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湖畔のひととき 2
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「兄上は鬱憤が溜まると、義姉上に贈り物をしたいという衝動に駆られるらしく、よく端から端まで物を買おうとしては必死に止められているんだ。まああれは、お二人にとってお決まりのじゃれあいなんだろうが……ああいうのは、女性の憧れなんだろう?」
時折、こうしてイルディオスの中であまりにもユーゴウスが基準となっていることに気づかされるとき、アドリーシャはいつもひどく驚いて、それからほんの少し寂しさを覚える。
「王妃殿下は、ただ量をもらって嬉しい方ではないように思います。愛情は贈り物の多寡で表すものではありませんもの」
「ということは、やっぱり湖で良かったんだな」
イルディオスが納得したのに、アドリーシャはほっと胸をなで下ろした。
もしお茶会の話が出たときにドレスや装飾品を選びかねていると口にしていたら、きっと今頃大変なことになっていただろう。
イルディオスは贅を好む訳ではないが、金銭感覚が王族なのである。アドリーシャは、毎年の予算組みの際に、いつも年頃だからだの成人だのと理由を付けて被服費を上げたがるイルディオスを説得するのに苦労していた。
バスケットに入っていたシドロの実を磨くように手の中で転がしたイルディオスは、ナイフでさくりと実を割った。八等分された実の皮を剥いていく手つきはよどみなく、赤い皮がするすると皿の上に落ちてゆく。
「端から端まではやめるが、成人の祝いは何がいい? 何でも用意しよう」
「成人の宴のドレスも支度してくださいました。一緒に踊ってくださるだけで充分です」
「それは当然のことだろう?」
言葉を選びかねていると、イルディオスは何度か湖に目をやり、かと思えばぎこちなく視線を合わせてくる。
「……その。アドリがどうしても他に思いつかないと言うなら、成人祝いに装飾品を一揃い贈ってもいいだろうか」
流行に頓着せず、季節ごとに仕立てる服だってアドリーシャが選んだものに迷わず袖を通すイルディオスらしからぬ申し出だ。驚きに、アドリーシャはしばし言葉を忘れてしまう。
ヴァルダノの貴族の子女は、成人に合わせて両親から贈り物を授けられる習いだ。
幼い頃、母が成人したときに贈られたという首飾りに抱いていたほのかな憧れを思い出して、アドリーシャは自分が動揺しているのだと気づかされる。遅れて、イルディオスはヒュミラ伯爵家の代わりをしてくれようとしているのだと理解が落ちてきて、アドリーシャはきゅっと唇を結んだ。
「実は、もう作らせている。あとはアドリに石を選んでもらって、仕上げるだけだ。注文しているのは一揃いだけだから、受け取ってくれるか?」
不安そうなイルディオスは、シドロの実を食べた。しゃくりしゃく、と雪を踏むような音が次第に早くなり、ややあって、慌てたように石はたくさん取り置かせているから好きに選べると教えられる。そこでようやく、アドリーシャは驚きから醒めた。
そんなに良くしてもらっていいのだろうかという迷いがないと言えば、嘘になる。
けれども、イルディオスがアドリーシャのために考えてくれた贈り物だ。素直に受け取りたいとアドリーシャは思った。
「ありがとうございます。随分前から支度をしてくださっていたのですね」
イルディオスは見るからにほっとして、肩から力を抜いた。
「良かった。週明けに職人を呼ぶから、自由に石を選んでくれ。成人の宴のドレスに合わせてもいいし、アドリが好きな色でもいい」
まあとアドリーシャは笑って、ちらりとイルディオスを見る。
「素敵に仕上がりそうですか?」
「と、思う。たぶん、おそらくは。気に入ってくれると嬉しい。……ちゃんと職人にはアドリの肖像画を見せたし、兄上にも意見を仰いだから安心してほしい」
イルディオスは流行に疎いが、宮殿育ちで生まれながらに上質なものに囲まれて育ったためか、自分で思い込んでいるよりも確かな目を持っている。だから、べつに装飾品の意匠を心配してはいなかったのだけれど……。
湖のほうからふたりを呼ぶ声がして、アドリーシャは湖に目を向ける。船遊びを楽しむ騎士たちに小さく手を振ると、わっと歓声が沸いた。騎士たちの様子に、イルディオスは苦笑する。
「あいつらから船を奪いに行くか?」
「まだ漕ぎ出したばかりじゃありませんか」
アドリーシャが自分もシドロの実を食べたいと言うと、イルディオスは喜んで皮を剥いてくれた。
伏せられた長い銀の睫毛を見るともなしに見つめていると、星を抱いた瞳がアドリーシャを優しく撫ぜる。
取り置かれているという石はたくさん種類があるそうだが、きっとこの瞳を写し取ったように輝くものは見つけることができないだろう。もしあったのなら、迷うことなく選び取れるのに。
涼やかな風に吹かれながら、アドリーシャは胸の内で願った。
今この瞬間のように、穏やかな日々がずっと続いていきますように、と。
時折、こうしてイルディオスの中であまりにもユーゴウスが基準となっていることに気づかされるとき、アドリーシャはいつもひどく驚いて、それからほんの少し寂しさを覚える。
「王妃殿下は、ただ量をもらって嬉しい方ではないように思います。愛情は贈り物の多寡で表すものではありませんもの」
「ということは、やっぱり湖で良かったんだな」
イルディオスが納得したのに、アドリーシャはほっと胸をなで下ろした。
もしお茶会の話が出たときにドレスや装飾品を選びかねていると口にしていたら、きっと今頃大変なことになっていただろう。
イルディオスは贅を好む訳ではないが、金銭感覚が王族なのである。アドリーシャは、毎年の予算組みの際に、いつも年頃だからだの成人だのと理由を付けて被服費を上げたがるイルディオスを説得するのに苦労していた。
バスケットに入っていたシドロの実を磨くように手の中で転がしたイルディオスは、ナイフでさくりと実を割った。八等分された実の皮を剥いていく手つきはよどみなく、赤い皮がするすると皿の上に落ちてゆく。
「端から端まではやめるが、成人の祝いは何がいい? 何でも用意しよう」
「成人の宴のドレスも支度してくださいました。一緒に踊ってくださるだけで充分です」
「それは当然のことだろう?」
言葉を選びかねていると、イルディオスは何度か湖に目をやり、かと思えばぎこちなく視線を合わせてくる。
「……その。アドリがどうしても他に思いつかないと言うなら、成人祝いに装飾品を一揃い贈ってもいいだろうか」
流行に頓着せず、季節ごとに仕立てる服だってアドリーシャが選んだものに迷わず袖を通すイルディオスらしからぬ申し出だ。驚きに、アドリーシャはしばし言葉を忘れてしまう。
ヴァルダノの貴族の子女は、成人に合わせて両親から贈り物を授けられる習いだ。
幼い頃、母が成人したときに贈られたという首飾りに抱いていたほのかな憧れを思い出して、アドリーシャは自分が動揺しているのだと気づかされる。遅れて、イルディオスはヒュミラ伯爵家の代わりをしてくれようとしているのだと理解が落ちてきて、アドリーシャはきゅっと唇を結んだ。
「実は、もう作らせている。あとはアドリに石を選んでもらって、仕上げるだけだ。注文しているのは一揃いだけだから、受け取ってくれるか?」
不安そうなイルディオスは、シドロの実を食べた。しゃくりしゃく、と雪を踏むような音が次第に早くなり、ややあって、慌てたように石はたくさん取り置かせているから好きに選べると教えられる。そこでようやく、アドリーシャは驚きから醒めた。
そんなに良くしてもらっていいのだろうかという迷いがないと言えば、嘘になる。
けれども、イルディオスがアドリーシャのために考えてくれた贈り物だ。素直に受け取りたいとアドリーシャは思った。
「ありがとうございます。随分前から支度をしてくださっていたのですね」
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まあとアドリーシャは笑って、ちらりとイルディオスを見る。
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「と、思う。たぶん、おそらくは。気に入ってくれると嬉しい。……ちゃんと職人にはアドリの肖像画を見せたし、兄上にも意見を仰いだから安心してほしい」
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