騎士の妻ではいられない

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父の後悔

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 マイケルは妻、アネットと一緒にスープをつくるため野菜をきざんでいた。

 娘のリンダと一緒に義姉の家に居候していた妻は、リンダがイーサンの世話をするために自分の家にもどったのを機に帰ってきた。

 離婚したいというリンダを叱りつけたことでマイケルは妻から離婚をつきつけられ別居になった。しかし離婚にかんしては早い時期に無期限停戦となっていた。

 妻は傷ついたリンダを支えるために、夫と離婚でもめ時間と気力、労力を一瞬たりとも無駄にしている場合ではないと判断した。

「あなたに割く時間がもったいない」

 マイケルは妻のその言葉に唖然とした。夫など「どうでもよい」といわれるほど妻の気持ちが自分からはなれているとは思ってもみなかった。

 妻はときどき娘の状況を伝えるのと、マイケルがどれほど娘を傷つけてきたのか、そしてどれほど我慢させてきたのかを深く考えるよう話しにきた。

 娘がさまざまなことを我慢しているのは昔から妻にいわれ知っていた。しかしこれまで実感がともなっていなかった。

 妻に小さな子供が我がままもいわず聞き分けよくするのは普通ではないといわれた時にはっとした。

 マイケルの頭の中に幼馴染みの姿がうかび、妻の言葉が胸にきた。

 小さい頃から病気がちな母の世話をしていた幼馴染みは、大人達から我がままひとついわず母親の世話をして不憫だとよくいわれていた。本来であれば母親にただ甘えてかわいがられる年なのにと。

 その幼馴染みが自分の誕生日を両親に忘れられ泣いた。

 マイケルが誕生日の贈り物として持っていった果物を受けとった幼馴染みが、ありがとうといったあと泣いていた。

 笑顔をむりにつくり「お母さんの具合が悪くて誕生日を祝ってもらえなかったから、マイケルが誕生日を祝ってくれるのうれしいよ」といった。幼馴染みの九歳の誕生日だった。

 マイケルは娘にあの時の幼馴染みのような思いをさせてきたのだ。娘には妻がいたとはいえ、父から祝ってもらえない、気にかけてもらえないと思わせてしまった。

 娘はマイケルが仕事でそばにいなくても寂しいといわず、約束がやぶられ悲しくても何もいわなかった。それは子供として普通ではなかったのだ。

 マイケルはそのことに気付かず娘に我慢させつづけた。そしてイーサンと結婚してからも我慢しつづけ、ついに我慢の限界をこえたのだ。

 マイケルはようやく自分が何をしたのか理解した。娘に怒りをぶつけられて当然だった。

「相変わらず豪快な包丁の使い方ね」

 妻がジャガイモの皮をむいているマイケルをからかう。

 マイケルが家にいる時は家事を一緒にやるのが夫婦の時間のひとつになっていた。

 日頃、家事をすることのないマイケルだが、長年時間があるときに妻と一緒にやることで、子供の手伝いよりもましな程度にはできるようになった。

「アネット、これまで俺に騎士をやめてほしいと思ったことはあるか?」

「どうしたの。もしかして騎士をやめようと思ってる?」

「いや、そういうことじゃない」

 マイケルはジャガイモの皮をむきつづける。

「いまさらだがアネットの言った通りだった。

 子供はあっという間に大きくなって自分の手からはなれていく。子供達に何もしてやれなかったなとリンダと話して思った。

 もし騎士でなければもっと一緒にいられたかもしれない」

 マイケルの言葉に妻がくすりと笑った。

「意地悪なことをいうようだけど、きっとあなたは騎士でなくても仕事ばかりして家にいなかったと思う」

 マイケルはその言葉に納得がいかない。妻が自分のことを家庭をかえりみない薄情な男だといっているように聞こえる。

「つまり君は俺が職業に関係なく家庭をないがしろにする男だと思ってるということだよな」

「そうよ。あなたは大けがをしても騎士をやめたいと一度もいったことがない。

 騎士という仕事が好きで、そして打ちこめるから、独身だったら家にほとんど帰ってこないような生活したはずよ。

 きっとちがう仕事をしたとしても、その仕事が好きなら同じように仕事一筋で家庭なんてほったらかしよ」

 妻が言い切った。

 マイケルは妻の反応に言葉をうしなう。

「少し言い方がまずかったわね。あなたは家庭をないがしろにはしてないけど、あなたの中で仕事よりも家庭は優先順位がひくい。

 これまでいろいろな人をみてきたけど自分のやっている仕事が好きな人は、多かれ少なかれあなたのように家庭よりも仕事を優先してる。

 それは妻として寂しいけど、あなたが仕事に打ちこんでいる姿は格好よいし、妻として夫のがんばりを支えることで自分も一緒にがんばってるつもりになれる。

 だから私は大丈夫だけど、子供達、とくにリンダに寂しい思いをさせてしまった」

 妻が大きく息をはいた。

 マイケルは包丁をおき妻を抱きしめた。

「リンダに―― 俺がリンダのことをきらっていると思ってたといわれた時のことが何度もうかんでくる。

 仕事では気持ちの切り替えが早いと人からうらやましがられるほどだが、リンダが誤解していたことに対しては切り替えようとしても切り替えられない。後悔でいっぱいだ」

 マイケルは娘の姿を思いうかべた。

 自分よりも妻に似た娘だが、眉毛の形が自分とそっくりで、手の形もマイケルの手を小型化したと思うほど同じだった。

 愛する妻に似た小さくて可愛い娘。リンダには「小さな」という言葉をいつもつけたくなる。

 大人になった娘に小さなという言葉はふさわしくないが、娘のことを思い考えるとなぜかその言葉がうかぶ。

 子供達とはただでさえ一緒にいられる時間が少なかった。マイケルは子供とどのように接すればよいのか分からず、無意識のうちにおざなりな接し方をしていた。

 そのためリンダとの間に深い溝ができてしまった。

 冷静に考えてみれば娘がマイケルにきらわれていると思うほど一緒に過ごした時間はすくない。

 同じ屋根の下に住んでいたが父娘の会話といえば必要不可欠なことか世間話ぐらいだった。

 娘の好きな色や好きな食べ物を自信をもって答えることはできない。娘の趣味が何なのかも知らない。

 マイケルは娘と同じ空間に存在していることで、親としての義務を果たしたような気になっていただけだと気付いた。

 娘のことを知っているつもりでいたが、何ひとつ娘のことを知ろうと努力したこともなければ、娘のことを見てもいなかった。

「姉さんにいわれたわ。親は神じゃないって。親も未熟な人間でしかない。だから何をやっても後悔はつきまとう。

 あなたがいつも言っているとおり過去は変えられない。だからこれからは後悔しないようリンダと接するしかないのよね」

 妻が顔をあげマイケルの瞳をのぞきこむ。

「今日もちゃんと空色があるわ。これぐらい近寄らないと見えないあなたの瞳の中にある空色」

 妻がマイケルの頬を両手ではさみ、自分の鼻とマイケルの鼻をこすりあわせた。

 娘も妻と同じようにして瞳にある空色をさがしてくれた。最後に空色をさがしてくれたのはいつだろう。

 もう娘が空色をさがすことはないだろう。思い出せないほど昔に娘はさがすのをやめてしまった。

「リンダとの関係を変えていけるんだろうか?」

 妻がマイケルの肩をパンッと音がするほど強くはたいた。

「これまでのやり方が間違ってたなら、その間違えを正して新しいやり方を探すしかないでしょう」

 痛いと肩をさするマイケルに妻が笑う。

 すでに結婚し親元をはなれている娘に出来ることは限られている。一緒にすごすことさえ簡単にできない。

 娘に償えるものなら償いたい。しかし人間関係の修復はむずかしい。

 すでに大きくねじれてしまった関係だ。ねじれを元にもどすことは不可能だろう。まさしく過去は変えられない。

 気持ちも頭も切り替える。そして娘と新しい関係をつくっていく。

「後悔するのは時間の無駄」

 いつものようにその言葉をとなえるが、後悔の波はどこへもひいていかない。

 しかしいつまでも後悔という泥沼にからめとられているわけにはいかない。

 自分と同じ手をもつ娘の幸せを願う。小さな娘の幸せを。

 マイケルは自分の手をしばらくの間ながめたあと包丁を手にし野菜をきざむ。

 後悔しても過去は変わらない。

 マイケルは娘の幸せを心の中で祈りつづけた。
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