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次代の希望
次代の希望
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「私のかわいいお姫様、にっこりほほえんでジョシュアに挨拶しておいで」
ルイの十二歳になる長女、ソフィーは、伯爵令息のジョシュアに片思い中だ。ソフィーとジョシュアは同じ教師からバイオリンを習っており、その教師が演奏会をひらいた時に知り合った。
ルイは父親として娘が好きになった相手に複雑な思いをもってはいるが、ソフィーの恋が幸せなものであってほしいと願う。
ソフィーが八歳の時に文法の教師を好きになり、「先生大好き。結婚したい!」といって以来、娘に父親より好きと思う存在がいることを受け入れなくてはならないと言いきかせている。
「これまで父上大好き、父上と結婚したいといってたではないか」妻のマリアにぐちると、マリアも長男から同じ目にあっていたのでお互いなぐさめあうことになった。
ソフィーが深呼吸をしたあと笑顔をみせた。この可愛い笑顔におちない男などいないだろう。
式典までの控え場として関係者が裏庭に集まっていた。
「ルイ殿下、ジョーンズ伯爵夫人をお連れしました」
母の没後二十年の節目に新設した、グレイス・バートン・ハリスこども病院の開所式を一番いっしょに祝いたい人だ。
「エリザ、共にやり遂げましたね」
「はい、ルイ殿下。やり遂げました。いますぐにでも天国へいってグレイスに直接報告したいぐらい嬉しいです」
「天国にいくのはやめてください。あなたは私の母がわりだ。あなたにいなくなられたらどうしてよいのか分からない」
母の死後、親友のエリザは何かとルイ達を気にかけてくれた。妻のマリアともすっかり仲良くなり、マリアの方がルイよりもエリザと会っている回数が多いかもしれない。
「マリア殿下のつわりは落ち着きましたか?」
マリアは第四子を懐妊中でつわりに苦しんでいた。
「一週間前よりは落ち着いたようですが、今日の開所式を欠席せざるを得ず落ち込んでいました」
エリザが心配した表情をみせ、くどいほどマリアを大切にするようルイにいったあと、エリザは三か月後に婚約中の子爵と結婚することになったといった。
エリザは六年前に夫の伯爵を落馬事故で亡くしていた。その後に出会った子爵と残りの人生を共にすごしたいと再婚をきめた。
「この年になって恋に落ちるなど思ってもみませんでした」
そのようにいったエリザの表情は輝いていた。エリザはルイには子爵との恋の話はしないがマリアにはいろいろと話しており、マリアづてに幸せな関係をきずいていると聞いていた。
「エリザ、久しぶりですね」
いつの間にかソフィーがルイとエリザのところへきていた。エリザへ挨拶をしているソフィーは笑顔だがいらだっているのが分かる。
「どうしたのだ?」
ルイが声をかけると、ソフィーが必死に感情をおさえようとしているのが分かった。
目でジョシュアをさがすと一人の令嬢と話していた。こちらをちらりとみてソフィーの様子を気にしているようだ。
「ソフィー殿下、ジョシュアに挨拶されましたか? あら、どこのご令嬢かしら。ジョシュアと楽しげにしてますわ。
ソフィー殿下、このような所でのんびりしていてはいけません。しっかり邪魔しにいかないと」
ソフィーが「邪魔するのですか?」とおどろくと、エリザが「もちろんです。好きな人のそばにいるライバルらしき存在はしっかり把握し、すみやかに手を打つべきです」おどけた調子でいいソフィーが声をたてて笑った。
「ジョシュアにはもう挨拶をしました。でも幼馴染みだという彼女があらわれて、二人がとても親しげなのでいたたまれなくてこちらにきたのです」
「そのお気持ちはよく分かります。しかし嫉妬して場をはなれるのはよい手とはいえませんね」
エリザがそのようにいうと、
「でも嫌な顔をしそうだったの。だから……」といってうつむいた。
ルイはソフィーを抱きしめた。王族はあからさまに感情をあらわしてはいけないと小さな頃から訓練はしているが、まだ子供だ。嫉妬心をうまく制御できなくても仕方ない。
「私のお姫様は自分ができることと、できないことをしっかり判断し、王女としてふさわしいふるまいをすることを選んだ。父として誇らしい」
ソフィーが顔をあげ笑顔をみせた。
「ソフィー殿下、ジョシュアがこちらをちらちら見ています。気になってるようですよ。
だめですよ。まだ彼の方をみてはいけません、殿下。じらさないと。
気持ちが落ち着いてからご自分で彼が殿下のことを気にしているのを確かめてください。そして目があったら美しい笑みをみせるのです」
「エリザ、あなたは意外と恋のかけひきをする人だったのだね」
エリザは気持ちよい笑い声をたてていたが、その目に涙が浮かんでいた。
素早くハンカチをとりだしたエリザは、「年を取ると涙もろくなっていけません」といい苦笑した。
「ソフィー殿下が表情をつくろうと頑張っていらっしゃった姿にグレイスの面影を感じ、そのうえルイ殿下の笑顔がグレイスにそっくりで、すっかり涙腺がゆるんでしまいました」
母がもっとも信頼し親しくしていたエリザは、母の遺志を継いだ慈善活動を精力的にこなしてくれた。
そしてエリザと、ルイの幼馴染みであるエリザの子供達は、こども病院という母の遺志を形にするため親身になって奔走してくれた。
母は生前、子供に特化した病院をつくりたいと計画をねっていた。小さな子供の死亡率は一昔前に比べ改善しているが、それでもまだ高かった。
その状況を何とかしたいと母はこどもを治療するための病院をつくることを思いついた。
しかし計画を実現しようにも子供を専門とする医師が存在していなかった。そのため医師の育成から始めなくてはならず、計画が実現するまでに十六年の年月がかかった。
母のこども病院の計画を十八歳の時にしったルイは、計画を実現するために母の元秘書官のノアをはじめとした元側近達に声をかけた。
ノアは「何の力もない引退した田舎男にできることは少ないですが」といいながらも、自領の薬草を供給できるよう自身の兄を説得してくれた。
他の元側近達も自身がもつ力や伝手を最大限につかい後押ししてくれた。
そして計画をしった王国民も母の計画のためにとさまざまな形で手を貸してくれた。
有力な情報や必要な物資といったものから、人手や差し入れといった多岐にわたる助けが差し伸べられた。
ルイよりも若く母のことは名前ぐらいしか知らないだろうと思っていた若い層から、
「両親がグレイス殿下の慈善活動のおかげで救われました」
「グレイス殿下は私の憧れです」
といわれることは少なくなかった。
ルイは多くの人が母のことを忘れず、母の遺志を実現させるために協力してくれたことに胸が熱くなった。
「そういえばマリア殿下のことを裏切るようなことなさってませんよね?」
エリザはいつもこの問いをルイが気をぬいている時に聞く。
今回は息子達がソフィーを引っぱり去っていくのを見守っている時だった。
「ご安心下さい。マリアを泣かせるようなことはしていません」
マリアとは多くのことをくぐり抜けてきた。楽しいことだけでなく苦しいこともたくさんあった。しかしマリアが泣きたいときはルイが側に、ルイがくじけそうな時はマリアが側に、お互いを支え合い乗り越えてきた。
心の隙をつかれたり、色仕掛けされそうになったりと危ういことはあったが、マリアを悲しませるようなことをルイは一度もしたことがない。
ルイはマリアを泣かせない、悲しませないと心に誓っている。
二人が結婚して間もない頃、マリアが実家で飼っていた犬が亡くなった。マリアが末子の自分にとって弟のような存在だとかわいがっていた愛犬だった。
マリアはその知らせを聞いた日は誰の目にもわかるほど動揺していたが、それ以降は普通にふるまっていた。
無理をしているのは明らかで、ルイはマリアのことを心配していた。マリアの心をすこしでもなぐさめたかった。
ある晩、夜中に目が覚めると隣にマリアの姿がなく、さがすと自室で声を殺して泣いていた。ソファーで体を丸め泣いているマリアは小さな子供のようだった。
その姿は母を亡くした悲しみで泣いていた妹や弟の姿を思い出させた。
妹と弟は母の死後、父がいない時にときどきルイの寝台にもぐりこんできた。妹や弟が泣いている声で目が覚めたり、目が覚めると二人の目に涙のあとをみつけたりした。
マリアの丸まった背中を抱きしめた。マリアがおどろき体をおこそうとしたが、丸まったままでよいからと抱きしめていると再び声を殺したまま泣いた。
抱きしめたマリアの体から深い悲しみがつたわった。大切な存在をうしなった悲しみは時間と場所をえらばずおそう。その悲しみにどうすることもできないつらさをルイはよく知っていた。
マリアを悲しませるようなことを、泣かせるようなことをしたくない。ルイは強く思った。
「私は決してあなたより先に死なない。あなたが泣きたい時はかならずそばにいる」
「絶対に…… 絶対、私より先に死なないでください」
声をつまらせながらそのようにいうマリアから、ルイを愛している、あなたは私の大切な人だから失いたくないという気持ちをひしひしと感じた。
マリアを泣かせたくない。愛する人を泣かせるようなことはしない。それをルイは守ってきた。
「もしルイ殿下とマリア殿下が二人でいらっしゃる時に暴漢におそわれたらどうされますか?」
エリザが再び思いがけない質問をしてきた。
「王太子、国王になる者として、私はマリアを盾にしてでも自分の身を守らなくてはならない。しかしきっと無意識のうちにマリアを守ってしまいそうな気がします」
その答えを聞いたエリザは子供達に対しての質問をした。
「殿下はお子様方に本人達の意にそわぬ結婚をさせられますか?」
「本人の気持ちをくんでやりたいとは思うが現実としてはむずかしいでしょうね。王族として政略結婚はさけられない。せめて私のように選択の余地があるよう全力をつくします。
しかし本人の意にそわぬ結婚になるかもしれないと考えると心が痛いですね。あの子達には幸せになってもらいたい」
エリザが大きな笑みをみせた。
「殿下ならそのようにおっしゃるだろうと思っていました。グレイスが願った希望と愛がしっかりみえました」
エリザは母がルイ達を愛し温かい家庭をきずくことで、ルイ達が屈託なく人を愛し人から愛され幸せになることを願っていたという。
「グレイスは一時とても苦しんでいました。子を愛すれば愛するほど、こんなにも子という存在はかわいいのに、どうして両親は私のことを愛してくれなかったのだろうという気持ちが強くなる。
その気持ちがときどき強くなりすぎて子を愛することに苦しさをおぼえることがあるといっていました」
愛することに苦しさをおぼえる。何という絶望だとルイは思った。
「それを救ったのが殿下でした。グレイスが公務でつらいことがあり自室で泣いていたら、グレイスをさがしにきたルイ殿下が泣いている彼女をみて『母上、どこがいたいの?』と聞き、痛みをとるおまじないをしたそうです。
グレイスは殿下が怪我をした時などに『痛いのとんでいけ』といったあと痛みのある部分に口づけていましたよね?
それを三歳のルイ殿下がグレイスにしたことで、グレイスは自分の愛が殿下にとどいていること、そしてそれが殿下のなかに根をはり自分にその愛を返してくれていると気付いたのです」
エリザはそのようにいったあと、子を愛すと子が結婚する時につらいですよと不吉な笑みをみせた。
「私の父は子を愛す人でした。兄に本人の意にそわぬ婚姻をしいることになった時に、『貴族が子を使用人に育てさせ子に関心をもたないようにするのは、そうしなければ子を駒として使うことに罪悪感をおぼえてつらいからだろうな』といっていました。
貴族の男として、子を政略結婚させることに同情し判断を鈍らせるのは弱さでしかなく、まったくほめられたことではないが、痛みや罪悪感をおぼえるのは子を愛したことの勲章だと父は誇らしげにいいました。
きっと殿下も子を愛した勲章をえることになると思います」
エリザのいった通りになりそうだと、ルイはソフィーとジョシュアの姿を視界にとらえながら思う。どうやら弟二人が姉の恋を応援するためお節介をしているようだ。
「そろそろ会場へ」
秘書官が開所式を始める時間だとしらせる。開所式でお披露目したあと病院の玄関部分にかざる母の肖像画のことを考える。
こども病院に無関心だった父だが、病院の開所式をしらせると「グレイスの名を冠した病院なのだから肖像画のひとつでも飾ってはどうだ」と母の肖像画をわたしてくれた。母の生前、父の執務室に飾られていたものだ。
父にとって母がどのような存在なのかは分からない。しかし父はこれまで母のことを忘れたことはないはずだ。
父は母の面影をもつソフィーを目で追っていることがある。ルイとソフィーを比べればルイの方が母に似ているが、ソフィーは「母上」と思わずいいそうになるほど母に似た表情をすることがある。
父はその表情をみるためソフィーを目で追っているのではと思った。ルイの考えすぎかもしれないが、あながち間違っていないような気がする。
「母上、あなたが王国民のためにと願った思いが実現しました」
次代の希望とよばれた母の遺志をかなえたことで、自分が本当の意味で次代の希望になれたのではとルイは思う。
次代の希望としてマリアと子供達と共にこの王国を率いていく。
この国で生きることが幸せだと思えるように。
ルイの十二歳になる長女、ソフィーは、伯爵令息のジョシュアに片思い中だ。ソフィーとジョシュアは同じ教師からバイオリンを習っており、その教師が演奏会をひらいた時に知り合った。
ルイは父親として娘が好きになった相手に複雑な思いをもってはいるが、ソフィーの恋が幸せなものであってほしいと願う。
ソフィーが八歳の時に文法の教師を好きになり、「先生大好き。結婚したい!」といって以来、娘に父親より好きと思う存在がいることを受け入れなくてはならないと言いきかせている。
「これまで父上大好き、父上と結婚したいといってたではないか」妻のマリアにぐちると、マリアも長男から同じ目にあっていたのでお互いなぐさめあうことになった。
ソフィーが深呼吸をしたあと笑顔をみせた。この可愛い笑顔におちない男などいないだろう。
式典までの控え場として関係者が裏庭に集まっていた。
「ルイ殿下、ジョーンズ伯爵夫人をお連れしました」
母の没後二十年の節目に新設した、グレイス・バートン・ハリスこども病院の開所式を一番いっしょに祝いたい人だ。
「エリザ、共にやり遂げましたね」
「はい、ルイ殿下。やり遂げました。いますぐにでも天国へいってグレイスに直接報告したいぐらい嬉しいです」
「天国にいくのはやめてください。あなたは私の母がわりだ。あなたにいなくなられたらどうしてよいのか分からない」
母の死後、親友のエリザは何かとルイ達を気にかけてくれた。妻のマリアともすっかり仲良くなり、マリアの方がルイよりもエリザと会っている回数が多いかもしれない。
「マリア殿下のつわりは落ち着きましたか?」
マリアは第四子を懐妊中でつわりに苦しんでいた。
「一週間前よりは落ち着いたようですが、今日の開所式を欠席せざるを得ず落ち込んでいました」
エリザが心配した表情をみせ、くどいほどマリアを大切にするようルイにいったあと、エリザは三か月後に婚約中の子爵と結婚することになったといった。
エリザは六年前に夫の伯爵を落馬事故で亡くしていた。その後に出会った子爵と残りの人生を共にすごしたいと再婚をきめた。
「この年になって恋に落ちるなど思ってもみませんでした」
そのようにいったエリザの表情は輝いていた。エリザはルイには子爵との恋の話はしないがマリアにはいろいろと話しており、マリアづてに幸せな関係をきずいていると聞いていた。
「エリザ、久しぶりですね」
いつの間にかソフィーがルイとエリザのところへきていた。エリザへ挨拶をしているソフィーは笑顔だがいらだっているのが分かる。
「どうしたのだ?」
ルイが声をかけると、ソフィーが必死に感情をおさえようとしているのが分かった。
目でジョシュアをさがすと一人の令嬢と話していた。こちらをちらりとみてソフィーの様子を気にしているようだ。
「ソフィー殿下、ジョシュアに挨拶されましたか? あら、どこのご令嬢かしら。ジョシュアと楽しげにしてますわ。
ソフィー殿下、このような所でのんびりしていてはいけません。しっかり邪魔しにいかないと」
ソフィーが「邪魔するのですか?」とおどろくと、エリザが「もちろんです。好きな人のそばにいるライバルらしき存在はしっかり把握し、すみやかに手を打つべきです」おどけた調子でいいソフィーが声をたてて笑った。
「ジョシュアにはもう挨拶をしました。でも幼馴染みだという彼女があらわれて、二人がとても親しげなのでいたたまれなくてこちらにきたのです」
「そのお気持ちはよく分かります。しかし嫉妬して場をはなれるのはよい手とはいえませんね」
エリザがそのようにいうと、
「でも嫌な顔をしそうだったの。だから……」といってうつむいた。
ルイはソフィーを抱きしめた。王族はあからさまに感情をあらわしてはいけないと小さな頃から訓練はしているが、まだ子供だ。嫉妬心をうまく制御できなくても仕方ない。
「私のお姫様は自分ができることと、できないことをしっかり判断し、王女としてふさわしいふるまいをすることを選んだ。父として誇らしい」
ソフィーが顔をあげ笑顔をみせた。
「ソフィー殿下、ジョシュアがこちらをちらちら見ています。気になってるようですよ。
だめですよ。まだ彼の方をみてはいけません、殿下。じらさないと。
気持ちが落ち着いてからご自分で彼が殿下のことを気にしているのを確かめてください。そして目があったら美しい笑みをみせるのです」
「エリザ、あなたは意外と恋のかけひきをする人だったのだね」
エリザは気持ちよい笑い声をたてていたが、その目に涙が浮かんでいた。
素早くハンカチをとりだしたエリザは、「年を取ると涙もろくなっていけません」といい苦笑した。
「ソフィー殿下が表情をつくろうと頑張っていらっしゃった姿にグレイスの面影を感じ、そのうえルイ殿下の笑顔がグレイスにそっくりで、すっかり涙腺がゆるんでしまいました」
母がもっとも信頼し親しくしていたエリザは、母の遺志を継いだ慈善活動を精力的にこなしてくれた。
そしてエリザと、ルイの幼馴染みであるエリザの子供達は、こども病院という母の遺志を形にするため親身になって奔走してくれた。
母は生前、子供に特化した病院をつくりたいと計画をねっていた。小さな子供の死亡率は一昔前に比べ改善しているが、それでもまだ高かった。
その状況を何とかしたいと母はこどもを治療するための病院をつくることを思いついた。
しかし計画を実現しようにも子供を専門とする医師が存在していなかった。そのため医師の育成から始めなくてはならず、計画が実現するまでに十六年の年月がかかった。
母のこども病院の計画を十八歳の時にしったルイは、計画を実現するために母の元秘書官のノアをはじめとした元側近達に声をかけた。
ノアは「何の力もない引退した田舎男にできることは少ないですが」といいながらも、自領の薬草を供給できるよう自身の兄を説得してくれた。
他の元側近達も自身がもつ力や伝手を最大限につかい後押ししてくれた。
そして計画をしった王国民も母の計画のためにとさまざまな形で手を貸してくれた。
有力な情報や必要な物資といったものから、人手や差し入れといった多岐にわたる助けが差し伸べられた。
ルイよりも若く母のことは名前ぐらいしか知らないだろうと思っていた若い層から、
「両親がグレイス殿下の慈善活動のおかげで救われました」
「グレイス殿下は私の憧れです」
といわれることは少なくなかった。
ルイは多くの人が母のことを忘れず、母の遺志を実現させるために協力してくれたことに胸が熱くなった。
「そういえばマリア殿下のことを裏切るようなことなさってませんよね?」
エリザはいつもこの問いをルイが気をぬいている時に聞く。
今回は息子達がソフィーを引っぱり去っていくのを見守っている時だった。
「ご安心下さい。マリアを泣かせるようなことはしていません」
マリアとは多くのことをくぐり抜けてきた。楽しいことだけでなく苦しいこともたくさんあった。しかしマリアが泣きたいときはルイが側に、ルイがくじけそうな時はマリアが側に、お互いを支え合い乗り越えてきた。
心の隙をつかれたり、色仕掛けされそうになったりと危ういことはあったが、マリアを悲しませるようなことをルイは一度もしたことがない。
ルイはマリアを泣かせない、悲しませないと心に誓っている。
二人が結婚して間もない頃、マリアが実家で飼っていた犬が亡くなった。マリアが末子の自分にとって弟のような存在だとかわいがっていた愛犬だった。
マリアはその知らせを聞いた日は誰の目にもわかるほど動揺していたが、それ以降は普通にふるまっていた。
無理をしているのは明らかで、ルイはマリアのことを心配していた。マリアの心をすこしでもなぐさめたかった。
ある晩、夜中に目が覚めると隣にマリアの姿がなく、さがすと自室で声を殺して泣いていた。ソファーで体を丸め泣いているマリアは小さな子供のようだった。
その姿は母を亡くした悲しみで泣いていた妹や弟の姿を思い出させた。
妹と弟は母の死後、父がいない時にときどきルイの寝台にもぐりこんできた。妹や弟が泣いている声で目が覚めたり、目が覚めると二人の目に涙のあとをみつけたりした。
マリアの丸まった背中を抱きしめた。マリアがおどろき体をおこそうとしたが、丸まったままでよいからと抱きしめていると再び声を殺したまま泣いた。
抱きしめたマリアの体から深い悲しみがつたわった。大切な存在をうしなった悲しみは時間と場所をえらばずおそう。その悲しみにどうすることもできないつらさをルイはよく知っていた。
マリアを悲しませるようなことを、泣かせるようなことをしたくない。ルイは強く思った。
「私は決してあなたより先に死なない。あなたが泣きたい時はかならずそばにいる」
「絶対に…… 絶対、私より先に死なないでください」
声をつまらせながらそのようにいうマリアから、ルイを愛している、あなたは私の大切な人だから失いたくないという気持ちをひしひしと感じた。
マリアを泣かせたくない。愛する人を泣かせるようなことはしない。それをルイは守ってきた。
「もしルイ殿下とマリア殿下が二人でいらっしゃる時に暴漢におそわれたらどうされますか?」
エリザが再び思いがけない質問をしてきた。
「王太子、国王になる者として、私はマリアを盾にしてでも自分の身を守らなくてはならない。しかしきっと無意識のうちにマリアを守ってしまいそうな気がします」
その答えを聞いたエリザは子供達に対しての質問をした。
「殿下はお子様方に本人達の意にそわぬ結婚をさせられますか?」
「本人の気持ちをくんでやりたいとは思うが現実としてはむずかしいでしょうね。王族として政略結婚はさけられない。せめて私のように選択の余地があるよう全力をつくします。
しかし本人の意にそわぬ結婚になるかもしれないと考えると心が痛いですね。あの子達には幸せになってもらいたい」
エリザが大きな笑みをみせた。
「殿下ならそのようにおっしゃるだろうと思っていました。グレイスが願った希望と愛がしっかりみえました」
エリザは母がルイ達を愛し温かい家庭をきずくことで、ルイ達が屈託なく人を愛し人から愛され幸せになることを願っていたという。
「グレイスは一時とても苦しんでいました。子を愛すれば愛するほど、こんなにも子という存在はかわいいのに、どうして両親は私のことを愛してくれなかったのだろうという気持ちが強くなる。
その気持ちがときどき強くなりすぎて子を愛することに苦しさをおぼえることがあるといっていました」
愛することに苦しさをおぼえる。何という絶望だとルイは思った。
「それを救ったのが殿下でした。グレイスが公務でつらいことがあり自室で泣いていたら、グレイスをさがしにきたルイ殿下が泣いている彼女をみて『母上、どこがいたいの?』と聞き、痛みをとるおまじないをしたそうです。
グレイスは殿下が怪我をした時などに『痛いのとんでいけ』といったあと痛みのある部分に口づけていましたよね?
それを三歳のルイ殿下がグレイスにしたことで、グレイスは自分の愛が殿下にとどいていること、そしてそれが殿下のなかに根をはり自分にその愛を返してくれていると気付いたのです」
エリザはそのようにいったあと、子を愛すと子が結婚する時につらいですよと不吉な笑みをみせた。
「私の父は子を愛す人でした。兄に本人の意にそわぬ婚姻をしいることになった時に、『貴族が子を使用人に育てさせ子に関心をもたないようにするのは、そうしなければ子を駒として使うことに罪悪感をおぼえてつらいからだろうな』といっていました。
貴族の男として、子を政略結婚させることに同情し判断を鈍らせるのは弱さでしかなく、まったくほめられたことではないが、痛みや罪悪感をおぼえるのは子を愛したことの勲章だと父は誇らしげにいいました。
きっと殿下も子を愛した勲章をえることになると思います」
エリザのいった通りになりそうだと、ルイはソフィーとジョシュアの姿を視界にとらえながら思う。どうやら弟二人が姉の恋を応援するためお節介をしているようだ。
「そろそろ会場へ」
秘書官が開所式を始める時間だとしらせる。開所式でお披露目したあと病院の玄関部分にかざる母の肖像画のことを考える。
こども病院に無関心だった父だが、病院の開所式をしらせると「グレイスの名を冠した病院なのだから肖像画のひとつでも飾ってはどうだ」と母の肖像画をわたしてくれた。母の生前、父の執務室に飾られていたものだ。
父にとって母がどのような存在なのかは分からない。しかし父はこれまで母のことを忘れたことはないはずだ。
父は母の面影をもつソフィーを目で追っていることがある。ルイとソフィーを比べればルイの方が母に似ているが、ソフィーは「母上」と思わずいいそうになるほど母に似た表情をすることがある。
父はその表情をみるためソフィーを目で追っているのではと思った。ルイの考えすぎかもしれないが、あながち間違っていないような気がする。
「母上、あなたが王国民のためにと願った思いが実現しました」
次代の希望とよばれた母の遺志をかなえたことで、自分が本当の意味で次代の希望になれたのではとルイは思う。
次代の希望としてマリアと子供達と共にこの王国を率いていく。
この国で生きることが幸せだと思えるように。
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このお話、故元ダイアナ妃がモデルなのですね🤔。チャールズ国王、ガンらしいです。なんかやっぱり因果的な物が返ってくるのかななんてちょっと思いました|д゚)チラッ。