騎士の妻ではいられない

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騎士の息子

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「久しぶりだな、イーサン」

 ベンは妹、リンダの夫で、幼馴染みのイーサンが、夜たずねてきたことにおどろいていた。

 朝が早いベンに遠慮してかこれまでイーサンが夜たずねてくることはなかった。

 小さい頃にベンとイーサンは剣を一緒にならい、お互いの父達のように騎士になろうとがんばった仲だ。

 ベンは騎士にならず、剣をつくる鍛冶職人になったので顔を合わせることは少なくなったが親しくしていた。

 ベンはイーサンと近くの食堂へ移動した。

「いまさらだがマリアの誕生おめでとう。お祝いの宴にもいけなくてすまなかった」

 ベンにあやまるイーサンに手をふり気にするなと応じる。

「騎士が約束を守るのがむずかしいのは分かってるって。いつも俺達のためにがんばってくれてありがとう」

 ベンは騎士の息子として騎士の大変さをよく知っている。騎士と話す機会があればかならず日頃の感謝をのべるようにしていた。

 イーサンと一緒に騎士を目指していたベンだが、十二歳の時に鍛冶職人になると方向転換した。

 ベンの突然の心変わりは周りをおどろかせた。しかし誰もベンに反対することはなかった。

 ベンは自分に騎士という生き方はできないと気付き、自分なりに考えたすえ鍛冶職人になることをきめた。

 人を守りたいという気持ちはある。剣をふるうのも苦ではない。しかし人の裏側を見つづけることになる仕事をしたいのかと問われると分からなかった。

 ベンが自分が騎士になることに疑問をもったのは、暴れる男を騎士がおさえようとしているのに遭遇した時のことだった。

 男は意味をなさないことをわめき、騎士にむかってありとあらゆる罵詈雑言をなげつづけた。

 周りの大人達の話しから、その男が少女に乱暴しようとして騎士にとめられたという事情がわかった。

 これまで何度か騎士が人を捕まえている姿をみたことはあったが、この男のように憎悪をむきだしにしていなかった。

 ベンは狂ったようにわめきたてる男を怖いと思った。そして騎士に悪態をつく男に対し理不尽だと反発する気持ちが大きかった。

 人に危害をくわえようとした男が自分は正しいと叫び、騎士達を馬鹿にすることをいう。

 騎士達は男の言葉に反応せず手際よく捕縛して男を連れていく。男は叫びつづけるだけでなく抵抗しつづけた。

 ベンは自分が騎士になれば、今後相手にするのはあの男のように自分には理解できない人達なのではないか。そして普通に生きていれば見ることのない人の裏側をみることが地域を守るということなのではと気付いた。

 それ以来、ベンは自分の周りを注意してみるようになった。そして分かったのは騎士に必要なものは強い体や戦える剣だけでなく、強い心、それも人の醜く汚い部分を見せられても冷静でいられる強い精神力だと理解した。

 市民が騎士を必要とする時は、普通の人では対処できない状況であることがほとんどだ。

 刃傷沙汰、犯罪、過剰な暴力、精神が錯乱している人とのやりとり、どれも対処がむずかしい。

 ベンは自分には無理だ。自然とそう思った。

 自分は騎士になれるほど強くないと自覚した。

 それでも自分なりに人のためになりたい、騎士の役に立ちたいと考えいきついたのが剣をつくる職人だった。

 ベンが騎士にならないと知った父の落胆は大きかった。

 しかし騎士という職業の過酷さに耐えきれずやめていった仲間をみてきた父は、騎士という職業は騎士になる強さがない者につとまらないことを嫌というほど知っていた。だから父は反対しなかった。

 食堂で注文したあとイーサンがお互いの近況報告もそこそこに、リンダから離婚をつきつけられているので取りなしてほしいとベンに頼んだ。

「そうか」

 ベンはそういったきり黙った。

 妹が騎士と結婚しないといっていたにもかかわらずイーサンと結婚して以来、このような日がいつかくるだろうと思っていた。

 ベンはいまでも妹が寂しそうに父の背中を見送っていた姿をおぼえている。

「悪いがイーサン、お前の助けにはなれない」

 ベンはきっぱり答えた。

「なんでだよ? お前なら騎士の事情をよく知ってるだろう?」

 すがるようにベンを見るイーサンを気の毒に思うが、妹が離婚をいいだした気持ちはベンには痛いほど分かる。

「だからリンダは騎士と結婚しないといってたんだ。それを承知で結婚したんだろう、イーサン」

 イーサンはベンならリンダを説得してくれるはずと思っていたのだろう。がっかりした表情をしたあとうつむいた。

「なあ、イーサン。俺が騎士にならなかったのは、騎士の息子として騎士のことをよく知ってるからなんだ。

 俺が騎士にならなかった表向きの理由は、けがをして剣を持つのに支障がでたことになってる。

 でも違うんだ。けがをしたのは本当だが、ただのかすり傷だ。

 俺は人の弱い部分、汚い部分を見ることになる騎士という生き方は、俺のように弱い人間には無理だとわかったんだ。だから逃げた」

 顔をあげたイーサンはベンと視線をあわせ、二人はしばらく無言でお互いを見つめあった。

「お前が騎士にならなかった本当の理由はそうだったんだ」

 イーサンの目に悲しみの色がみえた。

「仲のよい幼馴染みだと思っていたが、俺はお前のこと何も分かってなかったんだな。

 お前だけでなく、リンダのことも何も分かってなかった。俺はこれまで何を見てきたんだろう」

 イーサンのつぶやきがベンの胸に刺さった。

 ベンがイーサンに本当の理由をいわなかったのは、自分の弱さを見せたくなかったからだ。

 何の疑問をもたず騎士になるための努力ができるイーサンの姿はまぶしかった。

 ならず者を怖いと思う心の弱さ。人の裏側を見たくないと思う弱さ。理不尽なことを流せない弱さ。

 それらの弱さを騎士としての強さを持つ友に見せたくなかった。

「イーサン、俺は弱い人間なんだよ。だからお前のように迷いなく騎士になれる強い奴に弱いところを見せたくなかった。

 弱い者なりの見栄だよ。自分の弱さを恥だと思ってる。だからお前に見せたくなかった」

 ベンはイーサンの腕を子供の頃のようにこぶしを作り軽くおす。

「お前は俺の自慢の友達だ。そして自慢の騎士だよ」

 イーサンは困ったような表情をみせただけで何もいわなかった。

「リンダとお前に幸せになってほしいと思う。

 でも二人で一緒にいることが幸せにつながるのか正直分からない。

 リンダはずっと騎士の娘として寂しい思いをしてきた。

 ただでさえ親父と過ごす時間が少ないのに、俺が騎士になろうとしてたから親父は俺に剣の稽古をつけてた。だからリンダが親父と一緒に過ごせる時間は本当に少なかった。

 リンダはこれまで十分寂しい思いをした。リンダが結婚してまで寂しい思いをしたくないと思うのを我がままだといえるか?

 年に一度の結婚記念日を一緒に祝いたいと思うのは望みすぎなのか?」

 答えられないイーサンをみて、ベンはひどいことをいっていると苦笑する。

 しかし妹にこれ以上、騎士の妻としてがんばれなどといえない。

 そして友であり義弟でもあるイーサンに、リンダのために騎士をやめろとも絶対にいえない。

 二人が上手くいく道がベンには見えなかった。

「もう本当に駄目なのか?」

 ベンはイーサンから視線をはずした。

「むずかしいと思う」

 イーサンは聞きたくない言葉が耳に入ったのがうっとうしいとばかりに頭をふっていた。

「俺が騎士をやめればいいのか? リンダが騎士の妻でいるのが嫌なら、俺が騎士をやめれば――」

「馬鹿なことを考えるな!」

 ベンはイーサンの言葉をさえぎった。

「お前のように騎士になる強さを持つ人間は多くない。けがで騎士をつづけられないなら仕方ない。

 でも離婚をさけるために騎士であることを放棄するなんてもってのほかだ。

 離婚のことで気持ちが動転してるのは分かるが、そもそもリンダはお前に騎士をやめてもらいたいなんて思ってない」

「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ! ただリンダをあきらめるしかないのか? 俺が騎士をやめても本当にもう無理なのか?」

 すがるようなイーサンの瞳に、ベンはイーサンが望む答えをいってやりたいと思う。

 しかしそれはイーサンのためにならないだけでなく、リンダのためにもならない。

「ごめん。友人としてもっと希望が持てることをいってやりたいができない」

 力なくうなだれるイーサンの気持ちを考えると、何をどのようにいえばよいのかベンには分からなかった。

「リンダを傷つけたことに対しては本当に言い訳の余地もない。

 だから償いたい。やり直したい。突然、離婚をつきつけられても納得できないんだ。

 一度でいいからチャンスがほしい。それで駄目ならあきらめられる」

 ベンは小さく息をはいた。

「俺はリンダじゃないからリンダがどう思っているか分からない。

 お前の言葉をきいて俺が恋人にふられた時にいわれたことを思い出した。

 結婚する前につきあっていた恋人と結婚するつもりだった。

 でも結婚の話をし始めたころ、仕事でそれまでより重要な部分を作る役割を与えられた。それと大量の注文がはいり寝る暇もおしいほど忙しかった。

 おかげで彼女とまったく会えなかった。ようやく彼女と会えた時に、朝、仕事前におはようと挨拶するだけでいいから会って挨拶したいといわれた。本当に挨拶だけでいいからって。

 でも寝て起きて食べたらともかく仕事するという感じだったから、挨拶するだけでもわずらわしいと思って断ったんだ。

 それまでも忙しくて会えない時はあったし、彼女なら分かってくれる大丈夫だと甘えてた。

 捨てられたよ、あっさり。

 そのとき彼女がいったんだ。挨拶だけでもといったのが彼女にとって俺への最後のチャンスだったと。

 そんなこと言ってくれないと分からない。そう彼女にいったが、まともに話しもできない状況だったから俺に説明する機会もなく、ともかく最後のお願いをしたといってた。

 それに応えられなかったことで俺は彼女をうしなった。

 何をどういっても彼女の気持ちは変わらなかった。二年つきあってた。

 本当におはようだけでよかったんだ。

 彼女の気持ちを少しでも思いやっていれば出来たことなんだ。それを俺はしなかった。

 だから捨てられて仕方なかったんだ。

 リンダが結婚記念日にお前に最後のチャンスを与えたわけでないことを祈るよ」

 イーサンが耳をふさいだ。これ以上リンダとやり直せる可能性が低いことを聞きたくないのだろう。

 妹が本当にイーサンに最後のチャンスを与えたのかは分からない。

 しかし妹の性格を考えると、ただイーサンの気をひくために離婚するといったりしないはずだ。妹の限界をこえたか、最後のチャンスを与えたかだろうとベンは思った。

 ベンはイーサンをなぐさめる言葉をもたない自分がもどかしかった。

 しかし同時にリンダの心痛をおもうと、兄として妹はもうこれ以上がんばらなくてよいと思う。

「なるようにしかならない」

 ベンはそのようにしかいえない自分がはがゆかった。
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