。殺したいほど恨まれることもなかった。
いつしか楽に死ねる方法はないかと考えることが多かったせいか、少量づつ口にすれば緩やかに衰弱し、死を迎えることができる実について知った。病にかかったかのように自然に死を迎えられるという。
これなら臆病者の私にもできそうだ。
しかしその実をどのように入手すればよいのか分からない。どのような場所で売られているのか、どれぐらいお金が必要なのか全く分からなかった。
だけどこの実の存在は私に可能性をしめしてくれた。植物について学べばよいのではと。
あまり苦しまずに死ぬことができる方法。それも自死ではなく病で亡くなったように見えるなら、私の死はどうしようもなかったと誰の迷惑にもならないだろう。
生きている価値があると思えない私だ。死んでも悲しんでくれる人がいるとも思えない。家族は少しは泣いてくれるかもしれないが、それでもすぐに私のことなど忘れるだろう。
私はまず屋敷の庭師に植物について話しを聞くことから始めた。
これまで淑女教育しか受けたことのない私は、庭に植えられているような植物に毒素を持つ物があることを初めて知った。
庭師に薬草について教えて欲しいと頼むと、知り合いの薬師から薬草について基本的な知識を得られる本を聞きだし教えてくれた。おかげで毒草についての知識を得られるようになった。
庭で咲いている花に微弱の毒があったり、普通の草にみえるものに猛毒が含まれていたりと、毒は私が考えているよりも身近に存在していた。
私は趣味の刺繍を忘れるほど毒について調べることに没頭した。出来るだけ苦しまずに死ねる毒。病をよそおえるような毒。私の希望に近い形で命を絶つことができる毒を探しつづけた。
そして私は一つの毒に行き当たった。病をよそおえる毒。苦しまずの部分は多少犠牲にしなくてはならないが、私が望む形の死をむかえられそうだ。
しかし私はその毒を使うことはなかった。政略結婚することになったからだ。
私は十七歳の時にジョンと結婚した。屋敷が隣同士で幼馴染みのジョンは、実の兄よりも兄らしく接してくれた。ジョンは四人兄弟の長男で、女の子が珍しかったのか私を自分の妹のように思ってくれたようだ。
三つ年上のジョンはいつも優しかった。兄たちのように意地悪することもなければ、困っていると助けてくれた。
私はジョンのことが大好きだったが、ジョンが私のことを好きになるとは思えなかった。
かわいくもなければ愛想もない私は、人から可愛がられることがなかった。社交の場で交流する知り合いはいたが、とりたてて人から興味をもってもらえる存在でもない。
いずれ政略結婚で嫁ぐことは分かっていたが、その嫁ぎ先がまさかジョンの家だとは思ってもみなかった。
大好きなジョンの妻になるなど夢ではないかと思った。政略結婚の相手がこれまで慕ってきた人という偶然が、実際にどれほどあるのか分からないが、どう考えても数は多くないだろう。
お互い気心が知れた間柄なので、婚約、結婚と順調に進んだ。
ジョンは私にとってずっと優しいお兄さんで、結婚後は優しい夫となった。私は初めて幸せだと思った。
結婚するまで不幸せではなかったが、幸せだと思うこともなかった。
それまでの私の人生は死ねないので生きている。ただそれだけだった。
しかし結婚してからは、ジョンと一緒にいられるのが嬉しく、ジョンとの時間、新しい生活、何もかもが新鮮で楽しかった。
私の生活は一気に鮮やかな色であふれた。以前、私が二十四色の糸を使って作りあげた花をモチーフとした刺繍があるが、ジョンとの生活はその刺繍のようにあらゆる色に彩られていた。それまではずっと無色だった。
ジョンからドレスを贈られる。私が喜びそうな花があったからと渡される。可愛いといってくれる。好きだと好意を伝えられる。
まるで物語に登場する愛されている主人公のようで、このような幸せが自分の身に起こるとはと怖れさえ感じた。あまりにも幸せで、現実なのかと心配になるほどだった。
ジョンとの結婚で私は生まれて初めて幸せだと感じ、この幸せがずっと続いていくのではと思っていた。
しかしそれは私の勘違いでしかなかった。
結婚して二年。とても幸せだった。すっかり夢を現実と錯覚してしまった。
生きている価値などない私に、このような幸せがあるのはおかしかったのだ。幸せすぎていろいろなものを見ないようにしていただけだった。
あの日は刺繍糸を選ぶために街へでた。結婚してからジョンと一緒に街にでるようになり、一人でも出かけるようになった。
刺繍糸を買うついでに、ジョンが好きな焼き菓子を買い、ジョンに贈るために注文したカフスボタンを受け取りにいこうと気持ちが浮き立っていた。
少し奥まった場所にある店に行く途中、ふと視界にはいった美しい薄紅色のスカーフに目をうばわれ、スカーフをよく見ようと振り返った。
通りの反対側にいた美しいスカーフの持ち主は、男性と親密な様子で話していた。男性が着ているジャケットに見覚えがある。そしてジョンと同じ体型で同じ髪色。心臓の鼓動がはやまった。
後ろ姿の男性を見続けていると、その男性が笑った拍子に頭を動かし横顔がみえた。ジョンだった。
ジョンは女性を抱き寄せると口づけた。
私は踵をかえしその場を離れた。自分の目で見たものが信じられなかった。信じたくなかった。ジョンが他の女性と睦みあっていたなど。
私は何を勘違いしていたのだろう。
私が愛されるわけがなかったのだ。
ジョンが優しくしてくれたので、愛されていると思いちがえてしまった。彼は妹のような私に、ただ優しくしてくれていただけなのだ。
結婚も政略結婚で、ジョンが私のことを好きだから結婚したわけではない。それにもかかわらず私はジョンが私のことを好きになってくれた、愛してくれていると思いこんでしまった。
ジョンが私に関心をもってくれることが嬉しく、すっかり浮かれていた。ジョンは政略結婚の相手への義務として良い関係を作ろうとしていただけなのに。
自分でも不思議に思うほど、ジョンに好きな女性がいるかもと考えたことがなかった。私がジョンを子供の時から好きだったように、ジョンにもこれまで好きな相手がいて当然だったのに。
本当は心の奥底で私がジョンから愛されるわけがないと分かっていた。これまで私を愛してくれる人などいなかったのだ。結婚したからといって、突然ジョンから愛されるわけがない。
親から愛されない。兄弟妹から愛されない。私は誰からも愛されない。
少しだけ。
少しだけジョンから愛されていると思いたかった。ずっと愛されず寂しかったから。私を愛してくれる人がいると思いたかった。
少しだけ。
少しだけこの世に生きていてよいのだと思いたかった。愛してくれる人がいるから生きていてよいのだと。
ジョンは孤立している私を憐れんでくれたのだろう。その憐れみから私に優しくしてくれたに違いない。
私は彼が抱いてくれた憐れみを愛だと思ってしまった。彼が私に同情して優しくしてくれたのを好意からだと思ってしまった。
これ以上ジョンを私に縛りつけてはいけない。優しい彼のことだ、私を可哀想におもい離縁することはないだろう。
もう十分だ。彼は私を幸せにしてくれた。生きていて初めて幸せだと思うことができた。
私が彼のために出来ることは、彼の前から自然な形で消えること。自死と疑われないよう命を絶つ。
ありがとう、ジョン。素敵な夢だった。
臆病な自分から脱する時がきた。
さようなら、臆病な私。
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