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どれほど小さな星であっても星は暗闇をてらす

りんごと魚は比べられるのか

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 アレックス・ホワイトは自分の目の前で泣いているステラを抱きしめたいという気持ちと戦っていた。

 信仰心がうすいアレックスにとって神の教えなど正直どうでもよいことだが、ステラにかかわることなので節度ある男女の距離を心がけていた。

 ステラの下宿の大家であるソフィアからくどいほど釘をさされている。

「ステラと絶対に節度ある距離をとることを忘れないように。あの子はただでさえ人からあることないこと言われる立場にいる。

 女が弁護士になることをおもしろく思ってない人達は、ステラの行動にけちをつけたくて仕方ない。

 ステラとアレックスが男女として不適切な接触をしてたら、よだれをたらさんばかりにいろいろいってステラを攻撃するから」とことあるごとにいわれている。

 ソフィアはすっかりステラの母親がわりとしてステラを守ろうとしていた。

 恋人同士なら手をつなぐぐらいは許されるが、抱きしめたり口づけるなど間違ってもできない。

 婚約していても人前で抱きしめるのも口づけるようなこともすべきでなく、男女とも結婚するまで純潔をまもらなくてはならない。

 もしかしたらステラの背をなでるのも男女の節度という点でまずいのかもしれないが、泣いているステラを見ているだけなどできない。

 ステラが鷹匠の話をしたのは初めてだった。アレックスはステラがノルン国からだしてくれた手紙に、なぜ身分制度があるのだろうと書いていたのを思い出した。きっとあの手紙を書いた時期に鷹匠のことがあったのだろう。

 ステラがノルン国から帰ってきて二年以上たっている。理不尽だという思いをずっとかかえてきたのだろう。

 イザベラが「ステラは何かあった時に感情を隠してしまう。無意識のうちにしてるんだろうけど。だからステラが大変な思いをしている時に何の力にもなれない」と悔しそうにいったことがある。

 ステラが無意識のうちに胸の中にため込んだものがあふれそうになっており、もうこれ以上かかえきれなくなっているのかもしれない。

 アレックスはいつもステラの気持ちを聞くようにしているが、「べつに何も考えてない」とかわされることが多く、めげずに思いついたことを質問すると「そんなにいろいろ聞かれると尋問されてるような気になる」とすこし嫌そうにいわれる。

 そのためステラがためこんでいる気持ちや考えを聞くことができずにいた。

 ステラの背をなでていると赤毛の男がそばを通った。

 ステラは町で赤毛の少年を見かけるといつも目で追いかける。ステラが教師見習いをしていた時に、薬物でおかしくなった母に傷つけられた生徒が赤毛の少年だったという。ステラは毎日彼の幸せを祈っていた。

 ステラの心の中にはこれまでため込んできた悲しみや苦しみがたくさんある。それをすこしでも取りのぞくことができたらとアレックスは思う。

 自分の手に人の苦しみを取りのぞく力があればと思いながらステラの背をなでる。

 ふいにステラが弁護士になるのをあきらめるといったことが気になった。ステラがまだアレックスに話していない何かがある。

「ステラ、イリアトスに帰りたいなら帰ろう。弁護士になるのが大変なら違うことをすればいい。

 これ以上無理しなくていいよ。実際にやってみないと分からないことって多い。ステラは弁護士になりたいと思ってやってみた。でもやってみたら自分に合わないと思った。だったら早く方向転換した方がよくないか?」

 ステラが困った顔をした。弁護士になるのをあきらめたいといったが、それが本心ではないのかもしれない。

「教師の仕事はきらいじゃないんだろう? それならイリアトスに戻って教師見習いをやりなおせばいい」

 ステラが何かを考えているようだが何もいわない。

 我慢くらべだ。ステラが沈黙にたえきれなくなり口をひらくのをまつ。

「……自分の能力を過信してた。何もできないくせに、何かができる気になってた。だからがんばればきっと大丈夫だろうと思ってた」

 ステラが小さな声でつぶやくようにいった。アレックスはうなずくだけで沈黙をつらぬく。ステラはこれまで胸の中にしまってきたことを言おうとしている。ステラが自分から話すのをまつだけだ。

「甘かった。がんばれば何とかなると思ってきたけど、がんばるだけでは何ともならないことがたくさんあって。

 弁護士は顧客との関係が大切だけど、上手く関係をつくれるのか自信がない。顧客から女だからとあなどられるというのはあるけど、それよりも私、もともと人間関係をきずくのが上手くない。

 初等学校の時も遠巻きにされちゃったし……。高等学校もすこし浮いちゃった。なんか人から嫌われてしまう」

 ステラが初等学校で周りから浮いてしまった話をした。勉強ができたステラは教師からほめられるのがうれしく、暇があれば勉強していたらしい。

 しかし友達からさそわれれば一緒にあそび、友達とあそぶのが楽しくさそわれるのを待っていた。

 それが友人達の気に障ったらしい。自分から遊ぼうとさそわないのは一緒にあそびたくないからで、頭が良いからお高くとまっていると思われ距離をおかれるようになった。

 ステラは仕方ないと休み時間に本をよんだり、勉強したりしていたので教師からの評価はますますよくなった。そのせいでよりお高くとまっているといわれるようになった。

「それでも仲良くしてくれる子はいたんだけど、なんとなく周りから浮いてしまって」ステラがうつむいた。

 スペンサー学園時代のステラはイザベラといっしょにいることが多かった。アレックスは三年生の時にステラのことが気になりはじめて彼女の姿をおっていたが、イザベラ以外の友人とも楽しそうにしていたのをおぼえている。

 しかしステラの話をきいて、それらの友人に対し遠慮があるようにみえたことを思い出した。

「弁護士は顧客に法的に一番よい条件になるよう契約をととのえるのが仕事だけど、顧客にとって法的に一番よいものが顧客が本当に求めているものではないことがある。

 契約相手との関係を重視して将来的に交渉の余地をのこすような形にしたり、過去に恩をうけたので相手にすこし有利な形にしたかったり、法的に一番よいを求めていないことがある。

 顧客のそういった要望だけでなく、相手側の弁護士とのやりとりで相手側が何を求めていて、お互いの妥協点がどこなのかをさぐらないといけない。

 それを上手くできると思えない。私は弁護士としての能力が欠けていて、顧客に迷惑をかけてしまうだけなんじゃないかと思うと……」

 アレックスは自分の頭に思いうかんだことをたしかめることにした。

「ステラ、ダシルバ弁護士はやり手だときいたけど、弁護士として本当にすごいのか、ダシルバ家やサントス家の名前があるからすごいのかどっち?」

 ステラがなぜそのようなことを聞くという表情をしたが、「弁護士としてすごい人だよ」とこたえた。

「ということはステラは弁護士としてすぐれた人の仕事のやり方を見てるから、どうしても弁護士としてステラが目指す水準が高くなる。

 でも多くの弁護士がダシルバ弁護士と同じような仕事のやり方ををしてると思えない。もし他の弁護士がダシルバ弁護士のように仕事をしてたら、その弁護士も評判が高いはずだ。

 ダシルバ弁護士と自分をくらべて自分は駄目だと思ってるだけじゃないか?」

 ステラがかすかにうなずいたが、納得しているようにはみえない。

「俺、うぬぼれ屋だから自分の書く脚本をすごいと思ってる。でも演劇の父が書いた脚本よんだ時に打ちのめされた。彼と比べたら俺の書いたものなんて子供の落書きだ。

 ステラが自分とダシルバ弁護士をくらべてしまう気持ちは分かる。でも俺と演劇の父をくらべるぐらい、その比べ方は雑なんだ。

『りんごと魚』だよ。どちらも食べ物という共通点はあるけど、同じ条件でりんごと魚を比べることなんてできないだろう? 

 りんごと魚のことわざのように比べ方が正しいのか、比べる条件が正しいのかを考えてみなよ。

 ダシルバ弁護士とステラを比べるなら、ダシルバ弁護士が見習いの時に出来ていたことと、いまのステラを比べてどうなのかって考えるべきだろう?」

 ステラはアレックスのいったことは理解したようだが、すっきり腑に落ちたわけではないようだ。

 それならこれからアレックスはステラに事あるごとに伝えていくだけだ。

 高い目標をもつことは大切だ。目標とする人と自分を比べ自分に足りていないものを得る努力をするのはよい。自分もそうしてきた。

 しかし目指す道をあきらめてしまうような比べ方をするのはちがうだろう。

 アレックスはステラの心を軽くするきっかけをつかめたような気がした。
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