「君を食べるつもりはない」と言った運命の人に、恋をしてしまいました。

ななな

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フォエミナの花 1

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「ええ? せっかく銀と緑の糸を取っておいたのに! 本当に王弟殿下の柄飾りじゃなくていいの?」

 納得いかないとばかりに頬を膨らませたニーナに、アドリーシャは眉を下げる。

「騎士をねぎらうことも大事なのよ」
「お貴族様にも事情があるんだって。よくわかんないけどさ」

 シェスカが宥めるものの、ニーナは唇を尖らせる。
 何度か名前を呼ばれたニーナは、渋々ながら絹糸の入った籠を差し出した。四阿の外から差し込む夏の陽射しが、細い腕にはめられた金の腕輪をきらめかせる。

 籠を膝に載せたアドリーシャは、少し離れたところに控えたエティケをちらりと見る。
 騎士服の色からとった深く艶やかな臙脂には、淡い茶を合わせることにする。いつもアドリーシャを見守ってくれている、彼女の瞳の色だ。

 先程、いつものように籠を訪れたアドリーシャは、授業の開始が遅れると知らされた。
 それで、アドリーシャは四阿で柄飾りを作ることにしたのだった。

 四阿に座れるのはせいぜい十人ほどだが、四阿には入れ替わり立ち替わり果実たちが訪れて、アドリーシャの手元を覗き込んではお喋りに興じる。
 果実たちのおしゃべりは、風に揺れる葉擦れのようにさやさやと他愛ない。

「えっ、王弟殿下の柄飾りじゃないの?」
「そう思うじゃない? 騎士様にあげるんだって」
「ははあ。王弟殿下と喧嘩したんでしょ?」
「駆け引きは大事だもんねえ」

 果実たちは、各々期待を込めてアドリーシャを見つめてくる。
 とはいえ、王弟であるイルディオスの下卑た噂話に発展しうる閨の話をアドリーシャから聞き出すことは祭司官たちから禁じられていたので、あからさまに問うことはしない。果実として食べられていないことを秘密にしているアドリーシャとしては、有り難い話だった。

 ただ、アドリーシャは時たま唇の結びを解きもする。女性同士の関係下における、ささやかな秘密の共有がもたらす恩恵を理解しているからだ。
 
「殿下はいつだって優しい方よ。恐れ多くも、優しすぎて困ってしまうときもあるわ」

 果実たちが想像している意味ではないが嘘でもない言葉に、きゃあと四阿は沸き立った。
 並べたティーカップに甘い香りのするお茶を注いでいたニーナも、拗ねた唇をほどいていいなあと笑った。素朴な焼き菓子が載せられた小皿が回されていき、あまり間食をしないアドリーシャの目の前には焼き菓子が一枚差し出される。アドリーシャは、いまだにこうした気さくなやりとりに驚いてしまう。

 編みかけの糸が解けないよう膝の上に置いてから受け取ったクッキーには、洋酒漬けにした小さな実が混ぜ込まれている。果実の一人がじっと見つめてくるのに、アドリーシャは瞬いて口元を覆った。

「アドリーシャは仕種が綺麗だから、真似しようと思ってさ」
「ちょっと行儀良くすると、お貴族様たちの受けが良くなるよねえ」
「貴族のお嬢様は、みんなアドリーシャみたいなの?」
「どうかしら。私の母はものすごく厳しかったの」

 アドリーシャは、ニーナが差し出したお茶を受け取って礼を言う。
 柔らかく湯気を立てているお茶は澄んだ紫色をしていて、ティーカップの縁には花を象った砂糖が添えられていて愛らしい。

 さりげなくティーカップを置いたアドリーシャが幼い頃に受けた躾を指折り数えると、果実たちは実に嫌そうな顔をした。

 ふたたび柄飾りを編み始めたアドリーシャは、エティケを招き寄せた。
 エティケは、こうしてアドリーシャが果実たちと過ごすときには、近くで警護をしないでくれている。それはきっと、エティケの気遣いからくる行動なのだろう。

 アドリーシャは手を伸ばして、編みかけの糸をエティケの胸元に当ててみる。
 色自体は騎士服よりも幾分明るめだが、エティケの肌に合っていた。
 エティケが臙脂を身につけていると落ち着くのは、彼女が騎士であることに矜持を持っているからだろう。騎士の家系に生まれ、祭司官が驚くほどの神力を持つ彼女がイルディオスの庇護を得られたのは幸いなことだ。あれほど神力を持つ娘なら、とうに結婚させられているのが普通だから。

 アドリーシャが差し出された鞘に映える玉の色に悩んでいると、シェスカが苦笑した。

「アドリーシャったら。柄飾りは、贈るときまで相手には秘密にするんだってば」
「そうなの? もうエティケにあげると言ってしまったわ」

 だから、柄飾りの話をしたときにエティケも驚いていたのだろうか。
 たとえ予告されていたとしても贈り物は嬉しいものですよ、と囁いたエティケが一礼して下がると、果実たちはほうっとため息する。

「アドリーシャの騎士様、素敵だよねえ……」
「いつも守ってくれるんでしょ? 皆が憧れるやつだよ。あたしだって、いつか騎士様に柄飾りを渡して告白するんだって思ってたもん」

 果実たちにとって、身近な神殿騎士はさほど気を惹かれる対象ではなく、神殿の外にいる騎士のほうが魅力的なのだ。最初は疑問だったが、この五年でアドリーシャにもその理由がわかってきた。

「サーニャのお貴族様も騎士様じゃない。最近どうなの? 昨日会ったんでしょ?」

 話の水を向けられたサーニャは、物思いから覚めたように瞬いた。
 王都でも知られた商家のお嬢様として生まれた彼女は、温和おとなしい気質の娘だ。彼女が自分を食べる男に恋をしているのはよく知られていて、果実たちはサーニャを羨みながらも応援していた。アドリーシャも、弾むような足取りで面会室へと向かう彼女の姿を見かけたことがある。

「近々、婚約するみたい。昨日は、わざわざそう断りを入れにいらしたの」

 四阿に、しんと沈黙が満ちる。
 曖昧に微笑んだサーニャは手にしたティーカップに唇を寄せようとして、ためらった。

「ちゃんと継続して飲まないと。赤ちゃんができても産めないんだよ」

 ぽつりと言ったのは、ニーナだった。彼女がちらりと目で見た硝子のティーポットには、紫の花弁を持つ小振りな花が揺れている。

「わかってる。婚約の話を聞いて、子どもがいたら違うのかなって夢を見そうになっただけ。私は商家の娘だし、果実が子爵家の婚約者に収まれるはずもないと弁えていたつもりなんだけど」

 サーニャはかぶりを振って、平気と微笑んだ。
 彼女がなかなかお茶に手をつけようとしないのを誰もが見ていたが、誰もそれ以上は強く言わなかった。ただ静かに笑うサーニャの肩を代わる代わる撫でてよくあることだよと囁き、優しく話を切り替えたのだった。

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