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第三十三話

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「秋原さん!」

 俺の名前を呼びながら現れたのは村上さんだった。

「村上、さん」

 俺も彼女の名前を口にする。

 彼女は俺を見つけると一目散に俺の前に駆け寄って来た。

「秋原さん怪我などはないですか?大丈夫でしたか?」

「あ、うん、怪我などはないよ」

 村上さんは俺の手足を自由にさせようとしたが、プラスチックバンドとわかると顔を顰めた。

「すぐにハサミ持って来ますね」

 そう言って立ち上がる彼女を龍牙が呼び止めた。

「幸、お帰り」

 龍牙は手足を組み、堂々とした格好でソファにすがっている。

 そんな彼を村上さんは睨みつけた。

「どうしてこんなことしたの、目的は私1人でしょ」

「そうだが、幸には自分の意思で帰って来て欲しくてな」

「自分の意思・・・」

 彼女はそう口にしながら右手を強く握り締めた。

「ふざけないで!何が自分の意思よ、こんなの強制でしかない!」

 今まで聞いたことのない彼女の怒鳴り声が部屋中に響く。俺がそれに面食らっている間も、彼は動じることなく会話を進める。

「私はもうここには帰らないし、継ぐつもりもない!仕事見つけて自立して、大切な人が殺されない平和な日常を過ごしたいの」

 彼女が自分の意思を告げ終えると彼は腹を抱えて笑い始めた。

「はっはっは、仕事を見つけて平和な日常を過ごす?はっはっは、まだ気づいていないのか?」

「気付くって何に・・・」

 彼は笑いを抑えるために深呼吸をした。笑いが収まると真剣な顔を作った。

「お前が会社に雇われないのは俺が手を回しているからだ」

「・・・え!?」

 衝撃な事実に彼女は硬直状態になる。それは俺の例外ではない。30社も落とされ、数日前に決まった内定もなかったことにされた彼女。その元凶が実の父親、そんなあまりにも酷すぎる。

「気付いていなかったのか?俺はてっきり気づいているものだと思っていたが?」

「・・・そん、な」

 彼女からはさっきまでの威勢が完全に消え去っていた。あと一言、何か言われれば折れてしまうのではないか、それぐらい彼女は弱っていた。

 絶望、それは今の彼女を一言で表すのにふさわしい言葉だった。

 彼は足を組み直すと再び口を開いた。

「幸、戻っておいで。お前の居場所はここしかないんだから」

 彼女の居場所を消し回った男が言う台詞とは思えなかった。

 数日前、彼女は堪えることが出来ず泣いた。会社に何度も落とされ、それでもまた頑張ろうと決意した彼女の顔が頭に浮かぶ。

「・・・ふざけるな」

 気づけば俺はそう口にしていた。

「?」

 首を傾げる彼に、今度は彼の目をしっかりと見ながら声を張る。

「ふざけるな!彼女が毎回どんな気持ちで就活してたかお前にわかるか?落とされ、泣いて、それでも次は頑張ろうって・・・真剣に生きている幸の気持ちを考えたことはあるのか!」

 もし手足が自由なら、今頃は彼の顔面に一発喰らわせているだろう。それが出来ないのが悔しい。

「あんたの考えは全部自分のためじゃないのか!」

「何も知らないガキが出しゃばるな!」

 彼は大きな声を上げる。

「これは俺たち家族の問題だ。他人が入ってきていいものじゃい!」

 確かにそうなのかもしれない。この話は幸と龍牙、本人たちがどうにかしないといけない問題なのかもしれない。

 でも、今の様子は明らかに龍牙の一方的な押し付けでしかない。

「家族の問題ならもっと幸の意見も組み入ってやれよ!あんたの意見や考えばかり押し付けて何が家族の問題だ!」

「このガキが!」

 怒りが頂点に達した彼は席を立つ。そのままテーブルの横を通り俺のもとにやって来る。拘束されている俺は逃げることもできず、怒りをあらわにした彼が来るのをただ見ていることしかできなかった。

 俺は覚悟を決めた。たとえ殴られようが、蹴られようが、仕方がない。自分から首を突っ込んだのだから。

 現状を受け入れ、目をそっと閉じる。その間も足音が近づいて来る。

「待って」

 近づいて来る足音は止み、彼女の声が聞こえた。

 閉じていた目を開けると、俺と彼の間に彼女が手を大きく広げ道をふさいでいた。

「道を開けろ、幸!」

 彼の言葉に屈することなく彼女は手を上げたまま首を左右に振る。

「退かない」

「幸!」

「ダメ!!」

 彼女も負けずと声を上げる。そんな彼女に押し負けるように、彼は一歩身を引いた。

「お母さんを殺した奴らみたいに、私の大切な人を傷つけないで。・・・これ以上大切な人が傷つくのは見たくない」

 弱々しく、悲しげな声を上げる彼女。彼の彼女の様子を見てか、進行方向を変え、さっき座っていた席に身を預ける。

「はぁ・・・幸」

 ため息の後、彼は彼女と目を合わせる。さっきまでの怒り狂った表情はもうどこにもない。

「少し退出してくれないか?彼と2人で話がしたい」

 彼の人柄を全部知っているわけでもない俺は、彼の言葉が嘘かどうか判断することが出来ない。

 彼女が退出後、本気で殴って来るかもしれない。もしかしたら隠していたナイフとかで刺して来るかもしれない。

 いろんな可能性が容易に想像出来た。しかし・・・。

「・・・わかった」

 彼女は自分の父親と目を合わせそう言った。

 彼女はしゃがみ込み、横になっている俺と目線を合わせる。

「大丈夫です、お父さんはもう何もしませんから・・・お父さん、ハサミ」

「おい、ハサミ持って来い!」

 彼がそう言うと、最初から用意されていたかのようにすぐに扉が開く。入って来た男の手にはハサミが握られている。

 男は彼に視線を送ると、彼女に渡せと目で合図を送る。それを理解した男はハサミを両手の平の上に置き、彼女に差し出す。

 彼女はそれを受け取ると俺に手足の拘束していたプラスチックバンドを切った。

 自由を取り戻した俺は体を起す。拘束されていた手首にはバンドの後がくっきりと残されている。確認していないが足にも出来ているだろう。

 手首を回して状態を確認していると、彼女が抱きついて来た。

「村上さん!」

 急なことに動揺しないわけがなかった。

 目の前で自分の父親が見ているにも関わらず、彼女はより一層強く抱きしめる。

「ごめんなさい、面倒ごとに巻き込んでしまって・・・ごめんなさい」

 涙声で謝りながら俺は抱きしめて来る彼女。その背中に手を回そうとして、やめた。

 向かいでは彼がジーっとこちらを見ている。そんな状況で俺が手を回してはいけない気がした。


 しばらくして彼女が俺からゆっくりと離れた。一度目を合わせる。彼女の目元は赤くはれている。袖で涙を拭うとそのまま彼女は部屋を出て行った。

「よっぽどお前のことが好きみたいだな」

 部屋の扉が閉まると彼が愚痴のように話しだした。

「実の父親の前で堂々と抱擁を見せつけるとはな」

 俺はそのことに関しては何も言わず、代わりに引きつった笑顔を浮かべた。

「まぁいい。・・・同居している間、幸が笑ったことがあるか?」

「あったよ」

「・・・そうか、笑ったか」

 彼は穏やかな顔つきに変えると席を立ち、後ろに置かれていた写真を一つ手に取った。

「幸はここ数年笑わなかった。俺たちの前でも、多分他の人の前でもな」

「・・・どうして」

 これまでの会話を聞いてなんとなく察している。しかし確証が持てないので彼に問う。

「妻の静香は幸の目の前で轢き殺された」

 それを聞いて唖然とした。病気などではなく、目の前で轢き殺された。そのショックは俺が今想像しているのも以上だっただろう。

「静香は先代の1人娘だったから、他の組織の連中に目をつけられていた。だから普段は護衛をつけて出掛けさせていた」

「じゃあなんで・・・」

 彼は目を細め、じっと写真を見る。

「静香と幸は護衛を撒いて出かけた。その報告を受けて捜索をしている最中の出来事だった」

 彼は手にした写真立てに力を入れる。

「その日、自分の不甲斐なさを恨んだ。何がボスだ、何が後継者だって。・・・だからせめて幸だけは・・・と思ったのだがな、守っているつもりで幸を傷つけてしまっていたらしい」

 彼は写真を元の場所に戻すとこちらを向いた。

「秋原晴太、お前は幸のことをどう思っている?」

 彼が向ける視線はとても真剣で、はぐらかすのは失礼な気がした。

 今まで口にはせず、自分でも曖昧にしてきた感情を初めて口にした。

「好きだよ、出会って間もないけど、間違いなく」

「はぁ・・・」

 彼は天井を見上げながら溜息を吐いた。

「全く、まさかこんなガキに・・・」

 彼は再び俺の方を見つめる。

「お前はこれからどうしたい?」

 その質問が俺のこれからではなく、彼女とのこれからだとすぐに気づいた。

 正直これからなんて考えていない。この先どうなるか、どうしたいか決まっていない。

「急にこれからなんて聞かれても分からない」

 でもただ一つ、望んでいいのなら・・・。

「でも幸と同じ時間を過ごしたい」

 真剣な眼差しを彼に向ける。嘘偽りのない本心だと彼に伝えるために。

 彼は目を閉じた。大きく息を吸い、吐くと同時に目を開ける。

「幸はどうしたいんだ?」

 声を張り、そう口にする。その声に呼ばれたようにドアを開けて彼女が姿を現した。

「私も同じ、秋原さんと居たい」

 その答えを聞いて、彼は自分の白い髪を額から上に持ち上げる。

「幸を連れ戻すつもりだったんだがな」

 彼は手を下ろし、席を立った。

「幸を命に変えても守れ、もし出来なければ俺たちがお前を殺しに行く。そのことを忘れるな」

 彼はそのまま彼女のいるドアの方に歩いて行く。

「金はやる、幸のために使え」

 部屋から出て行く彼はドアを出てすぐに立ち止まった。

「柴田、2人を連れて帰ってやれ」

「わかりました」

 壁で見えないが、誰かに命令をするとそのまま左側に曲がって行った。
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