騎士の妻ではいられない

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イーサンの後悔

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 にぎやかな笑い声や話し声に囲まれ、イーサンは同僚のアダムと静かに酒をくみかわしていた。

 イーサンとアダムは同期だがアダムはイーサンより二歳年上だった。

「弱ってんなあ。まあ、弱ってて当然か」

 アダムの遠慮のない言いようにイーサンは頭をかかえる。

 リンダに離婚をつきつけられてから二週間がたった。ようやくリンダと話し合いをする日が決まったが、離婚をさけられるかイーサンは自信がなかった。

 アダムに相談するとアダムもイーサンに厳しい現実をつきつけた。

「お前は恵まれすぎなだけでなく、それにあぐらをかきすぎた」

 アダムはリンダの献身に感謝を伝えたことはあるのか、リンダのために何かしたことはあるのかといった指摘をした。

「嫁さんがリンダとお前の結婚を祝う宴で、リンダが一人残されたにもかかわらず健気に笑顔をうかべてた姿が忘れられないといってたよ。

 嫁さんも騎士の妻だ。大切な場で夫が招集をうけていなくなることがあるのは知ってる。

 リンダがあまりにも何もなかったかのよう振るまって大丈夫そうにしてたから、余計に記憶に残ったといってた。

 もし嫁さんが同じ状況に立たされたら、客と一緒に騎士の激務とそのおかげで家族が犠牲になってるのを愚痴りまくるといってた」

 イーサンは結婚した日のことをリンダにあやまったが、あやまっただけでそれ以上何もしていない。

 リンダが「仕事だし仕方ない」といったのでイーサンは終わったこととして気にかけなかった。

 リンダが一人残されたことで、どれほどみじめな気持ちになったのか、結婚という人生の大きな節目に大切にされなかったという思いをいだかせてしまったことも、まったくイーサンは気付いていなかった。

 結婚生活もすべて同じように過ぎていった。リンダが何もいわないので問題はない。イーサンはそのように考えていた。

「お前にえらそうにいってる俺も、嫁さんからすればあぐらかきすぎだと言われてるよ。

 子供の世話をせず子供が自分になつくと思うなと昨日も怒られた」

 アダムは二児の父だ。子供が生まれてからは職場の飲み会もほとんど参加せず、二人で飲むこともなくなった。それは少しでも子供との時間をつくるためだ。

 それにもかかわらずイーサンと飲む時間を作ってくれたのは、アダムだけでなく、アダムの妻がイーサンとリンダのことを気にかけてくれているからだ。

「すまない。家族との貴重な時間を割かせてしまって」

 イーサンがあやまるとアダムがこぶしでイーサンの腕を軽くおした。

「同期の離婚の危機だ。これぐらい何でもないよ」

 イーサンはアダムの気持ちを素直にありがたく受け取る。

 これまで離婚など自分とは無関係だと思っていた。結婚して二年、幸せな結婚生活を送っていると思っていた。

 しかしそれが自分の勘違いだったこと、妻が離婚したいというほど結婚生活が苦痛だったと知りショックだった。

 リンダに離婚をつきつけられてから父や義父が手を回し、父親世代の先輩達がイーサンに「飯を食いながら少し話そう」と声をかけるようになった。

 人と話しをすればするほど、自分がいかにリンダのことを何も考えていなかったか、そしてリンダがどれほどイーサンを支えてくれていたかを知った。

 リンダと幸せな結婚生活を送っていると思っていた自分に反吐がでた。

 最後にリンダに会った時に、リンダはこれまで見せたことのない怒りをみせた。

 そして冷たい声で離婚したいといった。

 そこまでリンダを追いつめてしまったのは自分だ。

 十五歳で騎士見習いになり、十八歳で正式に騎士となった。それから四年たっているが、周りからまだまだ青いといわれ一人前の騎士として扱ってもらえない。

 地域の治安をまもるため全方向に意識を高くもつ必要があるが、やはり経験不足の若手にはベテランの騎士達に見えることが見えなかったり、気付かなかったりと足りないことは多い。

 経験を積んでいくしかないのは分かっているが、あきらかに騎士として劣っているのは心苦しかった。そのため進んで残業し、休日も鍛錬に励んでと仕事中心の生活を送っていた。

 結婚してからも同じように過ごしていた。リンダが家で待ってくれている、自分と一緒に過ごしたいと思っていると考えないわけではなかったが、リンダなら分かってくれるだろうと甘えていた。

 騎士として当然のことをやっているのだとリンダを気にすることさえしなくなっていた。

「嫁さんのこと大切にしないと、あっという間に捨てられるぞ」

 先輩達は若手にくどいほど家庭を大切にしろという。騎士の離婚率は高く、口にはしたくないような失敗をしているものだ。

 恋人や妻に逃げられたという話がつねに聞こえる。ただ捨てられるだけでなく、たいてい他の男にうばわれるというおまけがつく。

 皆を守る仕事をまじめにやっているだけなのになぜだという声が騎士団のあらゆる場所から聞こえる。

 それだけでなく騎士自身が浮気をし家族を捨てるのもめずらしくなかった。

 少しでも離婚率を下げようと職場ぐるみで努力はしている。

 しかし残業、呼び出しが多い職場で不規則になりがちだ。突発的な事柄に対処する仕事なだけに、どうすることも出来ない部分が多かった。

 騎士の娘であるリンダはそのような事情をよく理解してくれていると、イーサンはリンダの気持ちを考えようとしなかった。

 事情を理解できるのと感情は別物だということをイーサンは分かっていなかった。

 事情に対し理解があっても、約束したことが守られなければさまざまな感情がわきおこる。怒り、不満、悲しみ、落胆など、負の感情をもつのは自然なことだった。

 考えてみると父は母によく詫びと感謝を伝えていた。

 寂しい思いをさせて申し訳ない。なかなか時間がとれなくてすまない。いつも支えてくれてありがとう。心配することなく仕事ができるのは君のおかげだ。そのような言葉を父は母によくいっていた。

 しかしイーサンはリンダにそのような配慮をしたことがなかった。

 父からリンダに感謝することを忘れるなといわれていたが、「リンダなら分かってくれる」「リンダは騎士の娘だ」と甘え、彼女の気持ちを、彼女の努力を思いやることがなかった。

「すっかり『騎士様』になってたなんて恥ずかしすぎだろう」

 イーサンは思わずつぶやいていた。

 おごり高ぶる騎士をからかうのに「騎士様」という言い方がされる。

 騎士は取り締まりをしたり、人を守るという仕事柄、自分は市民よりも偉い、権力があると勘違いしてしまう人間が一定数いた。

 そして騎士自身がどれほど意識し謙虚であろうとしても、無意識のうちに自分が正しいという傲慢さがにじみ出てしまいがちだった。

「まあ、仕方ない面はあるよ。

 俺だって騎士様にならないよう気をつけてるが、それでも嫁に『おえらい騎士様とちがって、くだらない仕事しかしておりません』なんていやみをいわれるからなあ」

 二人は同時にため息をついた。

 地域の治安を守る治安維持隊に所属している二人は、市民を相手にするため物言いには気をつけていた。

 しかし盗賊など、ならず者を根絶する討伐隊や軍隊は、命令口調が普通で、騎士同士でもそれらの隊に所属する騎士の物言いは高圧的と感じる。

 自分では物言いを気をつけているつもりだが、きっと自分が討伐隊の騎士達に感じるようなおごりが、自分の言動のはしばしにあらわれている気がする。

 そしてリンダに対し「騎士として俺は大変な仕事をしている」とはっきり口にだして言ったことはないが、そのような態度がにじみでていたかもしれない。

 リンダがイーサンの仕事の大変さを理解して当たり前、リンダとの約束を守れなくても仕方ない、リンダが我慢するのは当然と無意識のうちに思っていた。

「騎士が家庭の心配をせずに仕事ができるのは、妻の多大なる忍耐と努力のおかげだと心にきざめ」

 父親世代の先輩達は全員そのように言い切った。

 イーサンはふと、母が夜中に泣いていたことを思い出した。子供の頃、夜中に目がさめたイーサンはけがをした父のかたわらで母が泣いているのをみた。

 昼間は「すぐに治るから大丈夫」と笑顔でイーサンだけでなく父も安心させる明るさで世話をしていた母なので、母が泣いている姿にイーサンは父が死んでしまったのではと怖くなった。

 あわてて父に近付き息をしているのか確かめようとすると、おどろいた母が「お父さんは大丈夫よ」と抱きしめてくれた。その温かさと声音のやさしさに安心した。

 その後、母のそのような姿を見ることがなかったので忘れていたが、いつも明るく豪快な母だが人が見ていないところで泣いていたのだろう。

 そしてリンダもイーサンがいないところで泣いていたかもしれない。

 リンダと別居してから家に一人でいると、わきあがる寂しさや不安といった感情をイーサンは持てあました。

 これまでイーサンが家に帰るとリンダがいた。イーサンが帰ってくる時間にリンダが仕事や用事でいないときは、お帰りなさいのメッセージと軽食などが用意されていた。

 リンダと別居するようになり、リンダを抱きしめることも、触れることもできず、自分以外の存在の温もりを感じられなくなった寂しさや喪失感になやまされた。

 リンダが無事かどうか分からない不安。そしてリンダの存在がまったく感じられない空間の冷たさや孤独は、これまで味わったことがないものだった。

 イーサンはようやくリンダの寂しさを理解した。リンダがなぜ騎士の妻になりたくないといったのか分かった。

 リンダの存在を近くに感じられなくなり初めて自分がどれほど恵まれていたのか、どれほどリンダの努力と忍耐で支えられていたのかを痛感する。

 愛する人を大切にする。その意味を分かっていなかった。

 リンダと一緒にでかけたり、リンダが欲しがったものをプレゼントすれば、リンダを大切にしていることになると思っていた。

 しかしリンダがイーサンに求めていたのはそのようなことではなかった。

 自分の側にいてほしい。それがリンダの願いだった。

 愛する人が望むことを叶える。それが大切にすることだと、ようやくイーサンは理解した。

 本当に自分はこれまで何も考えていなければ、自分がおかれた環境を当たり前と感謝する気持ちに欠けていた。

「何はともあれリンダと腹を割って話すしかないよ、イーサン。

 お前のこれまでの行動が間違ってたことと、これからリンダのことを本当の意味で大切にする、幸せにすると口説きまくるしかないだろう」

「俺は本当にリンダを幸せにできるのか? これまでさんざんリンダのことを傷つけて、リンダは俺と一緒にいて幸せになれるんだろうか?

 俺がリンダのとなりにいていいのか……」

 アダムがイーサンの腕を痛みを感じるほど強くこぶしでなぐった。

「ちゃんと償えよ。リンダを幸せにしてやれ。

 まだ幸せにするために何もしてないんだから、死ぬ気で幸せにするためにがんばれよ。

 お前はリンダ本人に求婚もしなかったヘタレで、愛しているという言葉もちゃんといってないだろう?

 リンダが気の毒すぎて涙がでそうだ。なぜこんな奴と結婚したと、リンダが俺の妹ならいってるよ。

 これからは毎日愛してるといえ。リンダの献身に毎日ありがとうといえ。

 手をはなせばリンダが幸せになるなんて自分が楽をするための言い訳をするな。

 どれほど苦しくてもリンダを幸せにするため今度はお前が努力するんだよ。

 これまでのつらい思いをリンダが忘れられるぐらいがんばってリンダを幸せにしてやれ」

 イーサンは、はっとしてアダムをみた。

 リンダは自分を幸せにしてくれた。一緒にいるだけで幸せだった。いつもリンダが笑顔でむかえてくれる家に帰るのがたのしみだった。

 今度はリンダがそのように思ってくれるようイーサンが努力する番だ。

 リンダを幸せにする。

 イーサンはアダムに礼をいったあと、アダムの腕にお返しのこぶしをお見舞いした。
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