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蝕と呪い、あるいは祝福 2

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 唯一賑々しいのは、宮殿だろう。
 この三日間、宮殿には国中から集った貴族が詰めて神力の大小にかかわらず祭司官たちとともに祈りを捧げ、居並ぶ騎士が神力の込められた鈴を鳴らす習わしだ。

 かつて、国を背負うことになった弟神のしもべは、弟神から与えられた血肉が肌の下で疼くことにため息すると、夏に訪れる乳白色の帳を蝕と名付けた。
 そうして、自分の血にまじないをかけることにしたと建国神話は語る。

 一番目のしもべは自らの姿を大樹に変えると、枝の先で息子の瞳を貫いて金色に輝く星を宿させた。

 ――この薄闇が我らの喰らった兄神の血肉と呼応するものならば、この大地に残る兄神の残滓が嘆いていらっしゃるのだろう。我が子孫はこの大地に根を張る弟神のしもべとして、兄神の嘆きをお慰めせねばならぬ。ヴァルダノの王族には、弟神の眠りをお守りし国を支える責務があるのだから。

 以来、王となる男児は瞳に金の星を宿してこの世に産み落とされ、兄神の嘆きを一身に受け止めることとなった。

 国中の祭司官が捧げる祈りも、神力による加護も騎士が奏でる鎮魂の鈴の音も、あくまで王の補助にしか過ぎない。代々の王は三日間儀式の間に籠もり、兄神の嘆きをひたすらに浴び、悲しみに晒され浸される。

 その痛みは、肉体ではなく精神を刺激するもので、ともすれば狂い死にそうなまでに凄まじいと謂われていた。受け継いだ神力の性質によっては相当な負担がかかり、長い歴史の中には早逝した王もいるほどだ。

 先々代の王が多くの愛妾を娶り、金に次ぐ銀の星を持ち、蝕の痛みを引き受ける子供を儲けたのも、次代の王の負担を軽くする意図があったという。

 イルディオスは銀の星を授かって生まれたが、人ならぬ力に長年苛まれてきたせいか、蝕にもさほど影響を受けないと聞いている。
 お陰で兄上のお役に立てる、と頑是ない子どものように微笑んだイルディオスの表情を思い出しながら、アドリーシャはアロの翼を撫でる。嘴の周りについた食べかすを指で払ってやると、翼の先がはたはた揺れて可愛らしい。

「おやすみになりますか?」
「いい。……アドリーシャ。お前はなぜ、何も我に望まない?」

 ちろりと片目を開けてこちらを見上げる瞳は、羽と同じように不可思議な揺らめきを備えた闇の色をしている。いつまでも見つめていられるようで、見つめていることが憚られるような密やかさを秘めた輝きだ。

「差し出たことを申し上げます。神と呼ばれる御方は、人から多くを望まれることに飽いていらっしゃるのではないかと思うのです」

 アドリーシャにも、アロに――弟神に聞きたいことがないといえば嘘になる。
 でも、あくまで弟神は神で、アドリーシャは人なのだ。

 アロが人懐こい小鳥のように振る舞うから、イルディオスもアドリーシャも気安く接してしまっている。
 でも、もし分を過ぎて勘気を被ってしまったら? そう考えると、アドリーシャは何かを求めようとは到底思えなかった。

 かつて、弟神から神託を授かった祭司官が増長して、死を与えられた例もある。父から祈りの作法を仕込まれたアドリーシャは、祈りを捧げるときは決して我欲を出してはいけないときつく言い含められていた。

 ――それに、他者から何かを望まれ続けることはさみしいことだ。何も望まれないのと同じくらいに。

 アロはしばらく黙っていたが、人でも鳥でもない輝きを凝らせた瞳の苛烈さは、ヴァルダノを創造した神が苛立ちを覚えていることをありありとアドリーシャに教えた。

 怒りや葛藤といった言葉が瞬きのうちに褪せるほどに、その瞳は目映い光に満ち満ちている。
 ぐらぐらと煮詰められた感情が激しく波打ちながら、ただアドリーシャだけを見ている。胸の底で恐れが首をもたげたが、アドリーシャは唇を閉ざしたままでいた。

「我を哀れむのか。ただの人が、たった十年ぽっち生きただけの小娘が」

 小鳥の輪郭がぬらりと崩れ落ち、暗い炎のように揺らめき出す。

「アドリーシャ。たった三日預かっただけの指輪がそんなに嬉しかったのか? 慎ましく控えめでいろと躾けられた従順おとなしさが、お前の美点であろう。求婚にも足りぬ、完全に自分の物でもない指輪にそこまで鼓舞されたか? 愚かしいことだな」

 そっと眉を寄せたアドリーシャは、ぐっと目の前に迫った瞳に睨めつけられて息を止める。

「……所有せずとも、一瞬の思い出があれば生きていける者もいるのです」
「嘘を吐け! そんなに欲望を湛えた瞳で、よくもまあのうのうと!」

 ぬらぬらと輪郭を揺らがせた翼が喉を捉えて、押し出されたうめき声がこぼれ落ちる。喉が圧迫されて、息が苦しい。歪んだ視界が、星を湛えた夜の海に浸される。

「……っ、ぐ、」

 死を覚悟したそのとき。アロはびくりと輪郭を波打たせると、まじまじとアドリーシャを覗き込む。そうして、短く一笑したかと思うと、大きく翼をはためかせてくるりと旋回する。

「蝕でなかったら、お前を切り裂いていたやもしれぬぞ。兄上はまったく、どこまでも……」

 アロは低く唸り立てるように呟くと、椅子から転げ落ちて咳き込むアドリーシャを一瞥して姿を消した。

 喉を押さえて荒い息を整えようとするアドリーシャの胸の間を、つうっと汗が伝い落ちる。
 いま見逃してもらえたのは奇跡に等しい。けれども、偽りを口にする勇気もなかった。

 生まれつき備わった分にそぐわぬ望みを抱くのは、こういうことだ。
 慎ましく微笑んで与えられた箱の中に従順に収まっていれば、アドリーシャは見逃してもらえるだろう。一度箱の中から手を伸ばせば、手ひどく打擲される。弁えていないお前が悪いのだと。

 うまく力の入らない四肢をやっとの思いで動かして、倒れていた椅子を立て直し、縋るように息をつく。畏れの名残が指の先まで満ちていて、肌が震えを帯びていた。
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