騎士の妻ではいられない

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夫婦の話し合い

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 リンダは久しぶりにイーサンと一緒に住んでいた家にもどってきた。

 お帰りと出迎えたイーサンの声がふるえ、リンダを抱きしめたイーサンの体もかすかにふるえていた。

「リンダみたいにきれいにできなくてごめん。リンダがもどってくるからがんばってきれいにしたんだけど」

 イーサンがいうほど家の中は散らかっていなかった。リンダが家をでた時からそれほど変わっていないように見える。

 リンダがイーサンに茶を飲むかを聞き用意をはじめると、イーサンがカップをだしたのにリンダはおどろいた。

 イーサンはこれまでこのような手伝いをすることがなかった。

 お互い何をどのように話せばよいのか分からず気まずい無言がつづく。

 二人は茶をいれたあとテーブルに向かい合わせで着席した。

 久しぶりに会ったイーサンは少し疲れているようだったが、明るい茶色の髪をなでつけていないせいか幼くみえた。しかし目の下の隈の濃さがすさんだ雰囲気をかもしだしている。

 イーサンの緑がかった薄茶色の瞳がリンダの目をとらえる。おだやかに顔を合わせるのは久しぶりで、リンダは気恥ずかしさをおぼえた。

 今日は二人で話した方がよいと誰もつきそわなかった。リンダは母についてきてもらいたかったが、「少し時間もおいたしちゃんと二人で話し合わないと駄目よ」といわれた。

「リンダ、これまで俺のせいでいろいろすまなかった。あやまってもあやまりきれないほどリンダに甘えきって、夫として、男として最低だった。

 本当に申し訳ない。これまでリンダにたくさん我慢させて、傷つけていたことにまったく気付いていなかった」

 イーサンがこれまでにないほど真剣な表情でリンダに詫びた。

 リンダはその姿に胸をしめつけられる。

 リンダはイーサンと話し合いをするまでに、自分がどうしたいのかを考えつづけたが結論をだせずにいた。

 離婚しようと固く決心したはずが、喧嘩もせずに別れるなといわれたことでぐらついていた。

 リンダはイーサンとだけでなく、誰とも意見がぶつかるのが嫌だった。自分が引いて場がおさまるなら引いた方がよいとリンダは思っている。

 嫌なことを言い合い、傷つけ合うことに時間と手間をかけるぐらいなら、自分が引きお互い嫌な気分にならない方が建設的だ。

 喧嘩のひとつでもしてこいといわれるのに理由があるのだろうが、リンダには自分の何が人にそのように言わせるのか、いまひとつ分からなかった。

「リンダ、離婚したくない。やり直すチャンスがほしい。一度だけでよいからやり直すチャンスを与えてくれないか?

 リンダを愛してる。別れたくない」

 リンダはイーサンに「愛している」といわれおどろいた。これまでイーサンから好意を伝えられること自体が少なかった。

 イーサンが夫として義務でいっているのではとリンダは感じ、期待してはいけないと思っていた。

 母と伯母からイーサンがリンダに好意を持っていることを指摘されたが、それでも信じることができなかった。

「イーサン、私のこと好きだったの?」

 思わず口からその言葉が飛びだしていた。

 口にだしていうつもりなどなかった言葉にリンダ自身がおどろいていた。

「ごめん。忘れて。そんなことどうでもよかったよね。親が決めた結婚だもの」

「違う。親が決めたんじゃなくて俺が頼んだんだ!」イーサンが大声でいった。

 リンダはイーサンの言葉を信じられず何度も繰り返し考える。

「情けなくてごめん。リンダ自身にちゃんと求婚してからお義父さんに結婚の許可をもらうべきだった。

 リンダに自分の気持ちを伝えるのが恥ずかしくて、お義父さんに結婚の許可をもらえば大丈夫と思ってしまった。

 情けなくて本当にごめん」

 イーサンが真っ赤になり恥ずかしそうにうつむいた。

 リンダはイーサンが自分のことを望んでくれていたと初めて本人の口から聞いた。

 本人から直接伝えられたとはいえ、リンダはどこか他人事のように感じていた。

 もし父からイーサンとの結婚について話される前にイーサンの気持ちを聞いていたら素直に信じられただろう。

 しかし「いまさら言われても」というとまどいの方が大きく、どこか本当のことのように思えなかった。

「情けなさ過ぎて泣きそうだ。その言い方だとリンダは俺との結婚、親同士が決めたから仕方なく結婚したってことだよな。

 だから俺に愛想がつきて離婚したいとなっても当然だよな。強制的に結婚させられて、大切にされていると思えない扱いをされて。

 申し訳なさすぎて、俺、死にたい」

 イーサンがますますうなだれた。

 リンダは予想もしなかった方向へ話がむかっていることにあわてる。

「離婚したいと思ったのはそういうことじゃないの。

 結婚前からいってるけど私は騎士の妻になれるほど強くない。だからあなたの妻になるべきではなかった。

 あなたを幸せにできるのは私のような弱い人間じゃなくて、もっと強くてあなたをしっかり支えられる人なのよ。

 だから私と離婚して、イーサンをしっかり支えてくれる人と生きていくべきよ」

 イーサンが勢いよくリンダの手をつかんだ。

「俺を幸せにできるのはリンダだけだ。リンダは自分のことを弱いというけどそれは違う。

 リンダはずっと理不尽な状況を我慢してきた。誰でも我慢するのに限界がある。リンダが我慢しているのに気付かず、限界まで我慢させてしまった俺が悪い。

 リンダが弱いんじゃない。

 もうリンダを我慢させるようなことはしない。どうすればリンダを幸せにできるか、まだ手さぐり状態だから上手くできないと思うけど、リンダをちゃんと幸せにする。

 リンダとやり直したい」

 イーサンの言葉にリンダは考えこむ。

 自分のことを弱くないといってくれるのは単純にうれしい。でもリンダは自分がイーサンを幸せにできる気がしない。

 イーサンとはなれている間、イーサンに会えないのは寂しかったが、帰ってこないイーサンを心配しなくてもよいこと、仕事だと去っていく背中を見送らなくてもよいことにほっとしていた。

 約束をしなければ期待することもない。

 一緒にいなければ何も期待せずにすむ。そのように気が付いた。

「もしかしたらリンダが帰ってきてくれるかもと毎日ここで待ってた。

 一人で家にいるのは寂しかった。リンダが俺が帰ってくるのを待っている間、きっと同じように寂しかったはずだ。そんなことも分かってなかった。

 いつもリンダが家の中を整えてくれていたから快適にすごせてたのに、ろくに感謝もしなかった。

 おいしい物をつくってくれて、家の中をきれいにしてくれて、清潔な服をたやさないよう洗濯してくれて。

 リンダだって働いて大変だったのに文句もいわずすべて一人でやってくれてた。甘えきっててごめん。

 休みの日も疲れているだろうからと俺には何もさせないようにしてくれた。

 リンダだって休みの日はのんびりしたかっただろうに、リンダが休めるようにすることを考えもしなかった。最低だよな。

 どんなに遅く帰ってきても食事を用意してくれて、食べている間話し相手になってくれた。

 リンダがどれほど自分を犠牲にして俺を支えてくれていたか、本当に馬鹿だけどこれまで分かってなかった。

 リンダがやってくれるのを当たり前と思って感謝もしなかった。

 自分が幸せだからリンダも幸せなはずだって思いっきり勘違いしてた」

 イーサンと目が合うと苦しそうな顔をしたあと、つぶやくように「本当にごめん」というとうつむいた。

 何か言うべきなのだろうが何をいえばよいのか分からない。

 リンダが我慢していたことやリンダの気持ちにイーサンは気付いていないはずだと言われていたが、本当にそうだったのかと知りリンダは動揺していた。

「それと結婚記念日をないがしろにするようなことして本当にすまなかった。

 そういうつもりはまったくなかったけど結婚記念日の当日に休みをとるのがむずかしくて、ここのところ何も起こってないし大丈夫だろうと他の日に休みをとるべきだったのにしなかった。

 結婚記念日を一緒に祝うリンダとの約束は大切だったのに。

 騎士が約束を守るのがむずかしいのをリンダは知ってるから大丈夫だって約束を軽く考えすぎてた。

 騎士だから約束を守れないのは仕方ないって。

 だからこそちゃんと約束を守れるよう努力しないといけなかったのに。

 自分のことしか考えていなかった。夫婦になったのにリンダのことをちゃんと見ていなかったし、考えていなかった。結婚の意味を分かっていなかった。

 リンダと一緒に出かけただけで、リンダに何かしてあげてるような気になってた。プレゼントもリンダが何をほしいか考えるんじゃなくて、俺が勝手にいいと思ったもの贈って満足してた。

 本当に何も考えてなくて馬鹿だった」

 イーサンの懺悔がつづく。

 リンダはイーサンの言葉を聞きながら自分の気持ちをたしかめていた。

 イーサンがリンダのがんばりを認めてくれるのはとてもうれしい。

 しかしどれも妻として当たり前のことをしただけだ。それを特別なもののようにイーサンが思ってくれることに居心地の悪さを感じた。

 イーサンと一緒に幸せになる。幸せになりたい。

 しかしどうしてもイーサンには、自分ではない女性の方がよいのではという気持ちがぬぐえない。

 騎士の妻がつとまるほど強い人間でないのは自分が一番よく知っている。

 イーサンはいまはリンダのことを過大に評価してくれているが、きっとそのうち気付くはずだ。

 騎士の妻として本当にイーサンにふさわしい女性がいることを。

 それにリンダは幼馴染みとしてイーサンの近くにいたので、イーサンはリンダを友達として好意を持っていただけなのを恋愛的な好きと勘違いしているかもしれない。

「イーサン、もうあやまらないで。

 あのね、私、母と一緒に王都で働くかもしれない」

「えっ!? 王都で働くってどういうこと?」

「母が少し環境をかえてみたらどうかとすすめてくれたの。王都の知り合いに働き口を紹介してもらえるかもしれないって」

 イーサンの顔色が変わった。

「それは…… それがリンダの希望か? 俺と離婚して王都で働くのが」

 リンダはイーサンの勘違いに気がつきあわてて訂正する。

「違うの。離婚する前にこれまでと違う環境に身をおいて考えてみた方がよいといわれたの。

 ずっと考えているけど自分でも何をどう考えてよいのかだんだん分からなくなってきたし。

 人と話すと私は我慢しすぎだといわれるけど自分ではそう思わない。

 イーサンと喧嘩するぐらい本音をぶつけ合えともいわれたけど、そもそも喧嘩するのもどのようにしたらよいのかって感じだし。

 私には何かが欠けてるみたいなんだけど、周りの人達はそれが分かってるけど、私は自分のことなのに分からない。

 だから期間限定で大きく環境を変えてみるのはよいかもと母にいわれて、たしかにこれまで見えなかったものが見えるかもと思ったの」

 イーサンが真剣な顔をして考えている。

「リンダは、その…… 俺のこと好き?」

 イーサンと視線があったがすぐにそらされた。

 リンダは答えられなかった。

 きらいではないと即答できる。しかし好きと口にすることをためらう。

 リンダは大きく息をすった。

「正直にいっていい?」

 イーサンの顔色が悪くなる。唇をかんだあと意を決した表情で「もちろん」といった。

「きらいではないのはたしかなの。好きだと思うけど、好きという言葉を口にしようとするとすんなりでてこない。

 自分で自分の気持ちがよく分からない」

 イーサンはしばらく黙っていたが、「きらわれてなくてよかった」といった。

「リンダに考える時間が必要ならリンダの希望にそうよ。王都で働きたいなら―― 本当は行ってほしくないけど、そうすることがリンダに必要なら、そうするべきだと思う。

 俺も何をどう考えればよいのか分からなくなってきた。

 でもこれだけは言っておきたい。

 離婚したくない。リンダが好きで一緒に幸せになりたい。

 二人で幸せになれるよう、どうすればよいのか一緒に考えたい」

 リンダはイーサンのその言葉にこたえることが出来なかった。

 自分がイーサンを幸せにできるとは思えない。もう騎士の妻でありつづけることも出来そうにない。

 リンダは結局なにもいえなかった。

 リンダが今日はこのへんでというとイーサンにきつく抱きしめられた。

 リンダはイーサンを抱きしめ返しながら、イーサンの温もりと匂いに懐かしさをおぼえる。

 このままイーサンの腕の中にいればよいのではという気持ちと、もう騎士の妻でいられないという気持ちが同時にわきおこる。

 リンダは涙がこぼれる前にイーサンから体をはなした。






◆◆◆◆◆◆






 イーサンはリンダの伯母の家へリンダを送ったあと、家に帰りながらリンダの王都行きについて考えていた。

 まさか王都で働きたいといわれるとは思わずイーサンは動揺していた。

 リンダに会えなかったこの二週間のつらさを考えると、リンダの王都行きに賛成などできない。

 しかしここでリンダの気持ちを受けとめなければ二人で生きていく未来は描けないということは分かった。

 リンダの愛情にあぐらをかいていたせいだと分かっている。

 本当に最低だった。

 求婚もまともにしていなかった。それどころか好きだという気持ちも伝えていなかった。

 リンダに面と向かって好きだというのが恥ずかしく、親の許可がないと結婚できないと言い訳をして義父の許可をまずとった。

 リンダの気持ちをまったく考えていなかった。

 まさかリンダが騎士と結婚するつもりがなかったなど、リンダから求婚を断られるまで知らなかった。

 そしてリンダがイーサンとの結婚を親が決めたので仕方なく了承したと思っていたことを、結婚し二年もたっているのに初めて知った。

 それだけ自分がリンダのことをみていなければ、きちんと会話もしていなかったということだ。

 いまにして思えばリンダは自分の気持ちを笑顔で隠していた。

 お疲れ様とイーサンを笑顔でねぎらいながら、イーサンを待っているあいだの不安や寂しさをおしころしてきたのだろう。

 いってらっしゃいと笑顔で送りだしながら、一緒にいてほしいといいたかったはずだ。

 考えれば考えるほどイーサンはどれほど自分勝手だったのかに気付き、おろかな自分を殺したくなる。

 それでも、リンダが離婚を望んでも、リンダの手をはなしたくなかった。

 同僚のアダムがいったように、いまリンダの手をはなし楽をしたくない。まずこれまでのことを帳消しにするぐらいリンダのことを幸せにしたい。

 リンダがイーサンのことをきらいではないといってくれた。それなら償うことも可能なはずだ。

 イーサンは騎士をやめることを真剣に考え始めていた。リンダと幸せになるため騎士をやめる選択も視野にいれるべきだと思った。

 リンダが本当に王都に行くのなら王都で騎士以外の仕事をするのも悪くないかもしれない。

 ここで何かを変えなければ離婚になってしまう。それをさけるため自分に出来ることをやりたい。

 自分でも馬鹿だと思う。幸せな結婚をしたと思っていたのは自分だけだ。

 愛する人の我慢の上に成り立っていただけの結婚生活だった。

 イーサンはリンダを抱きしめた時の幸福感を思い出す。

 リンダと結婚が決まったあと手をつなぐようになり、初めてリンダを抱きしめ口づけた時は、このまま死んでもよいと思うほどうれしかった。

 夫婦になり仕事からもどりリンダを抱きしめると、家に無事帰ってきたと実感できとても幸せだった。

 リンダのぬくもりをいつまでも感じていたい。

 二度と間違えない。リンダと幸せになる。

 イーサンは自分のやるべきことを頭の中で整理しはじめた。
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