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井戸の中にいたカエルは自分の小ささを知る

男装しても乗り越えられない

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 ダシルバ法律事務所は一般的な土地不動産売買だけでなく、鉄道敷設のための用地取得契約をうけおっている。

 ニウミールは隣国と近く、ニウミールと隣国の大きな町をむすぶ路線のための用地買収交渉にかかわっているが、この二週間、用地買収に複数の問題がおこり事務所は緊張状態がつづいていた。

 国境近くの土地で合意した契約の見直しを求められ、ダシルバ先生はぴりぴりしていた。

「さあ、おもしろくなってきたなあ」

 ダシルバ先生はどうやって収拾をつけようかと、自身の部屋をぐるぐる歩き回りながら策を練っていた。

 ステラは一度結んだ契約をくつがえせない、くつがえす場合は損害賠償が発生するという法的根拠をあらわす書類づくりにおわれていた。

「こういうのは妨害工作がほとんどだが、たまに買収の功をあせった買収人が、相手に無理矢理、契約書に署名させる場合があるから判断がむずかしい。

 買収人と契約者が、契約金とはべつに謝礼金をどのような割合にわけるかでもめて面倒なことになってる可能性もある。

 どちらなのかは本人と話してみないと分からないから現地にいく必要があるな」

 これまでのやりとりで、らちが明かないと判断したダシルバ先生は現地に行くことにした。

「お前も――」といったところでダシルバ先生が言葉をきった。

「一人で行くから、お前は留守番だ」といったダシルバ先生に、ステラは反射的に「行きます。先生、連れて行ってください」といっていた。

 しかしダシルバ先生は首をふる。

「男でも下手をするとやばい場所だ。女性の身の安全などとてもじゃないが確保できない。足手まといだ」といわれたが納得がいかなかった。

「先生は私のことを女扱いしないっていいましたよね? 男性の格好をしていきます。身長があるので男性の格好をすれば、男性だと違和感なく人から思われるので大丈夫です」

「何だ、それ? お前、男装する趣味でもあるのか?」

 ステラが教師見習いをしていた時に、男性教師の代役をつとめるために男装したことを説明すると大笑いされた。

「ステラ、お前の人生なかなか興味深いな。短時間、ぱっと見て男に見えるのでよければ問題ないだろうが、交渉しにいくのに変な奴を連れてきたと思われるわけにはいかない。

 それどころかお前が女だとばれたら相手を馬鹿にしているように思われる」

 ダシルバ先生はそのようにいったあと、突然大きな声で笑いだした。

「なんかステラの男装姿が思い浮かんで――」

 よほどダシルバ先生の笑いのつぼにはまったのか、しばらく笑いがとまらなかった。

「お前、イリアトスで男装して弁護士見習いして、試験も男として受ければよかったかもな。

 ステラは完全に女性名だから、ケリーとかノエルとか、男でも女でも大丈夫な名前に改名すれば、試験官が勝手に男だと思って弁護士になれたかもな」

 ステラも男装弁護士よいかもしれないと考えた自分を笑う。

「ステラの覚悟は買うが、弁護士としてではなく、男として女性を危険な目にあわせる確率が高い所につれていくわけにはいかない。トンプソンも一緒に行くからあいつの見習いを連れて行く」

 ステラは女性であることの不便さが悔しかった。男性と同じ条件で同じことができない。

 男女で体格や力の差があるのは分かっている。そのおかげで女性が劣ると思われるのだ。

 女というだけで男性と同じように自分で自分を守れないことが悔しかった。足手まといになるといわれるのが腹立たしかった。

 しかしここで大切なのはステラの感情ではない。いかに仕事を完遂させるかで、ステラが男装して無理についていき足を引っ張るわけにはいかなかった。

「女って本当に使えないよなあ。役に立たないくせに言うことだけは大きくて恥ずかしすぎ」

 現地入りすることについて話し合っていたトンプソン先生付きの見習いが、自分の席にもどりながら小声でステラにいった。

 彼がステラのことをよく思っていないことは知っていたが、このようにあからさまな言葉をなげてきたのは初めてだった。

 ステラと目が合うと鼻で笑い、「出張の用意をするため外出します」といって出かけた。





「ステラ、ここ数字がぬけてるけど」

 カミラに清書をたのんだ書類をみると、最終稿ではなく草稿のひとつだった。

「うそ。それ最終稿じゃない。私、それを渡しちゃったの?」

 ステラはあわてて自分の机にある書類を確認する。契約書は何度も修正や訂正がはいるものなので、つねに最新のものがどれなのかや、修正をくわえたものには印をつけてと管理を徹底していた。

 修正のし忘れや抜けは大きな問題になるので、ステラは日頃から神経質なほど気をつけていた。

 それにもかかわらずステラは草稿をカミラにわたしていたことにショックをうける。もし数字がぬけていなければカミラに気付かれず、そのまま書類がととのえられただろう。

「これじゃない?」カミラにいわれた書類をみると、まさしく最終稿だった。

「……ありがとう、カミラ。助かった」

「お安いご用よ」

 カミラが疲れてるようだから一息いれてきたらとすすめてくれた。

 ステラはカミラにお願いしていた書類が正しいものかを確認したあと、郵便にだすものをもち郵便局へとむかった。

 ステラは郵便局へと歩きながら、ここのところ失敗が多くなってきていることを反省していた。

 仕事になれてきたこともあり気が緩んできているようで、先ほどのような間違った書類をカミラにわたしてしまったり、ちがう案件の書類がまじったりしていた。

「確認作業さえしっかりおこなえば問題ないようなことをきちんとできていないと知られたら、自分の首を余計にしめることになるのに何やってるんだろう」

 ステラは自分のうかつさに情けなくなる。

 出来なければやはり女は駄目だといわれ、完璧にやっても女でも死ぬ気でやればできるじゃないかという評価しかされない。

 書類の間違えは致命的なことになるので、確認する場合はかならず二度以上時間をおいて見直し、量が多い場合は小分けにして流し読みしないように気をつけていた。

 それにもかかわらず単純なまちがいをしでかしており、気持ちがたるんでいるとしかいえなかった。

「大丈夫だよ。誰にだって失敗はあるし、失敗をとりもどすだけでなく、それを上回ることをしてステラが役に立つことを証明すればいいんだよ」

 ふいにアレックスがいった言葉がうかんだ。

 ヤング弁護士事務所で見習いをしていた時に、自分で清書した書類に綴りの間違いがあることを顧客先で気付き、ヤング・シニアに恥をかかせてしまったことを話したときにそのようにいわれた。

 アレックスはステラが弁護士になることを応援し、いつも励ましてくれ、くじけそうになる気持ちを何度も救ってくれた。

「もう二度と会うことはないんだなあ」

 あらためてアレックスと縁が切れてしまったことに胸の痛みをかんじる。

 スペンサー学園の同期、キャサリン・リードにアレックスにかかわるなと脅され縁を切らなくてはならなかった。

 しかしそのことがなくてもアレックスに恋人ができた。どちらにしろ以前と同じような付き合いをつづけることはできなくなっていた。

 くるくるカールの頭がなつかしい。目尻にしわをよせて笑うアレックスの姿がまぶたにうかぶ。

 ステラは顔をあげニウミール・タワーの星をさがす。

「星がある。私のことを励ましてくれる星がある」

 ステラは星をみながら胸のなかに巣くう寂しさをおしこめた。
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